全になるエンタングル   作:飯妃旅立

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4.Absorbitterminated

 

 

「ミネイ、遅いね」

「……ええ」

 

 ミネイがこの地下道を出て行ってから、半日が過ぎた。

 ミネイが良く眠っている場所には、まるで、もう帰ってこないと言わんばかりに"餞別"が置かれていた。水の入った硝子瓶と、どこで調達したのかわからない食料が少し。

 そして、紺碧の色をした、綺麗なガラス玉が一つ。

 

 不思議な子であったのは事実だ。異様な規模の幻術を扱う事の出来る、ネコメよりも幼い少女。ネコメが彼女を拾った時、彼女は酷く楽しそうな顔で笑っていた事を覚えている。見上げるは空──中層、あるいは上層のどこか。

 笑み、顎を撫でる様をそれ以降見せることは無かったけれど、その時の大人びた顔はネコメの奥底に強くこびりついている。

 だというのにミネイは手のかかる子だった。なんせ、なんでもかんでも食べようとする。「このくらいならいけるだろう」なんて言いながら、明らかに汚染された鳥の死骸に口をつけようとするのだから大変だ。確かに食料にありつき難いネコメ達はなんでもかんでも食べなければ生きていけないけれど、明らかに死に直結しそうな……食べたら絶対に病気になるようなものは避ける。流石に、避ける。

 それを、ミネイはしなかった。危機を感じる本能の部分が壊れているんじゃないかと思うくらいに、危なっかしかった。

 

「ミネイは、死なないよね」

「えっ?」

「わかってるよ。あの子達がねむってしまったんじゃなくて、死んじゃったんだってこと」

 

 ネコメがその身体を温める幼子。ミネイから託された食料で久しぶりに腹にものを入れる事が出来たけれど、限界は近いと言えるだろう。青いを通り越して白んできているその肌に、生気は存在しない。

 そして幼子が言うあの子達とは、今朝、永久の眠りに就いてしまった二人の事だ。幼子では死を理解できないだろういうネコメの配慮は、しかし存外に知識をつけていた幼子によって看破されてしまった。

 

「ミネイは、」

「それで、死なないのはネコメもいっしょ」

「……」

 

 今度こそ息を呑む。

 弱弱しくネコメへと微笑みかける幼子は、けれど気丈にも言葉を緩めない。

 

「だってネコメは、ずっと、ずーっと、何も食べてないもんね」

「……知ってた、のね」

「みんなしってるよ。知らないのは多分、ミネイだけ」

 

 だからネコメは子供たちの守護に尽力した。年長であるから、ではない。

 自らを疎かにしても何も問題がないからだ。

 

「ネコメはさ」

「……何、かしら」

「ずっと生きていける。ここにいるみんなと違って、幸せになれる」

「そんなことは」

「わたしたちは──もう、むり」

 

 微笑み。

 弱く、儚く。幼子はネコメに笑って──事切れた。

 続け様に、ゴトゴトと鳴る鈍音。それは地に倒れる肌の音。

 残り少ない孤児たちが、示し合わせたかのように、死んでいく。

 

「これは、何が、起こって……」

 

 ぐぅ、と音が鳴る。

 発生源は、ネコメの腹。

 途端とてつもない疲労感がネコメを襲い始めた。生まれてからただの一度も、疲れた事などなかったネコメの身体が。

 

 空腹だ。お腹が空いている。

 あまりの口喝と空腹に、ネコメはソレを探す。ソレ──食料。ミネイの残した食料と水。この世に生まれ出でてから、初めて覚える飢え。

 先程までの困惑さえも無視して、一心不乱に食料を食べ尽くす。

 

 そして、最後に。

 ミネイの残したガラス玉さえも食らって。

 

 ようやくネコメに平穏が訪れた。

 同時、上層で巨大な音が響き渡る──。

 

 

 

 

 この都市において、夜空が見えるという事はない。

 霞んだ空は熱と煙のドームに覆われ、あるべき姿を見失ってしまっている。都市全体が巨大な蒸気機関を為していると言って過言でなく、故にこそ周囲に対する環境汚染も単なる蒸気機関の比ではない。

 マナ粒子によって圧力の高まった蒸気はエネルギー効率を爆増したが、増えたエネルギーを節制でなく開発に用いたため、排ガスも汚染も留まる事は無かった。むしろ一つ一つの蒸気機関の稼働時間は増え、消費する石炭の量も増え、それら問題は深刻な状況となっている。

 

 下層は勿論──上層も。

 

 都市全体に張り巡らされた配管は季節を問わず熱気を人々に齎したが、故にこそ地は熱く、暑い。なればと人は高所を求めた。都市全体が蒸気機関であるがためだ。下層も、地上も、暑いから、出来得る限り配管から離れた所に住まうようになった。

 高さを、そして広さを。

 

 その最たるものが、都市に乱立する高層ビルだろう。無論天を突くほどの高さと称されることは有っても熱と煙のドームには届かず、これらに纏わりつく有害な雲に窓を開ける事さえ叶わない。ただただ涼を求めて、人々は高さを求めた。

 

 唯一の救いは、異能──エルフの力によりこの都市に酸の雨が降り注がない事か。

 そんな、システムのように扱われるエルフ達がどこから来たのかまでは、一般に知らされている事ではない。

 

機構(システム)ではなく、仕事だよ。人間がするもの。君ら警察機構が犯罪者を捕らえ、事件を調べ、真実を解き明かす事が仕事であるように。まさか趣味ではないだろう? まさか強制されているわけでなないだろう? 仕事さ。何、給料も発生している。特に非人道的な事はしていないさ」

「では、そのエルフの出自と、その意識がはっきりしているかどうかを調べさせていただけますか?」

「勿論、構わないよ。異能捜査官、立原竜司クン」

 

 高層ビルの最上階。分厚いガラスの外は白い靄に覆われ、それがぐるぐると蠢いているのがわかる。時折エレベーターを稼働するための蒸気圧らしき振動が床を揺らすも、その音までが入ってくる事は無い。

 下層は無論だが、地上でもあまり考えられない遮音性は、知識と技術の独占が故か。

 好々爺然とした笑みを浮かべる老人。名を佐島。車椅子に乗ったその体は、しかし衰えや老いというものを全く感じさせない。

 

「佐島さん」

「なんだね」

「あなたは、エルフですよね」

「どうしてそう思うのかな。ボクの耳は丸く、瞳に紺碧は無い。それでも君が問いではなく断定をした理由は何かな」

「あなたは、異能を使用できる」

 

 エルフの血液は異能を帯びる。身体的特徴が現れずとも、エルフの血さえ混じっていれば、異能を用いる事が出来る。

 ただそれだけの理由に、竜司の目の前にいる老人は軽快な笑い声をあげた。

 

「はっはっは、おかしなことを言う。君はボクが異能を使用しているところを見た事があるのかな。今日が初対面だというのに……」

「異能捜査課に入る奴は、鼻がいいんですよ。異能そのものは使えませんが、使用された異能と、その発生源は感知できます」

「それが真実である証拠は? まさか君、その程度の理由だけで、今まで異能犯罪者を捕らえてきたのかい?」

()()

 

 頷いた。たったそれだけだと、たったその程度だと認めた。

 それだけで、老人に疑いをかけていると。

 

「ふふ、あぁなんだ、とんだ笑い話だ。うん、もう飽きたよ。帰ってくれたまえ。君に話す事はもうない」

()()()

「……今のは、ボクに呼びかけたのかい? 酷いな、ボクとあんな極悪人を重ねるなんて」

「いいえ、あなたは迎博士です。迎博士の息子なのですから、迎でしょう」

「言っている意味がわからないな。ボクの両親を調べでもしたのかい? けれどちゃんと調べたのならわかるはずだよ、母親も父親も、迎なんて苗字ではない」

「いいえ、違います。その二人は書類上の両親で、実在しない人物だ。あなたの父親は迎──迎満三。そして母にエルフの女性を持っている。あなたはエルフと人間の混血であり──その魂は、父親の迎満三その人です」

 

 流れたのは一瞬の沈黙。佐島老人はきょとんとした顔をして、直後にぷっと噴き出した。そのまま、ははは! と高らかに笑い声を上げる。

 笑って、笑って、笑う。

 一切表情を変えない竜司とは酷く対照的だ。破顔し、多少の涙を零しながら、笑う。

 

「はは、ははは! っはぁ、っはぁ……くく、あまり笑わせないでくれたまえ。ボクだって見ての通り歳なんだ。そんな冗談を言われたら、笑い死んでしまうよ」

「事実です」

「言い切るじゃないか、立原竜司クン。しかし大胆な仮説だ。エルフの大量殺人犯として知られる迎博士がエルフと結婚している、だなんて」

「ええ、ですから殺さなかった、適当な女性を母体に選んだのでしょう。ただそれだけのために」

 

「──馬鹿にするなよ」

 

 佐島老人は、その表情から一切の喜色を消す。仮面を被ったように……否、今までが、好々爺の仮面を被っていたかのように。

 まるで人形を思わせるような冷たい雰囲気を帯びて、佐島老人は口を開いた。

 

「彼女はボクが愛したエルフだ。それこそただ仕事を熟すためだけに生きる、命令されてしか生を全うできない他のエルフとは違う。……いいよ、挑発を受け取るよ、立原竜司クン。それで君は、ボクに何をしてほしいのかな」

「自首を」

「……もしかして君は芸人なのかな? それとも真面目に言っていてそれなのか……。あのね、立原竜司クン。ボクの罪はもう裁かれている。あの日、ボクは死んだのだからね」

「今現在、下層に生きる子らを攫い、それを都市内外に売りつけている事業について、です」

「さっきも言っただろう。エルフ達の出自ははっきりしている。そんな事業に手を付けてなどいないよ。技術の発展に明け暮れ、狂った老後の末に処刑されたボクの静かな余生だ、君の言いがかりに潰されたくはない。存分に調べてくれていいよ」

「──そして、峰威鉄の殺害について」

 

 今度こそ、佐島老人の目から光が消える。

 そうして、ようやく。ようやくだ。

 ようやく、はじめて……その顔に憎しみのような色が宿った。

 

「懐かしい名を出すものだ。なるほど、そうか、君は彼の部下なんだな。そうか、そういう繋がりか」

「心当たりはある、という事ですね」

「ああ、あるとも。数年前、君と全く同じ語り口でボクに突っかかってきた刑事さ。彼のせいで一部の計画は永久に頓挫したし、見ての通り、ボクは車椅子で生活しなくてはいけなくなった」

「あの人を殺したのは、あなたですね」

「そうだとも。ボクにとって彼は邪魔でしかなく、彼にそう大きな声をあげてもらうわけにはいかなかった。だから、殺した」

「……そうですか」

「ああ、孤児の売買だっけ? あれもやっているよ。当たり前だろう。エルフの血液というのは有限なんだ。限りある資源を最大限に使う必要がある。人間の孤児もまた同じだ。幼少から教え込めば、疑う事を知らぬ便利な道具が出来上がる。この街を支える労働者のようにね」

 

 突然ぺらぺらと口を回し始める佐島老人。その様子に、竜司は飛び退くようにしてソファを脱した。

 そしてガクンと膝を折り、倒れる。

 

「遅いよ、気付くのが」

「ぅ──」

「あの男から何も学ばなかったらしい。死人に口なしとはまさにこの事だね。大丈夫、君の死は彼のような不可解なものでなく、ちゃんとした殉職として、栄誉ある死に仕立てあげる。そうなれば、ようやくこの禍根も断ち切る事が出来るだろう。君の死を精査する者が現れなければ、ボクに目を向ける者もいなくなるはずだからね」

 

 唐突な眠気。異能捜査官の鼻はこれが精神操作系のそれであると気付いていたが、抗う事は難しい。

 ミネイの言っていた事……相手が死に際であれば饒舌に喋る、という迎博士の精神性がこれでもかと現れていたのに、気が付くのに遅れた。失態だった。

 

 視界に靄が充満していく。あぁ、けれど。

 竜司は、その靄の中に──鈍い鉄の光を見たような、気が。

 

 

 

 

 

 

「あぁ──やっぱり、そうなんだね」

「知ってるんですね」

 

 彼の目が細められる。

 昔懐かしむように、どこか力熱を燃やすように。

 

「彼女が今、どんな名を名乗っているのかは、知らない。だが、君の問いたい存在の事は知っている」

「俺は昔、その女性と出会った事があります。毛先の赤いエルフの女性。彼女は、強酸の降り注ぐ都市外縁部に立っていました。傘も差さず、防護服も無いままに」

「その時君は新人警官で、しかもポカをやらかし、上司に叱られた直後だった。違うかな?」

「……そうです。外を眺めていたのは俺だけだった。だから気が付けた。……彼女は俺に気付くと、一つ、会釈をして……気が付けば俺は、不思議な空間にいた。鋼鉄も配管も無い白い空間。今思えば空間移動に類する異能光に包まれた空間に、俺は誘引された」

 

 千春は黙って話を聞いている。

 彼女とも出会う前の出来事だ。威鉄さんが現役で、けれど俺がヘマをして、少しだけ危ないコトが起きた。

 威鉄さんはちゃんと俺を叱ってくれて、けれど俺は途方に暮れて。その時にした選択は、今でも褒められない事だけど、気持ちに嘘は吐けなかったから。

 そうして、その人と邂逅する。

 

「ニコル。己の名をそう告げた彼女は、自らをハイエルフであると言いました。エルフよりも格上の存在であるハイエルフは、時間をも(あやつ)り、魂さえも()ると。……そして、こうも言ったんです」

「貴方には二つの選択肢がある──その選択肢は必ず、世界の命運を握るものとなる、かな?」

「……もしかして、貴方も言われたんですか?」

 

 ああ、と。男性は、迎博士は目を瞑る。

 正直信じる事なんて出来なかったし、異能捜査課の新人としてこの規模の異能使用は取り締まる必要があると奮い立ち──けれど、身体は動かなかった。恐らくは精神操作で、精神……だけをどこかに連れ出していたのだろう。異能で模られた空間に。

 ニコルは、その両手に二つの()()()()()()()

 

「片方は、全てが吹き飛んだ更地。大きな爆発により、あらゆるものが消えた。老若男女問わず、この都市の全てが無くなった爆心地の光景」

「ボクの時は、あらゆるものが溶け、腐り、生物の全てが生きていけなくなった死地の光景だったね」

「もう片方は、この都市が壊れ、人々が路頭に迷う光景。けれどこちらは爆心地ではなかったし、人はしっかり、地に足を付けていた」

「反対の手にあったのは、このボクが重要な役割を持つエルフらを殺し、最後の最期にボクが処刑される光景だったよ」

 

 どちらを選びますか、と。

 どちらかにしか、なりません、と。

 

「貴方にとって最も大切な鍵を、常に、肌身離さず持ち続けてください。それを手放すかどうかによって、世界は変わります。と、言われました」

「貴方の栄光を手放すかどうかによって、世界は変わります。と、言われた。ふふん、ボクはなんて返したと思う?」

「……なんですか」

「そんなことどうでもいいから結婚してくれ、って言ったんだよ。最初は一目惚れだったけど、育んだ愛は本物だった。ボクにとって世界よりも、そしてボクの死よりも、彼女に惚れた心の方が大事だったんだ。ふふん、ボクってばアツイ男だろう?」

「初対面で求婚してくる男ははっきり言って気持ちが悪い」

「ギャアッ」

 

 大きく仰け反る迎博士に、俺はどこか安堵の気分だった。

 アレは夢ではなく……そして、意味のある事だった。あるいは掴まされていたかもしれない破滅の未来を、自分はしっかり。

 

「ま、殺人は殺人だ。今後の人類にとって有用な異能を持っているエルフを片っ端から殺したからね、ボクの処刑も当然。ボクはこの死を受け入れているよ」

「そう、ですか」

「彼女が何者なのか、という問いについては、申し訳ないが答えられない。ふふん、自慢じゃないが死んだ時に幾ばくかの記憶を失っていてね。まぁ首を斬られたのだから当然だが……あぁ、これじゃ本当に自慢じゃないじゃないか」

「記憶を?」

「先ほどから気になっていたんじゃないか? ボクは自身を老人だとかたる割に、中年くらいの姿である事に」

 

 それは、確かに気になっていた。

 その姿は歴史の教科書に綴られるような老人でなく、あるいは研究者であった頃ならばこういう姿だったのだろう、というような風貌の中年男性。

 けれどここは死者の世界とやらで、なればなりたい姿になれる、とかなんじゃないかと勝手に折り合いを付けていたが。

 

「この姿は、謂わば最盛期さ。ボクが迎満三として、蒸気的特異点(SteamSyngularity)に到達し得た時の姿。無論エルフを殺して回った事も、彼らを集めて色々な実験をしたことも覚えているが、肝心の死の瞬間を覚えていない。あまりのショックに脳が忘れてしまったのかとも考えたが、今脳、無いしね?」

「まさか、その瞬間に彼女が介入を?」

「無いとは言い切れない、というか、大いにあり得る。もしかしたらその時に愛を囁いてくれたのかもしれない。ボクへのお礼だ。世界を救ったボクへの、もしくは毎日毎日愛を注ぎ続けたボクへの!」

「……彼女とは、どこで出会ったんですか?」

「ふふん! それも、覚えていないんだ! けど彼女への愛は本物だぞう!」

 

 ニコル。そう名乗った女性。

 ハイエルフであると告げた。未来を見せた。世界の分岐を知っていた。

 

「竜司、そろそろ戻らないといけないかもしれない」

「ん? あぁ、そうだね。そろそろ戻らないと、永遠にこの世界に住まうことになってしまう」

「な──」

「それは嘘。単純に、竜司は勤務中だった。戻らないと心配される」

「あ、ああ、そういうことか」

 

 絵札、と千春が呟く。

 光が二人を包む。迎博士は一歩下がり、腰に手を当てて、手を振った。

 

「さようなら、お二人とも。当分の間ボクはここを出ていくつもりはないから、次に会うときは、君たちが死ぬときになるかもしれないな! 縁起でもないことを考えるもんじゃないぞ!」

「そりゃアンタだよ」

「ふふん! これはボクなりの達者でな、なんだけどね?」

 

 そしてすべてが、光になった──。

 

 

 


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