負社員   作:葵むらさき

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第78話 結論そこすか

「カマビスしい」そんな声が、聞えた。

「え?」結城は声のした方を見ようとした。しかしその声がどこから聞えてきたのか、わからなかった。「誰……」体を起こそうとする。しかし思うように自分を動かせない。「ここは……」周囲を見回す。

 そこは薄く水色に染まる、寂しげな場所だった。どこまでも続くかのような、どこまで行っても果てのないような、そして何もなく、誰もいない空間だった。

「ここ、どこだ?」結城は自問した。

「ヘビのナカ」誰かがそう答える。

「蛇の中?」結城はただ驚いて繰り返した。「なんで?」

「んー」“誰か”は少し考えた後「メンドクサいから」と答えた。

「何が?」結城はまた訊いた。

「んー」“誰か”はまた考え「タイワ」と答えた。

「対話? 誰と?」結城はまた訊いた。

「んー」“誰か”は今度は少し長く考え「イロんなヤツ」と答えた。

「色んな奴……あ」結城は目を見開いた。「出現物?」

「シュツゲンブツってナニ?」“誰か”は逆に訊いてきた。

「えーと」今度は結城が考えなければならなくなった。「なんだろ……洞窟の中に出て来る、幽霊みたいなやつ」

「あー」“誰か”は結城の説明に合点がいったようだった。「そう。それ」

「あなたは、誰なんすか?」結城は問いかけた。「出現物ではないの?」

「オレ」“誰か”は、まるで自分を指差しているような声で答えた。「オット」

「夫?」結城は素っ頓狂な声を挙げた。「誰の?」

「えーと」“誰か”は答えを探しているようだった。「ダレだっけ」

「何なんすか」結城はつい、ぷっと吹き出した。「何かのネタ?」

「あー」“誰か”は、思い切り伸びをしているような声で言った。「ツカれた」

「……お疲れ様っす」勇気は取り敢えずそう返した。

「やっぱりキのナカのほうがいいや」“誰か”は続けてそう言った。

「キ?」結城は眉を上げて訊いた。「木?」

「うん」“誰か”は頷いているような声で答えた。「キは、そんなにカマビスしくない」

「かまびすしく、ない」結城は慎重に復唱した。「うるさくないってこと?」

「うん」“誰か”はまた頷いているような声で答えた。「そう」

「うるさいのは人間だけだって?」結城は半分冗談のつもりで笑いながら言った。

「うん」“誰か”は大きく頷くような声で答えた。「ヒトだけ」

「えー」結城は目をぎゅっと瞑って頭に手を置いた。「まあ、そうかもだけど……あれ、じゃああなたは人間じゃない人? あれ、神様?」目を見開く。

「ヒトもオモシロいんだけどな、たまには」“誰か”は、まるで悪戯っぽく笑っているような声で言った。「おマエみたいに、やたらゲンキのいいヤツだったら」

「俺?」結城は自分を指差した。「あ、あざっす! まあ確かに元気の良さだけが取柄だってのはよく言われるんすけど」

「ツマにするのか」“誰か”は問うてきた。「あのムスメ」

「え?」結城は話の展開についていけず、目をぱちくりさせた。「娘? ……えーっと、本原さん?」

「ダレだっけ」“誰か”は考えているようだったが、その声は次第に小さくなり始めていた。「えーと……オレのツマだっていってたけど」

「んん?」結城はいよいよ話が呑み込めずにいた。「あなたの奥さん? を、俺が妻にするんすか? それって重婚の罪に問われるんじゃないすか?」

「あー」“誰か”の声は急激に小さくなっていった。「クー」

「クー?」

 声はそれきり、聞えなくなった。

「クーたん?」結城は問うたが、答えはなかった。

 

          ◇◆◇

 

「皆さん」時中が結城の腕を持ったまま上方を見上げて呼んだ。

「神さま」本原も結城の足首を持ったまま上方を見上げて呼んだ。

 神の姿はどこにも見えておらず、代わりに青白い煙でできた蛇が、縦まっ二つに裂かれた状態で立ちはだかっていた。

「時中さん、本原さん」真っ先に呼び返してきたのは、天津の声だった。「大丈夫ですか、怪我はありませんか」

「大丈夫です」時中が答え、

「怪我はしていません」本原が答えた。

「よかった」天津の声は震え、長い吐息が続いた。

「天津さん」時中が結城の腕を持ったまま呼ぶ。「どこにいるんですか」

「天津さま」本原も結城の足首を持ったまま呼ぶ。「どちらにいらっしゃるのですか」

「僕は」天津の声は返事をしようとして多少言葉を詰まらせた。「近くに、います」

「俺ら今、シアノバクテリアの中にいるんだよ」酒林が代わりに答える。「無事でよかった。時中君、芽衣莉ちゃん」

「シアノバクテリア?」時中が結城の腕を持ったまま眉をひそめ、

「シアノバクテリアとは何ですか」本原が結城の足首を持ったまま質問した。

「藍藻という、原核生物です」天津の声が、研修時と同様の静かな声で説明した。「バクテリアですが葉緑素を持っていて、何十億年も前から地球上で光合成を行い酸素を発生させてきたんです」

「今俺たち、その微生物の体を借りてこの空洞内の酸素供給係してるってわけ」酒林が注釈を付け足す。

「酸素を」時中が初めてその物質の存在に気づいたかのように目を見開き、

「まあ」本原が片手で口を抑えた結果、結城の片方の足はばたんと地面の上に落ちた。

「そういえば」時中は振り向いて落ちた結城の足を見遣りながら質問した。「さっきスサノオの声が聞えましたが、奴は何をしようとしているんですか」

「私たちを分子レベルに分解すると仰っていました」本原が報告する。「これから私たちはどうなるのでしょうか」

「大丈夫です」天津がいつもの、人の心を慈しみ撫でるが如く穏やかな声で回答した。「あいつはもう、始末されましたから」

「始末?」時中が問い返し、

「始末ですか」本原が落ちた結城の足を再度拾い上げながら確認した。

「うん」酒林が答えた。「うちの親父にね」

「酒林さんの」時中が再び眉をひそめる。「ということは、本物のスサノオノミコトですか」

「まあ」本原が再び片手で口を押えた結果、結城の片方の足は再びばたんと地面に落ちた。

「うん」酒林は苦笑を含んだ声で答えた。

「で、スサはどうなった?」大山が訊く。

「あの蛇を縦割りにした後、大人しくなったな」住吉が言う。

「まさか気を失っているのか?」石上が問う。

「伊勢君、わかる?」木之花が訊く。

「そうすね」伊勢は慎重に様子を伺う。「蛇裂きでひとまず、落ち着いたみたいす」

「蛇裂き」時中が、言葉の通りまっ二つに裂かれたままそこに佇み続ける青白い煙の蛇を見上げながら呟いた。「これを、スサノオノミコトがやったのですか」

「私たちをお守り下さったのでしょうか」本原はまたしても結城の足を持ち上げながら確認した。

「いや」伊勢は苦笑を含む声で答えた。「あいつ自体の中で何か爆発しちゃったみたいす」

「爆発?」時中が訊き返し、

「お怒りになっていたのですか」本原が確認した。

「しかし、もしかしたら」鹿島が言葉を挟む。「あいつの中のどこか片隅に、あるいはそういう気持ちもあったのかも知れないな」

「そういう、とは」時中が訊き返し、

「私たちをお守り下さるお気持ちでしょうか」本原が確認する。

「はは」酒林が小さく笑い、

「そうだったら嬉しいすけどね」伊勢が明るく受け流す。

「うー」かすれた呻き声が、大地の近くから聞えて来た。

 時中と本原がはっとして足下を見下ろす。

「たすけ、て」かすれ声はそう訴え、時中と本原はぶら下げていた結城を地面に下ろした。


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