さて長いこと回想していたつもりではあるが、果たしてここに来てからどれだけの時が経過したのだろうか。
数分か、数時間か、数日か、はたまた数年か。
コキュートスには時間を示すものは一切ないため、時間を図る手段は体内時計しかないのだが、生憎俺の体内時計は壊れて止まってしまっている。
余談は
黒縫朧の三つ存在する中で最後にして最大のターニングポイント。人生最大の汚点。消し去りたくも忘れたくはない過去。俺と彼女の蜜月の終わり。
俺とオーフィスの、別れのお話である。
日がな一日することもないのでオーフィスを膝の上に乗せてなでなでしていると、突如得体の知れない違和感に襲われた。
「ん~、今のは一体なんだろうねオーフィス」
これから起こることを考えもしない俺は、膝の上のオーフィスを撫でながら話しかける。
それにオーフィスは気持ちよさそうに目を細めて答える。
「多分、空間転移。異空間に移された」
「それはそれは、一体何の用か、などとは聞く必要もないだろうな」
自宅と寸分違わぬ、しかし同一ではない我が家が破壊され、俺はオーフィスを脇に避けると、
結果だけ言うと、俺は負けた。
四肢は砕け、全身は血に塗れ、まともな所など一つもない状態へとされた。
経過は語るまでもない。無数の悪魔の群れの中を黒い何かが蹂躙しながら駆けずり回り、それに向けて雨霰と降り注いだ魔力が一時間と数十人の命をかけて仕留めたというだけの話だ。
やられた本人からの言い訳としては、多勢に無勢は言うに及ばず、そもそも暴走状態が
「何だこいつは……こんな奴がいるとは聞いていないぞ」
「どうする、殺すか?」
「殺しておこう。これは生きていれば必ず我らに害を為す存在だ」
俺を攻撃した中では数少ない生き残りたちがそう話し、俺へ魔方陣を展開した手の平を向ける。
そこから魔力が放たれる寸前、悪魔たちは
その攻撃が放たれた方を向くと、オーフィスがこちらへ手を向けているのが見えた。先ほど悪魔が消滅したかに見えたのはオーフィスの一撃によるもので、遠くから響いた轟音はその余波だろう。
助けてもらってこんな事をいうのは
しかし、助かったという事実は確かなので、動かぬ体に鞭打って何とか立ち上がって礼を言おうと――
「動くな。さもなくば、この者の命はないぞ」
した所で上から踏みつけられた。元より動けるはずも体の動きが完全に封じられた。
オーフィスも構わなければいいものの、俺に近寄る途中で足を止めてしまった。
「お初にお目にかかる。私は真なる魔王の末裔、シャルバ・ベルゼブブだ。貴公は『
(
三大同盟の事を知らなかった時の俺でさえ知っていたほどの大物悪魔の登場に、当事の俺は相当に驚いた。
「我、オーフィス」
オーフィスが本人である事を確認すると、シャルバは口調だけは丁寧語ではあるが、滅法偉そうに口を開いた。
「オーフィスよ、貴公には我らが旗印になって貰いたく思い、ここに参上した次第である」
「嫌」
シャルバの申し出をオーフィスはすげなく断る。
「貴公にとっても悪い話でもない。貴公が我らに協力するというのなら、我らも貴公の願いを叶えるのに協力してやろう」
その言葉にオーフィスは少し逡巡するように黙り込んだ。
「……グレートレッド」
しばらくして、オーフィスは口を開くとポツリとそう言った。
「グレートレッド、次元の狭間から退かすなら、手伝ってもいい」
「良かろう。ならば来い、オーフィスよ。我ら『
シャルバはそこで始めて俺の上から足を退ける。無論そのままで済ます訳がなく、展開した魔方陣を俺へと押し付けた。
「これは遅延式の術式だ。私が合図を送ればこの者は死ぬ」
つまりは人質である。
なお、この術式は翌日には完全に破壊された。
どんな綺麗な絵も上から塗り潰せば台無しになるように、所有者の意識さえ侵食する
しかしその時にはキッチリ作動しており、目的は果たせていた。
俺に魔方陣を埋め込んだシャルバはオーフィスへと近づくと、転移用の魔方陣を出現させた。
オーフィスは転移する前にこちらを向くと、口を動かした。
声は聞こえず、その後すぐに転移してしまったため聞き返すこともできなかったが、何を言っているのかは分かった。
そして生きてる者が俺を除いて誰一人いなくなった空間で、俺は一人で
また守られたと。命より大切な人(まあオーフィスは人じゃないとかは気にするな)を守れず、逆に庇われたと。結局俺はあの時から何も進歩していないと(オーフィスとイチャイチャしていただけなので、進歩している方がおかしいのだが)、自分の無力さを嘆いた(その際異空間が壊れたが、そんな事は些細なことだった)。
そして未だ起き上がれぬまま
「さようなら、だと? こんな時だけ普通に話しやがって……何年かかろうが絶対お前の側に行くから、それまで待ってろ、俺の
その決意は数年後にして二年前に果たされる事になるのではあるが――
「結局進歩してなかった――――!!」
投獄(牢獄ではなく地獄だが)されていたのではオーフィスを全然守れないことに気づいてしまった。
「まずいまずいまずいまずいまずい! このままだとオーフィスに危機が迫るんだった呑気に回想してる場合じゃちっとも無かった! ええい、早く脱出せねば……ってどうやったら脱出できるのか分からない!」
今いる場所の役割を考えたら至極当然なことであった。
必死に首をひねっていると、朧の巨大なお隣さんかつ
突如無数の魔方陣に取り囲まれたと思いきや、いきなり目覚め始めて吐血したのだ。
「そんな所までお仲間だった! 気をしっかり保て! 傷は浅いぞ!」
そもそも傷は無いのだが、朧は動揺しすぎていてそれに気づかない。
朧はいきなり様々な事態に直面してパニックに
何故なら、転移魔方陣の術者と、その向こうから伝わって来るオーラには覚えが――忘れられるはずもないオーラだったからだ。
「ゲーオールーグ~~~! こぉんな物騒なの使って、オーフィスに何する気なのかなぁ? ――殺す」
物騒な決意を新たに、朧は転移して消えた『神の悪意』ことサマエルを追うため、自身の力を久方ぶりに全開放する。
回想編はこれで終了です。