1000年若返りTS少女「闇のころもってなんですか?」   作:場合がある。

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第六話 神業

 あり得ない人物の、あり得ない登場の仕方。ボクは信じられない、といわんばかりに両目を大開きにした。

 

「――あ、あなたは!? 何故こんなところに!?」

「おっと、積もる話はもう少しだけ待ってろよ? 薄汚いこいつらを片づけるのが先だからな」

 

 まるで魔法のように現れた青髪ツンツン頭の青年は、ベッドに括り付けられたまま驚愕しているボクにニヤリと笑った。

 いつの間に、くすねたのか。左手の(やっとこ)を巧みに操り、ボクの手枷と足枷の鎖を素早く切断する。たいした手際の良さだ。

 そして、足元で悶絶している兵士の赤い外套をもぎ取ると、ボクに手渡した。ベッドから起き上がり、全身を襲う拘束具の痛みに顔をしかめていたボクは少し戸惑う。

 

「……あられもない姿になっちまってるからな。これで大事なところを隠しとけ」

 

 青年は頬を少しだけ赤く染め、ぶっきらぼうに言った。

 

 ……そういえば、そうだった。今の今まで忘れていたけどボクの下着類を除く衣服は全部、兵士たちにはぎ取られてしまったのだ。すでにボロボロになっていた黒い外套もまた見るも無残に切り刻まれ、拷問部屋の片隅に投げ捨てられている。

 

 ボクは青年から手渡された赤い外套を、胸元と腰回りに素早く巻き付けた。応急処置だけど、無いよりはずっとマシだろう。

 

「少し、下がっていろ。あぶないからな」

 

 青年が自由の身になったボクを、片手のジェスチャーで下がるように合図した。こくりと頷き、彼の指示に従う。

 

「……おい、お前ら。オレの大恩人を、もうちょっとで一生モンの疵物(きずもの)にするところだったな? お前たち、良い度胸をしているじゃねえか。それ相応の覚悟はちゃんとできているんだろうな」

 

 青年が壁際まで下がったボクを遮る位置に立ち、ゆっくりと一歩を踏み出した。方や兵士たちはというと、彼の顔を見て、幽霊でも見たように慌てふためいている。

 

「――お、お前は!?」

「馬鹿な、お前は念入りに痛めつけたはずだっ! 瀕死の重傷を負っているお前が、今頃こうして生きているはずがねえ!」

「おあいにくさまだったな。この通り、オレはぴんしゃんしているぜ?」

 

 青年が小さく肩をすくめてみせた。

 

「……おっと。こんな重たいモンを持っていたんじゃ、満足に動けねえところだったぜ。オレは身軽なのが好きなんだ」

 

 左手で弄んでいた(やっとこ)を、邪魔だとばかりに床に放り捨てた。身のこなしには隙が無く、軽く握りしめた両の拳でのファイティングポーズは、なかなか様になっている。

 だが、彼は徒手空拳(としゅくうけん)だ。その身一つで完全武装した兵士たちに挑もうとしているのだろうか。

 

「くそ! どんな理屈かは知らねえが、もういっぺんギタギタにしてやれば同じことだっ!」

「できるモンならやってみろよ。……お前たち如きにできるモンなら、な?」

「――ヤロウっ!」

 

 ふたりの兵士たちが、挑発する青年へと一斉に飛びかかる。ただ、お互いの図体と武装が邪魔をしていて、突進力が半減してしまっている。

 

「おっと」

 

 青年は兵士たちの稚拙な攻撃を、ひょいひょいっとばかりに左右に(かわ)す。勢い余って体勢を崩し、蹈鞴(たたら)を踏む兵士たち。

 

「よっ、と」

 

 青年が、低い体勢から足払いをしかけた。攻撃後の硬直時を狙われた兵士たちは派手にすっ転び、床に顔面を(したた)かに打ち付けてしまった。その隙に青年は軽く飛び退(すさ)り、間合いを確保している。

 

「へえ。じゃじゃ馬姫さんの動きを真似してみたんだが、付け焼刃にしては結構上手くいったな。……まあ、あいつみたいな一級の達人相手には、オレのちゃちな格闘術が通用するとは思わねえし、やろうとも思わねえが」

 

 青年がブツブツと小声で何かを呟いている。

 

 あの素早い身のこなしから察するに、たとえば小回りの利く短剣などで一撃離脱の戦法を取るのではないかと推測していたが……なかなかどうして。まだ若いのに、徒手空拳(としゅくうけん)でも結構できるらしい。

 

「くそう……っ」

「いてぇ……いてえよぅ……」

 

 兵士たちが、よろめきながらも立ち上がる。どちらも硬い床に打ち付けた鼻の辺りを押さえている。鼻孔(びこう)からは赤い液体がだらだらと垂れていた。

 

「ふーん。ようやく見れる顔になったじゃねえか。男前度が二割り増しぐらいアップしたみたいだぜ?」

「貴様、絶対に許さないぞ!」

「コケにしたことを後悔させてやるっ!!」

 

 異口同音(いくどうおん)に叫ぶ兵士たち。鼻孔(びこう)から鼻血を垂れ流しているせいか迫力に欠けており、むしろ滑稽で苦笑すら込み上げてきそうになる。

 

「口は達者みたいだな。ただ、肝心な行動が伴っちゃいねえが……さっきから懐ががら空きだぞ?」

 

 眉根を少しだけ寄せた青年が、これ見よがしに何かを掲げて見せた。

 

「ぷ」

 

 ボクは噴き出しかけた。――それは、フサフサなカツラだったのである。

 

「なぁ!? お、俺のカツラが~~ァ!?」

 

 ハンマーの兵士が絶叫する。その頭頂部は拷問部屋の淡い灯りを反射して、ピカピカに光り輝いていた。

 僅かな攻防の合間に、青年が彼の頭からかすめ取ったのだろう。しかも当人が気づかないほどの速さで。たいした技巧の持ち主だと言わざるを得ない。

 

「か、返せっ!」

「イヤだね」

 

 青年は懇願をさらりと断ると、フサフサのカツラを無造作に放り投げた。

 

「ぁあ、俺のカツラがぁ~!?」

 

 ハンマーの兵士が悲鳴をあげた。

 艶やかな毛並みのカツラは空中をふわふわと漂い、拷問部屋の外周に張り巡らされた側溝に、無情にも落ちた。側溝には悪臭の漂う汚水が溜まっている。なんだかよくわからない汚水がたっぷりと染み込んだそれは、二度と使い物にならないだろう。

 

「~~~~~!?」

 

 ハンマーの兵士が声にならない絶叫を喉から迸らせた。

 

「あーあ、まだ若いのに気の毒にな。わかめ王子かこんぶ大将のダシから採ったスープを毎日飲むといいぜ? こいつが若ハゲには良く効くらしいんだ」

 

 青年が少し気の毒そうに言う。

 

「――殺す! 絶対に殺す!」

 

 青年の忠告を素直に聞くつもりはないらしい。実は禿頭だったハンマーの兵士が殺意を込めて叫ぶ。その両目はすっかり血走っていた。

 

「さっきから物騒だな。オレはこの通り、丸腰なんだぞ? もっと気楽にやろうぜ」

「そうだぞ、たかだがカツラが取れたぐらいでグダグダ騒ぐなよ」

 

 スティックの兵士は笑いを堪えているのか、汚い歯を必死に喰いしばっている。目尻には涙が溜まっていた。

 

「たかだがってなんだよ! 俺にとっちゃ死活問題なんだっ!」

 

 ハンマーの兵士が同僚に食ってかかる。

 

「――ぷっ」

 

 たまらず、といったふうに噴き出すスティック兵士。ハンマーの兵士が口元を押さえた彼を血走った目で睨む。

 

「ああっ!? お前、今俺のことを笑いやがったな!?」

「うん? ……これは何だ?」

 

 青年が怪訝そうな声をあげたために、兵士たちの口論は一時中断となった。兵士たちの視線が青年へと一斉に注がれる。

 彼は手元にあった一枚の紙切れを興味深そうに眺めていた。

 

「こいつは……シスターのプロマイドか?」

「こ――このっ! 僕のシスター・アンナのプロマイドを!? か、返せッ!!」

 

 スティックの兵士が顔を真っ赤にして叫ぶ。

 

「ふーん……このアングルからすると……ああ、なるほどな。隠し撮りか? ……へえ。お前、けっこう趣味が悪いんだな?」

 

 青年が写真らしきものを指先でつまみ、ひらひらと掲げて見せた。

 ……どうやらこの青年、かなり手癖が悪いらしい。彼の職業は十中八九、「盗賊」だろうから止む無しかもしれないが。

 

「~~~ッ! こうなったら挟み撃ちだ!」

「ぶち殺してやるッ!」

 

 兵士たちが口々に叫ぶ。

 

「聖なる守りよ、我が盾となる者に宿れ……」

 

 スティックの兵士が防護の魔法を詠唱し始めた。複雑な紋様の帯が彼の身体を取り巻き、足元から白い光が立ち昇る。

 

「くらいやがれッ!」

 

 その隙にハンマーの兵士は左手に攻城戦に用いられるような重装兵の大盾を掲げ、逆の手に凶悪なトゲ付きの金棒を握りしめ、青年へと殴りかかった。凶悪な破壊力を秘めたハンマーが、青年の頭へと振り下ろされる。

 

「《スカラ》!」

 

 ほぼ同時に、スティックの兵士の魔法が完成した。ハンマーの兵士の身体を青い障壁が一瞬だけ包み込み、すぐに消えた。

 

 ハンマーの兵士の口元に、会心の笑みが浮かぶ。そして、青年もまた口角(こうかく)を持ち上げた。――拷問部屋に青い疾風が吹く。

 

 ハンマーの兵士が振り下ろした鉄の金棒は、直前まで青年が立っていた床を打ち砕いたに終わる。彼は床にめり込んだ鉄の金棒を引き抜こうとするが、その隙を見過ごす青年ではない。短いステップで真横に回り込むと、その足を払った。

 ハンマーの兵士はまたしても足元を掬われ、大きく一回転をしながら顔面を派手に打ちつける。歯が何本か砕けたのか、顔を抑えている手のひらから零れる鼻血には白い破片が入り混じっていた。

 

 そこに飛来する、一条の煌めき。

 

「――おっと」

 

 スティックの兵士が懐に隠し持っていた投げナイフを、青年は冷静に捌いた。首をわずかに傾けただけで回避する。目標を見失った投げナイフは拷問部屋の片隅に山積みになっていた木箱の一つに、トスリと突き刺さった。

 

「返すぜ?」

 

 青年が木箱から投げナイフを素早く引き抜く。軽いスナップを利かせつつ、持ち主へと投げ返した。

 

「――ひぃ!?」

 

 投げナイフはスティックの兵士のすぐ脇を掠め、背後の石壁に弾き飛ばされ、床に転がった。スティックの兵士の右頬から、つぅと一筋の血が流れ落ちる。

 

「ふーん。それがお前らの本気なのか? さっきからハエが止まって見えるぜ」

 

 青年が手の平を逆にして扇ぎ、兵士たちを挑発する。

 

「ば、バカにしやがってッ!!」

「もう生かしちゃいねえ!」

 

 兵士たちの顔色に朱が差す。ふたりは異口同音(いくどうおん)怪鳥(けちょう)のような雄たけびをあげると、青年へと飛びかかった。

 

「――ふん」

 

 青年は彼らの攻撃を華麗な身のこなしで右に左に(かわ)し、ハンマーの兵士の足をまたも払った。足元がお留守なハンマーの兵士は都合三度目となる転倒を敢行し、床に転がる。

 

 その隙に、青年はスティックの兵士の懐に潜り込んだ。スティックの兵士はとっさに小盾を掲げるも、青年が右の人差し指と中指の間に挟み込んだシスターのプロマイドに、一瞬気を取られる。

 

「これ、返しとくぜ」

 

 青年は特に何もせず、スティックの兵士の手にシスターのプロマイドを握らせると、するすると後退する。ボクはそんな彼の行動を訝しんだ。

 

 ……いや、彼は何もしなかったわけではないらしい。その左手には炎が揺らめく長い蝋燭が握られていた。蝋燭の端からは蝋が少し垂れている。

 

「熱い蝋の味はどうだ?」

「――あ、あっつぃいいい!?」

 

 熱さのあまり、飛び上がって絶叫するスティックの兵士。首の付け根から全身鎧の隙間に入り込んだ熱い蝋を掻き出そうと躍起になっているが、どうしようもない。無我夢中で全身鎧を脱ごうとしていた矢先に、うっかり足を滑らせる。

 

 不幸なことに、その先には三角木馬が待ってましたとばかりに待ち構えていた。バランスを崩したスティックの兵士はよりにもよって、あの三角木馬の鋭角で金的部分を(したた)かに打ち付けてしまった。股間部を押さえ、顔を大きく歪めながら声なき声で悶絶する。

 おまけに彼の手からシスター・アンナのプロマイドが落ち、ひらひらと舞って、あのフサフサのカツラが投身自殺をした汚水溜まりの側溝そばに落ちてしまった。

 

「……あ、すまん。でも言っとくが、そいつは事故だからな?」

 

 その発端を作った青年が顔をしかめ、悪びれもせずに謝罪の言葉を述べた。

 

 これは全くの余談だけど、元男だったボクもまた大きく顔をしかめている。――さすがにあそこを鋭利な角度で強打するのは、いかんともしがたい。

 

「ぐらえッ!」

 

 歯が欠けたハンマーの兵士が、そこに急襲する。

 

 青年は蝋を垂らした蝋燭を素早く投げ捨て、これを迎え撃った。ハンマーの兵士が前方へと突き出すように叩きつけた大盾――あれはたしか盾スキルの《シールドアタック》だ――の縁を蹴りつけ、その勢いを借りて高く飛ぶ。

 

「なぁ!?」

 

 驚愕した彼らの頭上を飛び越えると、拷問部屋の天井に高い身体能力を生かして張り付く。そして、そこから急降下を仕掛けた。

 掲げていた大盾を踏みつけられ、バランスを大きく崩していたハンマーの兵士の頭を爪先で踏む。ハンマーの兵士はくぐもった声を上げながら前のめりになって倒れ込んだ。

 

 防御力上昇効果の《スカラ》を予め施されたためか、昏倒は免れたようだ。ただ、床に倒れて悶絶していたスティックの兵士をその巨体で巻き込んだせいで、ふたりして団子になったまま汚れた床をゴロゴロと転がる。くぐもった声がふたつ、またしても室内に響いた。

 

「……おいおい、狙うならちゃんと的を狙えよ? さっきからどこ狙っているんだ?」

 

 ふわりと飛び退(すさ)り、元の地点まで戻った青年には汗ひとつ掻いた様子がなかった。

 

「こ、こいつ、けっこうできるぞ……」

「た、ただのコソ泥じゃなかったのか……」

 

 対する取り巻きたちは元々重たい鎧を着用しているせいで動きが鈍い。俊敏な青年の動きに翻弄され続けている。おまけに戦っている最中にだんだんと疲労が蓄積していったのか、肩で息をしている始末だ。終始、いいように弄ばされている。

 唯一、特筆すべきはタフネスぶりだろうか。何度も攻撃を食らっても即座に起き上がってくる、その不屈の闘志には頭が下がる思いだ。少なくとも、たった一撃であっさりと昏倒してしまったリーダー格の兵士よりは、ずっと。――まあ、もっとも、青年が手加減をしている可能性も無きにしも非ずだが。

 

 兵士たちは敵わぬと見るや、お互いの顔を見合わせた。そして、青年の戦いぶりを壁際で観戦していたボクのほうをギラつく眼差しで射抜く。

 

「女だ! あの小娘を確保しろ! 人質に取るんだッ」

「……お前たちはとことんクズみたいだな。ダーマ大神官直属の親衛隊が聞いて呆れるぜ」

 

 青年がペッと唾を吐き出した。

 

「はっ! ほざいていろッ!」

「――な、おい! あ、アレッ!?」

 

 兵士のふたりが目を剥いた。ボクも瞠目する。――青年の腰帯には、鞘入りの長剣が納まっていたのだ。

 

「これ見よがしに武器が転がっていたんだから、使わない手はないよな?」

 

 彼が佩びているシンプルな形状の長剣には、見覚えがあった。床に倒れ伏したままの、あのリーダー格の兵士のものを奪い取ったのだろう。

 しかし、彼が何時どのようにして奪い取り、腰帯に差したのか。それら一連の動作はボクには全然見えなかった。――たいした早業(はやわざ)、いや神業(かみわざ)だ。

 

「うう……」

「コソ泥の、分際で……っ」

 

 兵士たちは、すっかり尻込みしているようだ。

 無理はない。彼らにとっての優位は青年が丸腰だったこと、その一点に尽きるのだから。その優位性が奪われた以上、蛇に睨まれた蛙のようになるのは、当然と言えば当然だった。

 

 ……ただ、ひどく情けないというか、哀れというか。

 

「しっかりしろよ。それでも親衛隊サマなのか?」

 

 完全な及び腰になった兵士たちに、青年は呆れ返った様子だった。

 

「せ……聖なる風よ!」

 

 スティックの兵士が後退しながら呪文の詠唱を始めた。その足元には緑色の不可思議な光が構築され、ゆっくりと旋回していた。さらに複雑な紋様の帯が彼の体を取り巻く。

 

 青年が顔をしかめた。

 

「おいおい……マジかよ」

「《バギ》!」

 

 青年のつぶやきをかき消すような大声が響く。スティックの兵士が得物をかざし、青年へと振り下ろしたのである。スティックの先端から真空の刃が射出され、青年へと牙を剥いた。

 

 風属性の真空呪文バギ系は大気の精霊のチカラを借り、周囲の風を操るとされる。バギ系呪文でも最下級に位置している《バギ》だが、もちろん当たればタダでは済まない。

 魔力で生み出された不可視の刃を、青年は空気のうねりを頼りに横っ飛びに(かわ)した。小さな竜巻は拷問部屋の石壁を浅く切り裂くに留まる。地下の閉所空間に堆積していた埃が巻き上がったせいでボクは少し噎せてしまった。

 

「チッ。こんな狭い場所で、攻撃呪文をぶっ放しやがるとはなっ!」

 

 素早く体勢を立て直した青年が毒づく。

 

「バカっ! ここには俺たちがいるんだぞ!?」

「構うものか! あいつを殺せばいいことだっ! お前は肉壁になって僕を守れッ!」

「……ぉ、おう」

 

 味方であるハンマーの兵士の言葉に聞く耳を持たず、逆に恫喝する。彼の剣幕に呑まれたのか、ハンマーの兵士が前に出た。床に落ちていた大盾を構え、文字通りの盾に成るべくスティックの兵士の前に陣取る。

 

「《バギ》!」

「――ちっ」

 

 青年は先ほどの要領で(かわ)そうとして、短く舌打ちした。

 

 ふたりの射線上には昏倒したままのリーダー格の兵士が床に転がっていたのだ。このままでは彼の肉体は着用していた鎧ごとズタズタに引き裂かれ、家畜の餌にもできそうなほど細切れになってしまうだろう。

 

 青年はリーダー格の兵士の胸板を、渾身の力で蹴り上げた。メリ、とイヤな音を立てながらリーダー格の兵士が吹き飛ぶ。そして、自らも前方目掛けて飛び込むようにして回避行動を取った。

 その直後、彼らがいた地点を小さな竜巻が通過していく。《バギ》の真空の刃は地面を舐めるように突き進み、拷問用ベッドの端を削り取り、やがて消えた。

 

 青年は素早く立ち上がると、腰に佩びた長剣の柄を握りしめた。その背後でリーダー格の兵士が拷問部屋の壁に打ちつけられ、またも床に崩れ落ちる。

 彼が悲鳴一つ上げないのは、すっかり夢の世界に旅立っているおかげだろう。

 しかも、衝突した際の衝撃で鎧どころか――すでに鎧の着脱部分が外れかけていたせいだ。理由は口にしたくない――青と白の縞模様のステテコパンツがずり落ち、下半身が露出している。

 

 ボクは天を衝いている小さくて汚いものから、さっと目を背けた。

 

「ははっ! お前に逃げ場は無いぞ! これで終わりだ!」

 

 スティックの兵士がヒステリックに叫ぶ。

 

 ……これはまずい。恐怖のあまり半狂乱になっているようだ。恐慌状態に陥ったスティックの兵士が再び、真空呪文を詠唱しようとしていた。

 

《マホトーン》《マホターン》《マホキテ》《マホステ》《マホカンタ》《マジックバリア》《マホトゾーン》《マホプラウス》《シャハルの鏡》《せいじゃくのたま》《ふういんのはどう》《忘却の光》《封殺》《魔獣の閃光》《おぞましいおたけび》《始原のおたけび》《退魔の盾》《シャイニングブレス》《絶の震撃》《封魔の邪法》《呪文完全ガード》《竜眼》《竜眼のはどう》《ファイナル・ドラゴニック・アイズ》

 

 ボクの目の前に文字列が浮かぶ。

 たぶん、現状を打破するのに最適なスキルを、「ダーマの禁書」が教えてくれているのだ。ボクはどうすればいいのかと悩んだ。

 

「――やれやれ。腹いせにからかい過ぎちまったのが、裏目に出たみてえだな。さっさと終わらせるか」

 

 その声を耳にして、ボクは慌てて首を振った。

 この世界の呪文についての知識はそれなりにあるけど、なんだか選択肢を間違えたら取り返しのつかない事態を引き起こしそうだったからだ。

 

「そんなところからじゃ、僕には攻撃は届かないぞッ!?」

「そうかい」

 

 青年の返答は簡潔だった。腰を低く落とし、半身を開く。右手を鞘に軽く添え、左手は長剣の柄を握った。

 

 ――あれは、たしか……?

 

「なんだ、そのポーズは? でも、そんなことをやってもムダだぞっ」

 

 スティックの兵士は青年が何をしようとしているのか理解できない様子だ。

 しかし、ひとまずは詠唱を優先するつもりらしい。ハンマーの兵士が大盾をしっかりと構え、両足で踏ん張る。なかなかいいコンビかもしれない。

 

「ふっ!」

 

 鋭い呼気とともに鞘走りの音がした。鞘から抜き放たれた白刃が閃く。高速の抜き打ちがハンマーの兵士の脇スレスレをすり抜け、スティックの兵士の胴目掛けて放たれたのである。

 

 どう、と倒れ伏すスティックの兵士。

 その時すでに青年の長剣は鞘に納められている。驚くべき居合いの速さだ。

 

「残念だったな。そこはオレの間合いなんだよ。――さて、と」

 

 ひとり残ったハンマーの兵士を鋭く睨み、再び居合いの構えを取った。

 

「ゆ、許して――!?」

「お前は、その子に酷いことをしやがったよな? その報いを受けろ」

 

 青年の宣告が終わるや否や、ハンマーの兵士は逃げ出そうと試みた。少しでも身軽になるためか武器と大盾とを投げ捨てて、一目散に逃げ始める。

 

「逃がすかよ!」

 

 一陣の風が吹く。

 

「――ぬがっ!?」

 

 ハンマーの兵士はくぐもった声を上げ、あと一歩のところで辿り着けなかった扉に身体ごともたれかかり、そのまま床に崩れ落ちてしまった。

 

 青年の判断は迅速だった。逃げ出そうとしたハンマーの兵士の後頭部を、鞘に納まったままの長剣の柄頭で力いっぱい殴りつけたのである。

 

「ふん。鍛錬不足が祟ったな」

 

 青年は相手が気絶したのを確認すると、鞘入りの長剣を腰帯に戻した。その足で拷問部屋の一角を目指す。そこには虜囚となっていた人々の持ち物が雑然と積まれてあった。

 あの兵士たちに武具や高価そうな貴金属といった目ぼしい品物は奪われたのかもしれないが、背嚢(はいのう)や荷物鞄なども十数個ほど混じっている。そのうちのひとつを見つけ、ボクはあっと声を上げた。

 

「……ほら。これ、お前の荷物なんだろ?」

 

 青年が、黄緑色の肩掛け鞄を差し出す。――ボクの荷物だ。中には財布を含めた一切合切が全部入っている。今のボクの全財産だといってもいい。

 

 彼も彼の荷物らしい、年代物の背嚢(はいのう)を手にしていた。

 

「あ、はい。ありがとうございます!」

 

 ぺこりと頭を下げ、肩掛け鞄を受け取る。

 

 中には小銭が数枚のみの薄っぺらな財布の他に、必要最低限の生活用品が入っている。武器や防具、それに傷を癒す薬草などの(たぐい)は無い。どれもボクには必要ないし、荷物が嵩張(かさば)る。なるべく身軽なほうが魔物たちの追跡を(かわ)しやすいからでもある。

 

 でも、これからは、ちゃんとした武具を所持したほうがいいかもしれないな。さっきの兵士たちのような貧弱な輩から舐められないためにも。

 

(……うん、やっぱりボクにはできそうにないかも)

 

 ボクは生粋の剣士ではない。鈍くなった剣の腕を取り戻すには、それ相応の時間がかかる。それに「むしょく」だからルイーダの酒場に登録できる職業的な冒険者には、金輪際なれないわけだし。――などど心の中で言い訳を重ねながら肩掛け鞄を身に着けた。

 

「オレも愛用の短剣が戻ってきたことだし、ご機嫌だぜ。こいつさえあれば百人力なんだ」

 

 青年が背嚢(はいのう)から取り出した一振りの短剣を掲げて見せた。丸みを帯びた刃先が特徴的な、赤い柄の短剣である。刃と柄の長さが等倍のそれを、彼は腰帯に差した。さらに兵士たちに奪われていた背嚢(はいのう)を肩に担ぐ。

 

 ボクは、床に倒れ伏した三人の兵士たちを順繰りに見やった。三人目のリーダー格の兵士からは、すぐに目を反らしたけれど。

 

「ああ、あいつ等か? べつに殺しちゃいねえよ。ぐっすりと眠ってもらっただけだ。……だが、お前がこいつ等に復讐したいなら話は別だ。どうする?」

「いいです。こんな出来損ないの子羊なんて殺す価値もありません」

「――ぷっ。大の大人を子羊呼ばわりか、そいつはいいな」

 

 なにがそんなにおかしかったのか、青年が小さく噴き出す。

 

「さっきの話だけどな。もちろん、脱獄したんだ。見回りの兵士どもを撒くためにやたらと時間を食っちまったせいで、お前の身に危険が及ぶところだった。……すまねえな」

「とんでもありません。今回はボクを助けていただき、本当に感謝しています。ありがとうございました!」

 

 深々と頭を下げる。ボクは顔を上げると、一番知りたかった疑問を口にした。

 

「でも……あなたは、どうやって脱獄したんですか?」

「ああそれはな、とっておきのコイツを使ったんだ」

 

 青年が懐から何かを取り出す。彼は手のひらのそれ――先端部に可動式と思しき三本の棒が組み込まれている細長い棒状のもの――を弄び、得意げに笑った。

 

「それは……カギ、ですか?」

「こいつはな、鍵開けの名手バコタが丹精込めて製作した一点物の〈とうぞくのかぎ・改〉なんだ。……へへっ、デルカダール城の宝物庫から行きがけの駄賃にくすねておいたのが、役に立つ日が来るとはな。あのいけ好かない野郎と強面(こわもて)旦那の歯ぎしりした顔が、今にも目に浮かぶようだぜ」

「――えっ。城の宝物庫……ですか?」

 

 さらっと言われてしまったので、驚きは後からやって来た。

 彼は盗み、しかも城の宝物庫という難所からの大金星を堂々と打ち明けたわけだけど、彼の職業はおそらく「盗賊」だ。あのカギは、彼にとってみれば記念すべき戦利品(ハンティングトロフィー)なのだろう。

 かくいうボクも若い頃は随分と()()()()をしたものだ。子羊たちの世話を前任者から引き継いでからは、それどころじゃなくなったけれど。……なんだか懐かしくなってきたな。

 

「おっと。今はのんびりしている場合じゃねえな」

 

 青年が笑みをかき消し、真顔になる。カギを懐に仕舞い込み、ボクを見据えた。

 

「ここから早く脱出するぞ。騒ぎを聞きつけた近衛兵たちがおっとり刀で駆けつけている頃合いだ」

「はい! ありがとうございます!」

 

 ボクは深々と頭を下げた。

 

「勘違いするなよ? ……オレは、お前に命を助けられた借りを返す。それだけだからな」

 

 彼はそっぽを向き、ぶっきらぼうな口調で言った。ボクは思わず、唇を綻ばせたのだった。

 

 

      ●

 

 

「――ここだ」

 

 青髪ツンツン頭の青年が地下牢の一箇所を指差した。しかし、ボクには何も変哲もない壁の一部にしか見えない。

 

 ……いや、よく目を凝らして見てみると、正面の壁は左右の壁と比べると、ボクの人差し指の太さほどの厚みが出っ張っているようだ。しかも左右の壁には何かが擦れたようなキズが平行線状に見受けられた。視線を下げてみると、壁の真下に位置している床にはボクや青年以外の足跡が無数に残っていた。――なるほど、と頷く。

 

「ここの壁の向こう側に、ダーマ神殿地下深くの闘技場跡地へと通じる隠し通路があるんだ。その先は地下牢で出た死体の搬出口へと通じているらしい。つまり死体袋を搬出している生身の人間も通っているってことだ。きっと、ここから外に出られるはずだ」

 

 そう言って、青年が正面の石壁を慎重な手つきで触っていく。

 

 やがて隠しスイッチらしき窪みを見つけ、それを押し込んだ。ガコン、という腹に響く重低音とともに正面の石壁が真っ二つに割れていく。見る見るうちに隠し通路への入り口があらわれた。

 

 なるほど。左右の壁のキズは、隠し扉でもある正面の石壁が擦れた跡だったのだ。

 

「オレがあんな奴らから一方的に甚振(いたぶ)られたのも、ここの隠し通路の情報をなんとか引き出そうとしたからなんだ。……まあ、ちょっとドジを踏んじまって、半死半生になっちまったけどな。ミドがいてくれなきゃ、今頃ホンモノの死体として外に放り出されるところだったぜ」

「あ、あはは……」

 

 あまり笑えない冗談だ。ボクはぎこちない笑みを浮かべた。

 

「先を急ぐぜ。拷問部屋のタンスに押し込んだ三バカどもが、もうそろそろ発見されてもおかしくねえ頃合いだからな」

「はい」

 

 青年は同意したボクを、何か言いたげな表情で見た。細められた青い瞳の奥で鋭い痛みが走った気がした。

 

「もっと探せば良い服があったかもしれねえが、今はそれで我慢してくれ」

「……似合わないでしょうか?」

 

 ボクは己の身体を見下ろした。

 

 リーダー格の兵士からはぎ取った赤い外套から、深い紫色を基調とした(よそお)いに衣替えを果たしている。革製のブーツがセットになった、どこかの国の兵士用の旅装と思しき丈夫そうな衣服は、あの拷問部屋に置かれてあった荷物のひとつから青年が無断で拝借したものだ。

 男物のようだが、不思議なことにボクの背格好にはぴったりだった。……胸部が多少きつめなのは、目を瞑らなければならないけれど。

 

 ……最初、ボクは着替えるのを躊躇(ためら)った。他人の荷物を無断で拝借するのは気が引けたのだ。でも、あの腰に巻いただけの赤い外套のままだと激しい運動ができない。これから先、何が起こるか分からないので、結局は着用することを選んだのである。ちょうど靴も欲しかったところだし(それまでボクは素足だったのだ)。

 それにボクの胸元から外套がずり落ちてしまったら、ボクはともかく、まだ二十歳にも満たないだろう青年の目には毒だろうし。

 

「――いや」

 

 青年は、頭を振った。

 

「ただ、お前のその姿を見ていると、どこかの誰かを思い出しそうで……。……おっと、ヘンなことを言っちまったな。気にしないでくれ」

 

 彼は近くの壁の松明(たいまつ)を取り外し、右手に持った。彼が掲げた松明(たいまつ)の灯りが、ぽっかりと開いた隠し通路への入り口を頼りなく照らし出していた。




ミド
???
HP ???HP ???
MP ???MP ???
む: と:


■【よくわかる!】「ダーマの禁書」のわくわく呪文対策
 封印したり
 防護したり
 反射したり
 吸収したり
 無効化したり
 無対策だと約1200ダメージを与えつつ呪文特技封印状態にしたり
 9999ダメージ(強化版だと二回攻撃)を与えつつ呪文特技封印状態にしたり
 効果は同じだけど文字違いだったり

 当たるとダメージつきの外れを引く確率は6/24。大外れは2/24。
 うちひとつは攻撃モーション的に直下型地震を誘発しているっぽいから、ダーマ神殿の地下もろともぶっ壊されるけど(*‘ω‘ *)

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