Mercenary Imperial Japan   作:丸亀導師

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大規模包囲

冬季攻勢が不可能となった同盟軍であったが、5月初旬マズーリ湖にあるロシア軍に対し3度目の攻勢を行った。後に言う第三次マズーリ湖攻勢である。しかし、今回もまた日本軍の巧みな機動戦術によって、攻勢点を挫かれ大損害を被る。

 

その失態から立ち直るのは意外にも早くに訪れた。6月中旬東部戦線に対する全面攻勢に同盟軍は出たのだ。数に勝る日露連合であるが、日本軍の数は全体的に見れば1割に満たない。

それを逆手に取り、ロシア軍が抱えている正面を挫き日露連合を包囲しようというものだ。

 

 

 

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始めのうちは全正面、特にロシア軍の多い中央部においてジリジリとロシア軍を押し進めていた。

だが、いくら押してもドンドンと後ろに後退していくロシア軍に、一部司令官は何かを感じたが冬季攻勢からの敗戦によって、一部勝利に酔っていたのだろう前進を更に進めていく。

たった10日の内に100kmもの距離を制覇していった。

 

だが、吉報はそこまでであった。

 

携帯出来る無線の無い時代、背負うことすら出来ぬほど巨大なそれを動かすには発電機が必要となった。

恐らくはそれが最大の原因であろう、余りにも速き前進は無線から来たる情報を意図的で無いにしろ無視させる原因となった。

 

突如、ロシア軍は後退を辞め途轍もなく巨大な塹壕陣地で、同盟軍を押し留めた。

悲劇はそこから始まった。落ち着いて無線から入ってくる情報を精査していくにつれ、前線司令部は顔を青くしていく。

中央のみ突出し、両翼は寧ろ押されている。両翼は良くもわからない者が兵たちを蹂躙し、散り散りになって敗走したという。

 

結果的に見てみれば、同盟軍は見事なまでに罠に陥ったと言えよう。焦らせれやっと報いたと思えば、敵の術中の中にいたと言う。

哀れなのは兵たちだろう、運が良ければ捕虜になるが悪ければ餓死、あるいは代謝の低下による凍死だろう。

 

周囲の押された同盟軍は、本土の予備兵力を投入してなんとか立て直し戦線を安定化させた。

 

塹壕もないのに何処からか機関銃の音が響く。それによって、前に進むことが出来ない。

命中した者たちの銃創は、小さく死にはしないが後方へと送られるのは当たり前であろう。つまり6.5ミリ弾による裂傷であった。

 

この戦闘において、ドイツ軍8万、オーストリア軍43万、ルーマニア軍3万の犠牲に対し、日本軍1万、ロシア軍14万と言う圧倒的な戦闘となった。

 

この戦闘は後にВосход солнца(日の出)と呼ばれる大包囲殲滅戦である。

この戦闘に用いられた兵器は後に、世界的に標準装備されるであろうものが多数配備された。  

 

 

 

 

日本軍はこの戦闘に入るまでに、多くの準備をしていた。まずは数ヶ月の間に、戦力の増強を図りその総兵力は20万に達していた。更には、本土から73式装甲戦闘車を600両持って来ることに成功していた。

これに付随して、牽引車はその数倍にも登りロシアでも量産された。

 

それと同時に新型機関銃、または軽機関銃と言うものを配備し、一個小隊に対して軽機関銃分隊を一個、擲弾筒分隊を一個と言う編成となった。これによって、より分隊としての攻撃能力は向上した。現地で編成されたものだが、リコンビネイション・システムと言う、日本軍独自の編成の組み換え法則により対応した。

 

 

72式軽機関銃

 

 

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口径

6.5 mm×50SR 三八式実包

銃身長

500 mm

装弾数

最大30発

作動方式

ガス圧作動方式ホッパー式弾倉

全長

1,100 mm

重量

10.3 kg

発射速度

500発/分

 

 

攻撃力の上がった部隊は、防御戦闘のみならず攻勢の準備を進めた。ロシア軍との協議した結果、中央部に弱兵を置き付かず離れずの距離を撤退させ続け、狩りを行うように人の本能に働きかける。あと少し、もう少しと考えていくうちにドンドンと内部へ侵入していく、と言う他力を使ったものである。

 

通常であればそんな事起こり得る筈もない、まともな神経でどう考えても罠であることは明らかだ。

まともであれば、である。彼らは勝利を渇望した、幾度も戦闘を行うも全て弾き返され、鬱憤が溜まっていく。それを巧く利用する、言うのは簡単だが行うのはどれ程難しいことか。

 

突出した部隊のすぐ後ろを、縄で袋を閉じるが如く縫い固めるには、騎兵では硬さが足りない。

そこで日本軍は73式を投入したのだ、小銃弾程度では貫通することが出来ず、最低でも野砲クラスが必要だが機動力が有るがゆえに、狙撃するのは非常に困難である。

狙っているうちに、軽機関銃によって蜂の巣にされるものも。

 

そこへ車両の後から牽引車に載った歩兵が掃討戦を開始し、同盟軍は包囲をさせるがままに後退を余儀なくされる。

更に、電波妨害を開始し同盟軍は周囲100kmに辺り無線の使用不可能となった。

 

 

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そして大包囲は完成し、同盟軍は多大な損害を被る。

綿密な計画と、ロシア軍との協力により得られた勝利である。

その日、ロシア軍では酒盛りが行われる程に活気あふれていた。

たった10日の出来事が、更に同盟軍を苦しめるも、日露連合に積極的な前進の動きが見られず、戦線は再び膠着状態となる。

 

日本軍としては積極的攻勢により、先手先手を取りたいところであるが、ロシア軍の進軍速度が遅くそれどころではなかった。

 

 

 

 

一方西部戦線は、5月上旬にフランス軍がアルトワを奪還すべく軍を動かした。第二次アルトワ会戦と言われる。この戦いは猛烈な損害を出しつつも、フランス軍は5kmを走破した。だが、ドイツ軍の猛烈な砲撃により戦線は再び膠着状態となる。

 

膠着状態を打破すべくシャンパーニュ攻勢が行われようとしていたが、遣欧艦隊に同乗していた日本の陸軍将校の会議参入により、攻勢の無期限延期を余儀なくされる。

これには多くの反対意見が出たが、たった一言でその意見を封殺した。曰く『バカの考えた作戦で、化石のようなものだ。』

と言ったとか、言わなかったとか。

 

そんな事により、無駄な戦力の消耗を抑えるとともに全く別の作戦を行うこととなる。

もっとも、やり方を少し変えるだけでより効果的となると、回答した。数日間における準備砲撃を辞めさせ、突撃直前に砲を猛射させることにより敵の情報を錯綜させる。という代物である。

 

また、砲撃の最中に敵の重要区画に対して最接近し、敵の防御の隙を縫うように前進していき、耳と口を奪うことにより後方から戦線に大穴を開けるものである。

 

言うなれば浸透戦術とでも言うべき代物だろうか?

 

だが、入念な訓練もされていない部隊にそれは出来ないことを知っていた為、突撃直前の砲撃までしか守られることはなかった為、戦力の低下は防げるものの前進はそれ程距離を稼ぐことができずに

1915年9月上旬シャンパーニュに対して攻勢を、決行。見事奪還に成功する。西部戦線始まって以来の少ない犠牲の元にそれを成し遂げた。

 

シャンパーニュ攻勢

 

 

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攻勢後

 

 

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連合軍の戦術が少しずつ変わり始めた。

 

 

 

ドイツ軍から見ればいきなり目の前の土が噴火したと思ったら、あれよあれよという内に前線司令部が瓦解して、知らぬ間に内部から戦線が崩壊していく恐怖。絶対に味わいたくない。

 

 

日本軍が来てから連合側に活気が戻りつつあり、正直言って日本が戦争を楽しんでいるように見える者たちがいるのも事実だろう。だが、彼等は楽しんでいるように見えて、内心はもっと簡単に出来ないだろうか?とか、消耗が多すぎるだとか考えている。

 

そんな彼等に記者がインタビューすれば

「そんなことよりも、もっと上手い飯が食いたいな」と、返すに違いない。欧州の料理は余り美味しくないのだ、だからこそ一刻も早く終わらせなければならない、と冗談交じりに言うだろう。

 

 

1915年10月、ブルガリアは同盟側として連合国に対して宣戦を布告した。

これにより、バルカン半島での戦闘は同盟側有利に進展していく事となる、しかしブルガリアは直ぐ様ドイツ、オーストリアからの援軍要請を受け東部戦線へ戦力を抽出する事になる。

 

また、同月日本国は英国情報局から『オスマン帝国が虐殺行為を行った。』との情報を受け、事実確認を行うためオスマン帝国大使を通して確認しようとするも、どうやら伝わっていない様子。

 

日本国として、度々注意と勧告を行ってきただけに今回の虐殺は見過ごせないものとなる。

1916年1月20日、日本国はオスマン帝国に対して虐殺の査察を入れるよう要求するも、戦時中である事から受け入れられず。

日本国は、オスマン帝国に対して宣戦を布告した。

 




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後々武器、兵器のページで説明を追加していきます。

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