「俺は三年前のあの時、ベリトにいた」
イツキの言葉がミナトの中で反復する。
三年前のベリト。それは、あの悪魔の鳥による首都の襲撃があった時のことを指している。
あの時の光景がフラッシュバックする。燃え盛る街。崩れたビル。逃げ惑う人々。そして、こちらを睨む悪魔の鳥。
「──ッ!?」
「ミナトが歌であの化け物と戦っていたのを、俺は直接見た。あの時、俺を、あの街を、たくさんの人たちを守った歌を!」
ドクン、ドクンと心臓が強く、早鐘のように鳴り響く。
全身の感覚が失われていき、息がつまる。
「俺はお前の歌に救われた。ベリトの時だけじゃない、何度も、何度もお前の歌に救われた。そのおかげで、俺は今、ここにいられる」
やめろ。それ以上は言うな。
俺は違う。俺は、僕は、そんな存在ではない。
イツキの言葉が、ミナトの心に優しく響く。それが、ミナトの後悔を加速させた。
「俺は、あの歌をもう一度──」
「やめろ!」
心の奥に溜まっていたものが、イツキの言葉をきっかけに激発した。
立ち上がり、大きく手を振って叫ぶ。
「あの時、求めるだけ求めて、最後に僕に怒りをぶつけたのはお前たちだろ!?」
「ちがう、俺は──!」
「僕は何も守れてなんかいない! 何万人もの命も、あの街も、イツキさえも! 僕は勝利の女神なんかじゃない! ただの一人の人間だ! 僕一人にできることなんて、高が知れてるんだよ!」
「そんなことわかってる! その上で、俺はお前に歌って欲しかった! お前が守れていないと思っていても、俺は間違いなくあの時、お前に守ってもらった!」
ミナトを追うように、イツキも立ち上がって叫んだ。
「お前があの時のことに責任を感じて、パイロットなんかをする必要もない! 人には向き不向きがある。お前は、誰かと闘うことに──人を殺すことには、向いていない……お前はただ、楽しそうに歌っている姿の方が似合ってるんだよ……!」」
「ちがう! これは僕が自分で選んだ道だ! あの時のことは──昔のことなんて、関係ない!」
「そうやって昔のことだと割り切れていないから、AFを見たときに怒りを抱いたんだろう!? 過去は簡単に捨てられるものじゃない。だから──こんなに苦しいんだろ。お前は、そんなことで苦しむ必要なんてないんだ! ただ、お前のやりたいように、歌っているだけでいいんだ……!」
イツキの手が、ミナトの肩に触れる。その手つきは、腫れ物を触るようでも、痛めつけるようなものでも無かった。とても優しく、その優しさに身を任せたくなるようなものであった。
だが、それに身を任せてしまえば、今までの自分が全てなくなってしまいそうで怖かった。
「僕は──! 俺は──!!」
「ミナト……」
窓の外を、枯れた木の葉がさあっ、と音を立てて流れていった。
◇
マクロス・クォーターの艦長室に、多くの隊員たちが集まっていた。集まっているメンバーは、部屋の主であるアラスター・カークスに、ファントム小隊の隊長であるアリーヤ・ハイアット、レインボー小隊の隊長である高咲侑など、多岐にわたる人物たちだ。
「新たな隊の設立……ですか?」
「ああ。戦術音楽ユニットの運用法が確立してきた今、護衛のための小隊を用意すべきとのことでな」
かのんたち戦術音楽ユニットの運用を始めてから既に3ヶ月以上が経っている。実際に出動することも何度かあり、データは着々と蓄積されていた。今年の冬あたりには、世間にも戦術音楽ユニットの存在を大々的に発表する予定となっている。
そういった諸々のデータや予定を元に考案されたのが、この新しい隊の設立だ。戦術音楽ユニットという貴重な存在を守るための隊を作ることで、より護りを強固にするのと共に、他の隊の負担を減らすことが目的となっている。
「メンバーはどうするのですか?」
「戦術音楽ユニットと連携することも考慮して、なるべく年齢の近い隊員で構成されることになる。つまりはアリーヤ、お前の隊からの引き抜きだ」
「俺にはもったいないぐらいの部下でしたからね。アイツらが成長して、俺も嬉しいですよ」
ここらの底から楽しそうに、アリーヤは言った。
アリーヤは、学生時代は教師を目指していた。当時起こった戦争により、パイロットとなる道を選んだが、今でも教師になりたいと思っていた頃の自分を無くしてはいない。自分の教え子とも言える部下たちが成長していく姿は、アリーヤの心を満たしてくれるものだった。
「隊長は誰が?」
「ああ。部隊長は──
──如月ミナト中尉にやってもらいたい、と考えている」
◇
「……つまり、葉月さんが音楽科と航宙科のみで学園祭を行おうとしているのは、学校の存続の危機だから、と」
屋上でストレッチをしながら、ミナトはかのんたちの尾行の結果を聞いていた。どうやら恋の真意を知ることに成功したらしく、これまでの恋の行動の理由がわかってきた。
「音楽科と航宙科のみが注目を集められる……いわば、苦肉の策ね」
「いつの時代だって、組織の崩壊は情報の共有を怠ったという理由がほとんど。今回はまさしくそれだね」
「事情を聞けば理解は出来る。……でも、みんなはその事情を知らないんだよね」
なんとかして助けたい、と思う。
足掻くしかない状況で、自分が最善と思う選択肢を選んで、その結果による苦しみを、ミナトはよく知っている。
だからこそ、助けたいと思う。だが、自分がそれをしていいのかという疑問も浮かんでくる。
パイロットという道に逃げて、自分自身の過去の選択から逃げているのではないか。そんな自分が、誰かを助ける資格などないのではないか。
「……ミナト、アンタ顔色悪すぎよ。今日ずっとその調子だけど、何があったのよ?」
「ああ、いや──ごめん」
「別に謝れなんて言ってないわよ……それで? 多分昨日だと思うけど、何があったのよ」
「葉月さんと一ノ瀬くん、一緒に住んでるんだよね。なら、ミナトくんは私たちが葉月さんと話してるときにあの家にいたはずだけど……」
ミナトの様子を見て、すみれが声をかけた。
メンバーの中で、最も周りの様子をよく見て全員を気遣っている彼女だ。ミナトの様子にも真っ先に気づき、こうして声をかけている。
だが、今はその優しさが苦しく感じる。
自分勝手だとわかってはいるが、他人の優しさを受け入れていいのかがわからない。
「話したくないんならそれでいいわよ。でも──私たちは仲間なんだから、少しは頼りなさい」
「……ごめん」
「なんでそこで謝るのよ。もっと"俺を助けろ! "ぐらい言ってきたって私たちは文句は言わないわよ? かのんたちだって、そうでしょ?」
「うん。私たちはミナトくんに何度も助けてもらってるから」
俯いていたミナトが顔を上げる。
かのんたちの顔が目に入る。何故か、それがとても眩しく見える。
「……ありがとう、みんな。でも、これだけは──俺が自分で解決しなくちゃいけないと思うから」
「そっか。そこまで言うなら、私たちが出来ることは無いかな。でも、これだけは忘れないで。何があっても、私たちはミナトくんの味方だから」
◇
アイランド1の一角に存在する、戦争によって亡くなった人々を埋葬する墓地。かつて、地球のクロアチアという国に存在したミロゴイ墓地を再現して作られた場所で、船団内でも随一の美しさを持つ地だ。
その墓地に、イツキは仏花を手に訪れていた。
元となったミロゴイ墓地はカトリック教徒の墓地が多かったそうだが、様々な人種が入れ混じっている移民船団の中では、あまりそういった区別などはされていない。西洋の形式の墓だとしても、東洋の方法で弔ったりなど、いくつもの文化が入れ混じっているのだ。
「……もう三年か」
眼前にある墓は、イツキの両親のものだ。
三年前の惑星ベリトでの襲撃事件のあと、事件時に起こった爆発で発生した粉塵によって肺に異常が発生し、そのまま亡くなったのだ。
事件当時、<悪魔の鳥>が人類の居住地に辿り着く数時間前からシェルターへの避難指示が出ていた。だが、イツキの両親をはじめとした一部の人々は物珍しさか野次馬根性か、シェルターへの避難をせずにいたのだ。イツキも共に連れ出され、その結果が今のサイボーグ化された片目だ。
「あの時のことが無ければ……ミナトは、今も歌ってたのか?」
戦闘の影響によって、イツキは片目を失った。
その責任を、両親はあろうことかミナトに押し付けたのだ。自分の歌で悪魔の鳥を何とか抑え、それでも一歩及ばなかった当時のミナトにとって、その時の言葉は深く心に突き刺さったのだろう。
あの時のイツキは、片目を失った痛みと苦しみと悲しみで、ミナトに対して何も声をかけることが出来なかった。
もしもあの時、『守ってくれてありがとう』と一言でも声をかけられていれば、何かが変わっていたのだろうか。
「そんなもしもの話をしても何も変わらない。わかってはいるけど……!」
街を襲う悪魔の鳥から守ってくれたミナトの歌。
目を失ったイツキを励ましてくれたミナトの歌。
サイボーグアイを取り付ける手術の際、背中を押してくれたミナトの歌。
いつだって、イツキはミナトに助けられていた。ミナトの歌が好きだった。もう一度、ミナトの歌が聞きたかった。
だが、その願いが彼を傷つけた。
どうすればよかったのだろうか。
あの時、ミナトに言った言葉は全てが本心だ。ミナトは、戦いをするべき人間ではない。ベリトでのことに、ミナトが責任を感じる必要など無いのだ。
「……俺は」
ミナトのために何ができるだろう。
ミナトに許してもらえるとは思っていない。ただイツキは、ミナトのために──何度も助けてくれたミナトへの恩返しをしたいだけなのだ。
出来ることといえば、パイロットとして戦う程度だ。なら、それをすればいい。今までと同じように、戦争なんてものを終わらせるために戦えばいい。
「待っててくれミナト……必ずお前を──」
3年ぶり──墓が出来てから以来──に訪れる両親の墓に花を添え、黙祷をする。
瞳を開いき、顔を上げたイツキの表情は、これまでとは違っていた。決意を固め、遥か彼方に広がる宇宙を睨む。
「──もう一度歌わせてやる」
◇
「……葉月さん?」
「あ……如月さん」
生徒会室へと足を踏み入れると、そのにいたのは恋一人だった。悲しそうな表情で窓から校舎の景色を見つめている。
「航宙科が学園祭で行うエアショーについての資料を纏めたから、持ってきたんだけど……」
「ああ、ありがとうございます。如月さんも参加するんですか?」
「いや、俺はシミュレータでの模擬戦をする予定。演目の内容の作成には関わってるけどね」
「そうなのですね。……あの、航宙科の方は今どのような様子なのですか?」
震えた声で、恋はミナトに問う。
恋にとっても、今の結ヶ丘の望むものではないということが、今の様子からもわかる。だからといって、今のミナトには恋のために動くということが出来そうにもなかった。
誰かを助けるということを、自分がしてもいいのか。
また、その結果で誰かを苦しめることになるのではないか。
そう思うと、手を差し伸べることが出来なかった。
「こっちはいつもと変わらないよ。元々、航宙科は他の科との関わりも少ないから」
「そうですか……」
安心と、寂しさのようなものが入り混じった声で呟く恋。
無反応、というものは明確に敵意を抱かれるよりも受けるショックが大きい。好きな反対は無関心とも言うように、何も反応がないと言うのは一番最低レベルのものなのだ。
「この学校に入学して、俺はよかったと思ってる。この学校じゃなきゃみんなと出会えなかったから。だから、この学校が無くなるのは俺も嫌だよ」
「……ここに来て、イツキと出会ってしまったことも、如月さんは後悔してないのですか?」
恋の語気が少し強くなる。
イツキから、昨日のことを聞いたのだろう。
果たして、今の自分はどう思っているのだろうか。自分のことだと言うのに、全くわからない。
自分の感情を打ち消して、なんともないように振る舞う。もう何年もの間続けてきたことだ。
「……わからない」
「イツキは……心から如月さんに歌って欲しいと思っています。ただ、楽しそうに歌う如月さんのことを、心から──!」
歌っている時の自分。
ああ、そうだ。それこそが、自分の望んでいる姿だ。歌うことが好きで、ただがむしゃらに歌って。それだけで、満足だった。
では何故、今は歌っていないのだろうか。三年前のあの時、何を思っていたのだっただろうか。
「──歌いたい。でも、歌うことが怖い……! またあの時みたいに言われるんじゃないかって、そう思うと怖いんだ……! また、誰かを傷つけてしまうかもしれない……だから俺は!」
「如月さん……」
「──ごめん。もう帰るね」
逃げるように部屋から去っていくミナト。その背中は、いつもよりもとても小さか見えて、まるで助けを求めているように見えた。