負社員   作:葵むらさき

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第22話 屍が死刑台の上に上がる時というのはこんな気分なんだろうか

 その、輝かしくも広々とした空間は、まるでこの世のものとも思えぬ所だった。今まで息を切らしながら歩いて来た洞窟の狭い通路とは比べ物にならない、まったくの別世界だ。眩さに目が慣れてくると、やがてその空間を形づくる構造物――つまりその空間の壁や足下、頭上の天井などの正体が掴めてきた。それは意外なことに、外の暗い世界と同じ、岩石でできていた。

「なんだこれ」結城が茫然と上下左右を見回して言う。「光る石?」

「どこかに、照明がついているのでしょうか」本原も頭上を見上げながら問う。

「何か岩全体が光っているように見えるな」時中も左右を見回しながら感想を述べる。

「これもまあ、地球からの語りかけのようなものですね」天津が解説する。「我々の視覚に、こう見えるように刺激を与えているんですよ」

「へえー、刺激」結城が天津に振り向く。「それってあの、肩こりが治る首輪みたいな感じのやつですか」訊きながら自分の鎖骨の辺りを手で撫でる。

「――ええと」天津は必死で『肩こりが治る首輪』というものを自分の記憶領域から探り出そうと試みたが、遂にそれは実現し得なかった。「肩こり、に効くかどうかは、不明ですね」

「地球が我々の肩こりを治してくれるぐらいなら、我々が命を懸ける必要などないだろうが」時中が苦虫を噛み潰したような顔で言う。「向こうはこっちを殺そうとしてるんだぞ」

「ああ、まあそれもそうか」結城はあまり深く考慮していない様子だった。「でもまあ、暗いよりは明るい方が、対話がしやすくていいよね」

「地球さまはお姿を見せてくださるのですか」本原は天津に、なかば潤んだ瞳を向け問いかけた。「なにか擬人化したお姿で、現れたりするのですか」

「そうですね」天津は下を向いて考えた。「そういう時も、あります」

「まあ」本原の興奮はいよいよ高まったようだった。「どのようなお姿ですか。属性でいうと何になりますか」

「属性?」天津は目を丸くして本原を見た。

「それはやっぱり地球だから、土遁(どとん)の術とかじゃないの」結城が言葉を挟む。

「忍術なのですか」本原は真剣至極な目を結城に向ける。「地球さまは忍者なのですか」また天津に訊く。

「忍者……そのものでは、ない、かと……」天津は今や混沌の中からの離脱を全霊をかけ願い、もがいていた。

「恐らく忍者でも妖精でもないのだろう」時中が冷たく言い放った。「地球は地球だ、それ以外の何者でもない」

「え、では」本原はいささか驚愕したようだった。「地球そのものの姿で、私たちの前にお出でになるのですか」

「おお、いいねそれ」結城が手をぽんと打つ。「こう、丸い頭に手足がついてて、地球くんが『よう』って」片手を挙げ挨拶のジェスチャーをする。

「馬鹿々々しい」時中が首を左右に大きく振り否定する。

「ええと、姿を現すときは」天津が窒息寸前のように苦しげな声と表情で白状した。「老若男女、さまざまなヒトの姿をとって現れます。地球に手足がついている姿で現れたことは、今のところまだありません」

「へえー」結城が頷く。「わりと普通なんだ」

 本原と時中もそれぞれに頷き、続くコメントは特に発せられなかった。

「はい」天津はこの話題が終了したようであることを心から悦んだ。「では、イベントの続きを執り行いましょう」

 

     ◇◆◇

 

「なかなか苦しんでるな」大山が、茶葉に湯を注ぐ恵比寿の横に立って苦笑しながら呟いた。「あまつん」

「ははは」恵比寿も、そっと笑う。「ホントね」

「今回の新人たちは、なかなか手強いみたいよ」大山は微かに首を振る。「もしかして本当にスサノオなのかも」

「へえ。だとしたら楽しみ……というか心配というか」恵比寿は急須に蓋をしながら返す。

「どっちよ」大山はまた苦笑する。

「スサノオが地球にどう対峙してくれるのか、は楽しみだけど」腕時計を見ながら恵比寿自身も苦笑する。「逆に、地球を怒らせるようなことやらかすんじゃないかってとこは、心配」

「言える」大山は腕を組み頷く。

 

「大分、苦戦しとるようじゃの」宗像もソファの上で腕を組み苦笑していた。「天津は」

「そうですね」鹿島も同意して笑う。

「まあ、初戦じゃからの」宗像は、孫の失敗を大目に見てやる祖父のような大らかさで頷く。「新人にとっては。無理もなかろうて」

「確かに」鹿島は頷く。「見るもの聞くもの、受け入れるまでには相当の時間とエネルギーが必要でしょうからね」

「今回の新人は、なかなか屈強なる兵(つわもの)かも知れんのう」宗像は顎を撫でながら、ニヤリと笑った。

 

     ◇◆◇

 

 ――ああ、大分疲れてるみたいだな。天津君。

 酒林は魚のすり身を湯葉で巻きながら、心の中で思う。隣でオードブル用の白身魚をおろしている板長には、言わない。何故ならそれは“本業”の上での話だし、今は“副業”の方に携わっているからだ。

 ――どんな子たちなのか、今夜会うのが楽しみだな。

 心の中で微笑む。

 ――二十歳の女の子もいるっていうし。

 心の中でもっと微笑む。

 ――咲ちゃんの目を盗んで、どうにか連絡先聞き出せればな。

 そんな事を思うと、体が勝手に何かのリズムを取り始めて揺れ出す。

「店長、楽しそうですね」板長が隣で包丁を振るいながら笑う。

「まあね」酒林は笑顔で繕う。「たまに仕事すると楽しいよね」

「いいなあ」板長は溜息混じりに答える。「まあ兼業されてますから、息抜きみたいにはなるんでしょうね、店長にとって」

「そうね」巻き上がった素材を深鍋の底に並べていく。「ここに来ない時は、料理に集中なんてできないからね。外食とかコンビニばっかり」

「でしょうね」板長の声に憐憫の響きがこもる。「今夜の歓迎会は、店長も一緒に喰って呑んで下さいね。給仕はうちらに任せて」

「有難う」酒林はにっこりと笑顔を見せた。

 ――よし。これでゆっくり女の子と話せる。

 心の中で、そう思う。

 

     ◇◆◇

 

 PCから顔を上げ、は、と溜息をつく。「天津君……大丈夫?」木之花は、独り呟く。

 具体的に今、天津と新入社員たちがどのような会話のやりとりをしているのかまでは掴めない。だが天津が、とにかく疲弊していることだけは感じ取ることができるのだ。質問責めに遭っているのか。恐らくはそうだろう。この仕事の本質を知った新人たちが、天津にすべての答えを求めてくるのは当然だ。

「まあ私も、いざという時には彼らからの問いに、充分応えられるよう準備しておかないとだけどね」木之花はPC作業に戻りながらまた独り呟く。「――彼らからの問い、というか」デスクの隅に立てかけてある本の背表紙をちらり、と見遣る。それには『労災保険法概要』と書かれてあった。「彼らの“家族からの”問いに」

 

     ◇◆◇

 

「ではまず、皆さん正三角形の位置に立って下さい」天津は右掌で大気を撫でるように、三角形を描く。

「正三角形」結城が復唱し、他の二人を振り向く。「じゃあ本原さんがそこで、時中君がもうちっとあっちに行って、俺はこっちに行く感じか」手をひらめかしつつ仕切る。

 他の二人は特に言葉もなく、言われるまま三角形の頂点に立つ。それぞれの位置からは二メートルずつ離れている。

「この後は、皆さんそれぞれに問いかけを行って頂きます。内容については皆さんにお任せします。順番だけ、決めておきましょう。時中さん、本原さん、結城さんの順に、思ったままの言葉で対話を試みて下さい」天津の指示は、至極簡単なものであった。

「問いかけ?」時中が呟き、

「って、何を?」結城が叫び、

「まあ、大変」本原が囁く。

「先程、鯰(なまず)が伝えてきたように、地球は我々をどう見ているのか、というような感じでいいですよ」天津は三人を安心させるよう穏やかな表情で答えた。「あるいは他に何か聞きたいことがあれば、自由に問いかけてみて下さい」

「へえー」結城は眼を丸くして感想を述べた。「自由裁量なんですね。逆に責任重大ですね」

「あまり堅苦しく考えなくても、大丈夫です」天津は目を細めて笑う。

「しかしその問いかけの内容如何によっては命に関わる事態を招き寄せることになるのでしょう」時中が鋭く指摘する。「そうなっても責任は我々にあるということになるのですか」

「それはありません」天津は首を振る。「万一のことがあったとしてももちろん業務上の災害という扱いにはなります」

「じゃあ安心だね」結城は時中を振り向く。

「安心なものか。逆だ」時中は間髪を入れずに否定する。「業務災害が起きることが今、保証されたんだ」

「災害保証ですね」本原が囁く。

「文字が違う」時中が拳を握り締める。「必要なのは保証ではなく保障だ。我々の身の安全の」

 

「うだうだいってないで始めましょっての」

 

 甲高い声が、どこからともなく語りかけてきた。全員、はっと息を呑み天井を見上げる。だがどこにも声の主の姿は見当たらない。

「鯰」天津だけが一言、そう呼んだ。

 

「よし、行け」大山が言った。

「頑張れ」恵比寿が言った。

「いよいよじゃの」宗像が言った。

「始まるな」鹿島が言った。

「さてさて」酒林が言った。

「準備OK」木之花が言った。

 全員が、眸に人間のものとは違う性質の輝きを灯していた。

 ――全霊をかけて。

 神たちは時を同じくして、そう思った。

 

「頼みます」天津はそっと、呟いた。


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