1
フェイトは混乱したまま、その意識を鈍らせていた。
何故あったばかりの相手に、自分を否定されなければいけないのか。
彼女は、何故こんなことを言うのか。
多くの疑問も、次の瞬間には消えていくようだった。
それほどまでに、首を締め上げる力は凄まじかったのだ。
ぼやけていく視界の向こう側、何故か怖い顔をした母親の顔が見えた。
記憶の中では優しく微笑んでくれているのに──
今は、一度たりとも笑ってくれたことはない。
何かあれば、厳しくフェイトを〝しつけ〟した。
それを甘んじて受けているのも、ひとえに母のことを信じているから。
なのに。
「かあ、さん……。どうして……」
その時のフェイトには、かすれた声でつぶやくが精一杯だった。
しかし、それで十分だった。
その言葉に、少女はフェイトから手を離していた。
フェイトは真っ青な顔ながら、大事はないようである。
「馬鹿な……。なぜ私は……」
顔を押さえながら、少女は一人身悶える。
主を思い、自分を罵倒する使い魔の声などまるで耳に入らない。
あの少女の主張に、どうしてこうまで激昂してしまったのだろう。
自分が自分で不可解だった。
混乱しながら、少女は去って右手を振った。
それを合図に、フェイトたちを拘束して神器の鎖が消え去る。
「てめえ……! よくも……!」
ゲホゲホと咳き込んでいるフェイトを気遣いながら、使い魔が吼えた。
うるさい犬だ。
少女はそう思いながらも、掌中にあったものをフェイトたちにほうった。
種の名を持つ宝石、ジュエルシード。
光りながら宙を舞うそれを、キャッチしたのは使い魔ではなくフェイト。
「……あんたらがそれを必要としているのなら、手助けしてもいい」
乱れた髪を直しながら、少女は言った。
「どういうこと……?」
ジュエルシードを確認しながら、フェイトは用心深い眼差しで言った。
「そのジュエルシード、番号らしいものが確認できたわ。ということは、そのロストロギアは
一つではなく、複数存在する。違うかしら」
「……そうよ」
フェイトは肯定する。
「残るジュエルシードは見つけ出すのを、手伝ってあげる。その代わり……」
条件を出そうとする少女を、フェイトと使い魔は鋭い目で睨む。
当然だろう、自分を、自分の主を唐突に絞殺しようとした相手だ。
「プレシア・テスタロッサに会わせなさい。それが条件」
「そんなこと……!」
「言っておくけど──」
フェイトが叫ぼうとした時には、少女は彼女の眼前に移動していた。
転移魔法ではない。
しかし、瞬間移動したとしか思えない機動性だった。
「これは提案でも、相談でもない。命令よ」
冷然とした声で言い放つ少女の手には、フェイトのデバイスが握られていた。
一体いつどのようにして奪ったのか、フェイトには全くわからない。
「返して……!」
フェイトが手を伸ばそうとした時、少女の姿はかき消すように消滅する。
<ジュエルシードが集まり次第、連絡する。デバイスも、その時に返してあげる>
声をなくすフェイトに、無機質なが冷酷につげた。
「くっ……」
愛らしいに似合わない形相で周囲を睥睨したフェイトだが、やがて力なくうなだれる。
「ふぇ、フェイトぉ……」
それを慰めるように抱きしめる使い魔。
二人に残されたものは、一方的に投げ当たれられたジュエルシードただ一つのみ。
「どうしよう……アルフ。バルディッシュを……」
「今は出直して、改めてあいつを探そう? それに、フェイトはここ連日無理のし通しだろ。
そんな状態じゃ、勝てるものも勝てなくなるよ」
そう言ったものの、アルフはあの黒髪の魔導師に勝てるという確証を持てない。
野生の勘ともいうべきものが、相手の危険性を察知していた。
2
夕暮れ時、海鳴市の浜辺を少女は一人歩いていた。
服装も、人目につくようなバリアジャケットではなく、そこらの店で買えそうな無難なもの。
手には、先ほど手に入れた複数のジュエルシードがある。
やってみた結果、ジュエルシードの探索は一日もかからなかった。
探索用の宝具で場所は容易に知れたし、小間使い代わりとなる宝具もあった。
答えのわかっているパズルを解くよりも平易な作業だ。
十数個のジュエルシードが手中にあるが、これで全てではない。
フェイトの持っているものの他に、他の探索者が持っているものが。
すぐにでも、取りに行くか。
一瞬そう考えた少女だったが、行動には移さなかった。
何となく、気疲れがしている。
それに──
「フェイト……」
出会ったあの魔導師の少女が、頭から離れない。
しかし、同時に彼女の拒絶したい自分がいる。
その感情の正体がつかめず、自分でもひどく気持ちが悪かった。
どこかで身を休めたい。
少女はまた宿泊施設の宝具を取り出そうとして、やめた。
考えてみれば、何故こんな根無し草みたいなことをしているのか。
自分には家があるはずなのに。
どういうわけか、帰るという選択肢さえ浮かばなかった自分の家。
しかし、記憶の中には家族と過ごした記憶がまったくない。
これはどういうことだ。
不思議には思うが、特に感情が揺さぶられることもない。
そのため、かえって余計気にかかってしまう。
「帰ってみるか……」
一人つぶやき、少女は転移魔法を使用した。
特に障害もなく、少女は問題なく自宅へと戻ることができた。
海鳴市内の中では、やや郊外に位置する場所に立つこじゃれた高級住宅。
それが、少女の生家。
しかし目の前で家の様子を見ても、何も感じることはなかった。
人が踏み込んだような形跡はあるが、荒らされたという感じではない。
察するところ、警察だろうか。
それでも臆することもなく、少女は中へと入った。
中は、こざっぱりとした清潔な部屋ばかりだった。
家具も生活用品、嗜好品もすべて一流品ばかり。
一応記憶の中にあるものと、何も変わりはない。
しかし、それがどうにもおかしかった。
豪邸と呼んで差し支えないほど大きく立派な家だが、少女の──九頭竜隼人の暮らしていた
ことは記憶でも、間違いはない。
しかし、中の様子からして隼人以外の人間が住んでいた形跡がなかった。
記憶を探って一人で過ごした形跡しかないので、間違ってはいないのだが。
隼人はいくらませていても、まだ九歳の児童である。
そんな子供を一人暮らしさせる親がいるのか。
仮に親がいないにしても、保護者が一緒にいるはずではないのか。
アメリカなどでは、子供だけで留守番させていれば犯罪となる。
「なぜ、親がいない……」
ずっと住み暮らしてきたはずの場所を歩みながら、少女はつぶやいた。
記憶の中に親は、いなかった。
しかし赤ん坊が、幼児が、一人でどうやって暮らしてきたのだ。
探る記憶の中では、世間的な『大人の役目』を果たしてきたのは、
「……宝具?」
人とそっくりの形を自動人形たちが、黙々とそれをこなしてきた。
赤ん坊であった頃の世話も、保護者代理の役目も、すべて。
戸籍上の親は、いる。いや、いたことになっている。しかし、その記憶はない。
生まれた直後か、それともいくらかたってかは知らないが──すでに死んでいる。
そういうことになっている。
「私は、だれ?」
頭を抱えて、いつしか少女は座り込んでいた。
瞳を閉じた闇の中を、記憶が走る。
私は──いや、かつて少女であった誰か転生と、それに伴う贈り物をは望んだ。
それは、かなえられた。
美しい容姿と、完璧な肉体。強大な魔力と、英雄王の財宝を。
だが、それだけか?
「違う……」
少女は、首を振った。
深い深い記憶の中──誰かが自分を見ている。
両親でもなく、自分を生まれ変わらせた何者かでもない。
紫の髪をした美しいが、どこか不気味な青年。
青年は、狂気を宿した目で笑っている。
危険を感じた。だから、逃げ出した。
逃げた。
自分を創った場所を破壊して、自動人形たちに守らせながら。
そして、前世の故郷でもある地球へ。
以降の記憶は、先に思い出したものとあまり変わりはない。
赤ん坊の頃から、すでに生前の記憶を持っていた。
早熟というよりは、ミュータントのような赤ん坊。
しかし、この家には恐れる肉親も他人もいない。
前世とは異なり、魔法や異世界が存在する夢満ちる場所。
ここで、彼はやり直そうと思い、行動した。
止められる者は、誰もいなかった。
だが、あの時──
自分の中で、別の誰かが動き出した。
ずっと、気がつかなかった。
そのせいで、あんなことに。魔力の暴走で、錯乱しかけて傷を負う。
意識を失って、その後は。
今や、
かつて、九頭竜隼人であったものの〝大よそ〟は、
食い尽くされた。
「だったら、私は……」
いつの間にか立っていた洗面台の前、鏡を見ながら少女はつぶやく。
鏡の中からは、困惑した美しい顔が自分を見返している。