黒崎加恋視点
「えーと、この水の分子量が18.0だから……?」
「ああ、あとはそこから水1.00L分の中の水分子のmol数を求めて、それを電離度の公式に当てはめれば答えが出るはずだ」
晶は頭がよく回る。
見た目は不良みたいなのに何気にハイスペックなんだよね。
今は皆がそれぞれ苦手な科目に分かれて、高得点組に教えてもらっている。
優良には文系を得意科目にしている薫が、私と百合には先述した通り全体的な成績の良い晶が教えてくれている。
「あれ、電離度の公式って電離したやつの方が分母だったっけ?」
「いや、逆だ。分母には溶媒に溶けた電解質の物質量がくる」
晶はその性格通り説明も丁寧で分かりやすい。
人に頼られれば断れないところもあるんだよね……頼る側としては心強かった。
「正答率低い問題でも、基礎ができてれば解けるんだけどな」
ちゃんと授業聞いてたのか? と、苦笑いされた。
「う……面目ない……」
確かにここの授業を聞いてなかったのは事実だし、気まずさもあって素直に謝っておいた。
百合も自分の問題を解きながら会話に入ってくる。
「でもこれって習い始めたばかりのところだよね。基礎って言っても晶も良く覚えてるね?」
「覚えるも何も授業聞いてれば忘れないだろ」
「わー……出たよ。勉強できる人の授業聞いてればできる理論」
晶は何でも要領が良いんだよね。
【DOF】も、始めたのは私より後だというのにプレイヤースキルはかなりのものだった。
そんなことを考えていたからか不意にお知らせ掲示板に出ていたアップデート情報を思い出す。
ちょうど問題もひと段落したので話題に出してみた。
「そういえば今度新しいエンドコンテンツのボスが出るんだっけ」
エンドコンテンツというのは、一通りのコンテンツを終わらせたプレイヤーのための要素だ。
最高レベルに達した人に向けたものなので当然それらのボスはガチ勢と呼ばれる上位のプレイヤー陣の人たちでも苦戦する難易度だったりする。
私はレベルやら装備やら実力やらが足りないのでまだ無理だろうけどいつかは……なんて思ってたり。
やっぱりRPGはやり込んでこそだしね。
「ああ、確かカナデがやりたいとか言ってたな」
カナデさんは私たちよりもレベルが高い。
装備の耐性も高いし、もしかしたら攻略できるかもしれない。
「うー……ゲームの話してたら遊びたくなってきた」
「駄目ですよ。何のための勉強会だと思ってるんですか?」
「だけどもう3時間くらい休憩もなしで勉強してるし、さすがに集中力が……」
そう言って時計の方に目をやると針は既に19時を指していた。
長時間の勉強で疲れが出始める頃だった。
百合はもう集中力が限界らしい。
「あ、そういえば家からパソコン持ってきたんだよ~」
どうやら優良は鞄の中にノートパソコンを入れてきたらしい。
てれれ~ん、と口ずさみながら機嫌よさげにパソコンを取り出した。
わざわざ一度帰ってから持ってきたのってパソコンだったんだね……
「やろう! カナデさんに癒してもらおうよ!」
百合は乗り気なようで優良にWi-Fiのアクセスポイントとパスワードを教えていた。
皆の方も疲れも溜まってきたし少しくらいはいいんじゃないかって空気になってきている。
私もちょっとだけなら……なんて誘惑に負けてしまう。
さっそく優良が電源を繋いで、パソコンを起動。
優良のパソコンの壁紙は二次元の萌え絵だったようで、イケメンが子犬と戯れている画像が目に入る。
そのままカーソルを動かして、ショートカットをクリックしていた。
ゲーム起動画面で優良がアカウントIDとパスワードを打ち込むと、【ドラゴン・オブ・ファンタジー】のスタート画面が表示された。
「カナデさんインしてる?」
「城塞都市にいるみたい」
優良が素早くキーボードにチャットの文字を打ち込んだ。
現実で見る他のプレイヤーのプレイ画面ってなんか新鮮。
動画投稿サイトで攻略動画を見るのとも違った面白味があった。
『こん~』
するとカナデさんから返信がやってきた。
『こんばんは、今日は人少なくて寂しいですね~』
勉強会に関しては知らせていないので当然だけど、カナデさんは私たちが一緒に居るとは思ってないらしい。
すると百合が背後から優良の肩を叩いた。
何やらあくどい顔をしている。
「ちょっとだけ私のことアピールしてくれない?」
「アピール?」
優良が小首を傾げた。
「こういうのは地道な積み重ねが大事なんだよ。前やったイメージアップ作戦みたいな感じで私のこと褒めちぎって欲しいの」
「うーん」
しかし、首は縦には振られなかった。
まあ優良は結構律儀なところあるからね。
自分から何の理由もなく嘘を付くのは抵抗があるのかもしれない。
普段の天然行動も決して悪気があったりするわけではないし、基本いい子なのである。
「じゃあ本当のことだけでもいいから!」
百合が「お願い!」と、手を合わせて優良に頼み込む。
それを見た優良がようやく頷くと百合がガッツポーズをして喜んだ。
大丈夫かな……オフ会前に私が怖かったのは優良の天然行動だ。
作戦自体はいい手だとも思うけど、どうなることやら。
カタカタと優良がチャットを打ち込む。
『カナデ~』
さっそく個人チャットでカナデさんに【ゆーら】が発言する。
『りんりんってね、凄い映画好きなんだよ』
『映画ですかー、ジャンルはなんでも見るんですか?』
『男の人と女の人が絡み合う大人のラブストーリーが好きなんだ~』
「そおおおおいっ!?」
すぱーんっ!
百合が教科書を丸めてチャットを打った優良の頭を引っ叩いた。
「ご、ごめんっ、違ってたっ!?」
「違ってないよ! むしろ1ミリも違ってないからマズいの! ていうかなんでそれ言おうと思ったの!?」
確かに否定できる要素はないけど、さすがに気の毒すぎた。
カナデさんは笑ってくれているけど百合は「フォローしてぇぇっ!」と、焦ったように優良の肩を掴んでいた。
「で、でも映画好きは異性には好印象だってネットで」
「AV好きとか好感度が地に落ちるよ!」
「かなりぼかしたけど……」
「そのまんまだったよ!? お願いだから誤魔化してえぇ! じゃないと積み上げてきた清楚なイメージがあぁぁっ!!」
そんなイメージ最初からないと思うけど……
もしそうだと思われててもさっきので完全に崩壊したんじゃないかな。
同情的な視線が百合に集まる。
ガクンッガクンッと揺らされながら優良が再チャレンジ。
『ごめん間違えた。りんりんって本当は映画なんて見ない普通の子なんだよ』
『え、そうなんですか?』
『うん、リアルではそんなにエッチじゃないんだ』
絶対無理がある。
AV持ってない女なんてこの世にいないと思うけど。
でも男の人にとっては良いことなのかな……?
カナデさんだって抵抗が少ないだけで、まったくないってわけではないと思うし。
『そうだったんですか……チャットHも実は無理させちゃってたんですかね……』
『うんうん、あんまり誘わないであげぐぇえrr』
優良が続けて打ち込もうとしたところで百合が羽交い絞めにしていた。
変なところでチャットが打ち込まれておかしなことになっている。
「優良、違うの……そうじゃないの……もっとこう……私のプラスになるようなことをね?」
「えっと? やっぱり変態だって言えばいいの?」
「いや、変態じゃないって言ってほしいんだけど、その上で私への好感度を上げつつチャットHはまたする方向に持って行ってほしいの」
「そ、それは難しいよ~」
そう言いつつも話題を修正。
結局百合はいつも通りのキャラだということで落ち着いた。
そうして三度目の正直。
百合が指示を出して、それを間違えないように注意しながら優良がチャットを打ち込んだ。
『リアルでは可愛い見た目してたりするんだよ~』
今度は上手くいったようだ。
ちなみに普段の言動から騙されそうになるけど本当のことだ。
百合の見た目は、美少女と形容しても間違いのない容姿をしている。
『おーそうなんですか。またオフ会する時が楽しみですね』
それを見た百合が今度は、ぐへへ……と気持ちの悪い笑みを浮かべてゴーサインを出していた。
ぐへへって……
『髪もサラサラなんだ~』
『凄い褒めますねw』
だけどそんなリアルの百合のことはお構いなしにチャットは進んでいく。
イメージアップに繋がってるかは分からないけどマイナスイメージにはなっていない。
うーん、やっぱり私のことも頼もうかな。下準備も大事だよね。
印象操作ってずるい気もするけど、恋愛にだってそういう搦め手は必要なのかもしれない。
いざって時に後悔なんてしたくないし……
チラッと視線を向けると優良の背後で百合がうんうん、と満足そうに頷いていた。
『りんりんさんって何気にスペック高い人ですよね。一緒に居たら楽しそうですし』
『うんうん』
いつの間にか百合はクッションに顔を埋め、ハァハァと生温かい呼吸音を立てながらうつ伏せに倒れていた。
もしかして興奮してる……?
興奮するのは分からないでもないけど、ここまでなるかな普通……
だけど基本的に褒めてるのは優良の方だけど、カナデさんも相槌で褒めてくれてるし、ちょっと羨ましい。
けど心配になるくらい呼吸を荒くする百合は大丈夫なのかな……まぁ、百合だしいっか。
「百合が気持ち悪いことになってきたぞ」
「体から変なクリーチャーとか生まれてきそうですね……」
現実世界のこっちでは散々な言われ様だった。
そんな時、私のスマホにLEINの通知がやってきた。
優良とチャットをしているはずのカナデさんからだった。
なんだろうと思い見てみるとそこには――
『クロロンさん、生命のシルク集めに行きませんか?』
チャットをしながらとはなかなか器用な……と思って優良の方をチラ見すると、どうやら装備の作成素材を調べているらしい。
なるほど、カナデさんとのチャットは一旦中断してるのか。
皆が作りたい装備のことでワイワイとしている後方でカナデさんへのメッセージを作成した。
『ごめんなさい。実は今度テストがあるのでその勉強をしてまして』
『あ、そうなんですか。それは大変そうですね』
特別なことなんてない普通の会話だけど、カナデさんと話してるだけで幸福感が胸を満たして表情が緩んでしまう。
やっぱり私この人のこと好きなんだな~なんてちょっぴり気恥ずかしいことを再認識。
『また行ける時にでも遊んでやってください』
『了解です。テストが終わったらぜひ』
ニヤニヤと緩む口元をなんとか引き締めながらカナデさんとLEINでのやり取りをすることしばらく。
「百合~そろそろ勉強に戻るよ~?」
百合を揺すって起こしてる……けど復活にはまだ少しだけ時間が掛かりそうだった。
「体の震え方が妙にリアルで嫌なんですが……」
皆はもうそろそろ勉強しようか、なんて空気になっていた。
百合は興奮によってうつ伏せで小さく悶えるというよく分からない状態。
私もカナデさんに『そろそろ勉強に戻りますね』と、伝えてスマホの電源を……そう思ったところでもう一つメッセージがやってきた。
もしかしたらカナデさんからの応援メッセージかな?
カナデさんから頑張れと一言貰えるなら私はどんな無茶だろうと出来る気がする。
少しだけ期待にソワソワしながらメッセージを開いた。
『あんまり無理し過ぎないで下さいね』
◇
「おい、なんか加恋も同じことになってるんだが」
「……この症状って伝染するの?」
「何それ怖い」