Mercenary Imperial Japan   作:丸亀導師

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東欧戦役2

1998年3月

大学への進学もそろそろに、私は祖父の故郷にある大学へと進学する事となった。高祖父の事を調べるにはこれ以上無いという環境、それに祖父も実家へと帰省したいのだという。曾孫の顔を見せれば、曾お祖父様も納得するだろうという事だ。

 

高祖父の記述と現在存在する歴史的な資料を照らし合わせる作業はここ数ヶ月の間にそれなりに進んだ。日本国の大学に行くのだから、それ相応の言語を習得せんと努力した介もあったという事だ。

そんな私を見て、祖父は『まるで爺さんを思い出すよ。』と言っていた。多様な言語を話していたらしく、色々な言語の手紙を読んでいたという。

 

さて、そんな資料の極一部に東欧戦役の従軍記者が記したものがある。戦争の本当の序盤も序盤、まだまだ激化する前の戦端が開かれたばかりの頃のものだ。

これ以降の資料は、正直言って戦意高揚の為の文章が多くなっていく事もあり、客観的な内容とは程遠いものとなっていく。

だから、この時期の戦争の形態を知るには、最もわかりやすいものだという。

 

高祖父はこの東欧戦役に関して、それ程詳しく物事を書いたものがないのだが、どこかしら神様の視点でこの戦争の推移を見ていたという、そんな資料が出てくるような人だったらしい。だいたいの損害がどの程度出るのかを当てていたそうだ。

以下にその資料と高祖父の記述の違いを、編集して行こうと思う。

 

 

 

 

 

記者の日記

1939年4月23日

今日私は、東欧コーカサス民族連合の取材へ行けとそう言い渡されてここに来た。

東の大国、大日本帝国の軍隊と共にここに到着したが、彼等のその姿は我々ドイツ軍のものとはまるで違ったものだった。

 

まだら模様の服を纏い、更にその上からベストのようなもので胸から腰辺りにまでのびていた。一見すると重そうなのだが、彼等はそれを苦にすることもなく塹壕に身を潜めている。

そんな彼等の手には見慣れないライフルがある、口々に

 

Aŭtomata fusilo(自動小銃)

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と言われるも、実際の射撃を見るまでそれが真実と解らなかった。だってそうだろ?全軍に自動火器を配備するなんて、何処の国もやってないんだから。信じられるか?祖国を含めた、殆どの国ではボルトアクションライフルなんだぞ。

 

 

 

それに目につけるところには、必ずと言っていいほど車両がある。兵士がそこから皆降りてくる、完全に機械化されている。感覚が麻痺してしまいそうだ。

 

(当時、日本程機械化に成功していた国は存在していなかったようである。そのノウハウは勿論のこと、弱点も知っていた。更に言えば、自動小銃は日本軍にとって別に珍しいものでも無くなっていたようだ。

 

記者の物と比較し、高祖父の手記には別の文言があった。

『突飛つすべきは新しき無線機、このように軽いものは今まで無かった。』

この頃の日本軍は一個小隊辺り、一基の無線機が当たり前でそれは当時としては珍しい。日本軍はそれを用いて戦っていたそうだ。ちなみに大きさはショルダーバッグ程のようだ。)

 

 

 

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1939年5月12日

ここ数日の戦闘はまるで進捗の無い小説家のように、一歩も進まず後退もしない。代わり映えの無い戦闘がここ数日の間繰り広げられている。

 

戦車を活用した日本軍独自の包囲殲滅陣が見られるのかと、そんな期待をしていた自分を恨んでいる。このままでは、殆どの記者と同じようなものしか書けない、これでは記者としていけない。

明日直談判をしに行こうと思う、もっともっと売れるものを。

 

(この時期は日本軍の立案した作戦の内、持久戦の護りであったようだ。塹壕の存在していない戦線から、少しずつ部隊を後退させている事をソ連軍にも、味方であるはずのコーカサスの部隊ですら押されているように見えていたようだ。)

 

1939年6月16日

 

やっとだ、やっと私の嘆願が実ったらしい。明日からは激戦区である中央部防衛線の方へと移動となる、他の記者たちは羨ましそうにこちらに目を向けている。どうだ!羨ましかろう!と声を挙げたかったが、私も大人だそんな声をあげない。

 

あそこの防衛戦は今は、かなり押されているようだがこれこそ戦いだというものを是非ともものにしてみせる。

(激戦区である中央部はこの時、中腹まで後退していたようである。)

 

 

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1939年7月?日

 

こんな洞窟に閉じ込められるとは思っても見なかった、あの時の自分を、恨むと同時にこんな空間にいるにも関わらず、常と変わらぬ態度の日本の軍人は本当に人なのか?と疑いの目を向けてしまう。

 

ここはコーカサス山脈のエルブルスの麓にある地下要塞、日本軍が準備期間を用いて密かに作ったという、正しく鉄壁の要塞だ。平原をを切り開くことなく造られたここは、地元の者ですら知ることもなくここに鎮座する。その構造は蟻の巣のようだ。

 

ここには凡そ6個師団が隠れ潜み、ソ連軍に対する逆撃を今か今かと待ち続けている。

どうやってか知らないが、山岳道路を切り開き要塞への補給線が形成され、戦車までもが配備されている。

見つからなければ良いが、もし生きて帰れば間違いなく紙面を飾るぞ。

 

(日本軍の逆襲作戦❨鴉の嘴作戦❩の要として建築されたようである、コーカサスの大要塞。その防御能力は砲撃を全く受け付けないと言う、その堅牢さを戦争中に見せることはないが、部隊収容能力にも確かに秀でていたと言う。)

 

 

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1939年8月13日

 

遂に作戦が開始された。こちらに見向きもしないソ連の背後を突くべく、要塞から部隊が出撃し全速力で前線を押し上げるべく走り始めた。

それは今までと異なり、異様なほどの戦意の中で行われている。私もそれに酔っているのだろうか、戦車部隊と共にそれを行うために前へと進んだ。

 

決して多くはない人数であったが、どうやらソ連軍に後方の後詰めの姿は見えず日本軍は暴れに暴れた。戦車同士の戦闘も私の目に映り、写真もこの手に納めることが出来たのだ。収穫は上々、心配なのは後はどうやって戻るかだ。

こんなに前進していって、包囲されないのだろうか?

 

(❨鴉の嘴作戦❩とは機動戦術の一つとして日本軍が命名した一つの戦闘隊形。中央に位置した補給線を中心に、まるで嘴太烏の嘴のように戦線を拡大していくようにしていたらしい。

高祖父の手記には基本的には、2つの戦線が近接した場合に用いると書かれていた。)

 

 

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1939年9月18日

 

遂に前進が止まり、戦線の拡大を辞めた。ここから押し込まれるのか?と思われたが、何やら様子がおかしい。話を聞くにここから南西へ前進を始めるという、包囲を始めるということだろうか?

 

私は装甲車両の助手席から戦闘を眺めているが、果たして日本軍の考えている事が解らない。

前進を続けると思えば横へ行く?何かあったのだろうか?

(この時日本軍は何かしらの異変があった事を通達されていた、と言う事が伺えるものの、この記者にはそれが何なのか通達されていなかったようだ。)

 

 

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1939年10月2日

 

遂に敵の一個軍団を包囲したと言う、今までの動きがそれをするためだったのだと気付いた時、この軍隊の恐るべきところを実感した。

我々ドイツ軍ではこれほど迅速に包囲殲滅出来ただろうか?逆に言えば、これ程の博打のようなものを平然とやってのける、この軍隊は頭が可怪しいのではないか?そう思わずにはいられない。

 

 

 

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1939年11月6日

何とか落ち着いて来たといったときに、何とバルカン半島でまた戦争が始まったらしい、が。どうやら今度は一筋縄では行かないご様子。情報網で掴んだ話のようだが、ソ連と繋がっているのはユーゴスラビア、アルバニア、ブルガリア三国が結託してギリシャ、並びにルーマニア他、対ソ連同盟に対して宣戦を布告したという事だ。

 

それに加えてオーストリア、スロバキア、オランダ、ベルギー、フランスがドイツに宣戦を布告した。こんな事があって良いのか?

本当に何が引き金になるのか解らない、だがこんなふざけている。

だが、一つだけ救いがあるとすればイギリスとイタリアが我々の味方をするという事だ。果たして我々は、勝てるのだろうか?

 

 

 

 




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