1
果たして、兆候はあったのか。
冷水で満たした浴槽の中、少女は考える。
今にしては思えばではあるが、あったように思う。
そして、それは魔力を使えば使うほど増えていったのかもしれない。
だが、九頭竜隼人という力におぼれた驕慢な人格は、そのことに気づきもしなかった。
ならば。
浴槽から上がった少女は、丁寧に体を拭きながら笑う。
これもまた今となってはだが、良かったのかもしれない。
魔力も、身体能力も、英雄王の財宝も、
少女は冷笑して、バリアジャケットをまとう。
ならば、当面の問題は『私』のこととなる。
封印状態にしたフェイトのデバイスを見ながら、少女は唇を引き締める。
九頭竜隼人に成り代わった自分が何者であるのか、それはきっとあのフェイトという少女が
握っている。
いや、彼女の後ろにいるプレシアという女が握っているのだ。
ならば、手早くジュエルシードを集めて会いに行かねばなるまい。
庭に出た少女は、銀に輝く聖杖を
偉大なる古代の魔術師が振るった杖。
ミッドチルダ式の魔法でも、充分に威力を発揮してくれるだろう。
そして、少女は跳んだ。
目指すは場所は、残るジュエルシードを持つ未熟な魔導師の住処。
高速で飛行魔法を展開する中、少女は考える。
何故わざわざジュエルシードを集める必要があるのだろう、かと。
自分の持つ宝具ならば、相手の居所を突き止めるなど容易い。
わざわざフェイトを介する必要性などあるものだろうか。
約束をしたから? いや、違う。
「母さんが必要としているから」
フェイトはそう言った。
どうも自分は、よくわからぬうちにプレシアのために行動しているのでは?
そんな疑問がチクリと、夏場のやぶ蚊みたいに胸を刺す。
だが、それもすぐにどうでも良くなった。
いずれにしろ、ジュエルシードはこの地にあるべきではないものだ。
ならば、事情はどうあれ早急に封印することに間違いはないのだから。
少女は好戦的な笑みを浮かべ、夜の空を稲妻のように駆けていく。
2
それは、まさに突然の出来事だった。
塵芥の舞う、歪んだ視界の中で高町なのはは必死でユーノに呼びかける。
<ユーノくん、何が起こったの?! まさか、ジュエルシードの、暴走……?>
<逃げて……。誰かが、襲ってきたみたい、だ……>
苦しげな念話だけが伝わってくるが、相棒の姿は確認できない。
放課後と共にジュエルシードを探索したが、街中をあちこち飛び回ってもジュエルシードは
一つも見つけることはかなわなかった。
また、あのフェイトという女の子と会うこともなかった。
寂しそうな瞳をした、ほっておけない女の子。
もう一度きちんと話をしたいと思っている女の子。
何も進展がないまま日が暮れて──
沈んだ気分で夕食についた時、いきなりそれは起こった。
閃光が走り、頭の中でユーノの絶叫が響いた。
「なのは!」
そう叫んだのは、姉だったか。それとも母だったろうか。
ざわりと、なのはのが全身が総毛だったのは立ち上がった直後だった。
立ち上がろうとするなのはの前に、黒い影が降り立った。
「あ……!」
一瞬、あのフェイトという女の子かと思ったなのはだが、すぐに間違いだと気づく。
そこにいた、黒い髪をしたフェイトとはまるで違う面立ちの少女。
しかし、何故だろうか。どこかフェイトと似ているような気がした。
「ジュエルシードを渡しなさい」
そう言った黒い少女は、返事を待つ気もないらしく、いきなりなのはをつかみ上げる。
「なのは!」
横から、父の叫びが聞こえた。
しかしどういうわけか、いつまで経っても助けは来ない。
苦しい息の下、なのはは必死に目を走らせる。
もはや原型をとどめていない部屋の中、父も母も、兄も、姉もいた。
しかし、みんな紫の光輪によって縛され、動きを封じられている。
父も兄も見たこともないような顔で呪縛に抗っているが、進展はない。
「みんなに、何をしたの……!?」
圧倒的に不利な、もはや敗北と言ってもいい状態にありながら、それでもなのは叫ぶ。
この理不尽な乱入者を、許すことはできなかったから。
が、少女は手早くなのはの体をまさぐり、待機モードのレイジングハートを取り出す。
「この中のようね」
赤い宝珠を見つめながら、黒い少女は黄金の輪を呼び出す。
そこから、銀色に輝く鍵のようなものが出現した。
途端にレイジングハートから、複数の青い宝石が浮き上がり出す。
「ジュエル……シード! あなたも……」
フェイトと同じように、これを求めているのか。
「はなして……! それはユーノくんの……! どうして、こんなこと」
なのはの叫びに、黒の少女は聞こえていないような態度だった。
「これで、全部」
少女は満足そうにうなずいた後、レイジングハートを放り捨てる。
次に、なのはから手を放した。
「待って! 話を……」
投げ出されたなのはは、それでも床を這いながら少女に叫ぶ。
しかし、黒い少女はなのはたちに一瞥もせずに、突如として消えた。
それが魔法の力によるものだと理解したのは、なのはだけだったろう。
少女が消え去った数秒後、高町家の人々を呪縛して光の輪が、消失する。
「なのは、なのは……! 大丈夫!?」
途端に母がなのはに駆け寄り、その小さな体を抱き寄せる。
「う、うん……。お母さんは……」
なのはは虚脱した表情ながら、母を気遣う言葉をのべる。
だが、その口調にはまるで力がなかった。
短い期間ではあるが、なのががユーノと一緒に懸命にやってきたこと。
それらが、強大な暴力とすら言いがたい力によって、踏みにじられた。
あの少女と、自分の間には超えがたい巨大で分厚い壁がある。
虚空に手を伸ばすなのはに、
<なのは……無事、なの?>
苦しそうなユーノの念話が届く。
<ごめん……。ジュエルシード、取られちゃったの……>
<いいんだ。なのはが、無事なら……>
<ユーノくんこそ、大丈夫なの……?>
答えは、なかった。
代わりに、なのはの元に一匹のフェレットがフラフラと走りよってくる。
どうやら、大きな外傷はなさそうだった。
──良かった……。
友人の無事を確認して、なのははゆっくりと意識を暗い底へ落としていく。
「なのは……なのは!」
叫ぶ母の声も、なのはにはひどく遠い世界のものに思えた。
──どうして、こんなことするの……?
闇の中、高町なのはの眼は黒い少女の背中を見ていた。
3
「うそ……」
空中に舞う青い宝石の群れを見つめて、フェイトは呆然としていた。
後ろに立つアルフも、同じような表情をしていたに違いない。
「これで、あなたの持つものと合わせれば21個。全てそろったわ」
黒い少女は、宝石を舞わせながら鋭い瞳で語る。
一日、いやわずか半日。
それだけの時間で、彼女は本来自分がやるはずだった仕事を完遂した。
まさに、
「こうなれば、どうせ母……プレシアのもとに行かねばならない。その時に私を同行させる」
少女は宝石の一つを手に取りながら、フェイトを見る。
その瞬間、フェイトはまるで母が眼前に立っているような気がした。
もちろん前にいるのは、名も知らぬ魔導師の少女。
「…………」
それでも、いや。だからこそか。
フェイトは返事ができずにいた。
目の前にあるジュエルシードが喉から手が出るほど欲しい。
だが、この得体の知れない少女の姿をした怪物が、母に何をするのか。
もしも、そうだとしても自分には止める力も手立てもないのだ。
「前にも言ったけど」
ゆっくりと少女が目を細める。
途端に、無数の黄金の渦がフェイトとアルフの周囲を覆いつくした。
渦からは、剣、槍、斧、あるいは鉄棒や鈍器の類が凶悪な顔をのぞかせる。
「これは、命令よ。」
「ひとつだけ、約束して」
「なにかしら」
「何があっても、母さんに……手を出さないで」
ギュッと拳を握り、フェイトは振り絞るようにそう言った。
「いいわ」
少女は、それにうなずいた。
「そんなことでいいなら、誓ってあげる。あなたの母親に害をなすことはしない」
すらすらと、そんな言葉を並べ立てた後、
「もっとも、あなたの安全は保障しかねるから、妙な行動はしないことね」
「お前!」
少女の冷淡な声に、アルフは牙をむく。
だが、当のフェイト本人は起こるどころか、満足そうに首を縦に振っていた。
「それで、いい。母さんが無事なら……」
健気な。
人は、こんなこのフェイトという娘に感想を抱くだろうか。
少女は微かな苛立ちと、衝動を抑えながら疑問に感じた。
頭の片隅で、遠い過去の記憶がわずかに頭を見せる。
10歳かそこらの少女にとっては、5年10年前ははるかな古代だ。
人口の子宮とでもいうべき設備の中、特殊な溶液に浸っていた自分。
自分を、おそらくは
あの青年の名前は、何といっただろう。
それがまだ、少女は思い出せずにいる。
プレシア・テスタロッサに会えば、それもハッキリするかもしれない。
そして、この