碇シンジはもう一人の自分(♀)に恋をする   作:nam3

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第拾六話 二人だけの世界

 

 

 

万有引力とは

 

ひき合う孤独の力である

 

宇宙はひずんでいる

 

それ故みんなはもとめ合う

 

 

───谷川俊太郎:著

『二十億光年の孤独』より

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……シンジが眼を覚ましたのは、サルベージされてから二日後のことだった。

 

綿密に身体を調査してもらったが、特段これと言った外傷もなく、むしろ健康体とすら言える状態だった。そのため、リツコから四、五日程度で家に帰ることを許された。

 

エヴァに取り込まれていたというイレギュラーな事態だったのだから、何も身体に異常をきたさなかったのは本当に幸いだった。

 

そして、いつかのお返しのように、レイはシンジが退院するまで毎日見舞いに来た。

 

「おはよう、シンジくん」

 

「ああレイ、今日も来てくれてありがとう」

 

前回、レイが入院していた時と同じように、シンジとレイは毎日顔を合わせ、語り合い、二人の時間を大切にしていた。

 

だが……前とは少し違う面もあった。それは、レイの心境であった。

 

 

「……もう、こんな時間か」

 

現在、18時12分。面会可能な時刻はとっくに過ぎている。だが、未だにレイは病室から出ていこうとしなかった。

 

「そろそろ帰らないと、また看護師さんに怒られちゃうよ?」

 

「……うん」

 

シンジが優しくレイへそう告げる。だが彼女は、返事自体はしたものの、一向にその場から動こうとしない。眉をハの字にして、下唇を噛み締めている。

 

「……レイ、また明日会おうよ。明日は僕の退院日だからさ、帰ってからもっと一緒にいられるよ。だからさ……今日のところはもう帰りなよ。早くしないと、外がすぐ暗くなっちゃうし」

 

「………………」

 

そう宥めていたら……レイの眼から、ぽろぽろと涙が溢れ出した。

 

(また……今日も泣いてる……)

 

「……ごめんね?私……寂しくて……」

 

「いや……」

 

確かにシンジも、もう少しレイと一緒にいたいという気持ちはあるし、寂しいなと思うのも分かる。だが泣くほど寂しいかと言われると、そこまではさすがになかった。

 

第一、明日は退院の日。むしろシンジとしては、これからまた一緒に居られると思えてワクワクすらしていたのだ。

 

だと言うのに、レイはなんとここ最近、シンジと別れる直前はいつも泣き出すようになった。

 

「……ごめんね、シンジくん。これじゃまるで、私、重たい女みたいだね……」

 

「あ、いや……そんなことないよ」

 

少しだけレイの気持ちが負担だなと思っていたシンジの心を、レイは察知したように呟いた。当然シンジには『そんなことないよ』と答える他なかった。

 

「私ね……最近思うの」

 

涙を手で拭いながら、レイは話し始めた。

 

「私たちには、本当に“明日”なんてあるんだろうか?って」

 

「え……?」

 

「だってね?もし今ここに使徒が来て、私たちみんな負けちゃって、それで死んじゃったとしたら……」

 

「………………」

 

「シンジくんが初号機に取り込まれて、何日も経っていた間、私はそのことばかり考えてた。好きな人がいなくなってしまう恐怖って、本当に耐え難いの。だから私は……生きている間の、全ての時間を……シンジくんと一緒に過ごしたいの」

 

死の恐怖。

 

彼女にとっては、己が死ぬことよりとよりも、シンジが死ぬことの方がよっぽど怖いのだろう。

 

(レイがもし死んだら……なんて、そんなこと、考えたくもない)

 

シンジにもようやく、彼女の泣いていた理由を理解し始めていた。そして、自分が彼女の気持ちを重いなどと、少しでも思ったことを酷く恥じた。

 

「……ねえ、シンジくん。お願いがあるの」

 

レイは何やら決心したような顔つきで、彼の目を見て告げた。

 

「私と、結婚してほしい」

 

「え!?け、結婚……?」

 

「理由は……今言った通りだよ。明日が来るなんて保証がないなら、もうなりふり構ってなれないの。本当は私も、シンジくんが退院してからゆっくり話し合おうと思ったんだけど、よくよく考えたら、そんな悠長なことしてる場合じゃないなって思って……今、シンジくんに話すことにしたの」

 

「………………」

 

シンジは恥ずかしさと嬉しさに、動揺と緊張もプラスされたような、混沌とした気持ちになっていた。

 

「それでね?明日から住む場所なんだけど、前もって私が二人だけで住む用の部屋を賃貸しておいたから、そこに引っ越そう?」

 

「二人だけ!?じゃ、じゃあ……同棲、っていうか新婚さんみたいな感じにってこと?」

 

「うん。ミサトさんちの部屋の隣が空いてたから、そこを借りたの」

 

シンジは淡々と話すレイの言葉を、あんぐりと口を開いたまま聴いていた。

 

「もちろん、中学生には不動産屋は貸してくれないから、ミサトさんに保証人になってもらったんだ。でも、私もミサトさんもネルフ所属の人間だからね、あっさり貸してくれたよ。しかも家賃半額で」

 

「ミ、ミサトさんはオッケーだったんだ?僕らの……その、結婚の話」

 

「んー、さすがにまだ結婚については何も答えてもらってないけど、二人で住む分には了承を得たよ。ただ、何か非常事態が起きても大丈夫なように、ミサトさんちの近くに住むって条件つきではあったけど」

 

「………………」

 

「でも、正直私としては、誰からも了承を得られなかったとしても、シンジくんとの結婚を強引に進めるつもりだよ?だってこれは、私とシンジくんのことであって、周りの人は全然関係ないもん」

 

……語るレイの瞳には、迷いなど一切なかった。

 

いや、と言うより“迷っている暇などない”といった、ある種の開き直りを感じられる眼の色だった。

 

「でも……もし、もしね?シンジくんが私との結婚……少しでも嫌だと思ったら、無理をせず言ってほしいの」

 

「そんなこと、全然ないよ。ただ、いきなり話が飛躍したから、ちょっとびっくりしちゃった」

 

「そ、そうだよね、ごめん……」

 

今さら恥ずかしくなってきたのか、レイの頬は熟れたリンゴのように赤くなっていた。

 

(明日なんてあるのか?……か)

 

今まで戦ってきた使徒の姿が、シンジの頭の中でフラッシュバックしていた。

 

「………………」

 

「……?どうしたの?シンジくん」

 

「ん、いや、なんでもないよ」

 

シンジはレイに微笑みかけると、真っ直ぐにこう伝えた。

 

「レイ。僕は、君のことが好きだよ」

 

「!」

 

「本当に好き……大好きだ」

 

「…………………」

 

「まだちゃんと、言えてなかったよね。ごめん」

 

「……あ、あの、ありがと……」

 

さっきも彼女は赤くなっていたが、今度はそれをさらに超えて、顔全体が茹でダコのように真っ赤になっていた。

 

ドキドキしている胸を押さえて、彼女は初めてちゃんと人から好きだと言われた喜びを、その心に染み渡らせていた。

 

そして、レイもシンジに微笑みを返して、こう伝える。

 

「私も……シンジくんが大好き」

 

「……うん」

 

「………………」

 

「………………」

 

「………………」

 

「………………」

 

二人は目を瞑り、互いの唇を重ねた。

 

「………………」

 

「………………」

 

数秒ほどしてから、彼らは離れる。

 

「……そうだ、僕、レイに謝りたいことが」

 

と、そこまでシンジが言いかけた時、レイの人差し指が、開こうとしているシンジの口に当てられた。

 

「いいの、もうそのことは」

 

「………………」

 

「アスカとのキスは、もういいの」

 

レイはにっこりと笑って、指を口から離した。

 

「でも、約束して?」

 

「約束?」

 

「うん」

 

「どんな、約束?」

 

「……これから一生、私とだけキスをして?」

 

「……うん、もちろんだよ」

 

「えへへ」

 

レイの甘えたような声が、シンジの心をくすぐった。

 

「ねえ、レイ」

 

「なに?」

 

「もう一回だけ、良い?」

 

「……うん」

 

二人はまた、眼を瞑り、通算三回目のキスをした。

 

 

 

 


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