涙の少女
唐突に感じるのは、限りなくリアルに寄せられた5つの感覚。耳から入ってくる困惑のざわめきに起こされるように、俺は目を開いた。
「――プレイヤーの諸君、私の世界へようこそ」
(絶望のシーンから始まった!)
意識が一気に覚醒する。目の前に浮かぶは赤いフードの巨人、カヤバーン。そしてさりげなく周りに目をやると、全員が目を見開いてカヤバーンを見つめていた。
(どうやら俺はいきなり現れたとかじゃないらしい。既にここに存在していた名もなき誰かに成り代わったのだろうか……モブには厳しい女神様のことだから、割と合ってる気がする)
「おいおい、ゲームの演出か?」
「茅場晶彦って言ったよな! すげえ、作者降臨じゃん!」
周りの会話を聞き流しながら、俺は体感したことのないVRの感覚に、高揚と不安が胸中を駆け巡った。女神様といる時は何だかんだ混乱してたけど、こうなっては認めざるを得ない。
(本当に、アニメの世界に来ちまったのか……!)
ありがとう女神様、でもちょっといきなりすぎて覚悟の準備が整ってないです女神様。そうして心の中で手を振っている彼女を思い浮かべていると、気づけば茅場の演説は終わっていた。
「しまった、名シーンなのに聞き逃したぁ……ファン失格だぞクソッタレ。そしてアイテムは、どうやって開くんだっけ。指を掲げて、スライドだったか?」
1人でぶつぶつと言いながら、アニメ知識を存分に活かしてメニューを開く。そこにあるソードアートオンラインをリアルに近づける為のアイテム『手鏡』を選択して、自身の手へと出現させた。
「これで俺もリアルの姿に……あれ、俺はどういう姿になるんだ? まさか前世の俺に……?」
ちょっと待ってくれ女神様。前世だとそこそこ下っ腹が出てたんですが、へっこませてくれてたりしますかね? せっかくカッコいいことしてもぽっこりお腹だと映えないんですけどォ!
「頼む高校時代くらいに戻っていてくれ、せめて運動部に入ってた頃にしてください、それかへっこませて、ライザップして! ぶんつぶーしてえええええ!!」
周りが混乱に巻き込まれていなければ、確実にヤバイ奴扱いされていたであろう独り言を叫びながら、俺の身体は輝きに包まれた。そしてそこに現れたのは……
「ま、マジかよ……」
朗報、腹は出てない。
「女神様、そういう趣味だったんすか……」
悲報、胸は結構出てる。
「ない、ない、ない……息子ないよぉぉぉぉぉ!?」
悲報(?)、女になっとる!!!!
「くそ、まさかの性転換、TSもの好きだったなんて誰が予想出来るんだよ! プロローグ出た時点ではタグになかったぞチクショウ!」
俺のエクスカリバーは失われ、手鏡で見てもかなり美しい女性になってしまった。20代前半くらいの、まあまあ美人な大学生くらいのお姉さんといった雰囲気か。ぐぬぬ、周りから何だか視線を感じるが、俺は女の子が好きなんだ。
「いや、今はそれどころじゃない。さっきのシーンがあって既に周りは大パニックだ、主人公に会うなら今すぐ行動しないと――」
「――ログアウトできない、なんで、いや、いやぁぁ……っ」
聞き覚えのある声だ。かつて画面越しに聞いた、幼い少女にピッタリなものごっつう可愛い……これは間違いない、日高里菜ボイスだ!!
「……これだけ出遅れたら、もう追い付けないよね。それに何も見稽古出来てない状態で、外に出ても勝ち目はなさそうだし」
それにすぐ隣で女の子が泣いてて、涙を止められないなんて男が廃る……いや今は女だけど。何よりも好きなキャラが泣いてるんだ、俺が助けなくて誰が助けるよ!
そう決意し、地面へと膝を着けてから彼女の涙を拭った。
「大丈夫? パニックになってて危ないから、一緒に向こうへ行かないか?」
「あ、貴女は……?」
「ああ、えっと私の名前は……何だっけ?」
「えぇっ! 分からないんですか!?」
ごめんね、確認してなかった。メニューを開いて名前欄を見ると……あの、女神様。どのキャラから引っ張ってきたのか分かりませんが、趣味がバレまくりますよ。いいんですか。
「あ、あの……大丈夫、ですか?」
「ごめんごめん、逆に心配掛けちゃった。えっと、私の名前は……マリア。お姉様って呼んでくれていいよ」
「ふぇ? えっと、マリアさん……? マリアお姉様?」
「ごふっ……き、君の名前も、聞かせてもらっていいかな?」
きょとんと首を傾げる姿に鼻血が出そうになりながらも、何とか堪えて問い掛ける。そんな俺のリアクションが面白かったのか、ようやく恐怖の抜けた柔らかな表情になって。
「私の名前はシリカです。その、声を掛けていただいて、ありがとうございました! いきなりのことでパニックになってて、私、怖くて……」
「そうだね、いきなりだとビックリするよね。茅場も女神様も反省すべきだよね」
「女神様?」
「何でもないよ、たまに変なこと言うけど気にしないで。ここだと落ち着いて話が出来ないし、一緒に宿屋にでも行かない?」
「は、はい。あの、どうしてそんなに親切にしてくれるんですか……?」
そりゃ疑問に思うわな。俺は事前に全部知ってるからアレだけど、普通なら気が狂っても仕方ない状況だ。しかし本当のことを伝えるわけにもいかないので、ここは英雄キリト君の言葉を借りよう!
「そうだねぇ、君が妹に似てたからかな。同じくらいの背丈でね、シリカちゃんと一緒でとっても可愛いんだ」
「か、かわ……えへへ、ありがとうございます」
うむ可愛い。そうして話をしている内に彼女の警戒心をなくすことが出来たようで、これからシリカちゃんと宿屋に向かうこととなった。
原作から解離しまくってる、というか主人公にすら会えてない状況だけど、とりあえず何とか頑張っていくぞー!
「……あ、あの、マリアお姉様。手を、繋いでくれませんか?」
あかん、その前に尊死するぅ……!