大鳥奏視点。
「ぉ……うぉぉ……」
三つ編み眼鏡の女の子が溜息を零した。この人は? と尋ねると【クロロン】さんが教えてくれた。
どうやら彼女が【レン】さんらしい。今回この喫茶店をオフ会の会場として提供してくれた張本人。
お礼を言わないとな。なんて考えていると突然【レン】さんは頭を下げた。膝を喫茶店の床へと下ろすとそのまま緩やかに両の手を――
「おぉいっ!? やるなっての!」
即座にカジュアルな格好をしたモデルと見紛うような美少女がそれを止めた。
跪かれても僕としてもどうしたらいいか分からなかったから助かった。
ぱっと見の第一印象だけで言うなら彼女が【ラブ】さんだろうか?
襟を掴まれた【レン】さんが、ぐぅっ! と苦しそうに呻く。
だけど苦しさ以上に土下座を止められたからか悔しそうに【ラブ】さんをキッと睨んだ。
「は、離してください! ラブだって見惚れてたでしょう!? どうせ同じこと考えた癖に!」
「土下座はしねーよ!」
お、やっぱり彼女が【ラブ】さんか。
というか見惚れてたのは否定しないんだね……何か恥ずかしいんだけど。
逆転世界だから多少意識されるのも慣れてたけど、それでも知り合いからそういう目で見られるのはまた違った感じがした。
「ってことは……ゆーらさんですか?」
桃色の髪色の女の子。ゆるふわな感じで印象もそのままだ。
だけど意外なことに【ゆーら】さんは二人の背後にいるだけで近づいてこない。
ありゃ、もしかして警戒されてる?
初対面だからありえるとは思うけど、それが【ゆーら】さんだというのはちょっと意外だった。
「ご、ごめん……ほら、ちょっと前のトラウマがさ~……」
「トラウマ?」
「クラスの男子に話しかけた時に消臭スプレーで撃退された時の……」
ああ、と【クロロン】さんが苦笑いを浮かべる。
僕の知らないところでそんなことがあったのか。というか消臭スプレーって酷くない?
それって男女どうこう以前の問題では。
「大丈夫ですよ。ほら、何も持ってないでしょう?」
両の手をひらひらさせて安心させるように笑いかけている。
おどおどと前に出てくる彼女にもう一度「大丈夫」と言ってあげた。
「そうだよね……うん、カナデが酷い事するわけないよね!」
お、案外早めに警戒を解いてくれたらしい。
重心は後ろ側にあるけど、それでも歩み寄ってくれたことが嬉しかった。
「リアルで会うのってネットとはまた違いますもんね。大丈夫ですよ。これから慣れていきましょう」
「ふおお~なんか感動……カナデ本当に男の人?」
まあこの世界の男としては違和感はあるよね。
彼女に心を許してもらうためにも、冗談めかした言葉を返す。
「実は女だったらどうします?」
「一人ショック死すると思う」
……うん? ちょっと今のはよく分からなかった。
【クロロン】さんに目を向けると慌てたように小声で【ゆーら】さんに何か言っていた。
ごめんごめんと謝ってるけど、僕には彼女が何を言ったのかは聞こえなかった。
「とりあえず、くっ……座ろうぜ」
【レン】さんの関節を極めながら【ラブ】さんが提案してくれた。
久々の遠出でちょっと疲れたから、有難い申し出だったかも。
見たところテーブル席とカウンター席に分かれている。
テーブル席は6人用のものが窓際に並んでいて今回はぴったり座れそうだ。
僕と、【クロロン】さんと、【ラブ】さん、【レン】さん、【ゆーら】さん、それと……あれ?
同じ疑問を抱いたようで【クロロン】さんがキョロキョロ辺りを見回していた。
「あれ? りんりんは?」
今更だけど5人しか居ないことに気付いた。
それに対して【ラブ】さんが答える。
「用事ができたらしい」
「え、じゃあ不参加?」
「いや、それが終わったら来るとは言ってたな」
「なんかお母さんに大事な書類を届けてくるんだってさ~」
そうなのか……【りんりん】さんに会えるのも楽しみにしてたんだけどな。
間に合えばいいんだけど、書類というと仕事関係かな?
聞いたところ、会社は電車で1時間ちょっとの場所にあるらしい。
往復で3時間弱。届けるだけなら間に合うだろうけど、それでも昼間は過ぎるかもしれない。
【クロロン】さんから「そのうち来ますよ」とフォローが入る。
気を取り直して、さあ何をしよう? となった。
「あ、その前にレンさんのお母さんにご挨拶してもいいですかね? 確か今日一日お休みなのにお店開けてくれたとか」
「それならついでに飲み物も頼みます? 今日はアルバイトの人たちお休みなのでレンのお母さんが注文を取ってくれるらしいですよ」
【クロロン】さんはそう言って僕にメニューを渡してくれた。
メニュー表を受け取って一覧を眺める。んー、カフェオレにしようかな。と決めたところで丁度奥の方から一人の女性が姿を現した。
髪を下ろした【レン】さんとでも言えばいいんだろうか。
面影はあった。20台前半と言われても違和感はない女性が「はじめまして」と、頭を下げた。
「あなたがカナデさん?」
「あ、はい。この度はありがとうございます」
「ふふっ、ご丁寧にありがとう。でもそんな硬くならなくてもいいんですよ? 我が家だと思ってのんびり寛いでください」
おっとりした不思議な声だった。
なんか落ち着くな……【レン】さんが大人になったらこんな風になるんだろうか。
その【レン】さんはといえば鼻にティッシュを詰める作業に忙しそうだった。
出血の量がえぐいけど大丈夫だろうか?
「……レンさんどうしたんですか?」
「ちょっと許容量を超えたみたいですね……そのうち治まると思うんで大丈夫ですよ。たぶん」
【クロロン】さんの言葉を聞きながらこの世界に来たばかりの頃に、主治医の人に鼻血を出されたのを思い出した。
今頃元気かなぁ。お医者さんは大変な職業だし、体壊してないといいんだけど。
というか皆この状態の【レン】さん見ても平常だね? もしかしてよくあることなんだろうか。
「とりあえず自己紹介でもするか?」
「そうですね。一応顔合わせは初ですからね」
席に座って一息ついたところで【ラブ】さんが言う。
反対する意見が出ることなく順番に名乗ることになった。
それに加えて彼女の提案で名乗った後に質問タイムを設けることに。
普通に名前だけ言うより面白そうだし、有りかもしれない。
【ラブ】さんがお冷を喉に流し込むと、そのまま名乗った。
「ラブだ。よろしくな」
すると間を置くことなくさっそく【ゆーら】さんが挙手をした。
「私いいかな? ずっとラブに聞きたいことあったんだけどさ」
「おう、なんだ?」
「なんでキャラ名が【ラブ(LOVE)】なの?」
――ピシッ
空気が硬直した気がした。
【ゆーら】さんめっちゃ自由ですね。それは皆が気になりながらも、誰も聞けなかった闇の部分だと思うんですけど。
オフ会という空気がそうさせるのか、普段遊ぶネットゲームの中よりも奔放な行動をしてる気がする。
だけど【ラブ】さんは、僅かに頬を朱色に染めると律儀にも答えてくれた。
「……そういう趣旨だと思ったんだよ」
「趣旨?」
「だからな……ほら、LEINのグループ名だよ」
グループ名? そういえば聞いたことあるな。グリードメイデンの皆は【DOF】をプレイしてる友達同士でLEINのグループを作ってるとか。
寂しいと思わないでもないけど、僕がそこに入りたがるのも違う気がしたので、あまり気にしないようにしている。
「グループ名とは?」
「ゲーマー美少年捜索隊」
何その名前……
ギルド名といい変なネーミングセンスの人いるよね。面白いけどさ。
「出会い目的の遊びだと思ってたんだよ」
それを聞いて明らかに【クロロン】さんが動揺を見せた。
「……え? ちょっと待って。もしかして私ゲームに誘った時、そんな風に思われてたの……?」
「ああ、ゲームだと分かるまで、なんだこのビッチは? ってずっと思ってた」
ってことは【クロロン】さんが【ラブ】さんを誘ったのか。
ちょっとした裏話が聞けたみたいで嬉しい。
「適当にあしらうつもりだったけどな。ま、今では楽しませてもらってるよ」
「へーそうだったんだね!」
ショックを受けている【クロロン】さんの隣で【ゆーら】さんが納得していた。
楽しそうですね。
「ゲームだって分かってたらこんな似合わない名前なんて使わなかったんだけどな」
「そうですかね? 似合ってると思いますけど」
自嘲した【ラブ】さんに言っておいた。
「そうか?」
素っ気ない返し。
ガシガシと頭の後ろを掻いている。でも分かる。あれは照れてる。
平静を装ってるけど、凄い嬉しそうだ。
尻尾があればぶんぶん振られてる気がする。
「つ、次いこうぜ」
そんなこんなで自己紹介は進んでいった。