元便利屋は旅をする   作:鹿蹄草

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7 お風呂

「あっ、こら!待って下さい!」

「嫌です。一人で入れます。」

「ちょっと!」

 

トットットッと軽やかな足音をたてながら飛優は廊下を走る。その後ろから多恵さんがパタパタと追いかける。

 

「お待ち下さい!お風呂に入りますよ!」

「だから、入りますよぅ、一人で。」

「まだ二歳なのですから一緒に入るのは当たり前です!溺れたらどうするのですか!?」

「うー、溺れませんよー。」

「駄目です!ほら、意地を張ってないで、早くこちらにいらっしゃいませ!」

 

これ以上の抵抗は無意味だろう。多恵さんは何が何でも飛優と一緒に入浴するつもりらしい。飛優は不服そうに頬を膨らませて唇を尖らせた。

 

「はぁい。」

「ほら、せっかく沸かしたお風呂が冷めてしまいますよ。さ、お洋服を脱ぎましょう?」

「はい。」

 

飛優は観念して多恵さんに大人しく従った。多恵さんは緩くゴム紐で結んでいた飛優の長い髪を優しくほどいて微笑んだ。

 

「綺麗な黒髪ですね。」

「んー?」

「さ、御手手を挙げてください。」

「はーい。」

 

多恵さんは飛優の衣服を全て脱がせた後、自分の着物も全て脱いだ。それから、飛優の体を抱えて風呂場の扉を開ける。飛優は白い湯気に息を詰まらせて小さく咳き込んだ。

 

 

 飛優はお風呂上がりの火照った体をぐったりと横たえていた。無理もない。多恵さんは飛優の身体も洗おうとしたのだ。

 

(なんとか背中と頭以外は死守したが……。)

 

抵抗するのに体力を使ったため、飛優はすっかり疲れている。

お風呂から上がった後、多恵さんに着せられた薄桃色の浴衣は柔らかく着心地の良いものだった。飛優は廊下から聞こえる足音にピクリと反応して身を起こし、気崩れを直した。

 

「飛優、こちらに来なさい。」

 

祖父が襖を開けて部屋の中を覗き込み、飛優に向かって手招きをした。飛優は大人しく祖父に従って部屋から出た。

 

暫く祖父の後ろについて廊下を歩くと、祖父がある部屋の前に立ち止まった。祖父は飛優の手をとって部屋の中に引き入れた。

 

「ここがお前の部屋になる。好きに使え。」

「はい。」

「布団は後で多恵さんが持ってくる。」

「はい。」

「お前はいやに落ち着いているな。普通お前くらいの子供は泣いたりするものだろう?」

 

たしかに二歳児がいきなり現れた男に怯えた様子も見せずにしっかりと目を見て会話出来るのは違和感があったことだろう。

 

(中身が五百歳越えのお婆さんだからなぁ……。)

 

五百歳越えと言っても結婚も出産もしていないので、人生経験はそこまで豊富ではない。だが、伊達に歳だけを重ねたわけでもない。まぁ、落ち着いているというよりも枯れていると言った方が良いのかもしれないが、それは関係のない話だ。

 

「どうなのでしょうね?性格によると思いますよ?」

「そう言う返し方が子供らしくないと言っている。」

「直しましょうか?」

「いや、良い。お前が無理をしていないのであればそのままで構わん。」

「そうですか。」

(前から思っていたが、お祖父様は私に甘いな?初孫効果か?)

 

祖父はそれだけ言うと、用が済んだのか部屋から出た。飛優は祖父が部屋を出た後、部屋を探索した。

飛優の部屋は八畳間の和室で、まだ何も置かれていない。古臭い照明が部屋を暖かい色に染めている。飛優が部屋を見渡すと、廊下から部屋に入る襖の右手に小さめの障子があった。

 

(何だ?これは?)

 

障子の大きさは二歳児の飛優が通り抜けられる程度で床から45センチ程上にある。大人が正座したときにちょうど顔の横にあるくらいの高さだろうか。明らかに通路用ではない。

 

(窓かな……?)

 

飛優は障子に手をかけてゆっくりと引いた。少々建て付けの悪い障子の向こうには案の定硝子窓がある。障子と窓との間には30センチくらいの隙間があり、飛優は北海道の二重窓のようだと思った。

 

「おー。」

 

 硝子の窓の向こうはもうすっかり夜で、何があるのか全く分からず、ただ飛優の顔が映るばかりだ。墨汁が広がったような暗闇をぼんやりと眺めながら、飛優は今日あった出来事を思い返した。

 

(今日だけでいろいろあったなー。)

 

初めて外出する。その後、父親が帰宅し、祖父に売られ、そのまま家に連れてこられた。

 

(うわ、文章にすると少し伏黒くんに似てるなー。まぁ、彼は十億円だし、未遂だけどな。)

 

そんなことを考えてから暫くすると、多恵さんが布団を持って来た。

 

「飛優様、さ、お布団を敷きますから少々お待ちくださいませ。」

 

微笑みながらそう言った多恵さんは臙脂色の和布団を静かに敷いた。そして、そのまま飛優を布団に寝かせた後、枕元に座った。

 

「おやすみなさい、飛優様」

「おやすみなさい。」

 

多恵さんは部屋の照明をフッと消すと部屋から出た。

 一人取り残された部屋は、そこに何があるのか分からなくなったことでピンと張り詰めているように思える。自分の体温で温まった布団にぬくぬくと包まった飛優の意識は段々と深い沼に沈むように眠っていった。


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