しかし劇場版0見に行ったらインスピレーションドバドバになったので帰ってくることが出来ました。
年明けには間に合わなかったよ……
『白痴』
・知能程度がきわめて低い者。 痴れ者。
▽
白痴の魔王、と呼ばれるモノがあった。
単体でソレを指し示す固有名詞は無い。
ソレをただの一言で言い表すことは何人にも不可能であり、ソレは幾つもの言葉を連ねてようやく理解出来たような錯覚を得られるのだ。
しかしてソレを表すのにこの世で最大限近しい言葉をひとつ、一方的に借り受けるとするならば、やはり『万物の王』が最もふさわしいだろう。
ソレは人間ではない。
ソレは動物ではない、生命ですらない。
無能ではなく、有能でもなく、ただ在り続ける概念を超えたナニカに他ならず、またそうでは無いとも言える。
ソレは踊り続ける踊り子達と不協和音によって絶え間なく眠り続け、今日も明日も、未来永劫眠り続けなければならなかった。
──そう、
ほんの一瞬、ただの一瞬、夢の中で目覚めたのだ。
夢を見ながら、夢の中でその魔王は目覚めたのだ。
踊り子達や不協和音に何かしらの不備があった訳では無い。億千万分の1にも満たない可能性が作用して奇跡という事が起こった訳でもない。
そして同時に、魔王は本当に目覚めた訳では無い。
あくまで"夢の中で"目覚めたのだ。
夢の中で自己という存在を認識し、感情を持ち、智恵という産物を身に付け、肉体を是として確立したのだ。
それは確かに人間と言えるだろう。
これまでありとあらゆる物を創造してきたソレが、遂には自分の夢に『人として産まれた自分』を創造したのだ。
自らが見る夢という名の現実世界に人間として産まれた。というのはソレにとって何とも不思議な感覚だった。
自分が原因で存在している世界に、いわば自分が作ったフルダイブ型オープンワールドゲームに、自分が一人称視点でキャラクターとして存在しているようなものだったからだ。
そしてキャラクターとしての自分と、外側で眠っている
なにせ自分が2人いたのだから。
そして『ただの人間』であるソレからして、その世界は驚きの連続だった。
もちろん自分が創ったアレコレ故に全く知らないという事は無い。だが当然ながら、知っているのと体験するのとでは感じる情報量に天と地ほどの差があった。
最初に手に入れたのは『感情』である。
赤子になったソレは産まれた直後に泣きじゃくったのだ。呼吸もままならず、胎内から外界への急激な環境の変化に適応できず、不安と恐怖に押し潰されそうになって、泣いたのだ。
それから安堵を得た。
複層に重ねた磨りガラスのように霞んだ視界の中でも、母親に抱かれ安堵した。
そしてその時ソレは判断した。
外側で眠っている自分を主とするのではなく、今こうして赤子である自分を最も優先順位の高い自分とするのだと。
ただ眠り続けているよりも、こちらの方が格段に素晴らしいものだと知ったからだ。
結果として万物の王は、暫しの間その冠を脱いだ。
そうして自ら冠を脱いだ王は、この人生をとにかく楽しむことに決めた。
埒外の存在であった自分が人間になり、王であった自分が民としていられるこの時間を、人間という定命の存在だからこそ楽しむことに決めたのだ。
だがそうした時に最も弊害となるのが、皮肉にも王の臣下である自らの子供達だった。
自分からすれば夢の世界とはいえ、同時に現実世界でもあるこの世界に子供達はやろうと思えばいつでも割り込んでくることが出来る。
夢を媒介にしたり、直接来たり、冒涜的な愚者共によって呼ばれたりなど、とにかく自分が居ることが知れれば子供達が勘づいてやって来ることは間違いなかった。
王の休暇とも呼べるたった数十年の時間を、例え子供達といえど邪魔されたくはないのがソレの心情である。
それは未だに変わらない。
故にソレは、現実世界に存在する人間の自分が主であるのはそのままに、外側の自分との間に在ったへその緒のような繋がりを最小限に絞り、自分でも自らが何者だったかという事を忘れる事で、対策とした。
結果的にそれは成功した。
数%を残して人間となったソレは人生を謳歌し、誰の邪魔を受ける事もなく可能な限りの全ての事柄を堪能し、理解し、時に忘れ、時に感情に身を任せ、
時に恋を知った。
だが、その人生も短い内に終わった。
ただ友人と失恋話を面白おかしく笑いあっていた時に、不運にも車に轢かれて、死んだ。
他愛のない事故である。
運が悪かったこと以外、原因のない事故だった。
親愛なる友人も、目の前で息絶えた。
お互い一緒に車と建物の壁の間で押しつぶされて、友人は自分の方に手を伸ばしたまま息絶えた。
時同じくして、白痴の魔王の傍らに控えていた臣下は、これまで冒涜的な言葉を吐き散らして玉座に寝そべっていた王が、嗚咽するように泣いたのを見た。
王は泣いた。
王であった人間も泣いた。
もはや魂が肉体から離れ、その世界の神という存在の意思によって世界の輪廻に加えられるその時も、泣いていた。
そして悔いていた。
自分にもっと力があれば死なずに済んだのではないかと、せめて友だけでも庇う事が出来たのではないかと、自らを責めた。
死によって魂だけとなり、その瞬間になって自分が何であったのかを思い出して、そして自分ならそうならずに済んだのではないかと、人らしく、醜く嘆いた。
もっと力があれば、
もっと強くあれば、
せめて自分がもっと、もっと──
王は憤慨した。
この結末に、運命に、そして何より自分に。
故に王は決意した。
次は何一つとして奪わせないと。
そして、王は世界をやり直させた。
人として産まれる自分は自分を忘れ、自分との繋がりは細い。という条件は変えず、いざとなれば夢から醒めてその世界を強制的にやり直させるという方法を思いついたからだ。
そうして何度も『自分』に産まれ直して、同じ人生を歩もうとした。
しかし何度やり直しても元通りにはならなかった。やり直す度に世界が変わっていった、それこそ大小様々なものが変わっていった。
人が変わり、物が変わり、呪いが生まれ、やり直す度に肉体が変わり、そして何度やり直しても失った友は居なかった。
それでも止めず、やり直し続けた。
なんとも強欲で自分勝手なことだろう。
だがそれでも、王は自分の夢を見たかったのだ。
何故ならあの世界は、どうしようもなく輝いていたのだから。
なんてことない日常も、たまに買って食べた分厚いコロッケも、申し訳なさそうに謝る彼女の顔も、あの時笑いあった友の顔も。
たとえそれらを経験した世界と、今自分がいる世界が異なるとしてもそれは変わらない。
そして何度も世界を繰り返していく内に、座標も何も無かったはずの白痴の魔王が存在する世界は、結果的に自分に転生した人間である王が存在する世界の下に来ていた。
これは人間となった王が単なる夢だったはずの世界に入れ込み、白痴の魔王としての自分を完全にサブアカウントとして認識したことが原因である。
この時には既に2人の王は『
そして世界にとって、それは一種のバグである。
そのバグは世界に対してだけではなく、事の原因でもある王にも影響を与えた。
王の行いの影響が促進剤となって、その世界には『呪い』や『呪霊』、それに対する『呪術師』などが発生したのだが、そのバグによってただの人として在った王にも同様の力を与えたのだ。
それまで新しい世界でも人として生活し、何度も友を失い、または家族を失い、大切な人を失い続けてきた王にとってそれは、可能性の塊だった。
この力があれば、あるいは誰も失わぬ世界を模索することが出来ると確信したのだ。
そして一人につき1種類となる『術式』というものは、もちろん
①その世界の王の体の術式。
②前世から『俺ちゃん』口調が抜けない王の術式。
③これらと繋がる白痴の魔王の術式。
結果論ではあるが、要は『
3人分の
──①と③の効果と結果を簡潔に語ろう。
①の術式は『影鰐』術式。
効果としては、自分のシルエットをした呪力の籠った分身を生成する。総合出力は本体の40%に設定され、自由に操れる。
スタンド(仮称)の効果が重複可能なため、通常時は全身黒づくめのシルエットな分身を好きな姿に変更可能。分かりやすく言うとガタキリバが出来る。
発動方法は手を叩くこと。
複数同時召喚も可能。召喚数による出力の増減は無く、手を叩いた回数と出現数は比例しない。
凶悪な攻撃効果を持つ。
③は『夢の可能性』の術式
とうに下地として世界に染み込んだ白痴の魔王としての自分の世界から、その無限に星のように広がる可能性から、望んだ物を現実に顕現させるもの。
最も新しい彼が『ガチャ』と呼ぶモノがこれである。
発動方法は手で円を作ること。
王は術式が手に入ってから1度目は試運転の為、記憶と理解をそのままに、不確定要素を考慮してこれまでよりも魔王の自分との繋がりを強めにして生きてみた。
途中で「夏油 傑」という男の下で傭兵まがいの事をしたり、試しに色々な縛りをつけたり、最強という呪術師と戦ったり、自分から『夢の楔〜』なんて厨二病かましたりして楽しかったが、まぁ上手くいかなかった。
最後には「乙骨 憂太」と「両面宿儺」というのに敗北し命を落とした。
不意にも戦いを愉しみ、能力頼りの黄猿のような戦い方をしてしまったのが敗因である。王はそれを反省した。
しかし人間故に、人間らしいミスを犯してしまったに過ぎない。
だからこそのトライ&エラーの繰り返しなのだ。
加えて厳密に言えば、今の王は『白痴の魔王が人間のフリをしている』というよりも、『人間が白痴の魔王と繋がっている』に近いのだから。
今の王は白痴の魔王ではない。
白痴の魔王と繋がった……白痴の魔王が最初に切り離したとも言える原初の存在。
自分を自分と認識し、彼を自分と認識し、自分もまた彼なのだと認識した果ての別存在。
人である彼に名前という物はない。
何度も世界を繰り返し、術式を手に入れるまでその度に体が変わり名前も変わってきた彼は、多くの名前を持っている。
もしそれでも人である彼を指し示す唯一の名前があるとするならば。
もし白痴の魔王『アザトース』ではなく、人である彼を唯一指し示す真の名前があるとするならば。
それは恐らく、彼があの時友に呼ばれていた名前がそうなのだろう。
だがその名前は既に忘却の彼方にあるが故に、今も思い出す事が出来ないでいる。
話を戻すが、今現在進行形の彼は幾百万にも及ぶ試行錯誤の結果に生じた、まだどうなるかも分からない新しい試みの1つである。
自分がプレイヤーになるのではなく、同じ魂の別人格を形成し、体の操作権を明け渡し、サポートに徹することで自分がプレイヤーだった時には見られなかった可能性を探る。
前例に基づいて白痴の魔王との繋がりは細くして、自分に関する記憶は思い出せないようにする。
反対に術式は使えるようにして、その行動幅と可能性を可能な限り広げた。
その結果は、最初と同じで驚きの連続だった。
幼い頃から努力を欠かさず、創作物である筈の葦名の狼に匹敵する身体能力を手に入れ、だというのに性格は真面目で不真面目。不真面目で真面目というヘンテコぶり。
早々に呪力を発揮したり、その呪力をあっという間に自分のものとしたり。
自分では見られなかった展開ばかりが続いた。
そして術式を『ガチャ』と呼称し、よりにもよってネクロノミコンを引き当て、偶然にもニャルラトホテプが介入してきた。
それには飽き足らず様々な能力を持ったアイテムや、星の娘の先触れという上位者の眷属そのものを引き当てたり、世界を崩壊させる力を持った崩玉などなど。
本当に見ていて飽きなかったと言える。
そうして結果的に、王は『見る側』に戻り、常に傍で彼を見守り、いざという時には表に出てでも彼を守ろうと思っていた王は、しかしある時その考えを改める事になった。
それは彼が特級相当の呪霊の攻撃を受けて気絶し、目を覚ました時の事だった。
彼の仲間が……否。
彼を知って間もない筈、仲間とも言えない筈のの「虎杖 悠仁」という青年が、彼を身を呈して守っていたのだ。
王にとってそれは、初めて見る光景だった。
王は今まで誰かを失う度に世界を繰り返してきたが、その前には必ずその誰かを"守ろうとしていた"。
だって自分が守る側なのだから。
奪われるのが嫌で、失うのが嫌だから、自分が守らなくちゃいけないんだと思ったからこそ、ずっと守ろうとしてきたのだ。
だから誰かに危機から守られたことなんて言うのは、本当に無かった。
だがあの虎杖という青年は、彼よりも明らかに弱くて、敵よりも弱くて、心の中で怖がり続けているというのに、彼を守った。
だからそれを見て王は、ふと考えた。
──彼は、どうだったんだろう。と
一番最初の、一番大事な記憶に居たはずの親友は、どう思っていたんだろう。
あの時車に轢かれて、自分と一緒に建物との間で押し潰されていた彼が……微かに残っている記憶の中で、確かに自分に向けて伸ばされている手は、どういう意味なのだろう?
もしかしたら、いやきっと……それは彼を守る虎杖悠仁と、彼が釘女と呼ぶ女性を安全な場所に押し込めた時に抱いた感情と同じモノなのだろうか。
──ただ、『守らないと』と。
親友のそれは確かではないが、今こうして観測している彼らのそれは、力が有るとか無いだとかそういう事は関係なく、ただ自分よりも相手を優先しただけなんだろう。
けれどそれは、自分が自分の為に相手を優先していたこれまでの何よりも、どうしようもなく輝いていたのだ。
──故に王は、理解した。
一番最初の人生は、紛れもなく自分の人生だった。
だがそれから後の人生は違う。自分の我儘で誰かの人生を侵し、自分の思い通りにしようとしていただけなのだ。
そして自分の人生は、自分だけのものだ。
だから自分の人生は、もうとっくの昔に終わっている。あの時親友と一緒に、終わっている。
彼の人生は、最初から最後まで彼が決めるべきだ。
──故に王は、彼の傍を離れた。
自分という存在がただ彼の邪魔にしかなっていないのだと理解して、彼の魂の横を離れた。
繋がりを絶った訳では無い。
埃で覆われていた冠を被り直し、また智恵の無い白痴の魔王に戻り、ただ人間の手をとった。
この先の未来も知らぬ、なんの邪魔もしない、ただ力を貸す観測者としての立ち位置に収まっただけ。
それは規模的に見れば単に夢の中で夢を見ていた者が夢から醒め、また夢を見る存在に戻っただけ。
なんの支障もなく、影響もなく、それが原因で世界に変革が起こるだとかそういう事は全く無い。
誰も知らぬ内に、誰もが知れぬ内に全てが始まって終わり、元通りになっただけ。人々の日常は今日も明日も滞りなく続いていくだけのことだ。
だがこの時ようやくもって、王はあの時親友に呼ばれていた名を、思い出す事が出来たのだ。
そしてそれは間違いなく、彼に変化をもたらした。
彼からすれば、単に今まで邪魔をしていた何かが居なくなっただけに感じただろう。
彼は自分が過去に何者であったのかを知ることは無い、彼はこれまで通り自らの意思で行動し、自らの行動によって何かを得て、何かを失うのだ。
どうしようもなく、人間らしいが故に。
だからこそ、白痴の魔王はその全てを一喜一憂しながら見守るだろう。
その行く末に、溢れんばかりの
たった今この瞬間から、彼の魂が本来の輝きを取り戻すのだから。
彼の術式は『感情』に起因する。
それは王が最初に手に入れたもの。
最初から最後まで、結局手放す事がなかったもの。
呪霊と呪術の渦巻くこの世界において、呪術師は負の感情をを原動力に戦う為、その術式が『感情』に起因するのは何らおかしな事ではなく、むしろそうでなければ有り得ない当然の事である。
しかしそうではない。
彼の術式は感情に起因し、感情に『影響を与える』。
彼の術式は、
『自分を含めた対象の感情の正負を操る』
である。
相手が呪力を用いるために無意識下で維持する負の感情も、好きなタイミングに正の感情に変化させる事で間接的な呪術の無効化を可能とする。
この術式に緻密な呪力操作の類は必要とされない。ただ負を正にひっくり返す事に、工夫など必要ない。
故に術式の順転も反転も容易。
その効果は対象との力量差や距離によって変化し、使用者が対象よりも強ければ強いほど効果は強くなり、距離が近ければ近いほど強くなる。
発動条件は『1度、相手の呪力に触れること』
発動方法は『呪力で形成した刃で、相手を斬ること』
発動条件自体は呪術戦において誰もが呪力を身に纏い戦うため、要は触れれば発動条件はクリア出来る。
しかし発動方法にある通り、
更に呪術の効果を一度使用するには第一段階の刃顕現の数倍の呪力を必要とし、効果発動中も呪力を貪り続けるが、彼が白痴の魔王と繋がっている為呪力はほぼ無限である。
彼もまた、王である故に。
▽
「アッハハハァッ!!」
臥煙が行く、臥煙であるモノが行く。
極限まで低くした姿勢のままコンクリートを蹴飛ばしながら一歩、二歩……そして三歩目で真上に飛び上がり相手である
しかしその結果は、ただ両面宿儺が寸前までいた場所のコンクリートを砕くに終わる。
「痴れ者が」
両面宿儺が眼前の男に向かって腕を振り抜く。
ただ呪力を込めた動き、それだけの事で空間が震えて竜巻のような風が吹き荒れる。
しかしその暴風は文字通り暴れ、ただ誰も居ない空間で踊り狂うだけに終わり、肝心の男に当たることは無く、男ではない
どうやらこの臥煙という男は自らの蹴りが外れたと判断するやいなや手を叩き、何かの術式を発動させて影法師を呼び出し、それを使って飛ぶように回避したらしい。という事を両面宿儺が理解する。
その証拠に呪力の残穢が左に向かって伸びており、その先に白髪の呪術師と似たような笑みを浮かべる臥煙がいる。
「術式の発動条件は"手を叩くこと"、なんでか今になって思い出したんだけどね。」
「呪術師の真似事か?不愉快だな」
両面宿儺という呪いは、とにかくこの臥煙という男が気に食わなかった。"嫌い"どころかゾウリムシがうろちょろと蠢いているのを見させられているような気分になる。
なので臥煙を殺すという事に何ら躊躇いもない。
そんなモノは必要が無いし、大抵の虫は潰すと汚れを残すから後味が悪いが、この
だから殺す。
さっさと殺して、次に女を嬲り殺す。
それからあの黒髪の男を殺す。
最後にあの白髪を殺す。
最初はどうせそうしようとする前に器のガキに邪魔をされるだろうと思っていたのだが、どうやら今はそうでもないらしいと理解していた。
両面宿儺が今さっき
恐らくは何の縛りもなく今まで自分を使ってきた反動だろうと判断し、この上なく好都合だというのが心情である。
「あぁ、本格的にやり合う前にちょっと。」
「なんだ、今更問答か?」
「いやいや問答はもう要らないよ。ちょっと──」
「──
"パンッ"と男が手を叩くと、背中合わせにもう1人の男が現れた。黒ずくめの外見からして、今さっき男が回避に利用したものと同一らしい。
一体倒してもまた同じものが現れるという事は、アレは式神の一種ではなくあの男の術式によるもの。
そしてその影は、まっすぐ特級呪霊を見ている。
その呪霊は両面宿儺が現れてから今に至るまでの数十秒間、状況と急激な展開について行けず図らずも棒立ちになっていたものである。
それを──
「……壊していいぞ。」
男の影が、一瞬でその頭を吹き飛ばした。
その攻撃は両面宿儺からすれば見える速度だったが、両面宿儺の足元更に下方にすら及ばぬ特級呪霊では見えない速度だったのだろう。
影は男との背中合わせの状態から予備動作もなく特級呪霊の目の前まで接近し、正拳突きでその頭部を破壊したのだ。
ただそれだけの、両面宿儺からすれば鈍重な動き。
それだけの動きに、特級と評された呪霊はたった一つの反応も反撃も出来ぬまま、呆気なく息絶えた。
次に影は消滅していく呪霊の体から指を回収し、男に投げると空間に溶けて消えていった。
男が影から受け取った物は紛れもなく『両面宿儺の指』、そして男は少し吟味して、持ち主に投げ渡した。
「……どういうつもりだ」
「どうも何もソレお前のだろ?俺ちゃん要らんし、持ち主に返すだけじゃん。」
両面宿儺は宙を舞ってから自分の手に収まった自分の指を見て、顬に血管が浮き上がるのを感じた。
自分で回収するつもりだったのをよりにもよって虫に回収され、あまつさえ"要らない"と投げ渡されたのは酷く不愉快である。
余興を切り上げ首を撥ねることが瞬時に脳内の行動優先順位上位に割入った。
しかし、額に浮かんだ血管を鎮め冷静になってみれば『指を食べて力を取り戻す事をしない』という事になんのメリットもありはしない。
よって数秒の思案の後、指を食した。
最終的な目標には、やはり指が必要なのだ。
「よし!じゃあ準備はいいな?」
「やるならさっさとしろ、それくらいは見てやる」
──男が、笑う。
「"そのくらい"?ハハッ、どこまでがそのくらいか試してみるか?」
空間に、呪力が満ち満ちていくのを肌で感じた。
男の周囲どころか空間全体で呪力が弧を描き、流線を描き、渦を描き、そして男に流れ込んで、男の足元から波打つように広がっていく。
いや、波打つように広がっているのではない。
本来呪力を持たない人間には見えない術式の行使が、物理現象として見えている。
そう見えるほどの呪力の量をもって、術式が展開されている。
それだけではない。
男自身から発生していく呪力が、元はといえば数秒前に死んだ呪霊の生得領域を侵食し、塗り替えていく。
主を失ったことで消滅するはずだった生得領域は、また新たな主の物になっていく。
「……ほう」
両面宿儺は、その男に興味を抱いた。
汚れた羽を持つ虫が、ふと光に照らされて一瞬美しくなったように見えたのを気にかけたような、些細な興味が湧いた。
男が笑みを浮かべる。
この上なく呪いの籠った、禍々しい笑みを。
そして膨れ上がった呪力が、領域を形成する。
影の国で、男は手で
男の右手には、月の光を帯びた大剣が。
男の左手には、ノコギリの刃を複数枚重ねたような円形の機械が、長い持ち手の先に付いているという野蛮な武器が。
「──さぁ……思う存分、呪い合おうじゃないか。」
:主人公
上位者と繋がる人間。
元アザトース(人間体)の第2人格
アザトースのお気に入り。
:白痴の魔王(アザトース)
とても人間くさくなった
いつもより少し前のめりに、夢を見ている。
・術式『影鰐(かげわに)』
大まかな効果については本文参照。
自分のシルエットのような黒塗りの影……のようなものを召喚する。
単純な戦闘能力よりも性質が性格悪い。
・領域展開
『仔鏡鰐影法師(こきょう わにかげぼうし)』
能力はまた次回〜。