Mercenary Imperial Japan   作:丸亀導師

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戦闘描写が苦手なら書かなければいいじゃない


南方戦役2:仏領攻略戦

1998年5月

 

大日本帝国の大学へと進学し早い事にもう一月の時が流れた。忙しくも充実した日々の中、祖父が私の下宿先である大叔父と談笑している。曾お祖父さんは、数年前に他界していたらしく私も初めて見る仏壇と言うものに手を合わせる祖父の姿が見られた。

 

そんな中でも資料探しと言うものに余念はなく、高祖父の書いていた南方戦役の詳しい内容を入手する事が出来た事を、ここに記す。南方戦役は、どうやら高祖父が書いていた以上に混迷とした戦闘が行われていたようである。

 

例えば街そのものに爆弾を仕掛け、街に帝国軍が入った途端に爆発させたり、大森林の中で狩猟に使用するような巨大な穴を掘ってそこに竹で作り出した罠を張って、通過したものを串刺しにする。そんな陰湿な戦いがたった2ヶ月の間に繰り広げられていた、ようである。

 

実際にそれ等の街の写真が残っているが、あまりにも悲惨なもので大学に行くまで閲覧した事が無かった。

戦場ではない一般人が普段通りの生活の中で死んでいる、そんな光景が写っていた。

 

 

 

 

1939年9月

 

今日もまた、雨が降っている。ここ数日毎日雨だ、雨季であるから仕方の無いことであるがと、ここまで考えたときに電話が鳴った。呼び出しだ、だがいったいなぜそんな事が起こるのか、確かに欧州では戦争が起こっている。だが、ここには関係がないのではと、この時は思っていた。

 

招集されたのは小隊長の者たち、それがずらりと椅子に座り大隊長が言った。

 

『これより部隊を率いる準備に入ってほしい。仏領において不穏な動きが見られたそうだ、早々に宣戦布告の可能性がある為に諸君等はこの後直ぐに戦闘位置に付いて欲しい。

それぞれに規定の場所へと、いつ始まるか解らないがとにかく急いでくれ。』

 

戦争はもっと遠くで起こるとそう思っていたのに、なんでこんな所にまで飛び火するのだろうか?

この地が血で染まるのは今からざっと、100年前から無かった事だ。俺たちに実戦の経験はない、戦争はいつも本土の連中が肩代わりしていたから、俺達に必要なのは守るための訓練だった。

 

それが、いまもっとも身近な俺の地元で起ころうとしていると考えると、逃げる気も起きない。

何とかして、街を友を守らなければならないと固く決意をして、俺たちは防衛線を構築する。

 

(当時の日本軍の軍編成がもっとも良く分かるのが、この文章であろう。日本軍は侵攻軍は中央、つまりは本土の人間が行い守備隊は地方出身者が中心となっていた、と言う良い例である。)

 

 

 

10月

 

予定通りの位置に付き早い事に、既に一月が流れた。街から人の気配は失われ、あるのは鳥のさえずりと草木の風音くらいなものか?

防衛線を構築すると言っても、ここは生来の大森林地帯。正直言って塹壕なんて掘れないし、出来るのは歩哨をたてるくらいなもの。

 

そして、この一月の間ダラダラと仏領の歩兵も俺たちと同じように行動していて、戦争が始まるなんてそんな気配微塵もない。

のだが、俺たちは再び招集された。

どうやら侵攻軍の編成を終えようとしているときある事実に気が付いたようで、地の利を生かすために俺たちを使おうとしているようだ。

 

待ってくれと、そう言いたい。そう言いたかった。俺達は侵攻する為の技術を持っていないんだ、俺たちが砥いたのは守る為であって侵攻する為の力じゃない。

そんな事は百も承知であろう彼等は、俺たちを引き連れて行動を開始すると思われる。

 

(当時本土と呼ばれていた日本帝国領とその他の地域の出身者との間には、精神的にもかなり溝があったようである。本土と殆ど変わらない生活ではあったようであるが、何かが欠けていたようだ。)

 

 

 

 

11月2日

 

遂に本土の連中は仏、蘭に最後通牒を突きつける形で戦端を開くらしい。周囲に緊張感が漂うとともに決意を固く持たなければと、みんな口々に言っている。そんな日になってしまったのだが、今日も歩哨に俺たちの隊は出る。

 

だが、今日は何か様子がおかしかった。森があまりにも静かなのだ、鳥の声さえ聞こえない。歩哨には共連れで良く犬を連れて行くのだが、今日に限って言えば良く吠えた。

俺達が歩く方向を先導するように、そして何かを見つけるとそこで止まるのだ。

 

今日一日で7つも罠を見つけてしまった。非常に単純な狩猟に使われるそれを、人が傷つくのが狙いであるがゆえに大量に設置されている。これは不味いと、俺は明日から本格的に見つけようと決心した。

 

(この時期になると、既に夜間での罠の掛け合いがあったようだ。非公式ながら、数十人が命を落としている。)

 

 

 

 

11月3日

明日からは本格的な戦争が始まると、皆口々に言いあっている。何を間違えたのか、どうして戦争なんかが起こるかなんてもはや些細な事なのかもしれない。とにかく今は、この現実に向き合う強い心が必要だ。

 

(手が震えていたのであろう、文字が少し崩れているところを見ればきっと、戦争などしたくはなかったと言うのが解る。)

 

 

 

 

 

11月4日

 

最後通牒の期限が過ぎると同時に頭上を轟轟とエンジンを鳴らしつつ、巨大な爆撃機が空を舞い国境の上空を飛んでいく。それと時を同じくして、俺達は迫撃砲の発射音を後ろに聞きつつ前進を開始した。

罠が張り巡らせられた森を抜けていくと、何かが動いたのを感じて戦闘体勢に入ると同時に本隊へと連絡を入れる。

 

1小隊につき一つの無線機、非常に濃密に練られた情報網が味方の連携をより良くした。

諸外国ではここまで出来ないような事を、俺たちの国は出来るがいったい国家予算の何割を戦争に注ぎ込んでいるのか。

 

(当時の日本軍は国家予算の半分をこの戦争に注ぎ込んでいたようである。そのため大阪〜博多弾丸列車や、海峡トンネル等の公共事業が向こう10年間計画が停まる。)

 

 

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11月18日

 

連日連夜の行軍に疲労も顔に現れだした。散発的な戦闘で死者もそれなりに出ているが、抵抗としてはそれ程大規模なものもなく、寧ろやる気を感じられるものもない。

いや、俺達の力が強すぎるのかもしれない。

 

仏領には、まともな航空戦力が無い。これは、大分前から言われていたことで、これで真実味が増した。それに引き換え俺たちの戦い方は、子供の頃見た欧州大戦の記録とはかけ離れていて、俺達が指示した場所に的確に攻撃する戦術爆撃機が先に敵の頭を潰して、俺たちの道を整備する。

これじゃあまるでボードゲームだ想定していたよりも、数段速い速度で前線を押し上げていく補給線は大丈夫だろうか?。

 

(実際この時の日本軍の年間生産量の凡そ1.2倍の投射量であったことから、苛烈な砲撃を続けていた場合進軍が停止、もしくは再占領されてもおかしくは無かったようだ。もっとも、その後戦時急増ラインの再配備により、国内の生産工場が本格的に軍需品の生産へと傾倒していった結果、消費量の5倍まで膨れ上がる。)

 

 

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11月26日

俺達はダラットに辿り着いた、皆疲れている。街へと入城するに当たり、街が簡易的に要塞化されていたからか非常に強固な護りをしいていた。

高所の建物からは火炎瓶が投げられたりして、少なくとも10台の装甲車両が燃やされたようだ。生憎軽油で動いているからそんなの関係無い、ようだ。

 

俺達の部隊にも初めての犠牲者が出た。どこからか一発眉間を撃たれて、俺の目の前で倒れて息絶えた。脳漿が飛び散り、あたり一面に血の匂いが撒き散らされた。

こいつには二人の子供がいるのに、さっさと行ってしまうなんてな。なんて説明すれば良いのだろうな?

 

(戦争は昨日生きていたものが、今日死ぬような世界である。そう実感させる。明日は我が身、それを地で行く時代。)

 

 

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12月13日

この世界はいつからあんなにも狂ってしまったのか?

サイゴン防衛突破の要であるビエンホア半包囲戦の折、俺はとんでもないものを見てしまった。

子供がいたんだ、まだ歩くこともままならない小さな赤子が籠の中に一人でいるところを。

 

部下が放って置けないと、それを上に持ち上げた途端そこを中心に、大規模な爆発とともに建物が倒壊し奴が赤子諸共潰された。

俺達は、ここは欧州じゃないし確かに子供も黄色人種だった、人種が違うというだけで人はここまで悪魔のようなものになるのだろうか?

 

(このような罠を仕込んだものが数多くあったようである。人種が違うとはこう言う事なのだと、当時の価値観はあまりにも解らないものだ。)

 

 

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12月25日

遂にサイゴンへと到達する、入城したときに目に見えた景色は悲惨と言って差し障りないものだった。

仏人だろう白人がリンチを受け枷にかけされて、烏に啄まれている。ここは、一体何世紀の街なのか?勉学の行き届いていない人間とは、ここまで残虐になる事が出来るのか?

 

俺達北部の人間には考えられない価値観だ。昔の武士達はこんな感じだったのだろうか?

話に聞く、赤衛軍との戦いで建てられた首塚。もしかすると、俺達の宗主国はコイツ等と同じ価値観ではないか?そんな噂話が流れる。

 

俺の部下にもその話を真に受けるものがいた、そんな時にちょうど戦闘も落ち着いた。そこから一言二言上から、噂話に関する事を聞かされた。

 

「嘗て首塚を築いた者達はその殆どが、退役した。今残っているのは、生駒中将くらいなものだ」と。

 

事実であるが、今は無い。一部を認めた言葉はそのまま噂話に浸透していくだろう。

 

 

(この時期の生駒中将は、恐らくは私の高祖父であろう。私の故郷であるロマノヴァ大公国に存在する、赤衛軍の首を埋めたと言われる首塚。当時でも当時者の数はそれ程多くはなかったようだ。)

 

 

 

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1940年1月26日                

敵軍最後の抵抗勢力をカマウへと追い詰める、頭上には雲蚊の如き友軍機が飛び回り銃・爆撃を繰り返す。       

砲兵隊による砲撃も連日のように行われ、もはや抵抗らしい抵抗も無い。数日ほど前、仏東洋艦隊が消滅した事を皮切りに続々と投降者が出て来ている。やっと戦争を終わりにできるのだと、心から思っている。   

 

 

(これ以前の1月分の内容は、血液による腐食により文字の判別が不可能。なお、これが書かれてから凡そ3日後に戦闘が終了した。)      

 

 

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