Mercenary Imperial Japan 作:丸亀導師
一つの映像が流れる…そこにはこう書かれていた。
1940 0624
フォルタレザ攻防戦 空撮
今でこそ美しい海と砂浜、それとビルとの奇妙なコントラストがあるこの街は、この年代大規模な市街戦によって多くの建物が倒壊し、民間人が犠牲になったと言う。
まだまだビル群など存在しない、正しくビーチの側に創られた少し大きな街は、しかしその姿からはあまりにも不吊り合いな黒煙のような物が下から浮かびそれがアチラコチラから、上がっている。
白黒の映像であるにも関わらずあまりにも多くの箇所から火の手が立ち昇り、しかしそこに人々の姿は無い。
民衆は何処かへ行ってしまったのだろう、そんな映像がこの映像の他にも幾つもあり、この街を巡る攻防は半年も続いているようだった。
映像が進んでいくうちに廃墟が多くなっていく、突然何かが爆発しその周辺にいくつもの爆発が重なっていく。土煙が舞い上がり、そこに足のような物が紛れ映る。一瞬だけ写っただけでもわかる、いったい何が起こったのかと。そして、映像は終わる。
世界大戦の序盤の終盤に差し掛かったこの頃、ブラジル内戦は一つの転機に入っていたという。
2つの陣営に別れていた者たち、それ等はそれぞれの後ろ楯を得るために世界大戦の中に埋もれていった。
大統領派は米仏の後ろ盾によって国民解放戦線に加入し、新皇帝派は日英の後ろ盾によって独立国家連合へと加入。これによって、世界は地図上でほぼ完全に二分化される。
そして、その影響が直ぐに出たのが南米であった。やはり日英の影響力が濃い南米南部地域は、そちら側に付くし、それとは違うコロンビア等の南米北部地域は解放戦線に付く。
そして両者が激突するのは、それらの国々が戦の真っ最中であったやはりブラジルとなるのは必然である。
国土の大半が戦場と化し、寄る辺なき難民が国中を彷徨い諍いが耐えることなく、もはや何処が何処に属するかなど曖昧な部分もあったと言う。
そんなものが南米戦役、戦争というよりも戦国時代と言うものだろう。
そんな状況でも比較的安定していたのが、前述した大統領派と皇帝派であるのだ。
特に皇帝派には、現存する記録映像や写真が数多く残っており、当時の資金繰りがかなり良く反映されていた。
例えば各偵察隊に一つの8mmカメラを提供するほどには潤沢であったとされており、当時としては破格の提供率を誇っていたようだ。一つ試しに映像をご覧いただこう。
これは、実際の戦闘を捉えた映像である。次の戦闘時の参考とされたし。
1940 0708 フォルタレザ
音のない瓦礫の世界が映し出され、幾人もの兵士達が周囲に並び立ち移動している。
少し下を映し出すとシングル8 4号と刻印された缶が見受けられ撮影者とこれが何によって撮影されたのかがわかる。
そして映像が途切れ、次のシーンに移る。
そこには積み上げれた土嚢と小さな橋が架けられていて、反対側にはこのカメラのある方向を向いた機関銃が据え置かれているのが見える。
周辺映像からリオ・ココ川に架かるフランシスコ・ビリャ通りの橋だと言う事がわかるのだが、こんな小さな橋ですら防衛線となるのを見ると、相当混戦していたようである。
立っている旗は私も歴史の事を十分理解していると思っていたのですが、全く訳のわからないもの。恐らくは、個別の記録にもないような武装勢力との小競り合い程度の戦闘時映像なのだろう。
皇帝派、いや映像の人物たちは傭兵として派遣された者たちは、この交戦距離で圧倒的な制圧力を持った自動小銃で、次々と陣地を制圧して行くのである。経験から裏打ちされたものなのか、はたまた暴徒と正規の訓練を受けた者たちの差なのか、一人として欠けることない。一個小隊が、百人程いる武装勢力を一方的に潰して回る。爽快感すら感じる程に恐怖がある。
音もないただの映像なのにどうして、戦後自分たちに不利になるような映像を残すのか、これがわからない。
日本軍が介在する戦線には必ずと言っていい程、この手の映像が残されている。まるで私達に、何かを語ろうとするかのように。
もしくは首狩りの代替なのかもしれないと、私はロマノヴァの人間だから思うのかもしれない。
大学の同じ学部の人たちは、その可能性に微塵も考えついていないような素振りをする。
それを大学の先生に伝えると面食らったような顔をして言ったのだ。『そう言う考えもあるのか。』と、そんなんで良いのか?客観的に見られなきゃ研究なんて出来ないんじゃないの?と
話がそれてしまったようなので、一度戻ります。
前述のように、ブラジルの内戦はもう後戻り出来ない領域に踏み込んでいるため、日本軍が本格的に米国へと艦隊を派遣するのは極めて難しい事になってしまっていると言う事がわかると思います。
港もまともに機能していない、無駄に広大な領土。それに見合わぬ、人口と軍隊の数。食料すら、一国で賄うことが適わないそんな国が艦隊を入れられるようなものだろうか?いや無理だ。
だが、現状を憂いていても始まらないのだとそこへ南方戦役から戦力が抽出される。
本国の人間により構成された所謂南米派遣軍本隊、と言うものだ。基本的には征南軍と同じなのだが、一つにして最大限違うのは大将軍の隷下では無いと言う事。
詳しく言えば鎮守大将軍 坂之上泰久 隷下になるらしい、そう高祖父の手記にはあった。
政治的に縛られているものの、その戦力は並のゲリラ等諸共しない猛者達の集まりである。
彼等が到着すれば戦線が動くと思われていたらしい、実際一年の間に親米勢力はその8割が姿を消すなりしていたらしいのだが、実際のところどうであったかは、あるデータからこう導き出された。
親米勢力は6割程は存在していた、と言うものだ。詳しく言えば、内部で分裂し内紛状態に発展していたと言う。
元々纏まりがなかったところに、日本軍の攻撃が来たものだから更にゴチャゴチャとした勢力図になっていった。寧ろマフィアの集まりのようなそんなものになっていった。
(これによって尾を引いていくのが、現代で言うブラジリアンマフィアによる、麻薬の類の密輸。米共和国内部の粗製乱造された銃器類、教育水準の低迷につながるのだからこの時代この戦争は世界の構造の一つを形作ったと言えなくもない。
冷戦も一段落付いた昨今では、この問題に対して何かしらの強権的な方法で対処していくと言われている。)
親米派の最大勢力である大統領はと言えば、数年の間に求心力の殆どを失っていて実際に戦争等できる訳もないのだが、どうしたものか皇帝派はそれに対して引導を渡せなかった。実際、荒れた畑をもとに戻すには大変な労力だったであろう。
現在の農業国家ブラジルを知る身からするに、そんな事があったのだと普通はわからない。
さて、場面はまた別の場所へと切り替わる。司令室であろうか、そこにはペストマスクを顔に付けた者たちが、地図とにらめっこをしている。
階級章を見るに、どうやらかなり位の高い者たちというのが見て取れる。唇の動きを見ることができないため、何を話しているのか、理解し難いが日付でだいたい予想が付く。
1940 0803
通称 ベレンの旅路作戦
の発動が行われたのがこの日。
ただ、正規軍として価値のあるものとして海岸線の都市に対する経済的な封鎖並びに、敵の炙り出しを目的とされた一種の囮作戦とでも言える、大規模な打通作戦だ。
この作戦は確実に成功し、私達の時代に繫がる歴史を作り上げた作戦であったと言えると時に、ブラジルが工業国家として成り立たないよう証明した作戦であったと言える。
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遅くなり申し訳ございませんでした、仕事で気が付いたら寝ていることが多く執筆に力が入っておりません。