スペリオンズ外伝~アルティマで牛丼は食べられるのか? 作:バガン
今日は生憎の雨。ジメジメとして蒸し暑い空気が漂い、誰もが額に汗粒を浮かばせている。そんな御多分に漏れず、キャニッシュ私塾の天守では人がひしめき合っている。
「こういう日こそお茶会日和ねー。」
「雨だろうが晴れだろうがやること変わんないんじゃないのか。」
「雨には雨のお茶があるの。」
そうティーカップを口元へ動かすのは、このキャニッシュ私塾で一番偉いアイーダ塾長である。その娘エリーゼと、姪っ子のドロシー、そしてアキラがいる。
お茶請けのお菓子は、みんなエリーゼが焼いてくれたものばかり。アップルパイにアップルクッキー、アップルスコーンなどなどリンゴ尽くしだ。
「リンゴばっかりで飽きない?」
「ひとくちにリンゴって言っても色々品種があるからそんなに飽きないと思うけど。」
「俺はもう飽きた・・・醤油味の煎餅が食べたい。」
飲んでいるお茶もアップルティーと来たもんだから、舌がバカになりそうだった。砂糖はほとんど使われていないので糖尿病の心配はなさそうだが、甘党にも相当きついだろう。
「まあ、ここら一帯には野生のリンゴが自生してて、それを品種改良して食べてるってのは知ってる。」
「昔は酸っぱいリンゴしかなかったけど、おじい様が品種改良をしていったのよね。」
「そのおじいさまは、どのおじいさま?祖父以上の人物が多すぎて判別つかんのだけど。」
「大叔父さんのワタルおじい様ですわ。」
「今はゼノンの枢機卿をやってる。」
「どんな役職?」
「すごい偉い人。」
「お前にはもう期待せん。」
リンゴ尽くしに食傷気味になったアキラは、渋いお茶が恋しくなった。いっそ塩でもいい。甘い以外の味が欲しい。窓の外に広がる海水を味わうことになるやもしれない。
「枢機卿は、ゼノン教団の2番目の地位にありますわ。最高裁判で有罪か無罪かの判決を出せる権限がありますの。」
「そりゃあすごいな。」
「ええ、だからゼノンにとっての有罪である『技術開発』を任されてもいるのよ。枢機卿だけは『無罪』に出来るから。」
「つまり暗部か。」
「頑固だけど良い人ですのよ。」
「ふーん。」
ワタル・ロア・キャニッシュ。キャニッシュ4姉弟の次男で、キャニッシュ邸の門の前に置かれていた出自不明の赤ん坊だったが、ツバサことダイス・キャニッシュは養子に迎え入れる。その後、ゼノン教団の研究機関でめきめきと頭角を現し、現在の地位に至る・・・といったことがツバサの自伝には書かれていたのをアキラは思い出していた。
ただ、ワタルは現在なおも未婚で子供もいないという。長男ジークの孫がエリーゼで、次女トワイライトの孫がドロシーで、同じく養子である長女ノルンも同様に未婚である。何か示唆するものがあるのかは知らない。
「ふーん、まあとにかく長男ジークがいたおかげで今エリーゼや塾長がいるわけか。」
「そうそう、エリカおばあ様とは舞踏会でたまたま見かけてそれ以来ゾッコンだったそうですわ。」
「私もワルツとは武闘大会でたまたま会ったのがきっかけだったわ。」
「一目惚ればっかりかい。」
「いわば一目惚れの家系ね。」
そして今の世代はエリーゼとガイがお互い一目惚れをしていて・・・血は争えないようだ。
「じゃあ、ツバサも一目惚れだったのか?」
「いいえ、おじい様とおばあ様は表向きは政略結婚だったわ。」
「でも『表向き』はなんでしょう?」
「ええ、紆余曲折あって本当の愛が実ったの。」
貴族のロマンス、政略結婚、真実の愛、女の子の喜びそうな話題だ。自然と話はヒートアップしていっているが、お茶に口をつけられないアキラは逆に置き去りにされていっていた。
☆
「さて、わかっているな『ダイス・アヴェム』卿?」
「気が進まん。」
「その目つきはやめておけよ。これから行く場所では特にな。」
ガタガタと揺れる馬車に居心地悪そうにツバサ・・・もといダイスは堅苦しい礼服を纏って乗っている。よくわからない液体で固められた髪を掻きむしりたい気持ちをぐっと抑え、同じように整えられたヒゲをいじりいじりしながら、対面に座る『秘書』に視線を送る。
「ならもう一度説明しよう。これから俺たちは、」
「後ろ盾を手に入れるための同盟相手を見つける。今から行くお茶会には、多数の有力者が出席しているから適当に見繕う。」
「よくわかってるじゃあないか。」
「その手段が政略結婚という点に目をつぶればな。」
ヒゲをいじるのをやめて、深くため息を吐く。ひょんなことから小さな小さな領地があるだけのアヴェム伯爵となったツバサは、ダイス・アヴェムと名乗って今に至る。
一介の村人、兼足軽長が貴族の仲間入りと聞こえはいいかもしれない。だが実際のところ、カルヴス公爵領の臣下のピューリィ侯爵領のさらに隅にあるアヴェム伯爵領地は狭い、特別な生産物もない、碌に軍備も敷かれていない、とないない尽くしの田舎村の土地そのものだった。貴族とは名ばかりで、大きな町の商人の方がお金を持っていそうなぐらいだ。その正体がしかも
「何を馬鹿な。政略結婚など普通のことだぞ。」
「そりゃこっちの世界の常識ではそうなんだろうけど。」
「郷に入っては郷に従え、という諺がある。」
「知ってる。けどこちとら既婚者なんだぞ?重婚は罪だろう?」
「ツバサはな。だがアヴェム伯爵は違う。」
この秘書、ノアールと出会った次の日にはツバサは自分の身の上は説明していた。だというのに強く『頼み込まれた』ことでツバサはしぶしぶアヴェム伯爵という役割を演じることになった。
ようやく故郷の村、アマハ村の開発が軌道に乗り始めたというのに、本当ならこんなところにいるつもりはないのに、と鬱憤ばかりが心の中で積みあがっていく。
思い返されるのは、村を出発するときにした妻・ナナミとの会話。領地同士の小競り合いに巻き込まれ、足軽として戦場に駆り出されることとなったあの日のこと。長くとも冬が終わるまでには帰ってくるという約束をしてきたのに、肝心の小競り合いも終わってもう麦の刈り入れの時期だ。
(今年は雨が多くて心配だったんだけどなぁ。)
「ほら、黄昏てないでもっとシャンとしろ。」
「大体、30代のぽっと出の無名領主に結婚相手なんか宛がえられるのかよ?」
「ツラはいいんだからなんとかなる。」
「こんなヒゲまでつけさせやがって。」
貴族の間では、立派なヒゲを蓄えているのが男らしさの象徴として流行っているが、童顔のツバサにはヒゲどころかムダ毛も全然生えていなかった。なので今は配管工のおじさんを思い起こさせるつけヒゲをつけている。
「お前には生まれ持ったカリスマとマンパワーがある。年頃の箱入り娘の一人にでも粉をかけてこい。」
大層な買い被り方に対してやらせることがみみっちくはないか。
「・・・わかった。お前は何をするんだ?」
「俺はいい物件を探して、『お前のこと』を売りこんでくる。」
「セールスか。」
「逆に考えろ、新進気鋭の若手領主が担う未開拓の領地、それはこれからどんどん大きくなっていくということだ。頭のいい領主なら逃す手はない。」
「もっと頭のいい領主はうま味をかすめ取ることを考える。」
「だから御しやすいのを見繕ってくる。近場で、それなりに利の大きそうな領地経営者をな。政略結婚というのもあくまで手段の一つだ。」
「体に|のし〈・・〉つけられて献上させられないことを祈るよ。」
そうこうしている内に目的地の公爵の屋敷が見えてきた。貧乏伯爵のボロ屋敷とは門構えからして違う。なにせ駐車場となっている門前の広場だけで、ダイス・アヴェムの屋敷がすっぽりと収まってしまう。
何台も豪華な装飾が施されたが停められていく中、中古で時代遅れのデザインの馬車は少し回りの目を引いた。だが中から降りてきた堂々としたたたずまいの紳士に、それは失礼にあたると思い視線を離した。
「招待状を拝見。」
まるでランウェイを行くかのように自然に堂々と歩く姿はまさに貴族そのもので、その不興を買わぬようにとドアマンも務めた。
「ところでこの招待状、どこで手に入れたんだ?」
「とある伯爵の家から、ちょいとね。」
「コソ泥め。」
「いずれこの屋敷もいただくとするよ。」
クククッと嗤うノアールから目を背けて、ツバサは極めて冷静を保った。
☆
噴水や花壇が整備された中庭に、参加者の多くは集まっている。ある者は親睦を深め、ある者は儲け話を交換し、またある者は他人の醜聞を好き好んで集めたり。
そんな誰しもが誰かと組んで話し込んでいる中、庭園の隅で黙々とお茶を嗜んでいる男が二人。
「ふーん、なかなかおいしいな。」
日本では何度も茶道の茶会には参加したことがあるが、このような貴族のお茶会というのには初めて参加することになる。一応基本的なマナーや作法は予習済みで来ているし、いざというときの対処も何通りもシミュレート済みではある。
「呑気に飲んどる場合か。」
「まあ待て、まずはゆっくり楽しむとしよう。それに常に自分の得意な間合いを測れって言うし。」
ヘマをする可能性は限りなく低くしてきているとはいえ、ただでさえボロが出易そうな状況に自分から突っ込んでいけるほどワイルドではない。もっとクレバーに、獲物が針にかかるまで体力と精神力を温存させるのだ。
やがてお茶会が宴もたけなわとなってくると、余興を求める若い者がヒートアップしてくる。まあ、ちょっとした喧嘩のようなものだ。
「火事と喧嘩は江戸の華、なんて言うし。」
「あれに参加でもするのか?」
「見る阿呆に徹するよ。」
日本で言えば高校生ぐらいの年頃の男子たち、その話題と言えばやはり『モテたい』という願望。そこで男らしいところを見せるために、決闘ごっこを興じているというわけだ。
「こうして見ると、案外変わらないものだな。ああいう年代が何を考えているかとか、ひいては人の考え方だとか。」
「お前にもそういう年頃があったのか?」
「まあ、人並みにはな。しかし決闘ごっことはな。トランプとかもあるだろうに。」
「あれは軍人の家柄だな。遊びとはいえ基礎はしっかりとしているぞ。」
しかし誰も止めないということは、これもまた余興の一つなのだろう。大人たちも微笑ましそうに見ている。少々居心地悪そうにツバサはお茶請けのお菓子に手を伸ばす。
「あっ、ヤベッ。」
「んっ?」
と、そのテーブルにどこからか白い手袋が飛んできた。ツバサは意に介さずつまんでテーブルの端においやる。
「あ、拾ったな。」
「ん?まさか。」
そのまさかだった。どういう運命のいたずらか、偶然宙を舞った手袋をその場にいた誰もが視線で追い、一瞬にして注目が集まった。
「・・・マジかぁ。」
「ププー、ツイてねえの。」
据え膳食わぬは男の恥、賽は投げられた。舞台に上がる時が来た。カップに残ったお茶を飲み干すと、襟を正して心持ち声を張り上げる。
「お集りの皆さま、初めまして。私はアヴェム伯爵領主、ダイス・アヴェム。私をよく知るものからは『新進気鋭の期待星』と呼ばれています。」
嘘はついてないが、傾聴していた大人たちはひそひそと内緒話を始める。アヴェム伯爵?聞いたことがないぞ、と。
「余興にひとつ、私の得意としている武術をひとつ披露させていただきたい。ノアール、そこの庭園のリンゴを1つ貰ってきてくれ。」
「おう。なにかよくわからんが、よし。」
そんな張り詰めた空気も構わずに、ツバサは袖から一本の長いロープを取り出す。その先端には短い金属の棒が括り付けてある。
「これからお見せするのは『縄鏢』という武器です。危ないので今一歩お下がりください。」
縄鏢とは中国に伝わる暗器のひとつで、棒手裏剣がついている縄を振り回す、というシンプルなもの。
それをツバサは舞うように巧みに操り、空を切るたびにオーディエンスからはおおっという感嘆の声が上がる。
「持ってきたぞ。」
「そのまま。」
そこへ哀れな子羊・・・ではなく、ノアールが小さなリンゴを手に乗せてやってくる。
「おわぁっ!」
即座、ツバサの縄鏢がリンゴを粉砕すると、一瞬のどよめきの後に拍手が巻き起こる。そして宙を舞う棒手裏剣がするりとツバサの手に納まると、オーディエンスの喝采は最高潮に達する。特に、先ほどまで決闘ごっこに興じていた若者たちは熱い視線を送ってくる。
「ご覧いただき、ありがとうございました。」
ツバサは丁寧に礼をすると、腰を抜かしているノアールの手を引いて起こし、元のテーブルに戻る。
「キサマ、よくも。」
「さっき笑った罰だ。」
縄鏢を袖に仕舞うと、注ぎなおされたお茶に口をつける。人前で披露するのは久しぶりだったが、さほど緊張も失敗もしなかった。芸は身を助く、というやつだ。
「アヴェム伯爵!」
「アヴェム様。」
そして注目を集めたツバサは一息つく間もなく囲まれた。一人の貴族として、というよりも余興の道化師として人気という形だが、それでも話し相手が増えてくれることは喜ばしい。
「アヴェム領には、何があるんですか?」
「まだ何もないですが、これからなんでも作っていく予定ですよ。」
ここからはペテン師、もとい秘書のノアールの仕事だ。口八丁手八丁で言いくるめて、資金とコネを集める。連絡先の書かれた名刺を交換していきながら、ノアールは心の中でしめしめと薄ら笑いを浮かべていた。
「アヴェム伯爵!さっきの技を教えてください!」
「剣も上手いのですか?」
「師匠の教えがよかったのさ。」
「その師匠を紹介してください!」
「もう死んだよ。」
一方ツバサの方はと言うと、すっかり子供たちの注目の的となっていた。子供というのは新しいものが好きだし、その点急に現れたアヴェム伯爵というのは理想のヒーロー像としてぴったりだった。
「私でよければ相談にでも乗ろう。手紙書いてくれよ。」
「えっ、名刺をくれるんですか!?」
「くれぐれも捨てないでね。」
「大切にします!」
ツバサも、大人のドロドロとした腹芸よりもこうして子供の相手をするほうが好きだった。どれ、自分もひとつとノアールの見様見真似に名刺を配っていく。
「ちょっ、なにしてんの。」
「なにって、名刺配ってるんだよ。」
「ちょっと、こっち来い!」
襟首をひっつかんでノアールがツバサを中庭から離れた回廊に連れていく。
「お前、|名刺〈それ〉を渡す意味わかってんのか?」
「コネクションを作る。そうだろう?」
「子供とコネなんか作ってどうするんだよ!もっと相手は選んで、自分の得になるようにだな・・・。」
「将来的にはあの子たちが家督を継ぐんだろう?なら今のうちにつながりを作っておくのも間違いではないだろう?」
「お前、今の状況を辞めたいのか続けるつもりなのかどっちなんだ・・・まあそれも一理あるかもしれないが、バックボーンがなにもわかってない相手にホイホイ渡すものじゃないんだよ。」
「そうか、それは考えていなかった。」
たとえ領主であっても次の舞踏会やお茶会にも誘われるとは限らず、基本的に一期一会な貴族の関係上、名刺を渡す・交換するというのは非常に大きい意味があった。また、有力な領主や富豪の名刺は是が非でも欲しいということもままあることで、必然『名刺』そのものにも一定の価値があった。
「逆に言えば、ホイホイ名刺を渡すのは世間知らずも甚だしいことなんだよ。」
「でも、あれぐらいの年頃の子たちは名刺貰えたら嬉しいだろう?俺も結構もらってたけど。父さんの仕事上。」
「それはお前が特別だっただけだ。」
「それもそうか。」
郷に入っては郷に従え、だったな。いつまでも前の世界に思いを馳せていても仕方がないし。
とりあえず、渡してしまったのはしょうがないとして名刺を渡した子供たちの名前だけ把握しておくことにした。
「カムル・ゲオスク、タタル・バキュラに、シャドラ・カサーノね・・・。」
「まったく、自分で蒔いた種なんだから、自分で面倒見るんだぞ。」
「わかってる。ちょっとお茶飲みすぎたから花摘んでくる。」
「早く帰って来いよ。」
やれやれ、本当にわかっているのかとノアールはツバサの後ろ姿を見送る。煮ても焼いても食えないやつだが、良識はあるものだと思っていた。その考えはどうやら少々見通しが甘かったかとも今思った。だがそれ以上に役に立つ人材だとも確信していたし、その手綱を自分が握っているという自信もある。
その絶対的な自信がノアールに野心を抱かせてくれた。冷たい牢獄の中で腐り落ちていくだけだった自分に、野心の炎を灯してくれたことを本当の本当に感謝していた。
☆
「こうも広いとトイレがどこにあるかもわからないな。」
やれやれと一息付けたツバサは、ぶらぶらと屋敷の中を見物していた。さすが公爵の屋敷とあって、どこもかしこもピカピカで、壁には高そうな額縁が飾られている。曰く、この屋敷は別荘のようなもので、本宅は別にあるそうだが、別荘でこれだけなら本宅は一体・・・と月並みな感想が湧いてきた。
ひとつ、装飾や調度品を参考にさせてもらいたいと思いながら見て回ると、先ほどの茶会の会場とは違う中庭に出た。そこは見事な花々が咲き誇る花園だった。一歩足を踏み入れれば芳醇な香りに包みこまれる。心が和む。
枯れた花弁というものが見当たらないからには、今日のためによほど入念に手入れされていたのだろう。そんなことが気になるツバサは、我ながらひねくれているなと心の中で自嘲しながら、色鮮やかなバラをしばし楽しんだ。
同じように花園にいる人たちの姿がまばらに見えていたが、皆他の人と話しこんでいて花を見ようとしていない。木を見て森を見ず、といったところか。
そんなところ、ひときわ頭身の小さい淑女が花壇のひとつの方をじっと見ているではないか。金髪で、年頃は6、7歳といったところだろうか。何を見ているんだろう?とツバサは近寄ると、ふっとその少女は振り返った。
「あっ・・・。」
「ん?どうしたの?」
「えっと・・・その・・・。」
腰を落として目線を合わせてあげるが、少女は目線を落としたままでしどろもどろに受け答えする。なんだろう?とツバサは少女が見ていた先に目をやる。
「ああ、なるほど。あそこに落としたんだな。」
「うん・・・。」
「ちょっと待ってな。とってあげる。」
バラの花壇の中央に、綺麗な装飾の施された短い棒のようなものが落ちている。おそらくこの子の|かんざし〈・・・・〉だろう。なぜあんな場所に落ちているのかは謎だが、花壇は子供には背が高いし、バラには棘が生えているしでどうしようもなかったんだろう。
さて、ツバサも綺麗な花壇を踏み荒らす気にはなれなかったので、再び袖から縄鏢を取り出すと、ピョッと投げて上手く引っ掛けて手繰り寄せることが出来た。
「はい、これ。綺麗だね。」
「うん、これお母さんの・・・。」
「そっか、お嬢さんのお名前は?」
「ノルン、ノルン・ビッシャー。」
「ノルンか、かわいい名前だ。かんざし付けてあげるよ、ノルン。」
後ろを向くように促すと、ノルンはきょとんとした顔をした後にかんざしを渡してきた。
「ひょっとして、かんざし付けたことないの?というか、これかんざしなの?」
「かんざし、ってなに?」
「これ、髪に付けるものじゃないの?というかそうなんだよ?」
「そうだったの?」
「お母さんにもらったんじゃないの?」
「お母さん、いないの・・・。」
「そっか・・・。」
ノルンの髪は綺麗でよく手入れされているようだが、かんざしを使ったことがないどころか使い方も知らなかったとは。
「じゃあ、自分で付けられるように教えてあげよう。」
「うん。」
ツバサは持たされていた手鏡をノルンに渡し、後ろが見えるようにさせる。
「まず、一本にまとめて、ちょっとねじって・・・。」
「ふんふん。」
茶道もそうだったが、髪の結い方も一通り習っている。着物の着付けも出来るが、この世界で生きてきた今まで『和服』は見たことがないので無用なスキルだった。
そういえば、このかんざしは綺麗な漆塗りだが、漆も見たことがない。外国に行けばそういうものもあるのかもしれないな。懐かしいものは取り入れたい。
「できた、これがかんざしの付け方だよ。」
「わぁ・・・ありがとう!これお母さんと同じ髪型だ!」
「どういたしまして。お父さんはどうしてるの?」
「今日一緒に来たの。」
「そうか、そうだろうね。そうだ、ノルンにもこれあげよう。俺の名刺。」
「めいし?」
「そ、住所書いてあるから手紙書いてね。お父さんにも挨拶したいんだけど、どこにいるかわかるかな?」
「わかんない・・・お話してるからあっち行ってなさいって。」
「そうか。友達は?」
「みんな意地悪する。」
「ふーん。」
どうしてあんな場所にかんざしが落ちていたのかもそれなら納得できる。どうにも放っておけない子だな、とツバサでなくても思うことだろう。
「あっ、こんなところにいやがったな。本当に花を摘みに来るやつがあるか。」
「ああ、ノアール。ビッシャー家って知ってる?」
「ビッシャー家?あまりいい噂も聞かない木っ端貴族だな。で、それが何?」
「この子がその家の子らしいんだけどね。」
「それを先に言わんか、誰が耳を立てているかわからないというのに。」
「木っ端貴族なのはお互い様だろ。」
ここでようやくノアールはノルンの存在に気が付いた。
「で、それがどうしたんだ?」
「うん、同盟相手にどうかと思ったんだが。」
「ナシだな。得になることがひとつもない。」
「そうかもしれんが、千里の道も一歩からとか言うだろ?」
「目的地どころかただの寄り道だわ。」
「すべての道はローマに通ず、とも言うし。」
「どこだよローマって。」
ノアールは呆れたように首をすくめた。我ながら素っ頓狂なことを言っているとはツバサにもわかっていたが、それでも食い下がる。
「読めたぞキサマ、まさかその子供に絆されて・・・。」
「まあ、そんなところだ。」
「お友達になら勝手になっていればいいだろう?それぐらいなら別に構わん。」
「この子を引き取りたいと思っている。」
「お前はアホか?」
「アホなこと言ってる自覚はあるさ。」
文字通り親子ほどの歳の差があり、もらうとすれば養子縁組ということになるだろうか。
「ノルン、兄弟はいるかい?」
「うん、けどお兄ちゃんたちもイジワル・・・。」
「だってさ。」
「あのな、そんな飼い猫がいっぱい赤ちゃん産んだから一匹貰うってみたいに出来るようなものじゃないんだぞ?」
ねー、と顔を合わせあうツバサとノルンに、心底あきれ返ったようにノアールは言葉を続けた。
「養子縁を組むというのは、血縁のある家から世継ぎのために貰うのが普通だ。俺たちが欲しいのは強い後ろ盾で、そんな弱小貴族の血を入れる余地はないんだよ。」
「なら、それはそれで別に組めばいいだろう?」
「絶対にややこしい話になるんだよ。」
「だとしても、放っておけない理由がある。」
ノルンの頭を数回撫でると、ツバサは声に重みを置いて向き直る。こうなってしまうとてこでも動きそうにないなとノアールは観念する。
「なんだ、その理由とは。」
「この子の母親、心当たりがあるかもしれない。」
「しれない?なぜ言い切れない?」
「確証はないが、この子の親も俺と同じく『日本』から来たんだろうと思う。」
アルティマでは見かけないかんざしを持っている理由があるとすれば、その可能性も高い。
「昔、アマハ村から出ていった一団があった。そのうちの誰かの子供だとすれば・・・。」
「随分ふんわりとした推理だこと。」
「なんとでも言え。だがこの直感は当たっていると思う。」
「・・・仮にそうだとすると、お前の出自を知っている可能性もあるということか。」
「余計な諍いになる前に芽を摘んでおくのも必要だとは思わないか?」
「はっ、言いよるわ。」
だが少し納得したようにノアールは頭を巡らせると、改めて口を開いた。こうなればしめたもので、あとはツバサの思い通りに事が進んでくれる。
「調子に乗るな。」
「はい。」
「そうだな、同盟まではいかなくとも、身辺をあらためる必要がありそうだ。さっきも言ったがビッシャー家にはあまりいい噂を聞かん。」
「そんな環境に、こんな純粋な子供を置いてはおけない。」
「まずは当の本人を探そうか。ここにも来てるんだろう。」
☆
「あっ、いた。」
「あれが?」
「うん。お父様!」
しばらく中庭をノルンと一緒に歩き回り、ようやく話し込んでいる一団の中にそれらしい男を見つけ、ノルンは駆け寄っていく。
しかしノルンの声を聞いて振り返った男は、ギロッと鋭い視線を一瞬下した。
「ノルン、あっちへ行ってなさいと言っただろう?」
「うん、でも・・・。」
「こんにちは、ビッシャー伯爵。」
足元までやってきたノルンにまだ何か伯爵が言いそうになったところで、ツバサは割って入った。伯爵は一瞬しまったという顔を見せ、すぐに愛想笑いを浮かべるが、ツバサの顔を見ると今度は高慢そうにフンと鼻を鳴らした。
(まるで百面相だな。)
「君は、さっき大道芸を見せていた・・・。」
「ええ、ダイス・アヴェムと申します。」
歳はツバサよりも上、ヒゲの大きさも上で、第一印象は最悪。なるほど、出会って5秒でどんな人物かよくわかる。これなら名刺いらずだろうな。そんな感想はおくびにも出さずに、ツバサも愛想笑いで答える。
「先ほど、ご息女のノルンとお友達になりまして。ご挨拶をと参りました。」
「そうか、また後にしてくれるかな?今忙しいのでね。」
「ああ、ご歓談中でしたか。これは失礼をしました。しかし、どうしてもお話したいことがありまして。どうか懐の広さをお見せいただきたい。」
などと、心にも思っていないことをのたまう。なにせ、ここに来るまでに聞いたビッシャー伯爵こと『ヴィーン・ビッシャー』の噂話が『金にがめつい』、『女癖が悪い』、『目線がキモい』、『ヒゲが似合ってない』など惨憺たるものだったから。思わずツバサも、自分のつけヒゲを確認してしまった。
「いいじゃないか、話ぐらい聞いてあげたらどうだね?」
「はぁ・・・、ではしばし場所を変えて。」
「ええ、その方が私も助かります。」
そのビッシャー伯爵が話していた相手・・・服飾も豪華で、たたずまいもしっかりとした男性に促されて、この場を一旦後にすることとした。
「ノルンもちょっとここにいてね。」
「うん、わかった。」
「ノアール?」
「あ、ああ・・・ちょっとこの方と話がしたい。」
「そうか。」
一方ノアールは少し表情が固まっていた。もしかしなくてもこの豪華な服装の男性のせいなのだろう。ビッシャー伯爵も手もみをしながら話をしていたことだし、よほどの重要人物なんだろう。今はそれどころではないが。
少し離れたテラスで二人っきりになれた。ビッシャー伯爵は忌々しそうな表情をもはや取り繕うともせずにツバサに向けてくる。
「それで、何の用かね?」
「ええ、それは・・・。」
さて、どう切り込んだものか。まさかド直球に『ノルンの母親について教えてください』なんて藪蛇な聞き方もできない。まずはその母親の持ち物から、周りを固めていくとしよう。
「ノルンの持っていたあの髪飾り、あれはどこで手に入れられたのですか?」
「よもや、そんなくだらない理由で貴重な時間をとらせたというのか?」
「珍しい品だったので気になって、気になってしまいまして。ぜひ欲しくて。」
「知らん、そんなことは娘から聞け。」
「ノルンからは、母からの贈り物だと聞いています。その母君はどちらのご出身ですか?」
この聞き方も変だったか、と心の中でごちる。何かを探ろうとしているのが見え見えだし、不自然だ。舌先三寸の頼みのノアールも置いてきてしまったし、心底しまったと思った。
「キサマ、何を考えている?ただの道化ではないな?」
「ギクッ。」
「私の財産を奪うつもりなんだろう!」
「そうではないです、はい。」
どうやら話がややこしい方向に転がりだした。おっかない顔が余計に眉間にしわを寄せて詰め寄ってくる。
「お父様ー!」
そんなとことへ、言いつけを破ったノルンがやってきてしまった。こんな切羽詰まった状況、子供の情操教育上よろしくないぞと思い至ったところで、
「こんの、馬鹿!」
気が付いた時には、ビッシャー伯爵はノルンの頬を叩いていた。
人のほとんどいないテラスに来ていたはずだったのに、いつの間にか物凄く視線を集めていた。いたたまれなくなったビッシャー伯爵は、ノルンを引っ張ってどこかへ行ってしまった。
「えっ・・・あれぇえええ?」
テラスには、思考が追いつかないままのツバサだけが残された。
☆
「まったく、もう少しで上手く話が纏まるというところだったのに・・・。」
「・・・。」
ビッシャー領へ帰る馬車の中、怒り心頭な伯爵がぶつぶつと愚痴をこぼしている。お茶会のお開きの時間にはまだ早いが、一足先に帰ることを余儀なくされて伯爵と、ノルンの二人の兄も不満をノルンへぶつける。
「お前のせいだぞノルン。」
「そうだそうだ。」
「1か月外出禁止だな。」
「黙れお前たち。」
ただノルンはじっと耐えていた。本当は泣き出したかったが、泣いたら余計にぶたれることが分かっていたので我慢している。
ノルンはいつもこうだった。家にいれば兄たちから、外に出れば他の家の子供たちからいじめられる。正妻どころか貴族ですらない、使用人の子だからという、たったそれだけの決定的な理由で。
皆が自分を嫌うように、ノルンもすべてが嫌いだった、自分自身の事すら含めて。
でも、あのアヴェム伯爵は・・・そんな自分を好いてくれた。彼の名刺はポケットに入ったままだから、手紙を書くこともできる。
けど、もしもあの優しさも上っ面だけのものだったら・・・また裏切られたら・・・。
ノルンの気持ちは引きずられたまま、ただ馬車は進んでいった。
同時刻、お茶会会場には、その件のアヴェム伯爵は椅子に座ってうなだれていた。
「どうしてこうなった・・・。」
「なにがあった?」
「どうもこうもないわ。」
もとはと言えば己の浅はかさが原因なのだが、やりきれない思いをぶつけずにはいられなかった。ひょっこり顔を出してきたノアールのほくほくとした顔が余計に気に入らなかったし。
「こっちは話が上手くいったからな、目標達成だ。お前も顔を見せに来いと言いに来たんだ。」
「やめといたほうがいい。今の俺は何にでも八つ当たりしかねないから。」
「だろうな。」
ああすればよかったか、いやいや・・・ともうどうにもならない考えを巡らせていう最中、ゆっくりと一人の男性が歩いてくる。
「どうやら、上手くいかなかったようだね。」
「あなたは、先ほどの。」
「ああ、この度君たちと『同盟』を結ぶことになったユーマン・カルヴスだ。」
「カルヴス?ということは・・・。」
「この領地を治めておられる公爵だ。」
「ああ、なるほど。伯爵がおべっか使うわけだ。」
やはり最初に見立てた通りに、もっと高貴なお方だった。公爵と言えば王様の次ぐらいに偉い。もっとも、その王様には一度も謁見したことがないが。つまり、ツバサが今まで出会ってきた中で一番偉い人ということになる。
「これは、失礼を。」
「いやいい、正直ビッシャー伯もしつこくてうんざりしていたところだったからな。」
先ほどのビッシャー伯爵ほどではないにしても、このカルヴス公爵からも高慢な姿勢が見て取れたが、不思議とそれが鼻につくことはない。こちらを値踏みするような視線がなければ、落ち着き払った態度には、素直に敬意を示したくなる『重さ』があった。
「この度は、私めのようなひんそーで無力な伯爵ごときめに・・・。」
「そこまで自分を卑下するものではない。私は人を見る目はあると自負している。」
「はぁ・・・。」
「わかってるのか、おい。」
「心ここにあらず、といった具合だね。」
「一瞬のうちに色々ありすぎて、わけがわからなくなってきた。」
当初の予定通りに、強固な後ろ盾を得ることはできた。それは万々歳で喜ぶべきところだろう。が、ツバサにとっての目下の問題はそれじゃない。
「そんなことよりもだ、今から同盟をより固めるための会食に行くんだ。お前も来い。」
「そんなこと?そんなこととはなんだ。重要な問題だぞ。」
「そりゃお前にとってはそうかもしれんが、今は公爵との約束が大事だ。そんな吹けば飛ぶような木っ端貴族など今はどうでもいいだろう。」
「そりゃ、同盟が大事なのは俺にだってわかってる。だがな・・・。」
「まあ、落ち着きたまえ。今更急いだところで、どうにもならないことであろう?」
「むぅ・・・。」
さっきビッシャー伯爵は帰ってしまったと聞いて、今ここでうなだれていたわけで。当の本人がいないのでは何もできない。
「アヴェム伯爵、君はどうしたい?」
「ノルンを、あの子の助けになりたい。俺に最適解は下せないかもしれないけど、それでもノルンが望むような形に近づけてやりたい、です。」
「なるほど、ではテストしよう。私の同盟者としてふさわしいか、見定めさせてもらおう。」
「と言うと?」
「うむ、どんな手を使ってでもいい、その目標を達成してみたまえ。私も、話にもならない相手と夕餉は囲みたくないのでね。」
チラッとノアールの方を見やると、ないにゃら冷や汗をかいている。どうやら口八丁手八丁で上手く丸め込んだつもりだったようだが、見事にツバサはその目論見をご破算にしてくれたようだった。
「わかりました、その挑戦受けましょう。」
「うむうむ。」
「ではさっそくですが、ビッシャー伯爵について教えてください。」
「そうさな・・・。」
そうと決まれば話は早い。今度は同じ失敗を繰り返さないよう、入念に情報を集めて、作戦を練る。
☆
「旦那様、アヴェム伯爵がいらっしゃました。」
「来おったか。」
そうして数日たったある日。ビッシャー邸には訪問者がやってきた。性懲りもなくあの盗人めがやってきたのであれば門前払いにしてやろうとビッシャー伯爵も考えていたが、それはできなかった。
「ごきげんよう、ビッシャー伯爵。」
「・・・よくぞいらした、アヴェム伯爵。」
玄関まで出迎えに来たビッシャー伯爵のあいさつした相手は、目の前にいる新参者の男にではない。この男のバックにいる、公爵の存在にだ。
「こちら、つまらないものですが、お土産です。」
「ふん、サメル産の茶葉か。」
「ビッシャー伯爵の好物だと聞いて、持ってまいりました。」
「あまりいい気がせんな。」
アヴェム伯爵がカルヴス公爵のお眼鏡にかなったという噂は、すでにビッシャー伯爵の耳にも入っていた。それゆえ、公爵の息のかかったアヴェム伯爵をおいそれとつまみ出すことはできなかったのだ。
「まあいい、入れ。」
「お邪魔します。」
なにはともあれ、客人は客人。応接室へと通してお茶の一杯を出す。見られて困るようなものはここにはないし、娘含めた子供たちには部屋の中にいるように命じてある。
「今日は何の用だ?」
「単刀直入に申しあげますと、私はノルンが欲しいのです。」
何をバカなことを。素面でこんなことを言えるとは、いったいどんな頭をしているのか・・・とにかく、今は聞いてやろう。
「失礼ながら調べさせていただきました。ノルンはビッシャー伯爵の正妻の子ではないと。」
「ちょろちょろと嗅ぎまわりおって。」
「失礼。ノルンの本当の母親は、伯爵が町で目をかけて雇い入れた使用人だったと。その女性は今どこに?」
「死んださ。もう何年も前に病気でな。」
「その女性は、自分はどこから来たかと言っていましたか?」
「知らんよ、使用人のことなど。」
ある時ふらっと町に表れて、いい女だったので雇い入れて一度きり抱いただけの女だ。後になって子を産んだことがわかり、彼女の死後迎え入れただけのこと。
妾の子とはいえ血縁があるのは確か。いつか交渉材料となるであろうととっておいたが、今はその時ではない。
「では、その女性の出自を本当に知らないと?」
「ああ、知らん。」
「そうですか・・・。」
運ばれてきたお茶に口をつける。さっそく土産物として持ってきた茶葉を使わせたが、たしかに旨い。実際高級品だし、嫌いな人間もいないだろう。
「では、ビッシャー伯爵には本当のことをお話ししましょう。」
「なに?」
「その女性、リコがどこから来た人間だったのか。」
リコ、たしかにそんな名前だったか。しかし、本当の事とはいったい?興味はないがまあ聞いてやろう。
「リコがいた場所は、ここからずっと西のアマハ村というところでした。ビッシャー伯爵は知らない村でしょうが。」
「知らんな。」
「ある時、村の者たちの意見は真っ二つに分かれ、半分は村に残り、半分は村を出ました。その村を出ていったうちの一人がリコだったのです。」
そう言いきるとアヴェム伯爵もカップに口をつけた。やけに具体的な話だったが、嘘のようにも思えない。だとしたら一体どうやって調べたのか。
「なるほど、面白い与太話だ。で、それがなんの関係があるのかね?」
「なぜ、一介の使用人の娘に過ぎないノルンを、自分の娘としたのですか?」
「知れたこと、自分の血筋ならば、自分の娘にして当たり前だろう。」
「その割にはノルンのことを大切にしていないようですが?」
「そんなことはない。第一、部外者のお前に言われる筋合いもない。私が私の娘をどう扱おうと勝手だろう。」
「だが、それと同時に、あなた自身も救われなければならないと思っています。」
「・・・どういうことだ?」
何を急に言い出すのか。
「私はですね、あなたがた家族が円満になってほしいと思っています。ノルンのことを邪険に扱っているのだとしたら、それは許されざる行為ですし、見過ごせません。」
「ふん。今度は説法か?」
「説法と言うほどの物でもありません。ただ昔聞いた話から、よく似たケースを当てはめているだけですから。ただ、それを聞けば心も軽くなるはずです。」
「伯爵は以前『私の財産を奪うつもりなんだろう』とおっしゃいました。すなわち、そこに伯爵の『執着』があるのではないかと。」
「執着だと?」
「ええ、あの執着です。金はあればあるほどいいものですし、欲しいものを手に入れるには金がいります。けど、そのことがまさに『穴』なのです。」
そこで、アヴェム伯爵は飲み干したカップを手に取った。
「このカップに満ちる液体のように、欲というのは再現なく溜まっていくものです。ですが、注ぎ続けていればいつかはこぼれてしまう。こぼれてしまったら、いくらおいしいお茶でもただのシミになってしまいます。」
ポットから注ぎ続けていたお茶がこぼれそうになる寸前で、アヴェム伯爵は注ぐのをやめた。お茶はカップの淵になみなみと揺れているが、こぼれそうでこぼれない、微妙なバランスを保っている。
「ここで伯爵の場合に当てはめてみましょう。伯爵は、それほどの財産をどのようにするおつもりですか?」
「それはもちろん、ビッシャー家の繁栄のために。」
「どんなにお金があっても、墓場には持っていけません。ただ遺しておいても、死後に子供たちが取り合い、無用な争いになるだけかと。」
「だからなんだというのだ。」
と、強く言い返してみたものの、そういえば考えてみたことがなかった。領内の税収も上げて、給料も出費も切り詰めて、それでいつ使うのだろう?
「欲を悪とは言いません。ですが、ただ貯め込んでいることは悪手です。使わなければ人も経済も動きません。」
「他人の領地経営に口出しするな!」
「というのはカルヴス公爵のお考えです。」
「ぐぬっ・・・キサマ・・・!」
「公爵がどうお考えかは今は関係ありません。私が言いたいのは、伯爵が執着も貯め込んでいることで、それが奪われることに不安を抱えて生活してらっしゃるということです。」
掲げられたカップの水面は揺るぎもせずにいる。
「いくら両手を広げても、人が抱えられる物には限度があります。新しい物を拾いたければ、それを一旦置かなければなりません。一度手放してみれば、心も体も軽くなるはずです。」
「私に、財を手放せというのか・・・?」
「なにより、ノルンがいることで伯爵は心を痛めてらっしゃるのではないですか?」
何故、ここで娘の話を?と、見事に虚を突かれてしまった。
「伯爵は本当はノルンのことを大事にしたいと考えてらっしゃる。が、正妻や子供たちのいる手前、そうはいかないと。」
「なぜそう思う?」
「この手紙を。」
「なんだ、これは?」
そこでやっとカップを置いたアヴェム伯爵は、懐から一枚の手紙を取り出し、寄越してきた。
『拝啓、アヴェム伯爵。お手紙ありがとうございました。』
「ノルンとこっそり文通したものを、あなただけに見せます。」
『伯爵の、娘に欲しいというお話、うれしかったです。けれども、それはできません。わたしにはわたしのお父様がいます。』
『わたしのお母さんは、小さいころにわたしを置いてどこかへ行ってしまいました。ひとりぼっちになった私を、娘だと言ってくれたのはお父様でした。』
『わたしは、イジワルな兄さまや友達がキライです。けど、お父様のことは信じたいのです。』
『私が父だ、と言ってくれたお父様だけは・・・。』
「それじゃあ・・・あの子は・・・。」
頭を思いっきり殴りつけられたような衝撃だった。私はあの子に優しくしたことなんてひとつもないつもりだった。だというのに、こんな自分を信じてくれていた・・・。
「今のままじゃ、ノルンも伯爵も、どっちも幸せになれないんです。それをわかってください。」
「ちょっと黙っていてくれ・・・!」
いや、それは自分も同じだったのかもしれない。妾の子など放っておけばいいものを、なんだかんだ言って手元に置いていたのはつまり・・・。
「『放せば手に満つ』、という言葉があります。手放してみて初めて掴めるものもあります。貴族の体面というものがある限り、ノルンを真に愛することはできません。」
「あ・・・ああ・・・。」
「あとは、あなた次第です。」
ぐっ、とアヴェム伯爵はカップを飲み干した。
☆
「なるほど、話は上手くいったわけだな。」
「ええ、おかげさまで。」
それから1か月ほど経って、また公爵家で再びのお茶会が開かれた。今度は正規で送られてきた招待状で、ツバサは公爵邸の奥へと案内された。
「あれから、ビッシャー伯爵は人が変わったようだという噂も聞いている。キミの説得の効果は予想以上に効果があったようだな。」
「いいえ、ビッシャー伯爵が元から良い人だったというだけです。」
「あの守銭奴が良い人ねえ・・・。」
今日のお茶会にはノルンもつれてきている。今この場にはいないが、今頃久しぶりの家族の再会をしているところだろう。
あの訪問より数日後、ノルンはアヴェム家に預けられることとなった。表向きには厄介払いというような具合だが、その真意を知るのはツバサと伯爵だけ。当のノルンですら知らない。
「それだけでなく、キミは子供たちにも人気だそうじゃないか?まるで先生のように教えを説いていると聞いたが。」
「先生なんてそんな大層なものではありませんよ。昔聞いた説法の受け売りです。」
作法や武道の一環として、人生の為になる禅の座学を受けていたのが役に立った。人間万事塞翁が馬、武術よりも思わぬ知識が役に立ったものだ。
「それで、今日はどのような話を?」
「うん、合格だ。キミを我が盟友として迎えよう。」
「ありがとうございます。」
まずは一歩前進といったところ。ようやく公爵のお眼鏡にかなうことが出来た。これで当初の目的通りに、強い後ろ盾を得たことになる。
と言っても、公爵の中での評価が『面白い男』から『使えそうな男』に上がった程度だろうが、それでもいい。味方が一人増えるということは、敵が一人減るということ、ひとまずは大きな存在を敵に回さずに済むということだから。
「さて、ではさっそくだが紹介したい人間がいる。」
「紹介?」
「入ってきなさい。」
ガチャ、と応接間のドアが開いて、一人のメイドにエスコートされて銀髪の少女が入ってきた。年頃は15か16ぐらいといったところで、緊張も弛緩もしていない面持ちで何を考えているのかは一見しただけでは測りかねる。しかし、溢れ出る自信や高貴さに彩られ、見た目も麗しかった。
「私の娘だ。」
「クレア・カルヴスと申します、歳は14です。」
「どうも、ダイス・アヴェムです。」
「さっそくだが、この子の面倒を見てもらいたい。」
優雅なお辞儀をしている間だけクレアはほほ笑みを浮かべていたが、すぐにそれはニュートラルに戻った。堅物・・・というよりは礼儀正しさが突き抜けている、という印象をツバサは抱いた。
「ええ、子供なら歓迎します。」
「養子ではない、妻としてだ。」
「は?」
その立ち振る舞いに少々見惚れていた・・・否、彼女から礼儀やマナーなどを学ぶべきだな、と考えていたツバサは、一瞬素っ頓狂な声が漏れた。
「いやいやいや、14歳って1周り以上も私より年下ですよ?」
「それが何か問題かね?」
「14ならもう婚約相手を探す年頃だぞ。」
「そういうもん?」
「そういうもんなの。」
貴族社会ならそういうものか・・・確かに現代でも歴史の授業で聞いたことがある。曰く、結婚は親が決めるもので、子供には決定権がないとか。
「そういうわけで、これからよろしく頼むよ。」
「・・・ええ。娘さんのことは大切にします。」
「うむ。ではお茶会を楽しんでくれたまえ。」
言葉も短く、カルヴス公爵は応接室を後にした。アヴェム伯爵との同盟の話もその仕事の話のひとつでしかないぐらい、彼は忙しいのだろう。
「まあ、その。これからよろしく、クレア。」
「ええ、よろしくお願いいたしますわ。」
なんとも素っ気ない反応だったが、それはお互い様。こうして、後にノメルの歴史を揺るがす夫婦がここに誕生した。
☆
「はぁー、そんなことがねえー。」
「あら、興味なさそうね。」
それから70年以上経った、現代に二人の血筋が脈々と受け継がれているというわけだ。
「でも、話を聞いてる限り最初はそんなに甘々な関係じゃなかったんだな。一目惚れの家系って割には。」
「ええ、それはもう色々あったのよ。」
「話が長くなりそうだし、また今度ね。」
甘ったるいお茶に、甘ったるい話はもう勘弁、というアキラは塾長室を後にしようとする。
「そろそろ体動かそうかなってな。雨もあがったみたいだし。」
「あっ、ならオレも行く。」
「俺はツバサとは違って、武術しか無いからな。」
そっからどうなって、エリーゼの指に二つの指輪が受け継がれるようになったのかは気になるが、それはまた別のお話。