今回から本格的に紫羽姉様の物語が始まります。私の幼少期、確かにこんな感じでしたね…
では第9話、どうぞ。
おはよう。そんな一言を言える人間がいるとは、案外悪くないものなのだな。弦十郎はそう考えている。同居人…家族の増えた弦十郎の一日は、早朝より始まるのだ。
「おはよう父さん。はいこれ。」
「ああ、お早う紫羽。ありがたい。」
まだ夜も明けきらないうちから起床し、己の鍛錬を繰り返す彼にとって朝食をどうするかは死活問題であった。自炊するにしても、どこかで食べるにしても、そのための余力を残さねばならないから。
しかし紫羽は、こんな早朝から弦十郎の朝食を用意し、あまつさえ彼の鍛錬に付き合っている。翼がそれを聞いたときは顔を真っ青にしながら弦十郎に詰め寄ってきたし、流石の緒川であっても汗を一筋流していた。病み上がりの少女にはキツすぎるのではないか、二課の思いが一致した瞬間だった。
「では、行くぞッ!まずは本部までだッ!」
「はーい。」
毎日の出勤と退勤はランニング。そのあとは始業時間まで訓練室でトレーニング。紫羽にとっては決して楽ではないメニューなのだが、彼女は弱音を吐くことなくついてきている。
『家族』を
最近では弦十郎の姪、翼に対面させると無条件に可愛がるようになった。初対面の段階で若干怪しかったが、彼女には姉バカの素質があるようだ。整った翼の髪がぐしゃぐしゃになるまで撫で回している姿がよく目撃されている。
翼の方も満更ではないのか、事あるごとに紫羽にくっついている。人見知り&引っ込み思案な翼でも、紫羽と一緒ならばハキハキと話すようになった。弦十郎一人では、いつか
そんなわけで本部に到着する頃には紫羽の息はすっかり上がりきっており、到着した瞬間にぶっ倒れ、そこから翼が介抱するまでがワンセットだ。美しきかな姉妹愛。その様子を影から見守る慎次と了子。今日の翼は水筒(慎次謹製スポドリ)とタオル(了子特製で吸湿性抜群)を持っている。アフターケアに抜かりなし。なんだかんだで皆、二人のことが好きなのだ。
「姉様!叔父様に何かされていませんか!?」
「大丈夫、よ…翼…私は、少し、休む、けど…」
「俺が何かするように見えるのか翼…」
紫羽は休憩用のベンチ一つを占領してぐったりしていた。そこに翼が駆け寄って彼女の身体をペタペタ触る。やはり弦十郎の鍛錬に付き合っているというだけで翼には心配なのだ。タオルで汗を拭い、水筒を口元に運ぶ。側から見ると健気な姿なのだが、やっている側は至って真面目である。
ぜーひーとか細い呼吸を漏らしながら、紫羽はなんとか翼に応えてみせた。途中で弦十郎がdisられたような気もするが、それを深く考える余裕は紫羽には無かった。少し悲しそうな顔をしながら翼を見る弦十郎の姿が哀愁を誘う。
「それでは、またな。」
「あ…うん。いってらっしゃい。」
「姉様!今日はリディアンに行くのではないのですか!朝からこんなに無理をしてどうするんです!」
翼が紫羽について歩いていると、本部にアラートが響き渡った。ノイズ出現を知らせるそれは、あまり耳障りのいいものではない。故に二人は顔を見合わせ、司令室へ向かう。翼は装者として、紫羽は気分で。
「おじさ…司令!」
「何があったんですか。」
「二人とも。」
厳しい顔でモニタを睨む弦十郎は、映し出された日本地図、その一点を指差した。そこは長野県。聖遺物発掘のために調査チームが派遣されているはずのその場所に、ノイズが現れたようだ。
「調査チームは
「そんな…」
「…ひどい話。残される側の気持ちにもなってみなさいよ。って、まさか。」
「ああ。そのまさかだ。彼女の家族はノイズに殺された。おそらくは、彼女を守って…」
悔しげに弦十郎は拳を握る。彼は昔から『こう』なのだ。誰よりも誰かを大切に思っていながら、しかしノイズに抗う力を持たない己を恨んでいる。一度だけ、了子がシンフォギアの試作品を任せてみたことがあったものの、十分な出力を得られずお蔵入りとなってしまった。
彼の思いを知っているからこそ、翼は幼い自分に腹が立つのだ。もっと自分がしっかりしていれば、もっと自分が成長していれば、叔父にこんな思いをさせなくて済むのに、と。まさしくそれは、紫羽のように『家族』を思う気持ちだった。
「…司令、その子。私に任せてもらえませんか。」
「姉様!?」
「どういうことか、聞かせてもらっても?」
「家族を失った彼女と、血の繋がった家族がいない私。ほら、そっくりでしょ?」
任せてもらわなきゃダメな気がするのよねえ、と呑気につぶやく紫羽。その態度は飄々としていても、瞳に宿る意思は本物だ。今まで自分の要望など言ったことがなかった娘の変化に、弦十郎は少し面食らう。
「…ああ、分かった。ただし基本的な身柄は二課で保護することになるが、いいな?」
「ええ。ここにいる間だけでも私に任せて欲しいの。」
「よし。」
こうして、一つの物語が始まった。
●
「私に
「それじゃ、まずは歌いながら走れるようになりましょう。」
目を血走らせて叫ぶ少女に、紫羽は至って冷静に対応する。
「なん…だよ…体力、お化けか…お前…」
「姉様、やっぱり規格外ではありませんか?」
「いいえ。司令の鍛錬に付き合ってるだけ。アレに比べれば…」
無理やり翼の訓練メニューに奏を放り込み、彼女がぶっ倒れ、翼も膝に手をつく中。紫羽だけは息を乱して汗を流すだけだった。
「うおっしゃ!ガングニールゲット!これで」
「あんた何してるの。さっさとそれ返しなさい。」
「うるせえな!悔しけりゃ捕まえてみな!」
「ほう、では遠慮なく。」
「ふに゛ゃああああああああああああああ!?」
ガングニールをこっそり盗み出し、得意げに胸を張る奏を追いかけ回してとっ捕まえる。
思い返せば、ここから紫羽の規格外さとあの性格が形成されたのだな、と。弦十郎たちは言う。
●
そして、今に至る。
「ぜー…ぜー…やっぱ、おかしいよあんた…」
「普通よ失礼ね。ほら緒川さんの車でさっさと帰りなさい。私は帰りに買い物して行くから。」
「ここから、だと…?」
「それでは。あまり遅くならないようにしてくださいね。」
「大丈夫。家までは近所だから。」
驚愕する奏を抱え、慎次は紫羽に一言。最近ノイズの出現頻度が高くなってきているのだ。紫羽が巻き込まれないとも限らない。あっけらかんと笑う紫羽だったが、その顔はすぐに曇ることになる。
「なんでこうなるのかな…!」
数時間後。泣きながらしがみつく女児を抱え、彼女は走る速度を上げた。人の気配はすでになく、沈黙が支配するコンクリートの林を彼女は駆ける。持ち前の脚力と(同年代と比較して)圧倒的な体力を発揮し、彼女は飛ぶように疾走した。しかし。
『聞こえるか紫羽!すぐ近くにシェルターが…』
「どうやら、お客さんのお出ましみたいよ。」
足を止めた彼女の前には、極彩色の異形。特異災害『ノイズ』。触れただけで人を同質量の炭素へと変換するその怪物が、紫羽の前後から迫る。
何か打開策を。そう考えた彼女があたりを見回すと、錆びて折れたハシゴ。二階部分までは折れているが、その先にはしっかりとした鋼鉄が輝いている。
「しっかり掴まってなさいよ!」
ダン、と。16歳現役高校生が出せそうもない足音を立てて紫羽は跳躍。日頃の鍛錬で培った脚力は、はしごに手をかけて登るだけの力を生み出す。ノイズから逃げるようにして二人はハシゴを登る。
「よし、これで…っと!」
ようやくたどり着いた屋上。しかしそこにも、ノイズがいた。
「うっそでしょ…」
「お姉ちゃん…」
こちらを嘲笑うようにゆっくりと近づくノイズ。少女を抱く腕に力を込め、紫羽はノイズを睨みつけた。
「あんたに構ってる暇はないのよ…この子を家族の元に返さなきゃいけないから!」
そんな言葉が届くはずもない。なおも異形は近付き、距離を離すように紫羽はビルの端へと追いやられる。
落ちて死ぬか、ノイズに触れられて死ぬか。そんな二択は紫羽にはあり得ない。『二人とも生きて帰る』そんな考えしか、彼女は選ばない。それが、少女の願いであり。そして、紫羽の家族を喜ばせることになるはずだから。
だから、彼女は諦めない。
「大丈夫。」
少女を下ろして右拳を握り、彼女は明るく笑ってみせる。決して少女を怖がらせてはいけないと。自分を奮い立たせるために。
「あなたのこと、『家族』のところまで送り届けてみせるから。」
『逃げろ!紫羽!』
『姉様!』
近づくノイズへ、むしろ近づく。
「だから、ね。」
拳を構え、見様見真似の構えをとる。それは養父の背中を見てきた証。ここで死ぬかと、覚悟を決めた証。
「生きるのを、諦めるなッ!」
構えた拳に光が集まり、彼女は口を開く。それは大人たちだけでもなく、翼にとっても馴染み深いもの。
『姉様、それは——』
拳に集まった光は、やがて全身を覆い隠す。紫の光を放ち、その波動だけで眼前のノイズを消しとばした彼女は、やがて光を割って現れる。
紫と白に彩られたインナースーツと鎧。腰や足に大型のスラスターユニットを装着し、両手の籠手を打ち合わせた彼女は、背後で目を輝かせる少女を振り返って笑う。柔らかな、陽だまりのような笑顔で、彼女は掲げた拳を示す。
「かっこいいでしょ、これ。」
「————うん!!」
よし、と満足げに頷いた紫羽は、少女を抱えて跳躍する。予想外の高さに面食らったが、彼女は慌てず騒がず冷静に。常に余裕を持って優雅たれ、といつかに出会った紳士の口癖を真似して呟いてみた。特に何も感じなかった。
明るい橙色の髪の少女を抱えながら、彼女はシェルターまでひた走る。シェルターが近くなったところで、ようやく弦十郎からの通信が入った。
『紫羽、彼女を下ろして戦ってくれるか。一課がそろそろ限界だ。』
「了解。——ほら、あそこがシェルターよ。一人でも大丈夫?」
「大丈夫!お姉さんは?」
キョトン、と首を傾げる少女に背を向け、彼女は再び拳を掲げた。今度は高く、空を示すように。
「悪者、やっつけに行ってくるわ。」
頑張れ、という声を一つ。少女はシェルターへ消えて行った。そうして一人になった紫羽は、目の前の
「ええ。任せなさい。私、強いから。」
彼女は走り出す。
「家族を…みんなを、守るわよ!」
だから、力を貸して頂戴。
「ヴィマーナッ!!」
●
「ヴィマーナ、だと!?」
「アウフヴァッヘン波形照合…該当なし!?」
「未知の聖遺物なのよ!データ取り、忘れないで!」
「紫羽ちゃん、ノイズと交戦に入りました!しかし、これは…」
モニタに映る映像では、紫羽の殴ったノイズが
「了子くんッッ!」
「今やってるけど、無理!データが少なすぎる!」
「ノイズ、依然健在です!」
「…叔父様、あのノイズ…動きを止めてはいませんか?」
「なんだと?」
弦十郎が見たその先。ガラス化したノイズは、その動きを止めていた。
「まるで彫像だな…」
「司令!一課から通信!どうやらガラス化したノイズは…」
「
「………!」
「位相差障壁とか一切無視!?確かにあれがただのガラスならそうかもしれないけど…」
「一課、これよりシンフォギアの装者の援護を開始するそうです!」
●
「…おい。」
男は、一課の小隊長だ。シンフォギア装者の出撃に伴い、退却を始めた彼の目に映るのは、炭化せずに透明な彫像となるノイズだった。
「最後に一発ぐらい、いいよな?」
「やめろ!俺たちは…」
腰に下げた拳銃を抜き、効果がないと分かっていても彼は引き金を引いた。今まで殺された仲間の分。そんな思いと共に放たれた銃弾は——
『————は?』
彫像となったノイズを
「…っおい!司令部に連絡しろ!」
「了解!」
すぐさま我に帰ると、そう言い残して男は銃を構えた。5.56mmの弾丸が吐き出され、別の彫像ノイズが砕け散る。
「ははは、なあ。」
「応。」
銃を構えたまま笑う男の周囲。同じく己の獲物を構えた仲間達が、ノイズに銃口を向けた。
「自分の娘と同じくらいのガキンチョに戦わせんのさ、俺嫌いなんだわ。」
「奇遇ですね。自分もです。」
隣に立つ隊員が、発砲。キラキラと破片を残して砕けるノイズを見て、これは現実なのだと再確認。口の端を釣り上げた。
「おいお前ら。撤退命令違反だ。…始末書書くのは、俺たちだけだぞ?」
「あ、間違えて撃っちまった!」
「隊長!
思いは同じであったか。悪びれもせず笑う部下たちを引き連れて、彼は叫んだ。
「お前さんはノイズを殴ってくれりゃそれでいい!」
だから。
「俺たちが後ろにいる!
●
「——上等。」
握った拳を構えて、彼女は不敵に笑う。
「じゃんじゃん仕事くれてあげるわ——!」
応、と聞こえる声。頼もしい大人たちに背中を押されて、彼女はノイズへ突っ込んだ。
「父さん!今分かった!」
『どうした!』
拳を振るい、彼女は叫んだ。
「私の居場所は!ここよ!」
殴ったそばから崩れ去るノイズ。素晴らしい腕前だ。振り向かずサムズアップ。
「家族を守るために!」
最後の一体。正拳突きを放って、彼女は叫んだ。
「私は、この力を使う!だから見てて!父さん!」
『——ああ。見ているとも。』
残心。砕けるガラス片が光を乱反射し、彼女の紫の装甲を照らす。
『最高にイカしてるぞ、紫羽。』
「ッッッッッッッッッッしゃああああああ!」
拳を掲げた彼女に呼応するように、一課の隊員たちが叫びながら銃を振り上げる。
燦々と輝く太陽だけが、その姿を照らしていた。
…あら?あの駄女神、どこにいっちゃったのかしら。
ハァイ、風鳴紫羽よ。ようやく登場したわね。
こんな性格になったのも奏の仕業でね…。苦労したのよ。
では次回、第10話。「私だって」
そういえばあの時の女の子、元気にしてるかしらね。