Mercenary Imperial Japan   作:丸亀導師

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明けましておめでとうございます。今年もよろしくおねがいします。今年の五月頃には完結させたいなぁなんて思っている今日このごろ。ちなみに次は遡って江戸時代編をスタートさせる予定です。外伝という事で、こちらのページでやります。正しく「Mercenary」の意味がわかる作品にしたいですね。



カルロ紛争〜中東の影

その戦争は、一言で言えば訳のわからない始まり方をした。

首謀者はいったい誰だったのか、全くと言っていいほどわからない。

当時、アメリカ共和国とフロリダ民主共和国双方に交戦の意思は、全くとして無かったという。

 

互いに武力を用いて恫喝を行いつつも、互いに乗り気ではない。武器の見せ合いをしながら、自分たちはどれほど有利なのだと言うことを、自国民に示すだけのお飾り軍隊同士。

 

正直に言って本気で殺し合いを始めようとするのは、双方の後ろ盾をしていた日本と英国。

その核保有国2国だけが、本気でいがみ合っていたと言うのは現在私達研究者の間での説である。

 

正直に言ってこの戦争の引き金はこの2国のどちらかが、最初に引き金を引いたものだ。そして、これによって第一の被害者となったカルロは、フロリダの豪農の息子だった。

豪農は怒り狂った、そして彼はその数日後にアメリカの兵を一人射殺した。

 

そして、それを見ていた兵たちは自衛の為にフロリダ軍へと銃撃を開始して、銃撃戦が始まり事態の収拾をしようとした司令官たちはそれを互いに察知し勘違いから、全面戦争へと突入した。

 

一人一人の武装はフロリダが優勢であった。限定的な武装のみを許可された米軍に重装甲車両は存在せず。旧式の戦車(マチルダ2の戦後貸与)であるが、それに対するのは旧式の37ミリ砲や徹甲弾の無い野砲だけ。

そんなもので足を止めることなど到底無理なことである。

 

戦線は3ヶ月の間にはメリーランド州はワシントンにまで到達する勢いで進捗するが、そこで予想外の出来事が起こる。

日本軍が国連決議の採択無しに軍を派兵したのだ、これにはフロリダ軍は驚きを隠せない。

戦線は瞬く間に止まり押し返される。

 

元々、世界大戦初期レベルの軍備しか持たないフロリダはこの大戦後の軍備を備えた日本軍になすすべ無い。

空をジェット戦闘機が駆け、誘導してくる対地爆弾が司令部を的確に潰してくる。

 

一機の攻撃機に戦術重爆撃機並の爆走を施して飛ばす事ができる、その出力は余りにも理不尽である。

その高高度から落とされ、正確に施設を破壊していく誘導爆弾。そのどれもこれもが、世界大戦時とは比べ物にならないほどに速い侵攻を可能としていた。

 

これに対して、英国は国連で批難決議を採択しようとするが日本国は常任理事国であるが故に、それは尽く否決される。

更には英国がフロリダへと兵器の輸出をしていた事を暴露され、武官すら送っていたことを明るみにされると、途端にその批難は鳴りを潜めた。

 

もはやフロリダに継戦能力はなし、次々と陥落する拠点に慌てふためく隙もなく2ヶ月で元の国境線に押し込められ、最後の抵抗とは名ばかりに作られた簡易的な要塞線は、2日のうちに陥落し

戦争が始まって七ヶ月。

たったそれだけの期間で根も葉もすべて刈り取られ、全面降伏となった。

 

この結果だけを見るに、やはりこの戦争の引き金を引いたのは日本国ではないか?と言うのが私の主張であるが、大学の同僚からはそんな事を言ったら消されるぞと、止められている。

この戦争を止めようとした人はいたのだろうか?

 

いた、私の高祖父はこの当時既に老いさらばえ政治に関して足を踏み入れることは無かったが、その教え子である世代たち。

20代,30代の軍士官達からは非常に大きな反発があったと予想される。その結果と言えばいいだろうか、この時期に日本軍はある一定世代の左官に対して退役処分を行っているのだ。

 

後にこの世代を中心に現在の政党の一つである、立憲民政党が立ち上がり、二大政党と呼ばれることになる。

 

 

さて、カルロ紛争は日本軍の介入により一応の北軍のしょうりとなったが、ここで日本軍は米国に対して武装集団の一部解禁を行った。戦闘車両主に軽装甲戦車、制空戦闘機、戦術爆撃機、沿岸用の海軍である。

 

これらの解禁により、現在の米国は一応の治安維持を可能としている。戦争の爪痕は現在も残っておりフロリダは自治区として、現在も存在し続けている。

一方で、軍隊は米国の国力の足かせとなっており現代でも主要国の中で最も影響力の低い国と言われている。

 

 

このカルロ紛争の余波は中東にまで及び、当時日本帝国が領有していた地域では度々イスラム原理主義勢力によるテロ行為が行われていた。

これの後ろにはやはり、英国の影があったという。

 

さて、中東で一体何があったのかと言うことを見て行こう。

中東は嘉永年間に遡る辺に日本国とトルコによる影響を受けてきた。同じアジアの国のと言う事を利用して、白人に対抗するための利害関係だ。

 

したがって、宗教上の障壁はその当時存在しなかった。敵の敵は味方、それの理念に従い共同で護ってきた。

しかし、第一次世界大戦後オスマン帝国が事実上の崩壊の後日本帝国手動の統治に切り替わると、その障壁が重くのしかかる。

 

イスラム教徒というものは、非常に厄介であり取り扱いの難しい宗教である。特に厳格に戒律を護ってきた者たちにとってこの時の日本国はどれほど目障りだっただろうか?

偶像崇拝から多神教に加え豚肉も食べ、飲酒もする。

そんなおぞましい者たちだ、それに従う政権に剣を向けたくもなるだろうと言うのが、私の見解だ。

それが英国にとって都合の良いものとなる。

 

対テロ戦争。イスラム教徒から言うにはジハードの始まりだ。




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