あたし男だったらよかったわ。と往年の名曲が力強く、悔しさを持って歌っていた。
初めてそれを聞いたのは、幼い頃まだテレビの番組で紹介されていた時の事だった。
私は女であるが、歌詞にピンと来ない、だけど、その曲が持っている力強さに少しだけ心動かされたのは覚えている。
そして、二度目に聞いた今、受験勉強中に流しているラジオからこの曲を聴いている。
私は戦えたのだろうか? と、自問自答をしてみても、帰って来る答えは1つだけだ。
何時だって私の敵は戦えない私だった。
さて、1年と少し過去に思いを馳せてしまった。
それは私が2年生の時、部活歓迎会にまで遡る。
その時の私は文芸部に所属していて、暗い性格で引っ込み思案。人前に出るなんてもってのほかな文芸少女、しかし学校唯一と言っていい程の自分の居場所である文芸部は廃部の危機に瀕していた。
部活の先輩が卒業し、後一人入れなければ部活として部室があてがわれなくなる。だけど、私は諦観を決め込んでいた。確かにこれで誰も入部しなければ諦めるしかないと思っている、だが、元々文芸に興味がない人間が集まっている高校だ、興味ない人間を引っ張って来れる集客能力がこんな私にある訳もない。
こうなったら自棄だと好きな本の冒頭を持ち時間いっぱいに喋り続け「これは図書館にはない本である、続きが読みたければ文芸部に入れ」と今になって考えてみれば、他の部活は台本を用意しているのに対し、一人で一冊の文庫本を小脇に抱えている様は気が狂っているようにしか見えなかったであろう。
そうして体育館で、慣れないながら2分ばかりの朗読をした後、チラシを配る為に場所を移動した。
他の部活は立ってチラシを押し付けるように配っていたのに対して、もしかしたら下校時に新入生が通るかもしれないと思うような所に一人机と椅子とチラシを置き本を読んで待っていた。あの時は、そうだ「久しぶりに読むと面白い」なんて引っ越しの時にジャンプを見つけたかのようなある種現実逃避をしていた。
そうして新入生もまばらになった時、私は彼女と目が合った。
その目は私と同じ眼をしていて、どこか諦めたような、解放されたような眼をしていた。
きっと私も同じだろう、目の前にいる彼女はスポーツをやっていますというような快活さを持っていて、動きやすいようにポニーテールを結った、おおよそ雰囲気が文芸に興味を持つ人間のそれではなかったからだ。
彼女は目が合うなり、素早く奪うようにチラシを持っていき、私にはひと声も掛けずにその場から去って行った。
何だったのか、と独り言を言った。
彼女と再び出会ったのは仮入部の日、いつも通りにいつも通りの席に座って本を開いたその時、部室の扉が開けられた。
「失礼します、文芸部の部室はこちらでよろしいでしょうか?」
「あ、ああ、好きな所にかけてくれ」
私はまさか来るとは思っていなかった。
「私が部長の長嶋だ、部活の説明をしよう」
「ありがとうございます」
私は、周りの人間からしてみたら『堅い』物言いをする。
祖父の影響が多大に出てしまってこのような喋り口調になっているのだが、初対面の人間は私のこの口調に動揺するのだが、目の前の彼女はそんなことは無かった。
「とはいえ、やらなければならないことは簡単だ。文化祭に向けて文芸部の会誌を出す事がこの部活唯一の目標となる」
「なるほど」
「具体的には6月上旬には草案を出し、10月には清書という形になる。ほかに質問は?」
「…………ありません、それよりあの本はどこにありますか?」
また私は驚いた、まさか本当にあの行動で人が来るとは思ってはいなかった。
突飛な行動を自責しながら私は本棚を指さした。
「君から見て、一番手前の本棚の上から二段目、一番左の本だ。ここにある本は文芸部の物だ好きに読むと良い」
「ありがとうございます」
そう言うと彼女はその本に手を伸ばした。
思えば、私が朗読したのは部員を集めるのには適していない今どきの本ではない古い小説だ。慣れていない者が読めば頭を抱える。少ない友人で実証済みだ。
そんな杞憂を他所に彼女は慣れた手つきで本を開き読み始めた。私が好きな本を誰かが読んでくれる、それだけで至上の喜びを感じていた。
元々無言が苦手な人間ではないが、ページを捲る音だけの空間は嫌いじゃなかった。
祖父の家で二人して縁側で日向にあたりながら本を読んだ時の事を思い出す。
自分以外の紙と自然のノイズは、私の原風景だった。
そんな時間を過ごしていると自然と日が落ち、心地いい時間はすぐに終わってしまう。
「そろそろ部活が終わる」
「あ、もうそんな時間ですか」
と言って、彼女は当たり前のように読んでいた本をカバンにしまった。
部活の多くない時間で3分の1を読み切っているように思えた私は、不意に言葉が出てしまった。
「それは、文芸部の本だ。すまないがここに置いてくれないか?」
「そうなんですか、すみません失礼しました」
素直に元にあった場所に本を戻して、彼女はここを去った。
そのまま貸し付けて返してしまえば、これ以外の本に興味を持たなかった場合。きっと彼女との縁はここで途切れてしまうのではないかと、今まで感じた事のない独占欲が存在しないルールを語らせた。
彼女の背中を見ながら、私は咄嗟に嘘をついてしまった自己嫌悪と縁がつながったという一掴みの安心、この秘密がバレてしまっては嫌われてしまうかもなという不安を手にしていた。
しかし、それは杞憂だった。
彼女はその本を読み終わってもまだこの部屋に来てくれ、入部届まで出していた。
「元々、文芸部に入る予定でしたから」
彼女の言葉が世辞か本当かは分からなかったが、それからしばらく得も言われぬ幸福感を味わいながら一か月が経った。時は五月下旬私は会誌の為の文章を作るためにノートを持って来ていた。
「もうそろそろ、書くような時期だ」
「私、小説書いたことないんですけど、大丈夫でしょうか?」
そういえば、小学生ぐらいの時から書いていた私は、物語を作れないという感覚が分からない。
ならばと祖父の受け売りを嘯いた。
「読書感想文でもいい、君が読んだ本の話を君が語れば、それは君の作品だ」
「確かに、それなら書けそうです」
実際私が興味を持ったというのもある。
彼女が何をもって題材の本を選び、何を感じたのか。彼女の内面が知りたいという好奇心が祖父の言葉を借りさせた。
「この会誌は自由だ、何も読書感想文の規定通りに書きなさいという事も無い。それに小説が書きたければ
◆ ◆ ◆
そこで小説は止まっている。
今は会誌に乗せる先輩の小説を読んでいる所だ。
いや、なんか俺には「完成度たっけーなオイ」という感想しか出ない。それと他にいう事と言えば。
「完全に最初のモノローグでバットエンドの香りがするんですけどこれ?」
「いやいや、バットエンドになるかどうかは君がここから幸せになれる展開を思いついたら回避できるだろう」
「アクロバティックな脅迫二回目ですよ…………」
この人はこういう小説を書く。
仄かなバットエンドを匂わしながら日常系とでもいうべき一番心臓に悪いタイプ。
「だけど、よくこういうのかけますね?」
「実体験を虚飾するのがコツさ」
「でも、なんかどっかで聞いた事あるような…………?」
よく思い出そうとするが思い出せない。
喉元まで来ているんだけどなぁ…………。
「…………ニブチン」
「そりゃそうですよ。並大抵の衝撃なんかおなかでポヨンです」
「まだ足りないのか?」
俺を倒すには打撃無効だから斬撃しかない。
心の切り傷は残るんだよなぁ…………。
「もうおなかいっぱいです。あと、やっぱり雰囲気は出てますよね、まあ書ききってないんでまだ何とも言えないですけど」
「確かに、今は起承転結の起部分だ。恥ずかしい話だが私は起はうまく作れると自負しているが一番苦手なのは承だ。これを見てくれ」
先輩がそう言うと一冊のノートを手渡された。
新しいページを開くと簡単なプロットがあるが、確かに承のエピソードが少ないように見える。
「序破急でもいいような気がするんだが、それでは私の手垢がべったりだ」
「素人目からしたらいいもんですけどね」
「やはり深みという物を出したいのだよ、そのためには時間経過を感じさせるような、何でもない話が必要だと思う」
確かに何でもない話をすれば体感の時間経過を感じる事が出来るだろう。
地の文で1か月後とか言ってもその間に何があったのかとか気になってしまうかもしれない。
「私自身、雑談という物が苦手でね。こういう話を書きにくいのだよ」
「俺も得意という訳じゃありませんが…………」
全く参った、俺ではこれ以上の力にはなれないだろう。そう思った時、それを見計らってか先輩が話しかける。
「…………確か、君には親友が居るといったな?」
「ええ」
「その人との話をしてくれないか?」
確かに、俺と悠の話は取り留めの無い話だけど、だからあんまり内容は覚えていない。
「良いですけど、面白い話は無いですよ? って、それが目的ですもんね」
「ああ、さあ、話してくれたまえ」
ポツリポツリと話し始めた。
俺と悠のエピソードを聞けば聞くほど考え込むように真剣な顔になっているので、参考になっているのだと思いたかった。
ほどなくして俺たちは解散した「参考になったよ」と先輩は微笑みながら言った。
もしかしたらこういうのも他愛のない話なのだろうかと思った。それならば俺にもできる事があったと満足しながら帰路についた。
「妬けるな」
私は彼の友人の事を思い出していた。
彼が友人を連れて来たのは文化祭の日。部活の店番の交代の時、ふと遊びに来る人間を見てしまった。
それは、やはり女だった。しかし、男のふりをした女だった。
彼がその友人と話している時、理解してしまった。
彼は、私を女として見ていないと。
男の振りをしただけで、自然体に話す彼を見て失望してしまった。
私、男に生まれたら良かった。
そう羨んでいる自分に、失望していた。