「ってなんでこいつら銃持ってんだよ!!!」
「右に避けてください!!」
少年の腕の中から、少女が叫ぶ。その声に応じる様に慌てて右に跳ねると、体があった場所を縦断が通過していった。
もしそのままいたら……と考えるとゾッとする。が、そんな事を考えている場合ではない。背後から迫る軍隊の様な服を着込んだ集団が、鬼の形相で迫ってくる。
どうしてこんなことになってしまったのだろうか。夏休みを謳歌する為にゲーセンに繰り出したのがいけなかったのだろうか。いや、重い荷物を背負っているおばあちゃんを見過ごしたからだろうか。何しろこれが天罰だと思うしかない。銃とは無縁の世界で生きていた筈だからだ。
兎も角、足を止めるわけには行かない。だけれども勿論人間ではあるので、いずれ疲労によって捕まってしまうだろう。逃げる場所が必要だ。
「hey! saki!」
「AIみたいに呼ばないで下さい! とりあえずもう少ししたら裏路地があるので、その壁を伝ってビルの屋上を目指しましょう」
「俺に壁を登れって言ってる?」
「はい! ショウゴなら余裕でしょう?」
「お前が重くなければな!」
凶弾が迫る。既に足や腕に掠っている以上、もう受けたくないので必死の思いで身体を捻った。ギリギリの所で躱す事に成功するが、筋肉が悲鳴を上げている。
そもそもこんなにショウゴ──轟翔吾はアグレッシブなタイプではなかった。学校では常に机に突っ伏して寝ている上、話す友達も居なく、ましてやスポーツなんてありえない。強いて言えば目付きが悪いので、よくスキルアウトに絡まれる事ぐらいだろうか。その度にボロボロになりながら帰宅する。それが轟翔吾の人生だった。
それが今では、白髪の少女を抱えて銃弾から逃げるなんて。昨日の自分に言ったら信じてもらえないだろう。と、ため息を吐きながら、言われた通り右に曲がって裏路地に入った。
ゴミ箱が散乱する様な汚い路地を駆け抜け、排気口に足をかけて壁を登っていく。腕の中でそのスピード感が気に入ったのか、キャッキャと騒ぐ少女を見て再びため息。
「……とりあえず撒いたか?」
「はい! 暫くは大丈夫でしょうね」
所々汚れた白のワンピースをひらつかせて、少女は笑う。そんな笑顔を見る余裕もなく、ビルの屋上に大の字になって寝転ぶ翔吾。
そんな翔吾の頬を突きながら、ニコニコしている少女。この彼女に、翔吾は問いたださなければいけない。
「なぁ」
「はい?」
「なんでお前は追われたんだ?」
んーと可愛らしい声で考える素振りを見せながら、くるくると回る。白い髪が夜空に浮かび、少女は笑った。
「さっきも言ったじゃないですか。私の能力が狙われてるって」
「……能力なんだっけ?」
「え!? さっき言ったというか、じゃあなんで指示に従ってくれたんですか!?」
「いやまぁ……あんな経験したの初めてだったしな。余裕がなかったというか」
その言葉にビクッと反応し、申し訳なさそうに目を伏せる少女。
「そう、ですよね。すみません、私が巻き込んでしまって」
「いや、別に巻き込んだ事に関して怒ってはない。ただ、なんでだっけって。原因を考えていけば、きっと追われる事もいつか──
「それはないです。絶対に」
キッパリと言う少女に目を向けると、彼女の目は翔吾が見た誰もよりも暗かった。まるで無理だと。そんな事はあり得ないと言わんばかりの視線に、思わず目を逸らしてしまう。
少女はぺたんと翔吾の隣に座り、口を開いて語り始めた。
「さっきも言った様に私の能力、簡単に言えば未来予知が、どうやら学園都市の研究者様方は欲しいらしくて」
「…………」
「どうにかして私から引き抜こうとしているらしいです」
「引き抜く?」
「はい、能力をです」
そんな事出来るはずない。とは言えなかった。ただの気休めに過ぎないからではなく、
彼女の予知能力が何処まで見れるのかは翔吾には分からない。ただ、全てが見えている可能性もある。自分が助からない未来。能力を抜かれる未来。それらが見えていて、翔吾がかけられる言葉なんて物はこの世に存在しない。
「それで、なんで絶対って言えるんだ」
「見たんです。自分の未来を。私の能力は最大で1ヶ月後まで未来を見る事ができます」
「…………」
「1ヶ月。その間に私は確実に捕まります。そして二度と逃げられない様に縛られて、そして能力を抜かれます」
「もう、そこまで見えてるのか……」
ぽつりと語る少女に、翔吾はどう言う顔をすればいいか分からなかった。もう確定した未来。そんな未来を見据えて、それでも屈託のない笑顔を向けてくる少女に、どんな言葉をかけたらいいのか。生きてきた人生経験は頼りにはならなかった。
「……じゃあ未来が確定した。もう逃げても無駄。でもなんで脱走したんだ? 研究所?から」
「海が見たかったんです」
「海?」
「はい。研究所の中で見る絵本の中にありました。海という素晴らしく広大で綺麗なものがあるって」
目をキラキラさせながら話すその表情に、翔吾は何とも言えない気持ちになった。
翔吾からすればたかが海だ。潮臭く、海水でベタついて熱いなんてイメージしかない。
ただ、少女からすればそれは素晴らしい光景なのだろう。そして、それが見る事も叶わない。だって、彼女には1ヶ月先まで未来が見えているのだから。
「私は必ず捕まります。そして二度と研究所から出る事はできない。それでも、きっと海ならば、見る事ぐらいは出来ると思ったんです。たとえ未来が見えていたとしても、それでも諦められなかったんです」
「そうか」
「だから──
「悪りぃな。そいつは叶わないわ」
──刹那、圧倒的な暴力の波が翔吾を攫った。
轟音と共に、吹き飛ばされる翔吾。少女──サキは一瞬何が起こったか分からなかった。突然の暴風と共に、隣で話していた少年がいなくなったからだ。
そして、サキは未来を見る。
「あ、あぁ……!」
屈強な肉体の男は、吹き飛ばした翔吾の頭を踏み付けた。何かが壊れる音と共に、コンクリートの床にヒビが入った。よく見ると、翔吾の頭から肩にかけてコンクリートに埋まっていた。それ程の脚力で踏みつけられた頭は一体無事なのだろうか。
「あああぁあああ!!!!」
──未来は、見えなかった。
「ガキを痛ぶる趣味はねぇんだ。一度しか言わないからよく聞けよ? 素直に捕まれ」
「ショウゴ! ショウゴッ!」
埋まった体からドクドクと赤黒い血が溢れてくる。
未来は、未だ見えない。ショウゴの生きている未来が見えない。
「ごめんなさいごめんなさい」
「ん? まぁいいや。そんじゃあ連れてくか」
もし関わっていなければ。あの時、追いかけられている自分を見て、伸ばした手を振り払っていれば。全く関係のないショウゴは死ぬ筈なかった。
サキの未来予知にて、見えないというのは即ち死を指す。これは例外なく絶対だ。幾つもの死を見てきた、そのデータはほぼ確実な物だろう。
溢れる懺悔が止まらない。きっとショウゴはこれからも生きていけた筈だ。その命が目の前で、自分のせいで散っていった。その事実だけがサキを懺悔の渦に駆り立てた。
ぺたりと座って泣くサキを抱えようと、屈強な男が歩き出した所で──
「いってぇな……」
「あ、え?」
──声が聞こえた。
フラフラと血溜まりから立ち上がり、男を睨みつける翔吾。
未来は、見える。確実に、ショウゴが更に此処から殴り殺される未来が。
「逃げて! ショウゴ!」
「……んだよ」
「私が素直に捕まるから! もうあの人に手を出さないで!」
頭蓋骨にきっとヒビは入っているだろう。肩にも上手く力が入らなく、左肩はぐちゃぐちゃだ。ピクリとも動かない左腕を確認して、翔吾はよろよろと歩き始めた。
その姿を見て口笛を鳴らす男。思った以上のタフネスに驚いている様だが、この男はプロだ。一撃で仕留められなかった悔しさが少し心の中で渦巻く。
口の中を切ったせいで出た血を吐き、翔吾はサキを見た。
「そんで、お前はどうすんだ」
「諦めるから。もう逃げないから。夢を見るのは辞めるから──
「海、見るんじゃなかったのかよ」
──翔吾の未来は見えない。
だが、その目は死んでなかった。顔を血で濡らしても。目の前に絶対に勝てない敵がいたとしても。翔吾の目は死んでいなかった。
男は確実に邪魔する物を排除しようと、拳を構えた。鍛え上げられた拳が、翔吾に向けられた。
それでも、翔吾の目は訴えていた。お前は夢を諦めるのかと。そのままでいいのかと。
「……やだよ」
「嫌だよッ!!!!」
「海も見たいッ! 美味しいものも食べたいッ! 恋もしてみたいッ! 結婚もしてみたい!」
「もっともっと、自由に生きたいッッ!!!!!!」
剛腕が迫る。ビルの屋上に吹き荒れる風を切り裂くかの如く、拳が唸る。
──翔吾の未来は、見えない。
男の踏み込みで床が割れた。
男の拳で大気が鳴った。
男の拳で未来が見えなくなった。
「じゃあ勝手に諦めんなよ」
──翔吾の未来は、
「え?」
サキはその瞬間、男の顔に拳が差さっているのを見た。
──見える。
──翔吾の未来は、見える。
錐揉み回転しながら、男がコンクリートの地面に倒れる。だが、上手く受け身を取った様で、拳をもう一度構え──
「勝手に諦めんじゃねぇよ」
迅速とも言わんばかりの速度で、翔吾の拳が飛ぶ。
その拳の振るい方は素人に過ぎない。ただ、人の領域を超えたその速度が、彼の拳をここまで戦えるものに仕上げていた。
「欲張れよ。今まで辛かったんだろ? だったらもっと我儘言えよ!」
「ッ! このガキが!!!!!」
非弱そうな少年に負けるとは男のプライドが許さないのか、怒りに満ちた表情で顔を向ける。鬼の形相にも怯む事なく、翔吾はその迅速の拳を振るった。
屈強な肉体が吹き飛ぶ。
蹴りが男の腕を容易く折る。
幾度となく立ち向かってくる波を、難なく跳ね除けていく。誰がどう見ても翔吾が優勢だった。
そこでサキは思い出す。読んだとある絵本の内容を。
明らかに格上の相手から、勝利をもぎ取るその姿。負けるはずの未来を掻き消し、勝利で塗り潰す番狂わせ。
人々はそんな勇者に敬意を評し、彼の事をこう呼んだ。
「助けてって言えよ!」
──『
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