私と鋼鉄の少女   作:朧月夜(二次)/漆間鰯太郎(一次)

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遅くなりました。


戦場に咲いた華――後篇

 

 例えば……恋人に連絡が取れなかった時の事を考えてみる。

 

 貴方は愛するあの人と、「今夜食事をしよう。待ち合わせはいつものカフェで」そんな約束を交わす。

 とは言え直接会話するわけでは無く、昨今のスマートフォン文化の中ではかなりメジャーな簡単なテキストをやりとりするアプリケーションによってだ。

 

 今時は電話をするよりこっちの方が手軽で速い。敢えて言えば仕事中にだってこっそり使う事もできる。そんな便利さから、ほとんどの人間かこの手のアプリを重宝してるだろう。貴方と彼女もそうだ。

 

 時計は午後七時過ぎ。貴方は面倒な仕事を漸く片付け、トイレの洗面所の鏡で身だしなみを整えると足早にオフィスを後にする。その際何人かが貴方を飲みに誘うが、それを上手く躱しつつ。

 彼女の仕事の定時は午後八時までだ。互いに同じエリアのオフォス街で勤めているから、その中間地点にあるシアトル系のカフェがもっぱらの待ち合わせ場所になっている。

 

 貴方は恋人とのひと時を思い、華やぐ心を押さえつける事に苦心しながらも、無意識に足早になっている事にも気が付かずにカフェへと歩く。

 そうして貴方はカフェへとついた。カウンターで”今日のブレンド”のショートサイズを注文しながら貴方はちらりと席の物色。――――よし、喫煙エリアは空いているな――――そして灰皿と水を一緒にソーサーに載せ、目当ての席について一服を始める。

 

 自分の紫煙と他人の紫煙が混ざりあい、周囲は何とも言えない臭気に包まれてしまうがどうでもいいのだ。何せ朝の一服を自宅でしたきり、貴方は喫煙していなかったのだから。都会のオフィスビルは今や、喫煙者にとっては厳しい世界に成り果てた。

 こうして貴方は彼女が仕事を終え、身支度をしてここへやってくるまでの一時間弱の時間を楽しむのだった。

 

 ふと貴方は左手首に目をやる。そこには無理してローンで購入したスイス製のクロノグウラフがある。アナログ表示とデジタル表示が両方あるタイプの物だ。

 その時刻は既に午後十時を回っている。貴方は一人の時間を過ごすことも決して苦痛では無いため、漸くここで彼女が相当に遅刻をしている事に気が付いた。

 

 そして鞄から米国製の最新式のスマートフォンを取りだす。そして左側面にあるスイッチをチェックした。これが下にあるとすべての音が出なくなるのだ。スイッチは上にある。

 どうやら彼女からの連絡も無かったようだ。そして次にテキストをやり取りするアプリケーションを立ち上げてみる。そっちは数十件の会話が溜まっていた。その旨の表示がちかちかと光っている。

 

 しかし会話のログが溜まっているのは飲み仲間と会社関係のグループがいくつかで、彼女の物には更新が無かった。

 念のため電話のアプリケーションも確認するが、着信履歴には仕事関係の物があるばかりで、彼女の表示はやはり無かった。

 

 そうして訪れる何とも言えない胸騒ぎ。――事故にでも遭ったのか? いや、或いは自分では無い誰かとの逢瀬か? そんなはずはない。だが連絡は無い。

 そして貴方は彼女の番号をコールする。繰り返される呼び出し音。しかしそれは途切れ、不在を示すメッセージが流れる。

 きっと気が付かなかったんだとさらに鳴らす。そしてまた同じことの繰り返し。何とも言えない焦燥感が貴方を襲い、普段はそんなことする筈もない貴方が、まるで壊れたレコードの様に何度もコールしては画面に悪態をつくという行為に走る。

 

 そして思考は加速していく。根拠のない疑い、自分への卑下。不毛にも程があるというのに、その得体の知れない怒りの矛先は必然的に彼女へと向かう。

 貴方はすっかりと客のいなくなったカフェの中、近寄りがたい雰囲気を振りまきいつまでもそうしている。そろそろラストオーダーだと告げたい店員を躊躇させながら。

 

 そんな時スマートフォンが光を放つ。それは着信を知らせる物で、ディスプレイには彼女の写真が表示されている。貴方は反射的に着信した。

 

「ごっめーん。急に残業が入ってしまってさ。携帯はロッカーの中だったから連絡できなかったよ。ほんと、ごめんね?」

 

 彼女はそんなことを矢継ぎ早に言った。それはそうだ。昨今のオフィスでは、コンプライアンスの観点から、情報端末をオフィスに持ち込めないのは常識だ。貴方もまた同じような業種で働いている。少し考えれば分ったはずだ。

 しかし貴方はほっとした気持ちから一点、自分で作り上げてしまった邪推からの怒りを彼女にぶつけてしまった。

 しようと思えば連絡くらいできただろうに。自分は数時間もここにいたんだぞ、と。

 

 平謝りをする彼女。気まずい沈黙。

 結局のところ、冷静さを欠いた貴方の一人相撲でしか無かったのだが、そのせいで彼女とは気まずくなってしまった。

 たった一本、連絡が取れない事で、人は時折普段は隠れている本性を現すことがある。

 それはきっと相手への思いが強ければ強いほどそうなるのだろう。

 それが取り返しのつく範囲の話であればいいのだけれども――――

 

 では話を本筋に戻そう。佐々木は今、まさにそんな心持ちであった。

 それは大和たちに連絡を取ろうと何度も無線で呼び出すも返事が無かったからだ。

 元々の性格もあるが、自分の艦娘たちを素人なりにではあるが安全に任務に赴けるようにと自分なりに業務に励んできた成果もあって、彼はこういう時こそ冷静にいなければと考える。

 しかし状況が状況だ。何度も呼び出せどもスピーカーは無情にもノイズが鳴るだけである。

 それが尚更、彼の懸念を助長していった。

 

「…………クソッ」

 

 忙しなく立ったり座ったりを繰り返していた佐々木は、そう口汚く罵ると、工廠妖精が造り上げた小型無線機を携帯し、部屋を飛び出した。

 念のために護身用に支給された軍刀を携えはするが、そもそも剣術など知らない彼には何の役にもたちはしないだろう。それでもそれを携えるほどの小さな理性はあったようだ。

 彼が蹴飛ばすように開けたドアが軋む音だけが無人の部屋に響き、そしてすぐに周囲は沈黙に包まれた。

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

 轟と周囲の空気を巻き込み、木曾の右手に装備された20.3cm連装砲の二つの砲口から、相手の装甲を突き破るために開発された――いわゆる徹甲弾が発射された。

 それはしゅるしゅると聞く者の魂を凍らせるような独特な音を発し、そしてそれは対象に向かって着弾した。

 徹甲弾の先端には比較的柔らかい金属がまるで帽子のように被っているが、砲弾の芯の部分にはタングステン鋼と呼ばれる、重くそして硬い合金で出来ている。

 着弾と同時に帽子の部分は弾けるように爆散するが、それを突き抜けるように鋼の塊が相手の分厚い装甲を、まるでバターの塊にナイフを突き立てた時のように食い破る。

 

 それをまともに受けた深海棲艦の駆逐艦がどうなったか? それは全身是金属とも思える異形の彼女達が、一瞬にして砕け散る事となった。

 木曾を取り囲んでいる深海棲艦たちの赤い瞳がたじろぐように瞬く。

 

「ふっ、今夜の俺は少々荒っぽいぞ。そりゃあそうだ。お前らは人の家に土足で上がり込んでんだからな」

 

 周囲に火薬の匂いを漂わせながら木曾は言い放った。しかし次の攻撃にすぐさま移れるよう、油断無きよう残心する事は忘れない。

 しかしそれでも彼女達が圧倒的に人数で負けている事実は変わらない。木曾の砲撃で、しかも近距離からの攻撃で殲滅したとはいえ、まだ敵の6隻は無事でいるのだ。

 まして木曾はその背に年端もいかぬ少女を背負い、常に背中に意識を向けながら戦っているのだ。これでは万全であるとは言い難い。

 

 すると敵は、それを嘲笑うかのように左右から挟撃をしかけてきた。木曾は密かに舌打ちをし、自分が次にどう動くかを瞬時に考える。

 彼女は聞き腕である右手に砲塔を出現させているが、本来であれば両手と腰回りなどに装備を持つ。しかし今、彼女の左手は背中の少女を支えるために使われているし、その為背中に艤装を出すことも出来ない。それは非常に不利である事は間違いないのだ。

 

 艦娘の艤装とは、ある意味攻撃の制御装置のような物だ。艦娘たちはその成り立ちに合わせ、様々な形状の艤装を持つが、本質はすべて一緒である。

 物理法則を真っ向から否定した存在ではあるが、艤装の中に見た目以上の弾薬や燃料を備蓄しているし、それをすぐさま砲塔へとリンクさせ、発射させる事が出来る。

 だが木曾は本来艤装に任せオートマチックにその作業が出来ると言う行動を封印し、手動に近い作業を行いながら戦っている。

 

 言葉らしい言葉を発することもしない深海棲艦の駆逐艦。それはまるで本能のみで破壊行動をしているようにも思えるが、時折こうして相手の裏を掻くような行動を見せる。

 木曾が倒した敵が崩れ落ちるその刹那、両側から凄まじい速度で深海棲艦が迫ってきた。

 

「くっ……俺を舐めるんじゃない!」

 

 木曾は決断した。砲塔のある右手側の敵に一撃を加えることを。

 ならば反対側はどうするのか。それは左肩で敵を受け止めるのだ。

 もとよりダメージは覚悟の上だ。それよりも大事なことは、背中の少女に傷をつけぬ事。

 木曾はそれを覚悟し、行動に移そうと重心をずらした。

 その瞬間――――

 

「レディを無視するなんて失礼ね!」

 

 暗闇の中から飛び出した暁が、不敵に笑って砲口を木曾のがら空きになっている側を守る様に構えた。

 轟、轟。重なる発射音。それは示し合わせたかのようにシンクロし、そして迫っていた敵は呆気なく地面へと叩き付けられた。

 

「お子様のくせにやるじゃないか。少し見直したよ。ご褒美に頭を撫でてやろうか?」

「お子様いうな! もうっ! そうやっていっつも馬鹿にして!」

 

 木曾の軽口にぷんすか! と口をへの字に曲げる暁。

 だが木曾は背中に冷たい汗をかいていた。砲撃では無いとは言え、深海棲艦の質量をまともに身体へ受ければさすがの彼女でも無事には済まないだろう。

 この少女を親元へ送り届けるまでは、少なくとも中破は出来ない。何故なら動きが極端に緩慢な物へとなってしまうからだ。

 そうなれば少女を守り抜く事など難しいだろう。木曾は内心そう考え、暁をからかいつつも感謝した。

 

「暁、ならお前が一人前のレディだと証明して見せてくれ。これから俺は避難場所へ向かって駆ける。敵に背中を晒してだ。お前は俺が無事に辿りつけるように背中を守ってくれ。……できるか?」

「へ……?」

 

 木曾がそう言いながら浮かべた微笑は、先ほどまでのからかう様なものとは違い、確かな信頼をにじませていた。

 そして呆ける暁。彼女にとって木曾は、何というか近寄りがたい存在であった。日ごろストイックに身体を苛める木曾をどこか怖いと感じていたし、駆逐艦を嘲るような雰囲気を見せるからだ。

 もちろん木曾にそんなつもりは無いのだが、寡黙さと感情表現の少なさから、暁はそう思っていたのだ。

 

 けれど今、木曾は確かに暁へ信頼を見せている。

 非力だと自分でも感じる所がある暁であるが、いつか自分も大舞台で活躍してみたい――彼女は人知れずそう思っていた。あの大和のような、凛として勇ましい艦娘になりたくて。

 暁は今、木曾の信頼をその身に受け、恐怖とは違う身体の震えを感じている。それは武者震いという奴だろう。そして彼女は喜びで緩んだ表情を引き締める為に、頬をぱんっと自分で叩き、努めて頼もしそうな表情を作ると木曾のこう言った。

 

「ふふっ、暁の出番ね、見てなさい! 木曾の背中はしっかりと守るから、精一杯走りなさいな!」

 

 その容姿からすると年端もいかぬ少女が虚勢を張ってるように見えなくもないが、木曾には頼もしさを感じたようだ。

 木曾の目は黒髪の少女が勇ましく腕組みしながら自分を見上げる暁の姿が写っているが、眼帯で隠した”もう一つの目”には、かつてバタビヤやガダルカナル、そしてキスカなどを歴戦した戦人の魂が爛々と輝いているのがたしかに見えた。

 

「ああ、お前に背中は任せた。……行くぞっ!」

 

 木曾はにやりと暁を見ると、空いている拳で暁の胸を小突いた。これは絆の結びつきのある兵士たちがやる儀式のような物かもしれない。

 暁もまた、木曾の胸を小突き返す。もっともぷるぷると震えてしまう程に背伸びをしてであるが。

 

「さあ木曾、行きなさい。ああ、貴方たちはダメよ?」

 

 暁の号令に全く後ろは見ずに走りだした木曾。それに釣られる様に敵駆逐艦は一斉にその後を追おうとしたが、くるりと振り返った暁の瞳が鈍い赤色を放っている事に気が付き、動きを止めた。

 

「行っちゃだめって言ってるでしょ? 貴方たちは暁と遊ぶんだからね?」

 

 にこりとあどけない笑顔を浮かべた暁が無警戒に一歩前にでた。

 敵駆逐艦は無意識に一歩分下がる。

 感情など一切見せることは無い深海棲艦が一歩下がった。

 それをさせる雰囲気を今の暁が持って居たという事だ。

 

 一目散に村の外へと向かう木曾の耳に、いくつにも重なる炸裂音と、何かが破裂するような鈍い水音が交互に聞こえてきた。

 

「あーあ……始まっちまったなぁ。ったく、スイッチ入るまでが長いんだよ。本当に世話がやける」

 

 背中で気絶する少女に気遣いながらも疾走する木曾は、敵に同情しつつ自嘲気味にそう言った。

 その言葉が意味するものは、勝利への確信のみであった。

 

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

「雷おねえちゃん」

 

 闇の中、二人の小柄な少女が疾走していた。

 月明かりが周囲を照らしているとはいえ、夜の砂浜を全力疾走するのは普通の人間には出来ない芸当だ。さもありなん。彼女たちは艦娘だ。通常の人間とは違う視界を持って居る。

 少女たちは雷と電という名の駆逐艦の姉妹である。己の司令官に言い渡された任務のため、こうして人の目を避けた移動をしていたのだ。

 

 もちろん人の目だけでは無く、深海棲艦に見つかる訳にもいかない。彼の存在は艦娘と同様に電探と呼ばれるレーダーを持つ個体もある。その為2人は容易に動ける海の上を避け、こうして砂浜を移動していたという訳だ。

 そんな時先頭を走っていた雷は妹である電の呼び掛けに振り返ると、電はそこで足を留めていた。

 

「なによ。急がないと間に合わないわ!」

 

 雷が強い口調でそう窘めるも、彼女は一向に動こうとはしない。雷はやれやれと溜息をつくと、電に歩み寄った。そうして肩を抱くと、異変に気付いた。

 

「電? ……アンタ」

「雷おねえちゃん……」

 

 震えていた。電は小刻みに震え、そして俯く。雷は内心で天を仰いだ。こうなった電はやっかいだというのを知っていたからだ。

 

「アンタ、怖いの?」

「……怖い、かもしれないです。こうしている間にも、誰かが傷ついて……でも、敵だって傷ついてるです……その敵だってひょっとしたら……」

 

 電は常々平和を願っていた。彼女が思う平和は、ある意味理想の極限の様なものだ。それは誰もが傷つくこともなく笑っている……そんな像である。

 艦娘である自分。しかし魂は歴戦の軍艦の魂を持つ存在。そんな中電の過去は数々の戦火を潜り抜けたが、その任務のほとんどが護衛任務であった。時には轟沈した敵艦の乗組員を救助をしたりもした。

 そう言った過去の記憶はしっかりと彼女の魂に刻み込まれ、いま艦娘として再び生を受けた際の性格や理念が決定付けられたのかもしれない。

 ゆえに彼女は戦う事を忌避する所がある。

 

 敵を倒す。その言葉だけ見れば大切な者を守るための名分としては充分に成り立つだろう。

 しかしそれは表面的な物でしかないのだ。敵を倒すという言葉の真意は、己の何かを守るために、相手を殺すという事である。

 人間同士の喧嘩であれば、どちらかが戦闘不能に陥った時点で終わる。それはそこを踏越えることは禁忌にあたるからだ。

 人間社会という一つのコロニーでは、思いのままに殺すことは出来ない。それを許せば社会的なシステムが成立しないからだ。

 

 しかし戦争状態となれば話は別だ。大義のため相手を殺さねば、自分たちが死ぬのだ。簡単な方程式だろう。極端な話、死にたくなくば殺せ。それに尽きる。

 戦争をコントロールしている上層部にとっては、人の生き死にするら机上の数字でしかないのかもしれない。しかし前線に近ければ近いほど、それは生々しい現実でしかないのだ。

 

 電は誰よりもそれを理解している。理解した上で、他に道がないかと考える。

 それが果たして正しいことかどうかは誰にも分からない。ただ一つ言えるのは、それを考えていい状況では無いという事だ。

 しかし雷はそんな風に苦悩することが出来る我が妹をうらやましいと感じた。

 理想論は現実主義者にとっては矛盾した様に見られてしまう。だがそれは、諦めた者のいい訳でもある。誰だって理想の気持ちよさに浸るだけでは無く、それを実現出来たらと思う。

 しかし理想を突き通すという事は、好き好んで茨の道を行くことだ。

 

 誰にも理解されず、ただ誹られるのみだ。何故なら誰もそれを実現できると信じることが出来ないからだ。そうなれば必然的に孤独であるしかない。苦しく悲しい道だ。それを突き進み、理想を突き通すという事は並大抵の気概では心が折れてしまう。それくらい人の心と言う物は柔らかく壊れやすい。

 

 それでも今の電は当時の屈強な駆逐艦ではない。幼く未熟な人間の魂も持って居るのだ。

 彼女が持つ理想とその苦悩の板挟みは、時折こうして歩みを止めてしまう事になる。

 だが、と雷は考える。電、貴方は一人じゃないのよと。

 

「顔を上げなさい、電」

 

 雷は電の肩を抱いた手を放し、今度は両肩に手を置いて彼女の顔を覗き込んだ。

 

「ふぇ?」

 

 笑った。雷は月夜の中でにっこりと。

 それは誰が見ても頼もしく感じる様な、そうまるでお日様の様な笑みだ。

 

「元気がないわねぇ。そんなんじゃダメよ! 電には、私がいるじゃない! 私だけじゃない、暁や響。大和さんたち……それに、私たちを信じてくれる司令官もいるのよ! こんなとこでしょげてたら、アンタがしたいことできないじゃない!」

 

 電は思った。この姉はどうしてこうも明るく輝けるのだろうと。

 自分が挫けると、いつも当たり前に現れて、当たり前に尻を叩いてくれる。

 やはりこの姉には叶わないと。彼女もまた自分とは違った苦悩を抱え、それでも無理をして笑っている事を知っている。けれども今は、ただこの姉に縋ろう。

 そうして電は顔を上げた。そこにもう怯えは見えなかった。

 

「もう大丈夫みたいね。行ける? 電」

 

 笑顔のまま腕組みをして勇ましく問いかける雷。

 電はそれに強く頷くと、艤装から錨を外してその手に持った。

 

「電の本気を見るのです!」

 

 そんな妹を満足気に見た雷は、無駄にした時間を取り戻そうと、先ほどよりも速い速度で疾走を開始した。

 その背を追いかけながら、電は小さく礼を言った。ありがとう、と。

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

 大和を刺しているのはレ級とカテゴリーされる戦艦だった。

 大本営海軍部に長らく正体を掴ませず、それでいて苦渋を舐め続けさせていた事から、ゴーストやunknownと呼ばれていたが、大和たちも参加した例の作戦で最終的に連合艦隊を壊滅状態にまで追い込んだことではっきりと識別され、レ級戦艦とカテゴライズされたのだった。

 

 それが今、大和を貫いて涼しい笑顔を浮かべており、その光景を見た佐々木の第一艦隊の面々は一瞬で血を沸騰させ、夥しい数の深海棲艦をまるで炉辺に転がるゴミの如く屠りながらレ級に殺到しようとしていた。

 

 夜の海は漆黒だ。月の光を吸って余計に黒い。それはまるで地獄の深淵を覗いている様な気分にさせる。その中で大和とレ級だけが浮き彫りになっている様に愛宕以下の艦娘には見えた。それ以外の時間が止まっている様に。

 

 愛宕、五十鈴、加賀、島風、響。何れもがその瞳を赤く輝かせ、殺意を漲らせている。

 それらが声にならない怒りの咆哮を上げ、今まさにレ級に叩き付けんとするその刹那、か細くも、だが有無を言わさない迫力を孕んだ声が響いた。それは大和であった。

 

「……落ち着いてください。この大和、この程度の傷では沈みません。それよりしっかりしなさい。貴方たちの役割はなんですか? ここで私の仇を討つことですか? 私たちの役割はいつだって一緒の筈です。人々の平和を勝ち取る、その為に尽くすことですッ!」

 

 大和の口上は凄みを増していき、今まさに腹を鋭利な刃物で突かれてる者の弱弱しさは消え失せていた。そして彼女のために結集した艦娘たちの目から赤い光が消えた。

 

「さあ皆さん、それぞれの役割を果たしなさい。加賀、貴方が取り乱してどうします。さあ、今は貴方がここを仕切ってください。私には私の役割がありますから」

 

 大和が吃と顔を上げ、そして命令を下す。そして笑った。

 

「大和さん……」

 

 生死を共にし、誰よりも大和を慕う五十鈴が心配そうに言う。

 しかし大和はにこりと笑ったまま、頷いた。彼女もまた頷き返す。

 そして名指しで旗艦代理を言い渡された加賀は、大和を一瞥すると皆に言った。

 

「後は大和に任せましょう。私たちは有象無象を片付ければいいだけ。行くわよ」

 

 先ほどとは違い、本当の意味での冷静さを取り戻した加賀の能面の様な顔。

 それは熱く燃え上がった面々に不思議な安心感を与えた。

 そして彼女たちもまた、何かを決意した表情で頷きを交わし合う。

 

「さあ待たせましたね。ここが戦場である以上、貴方の行為を卑怯と罵る事はしません。ただし――この戦艦大和をこれくらいで沈められるとは思わない事ですッ!」

 

 頼もしい仲間たちが次々と前線に復帰していく中、不気味な笑顔で大和を刺していたレ級を不敵な笑みの大和がそう言い放つ。

 

「……? イタクナイノ?」

「おかしなことを言いますね。痛いに決まっているでしょう? でも、この程度の傷、唾でも付けておけば治ります。ですから……今度は私の番ですっ!!!」

 

 そう言い放った大和は、あろうことか自分を貫くレ級の触手染みた艤装には目もくれず、そのままレ級の細い首を掴むと持ち上げた。

 レ級の臀部から伸びた艤装は、大和に持ち上げられる事で引っ張られる。それと共に大和の腹部からぶちゅりと嫌な音がして血が噴き出るが、大和の表情は変わらない。

 ただ無表情。氷の様な視線がレ級を貫くだけだった。

 

 レ級はこのあり得ない敵の行動に不思議な感情が沸き上がる。

 それは恐怖と言う感情であるが、レ級にそれは分からない。

 深海棲艦には様々な種類がいるが、とりわけレ級は変わっていた。

 とある条件下に突然変異のように生まれるのだ。

 

 泊地を支配することで生まれる空港や港湾そのものを具現化したような、大型の深海棲艦は色々いるが、それは分かり易い条件で生まれる。

 つまりは人間の拠点を奪う事で、力ある深海棲艦がさらに大型の物へと進化し、そして知能は人間を遥かに凌駕する。

 しかしレ級だけは深海棲艦たちにも分からない。ただ気がついたらそこにいるのである。

 

 加えてレ級はその見た目通り、中身も子供の様な知能しか持たない。

 だからこそ戦艦のカテゴリーであるのに砲撃だけではなく雷撃や航空戦も出来るというふさげた存在のレ級が、子供の様な無邪気さで、ただ無差別に殺戮行為を行う。

 それは他の深海棲艦の様な人間や艦娘への恨みによる憎悪の様に、しっかりとした理由で暴れる訳では無いのだ。

 ゆえにレ級は神出鬼没。それぞれの地域を仕切っている大型深海棲艦にもある意味では制御することが出来ない存在と言えるのだ。

 

 そんなレ級が今、目の前にいる本来であれば取るに足らない存在のはずの艦娘に怯えた。

 ぎりぎりと万力の様に占められる己の首。レ級は丸い瞳を大和と己の首を行き来させた。

 ”イタイ デモ ウゴケナイ ナンデ?”

 恐怖で身体が硬直するという経験をレ級は知らない。それ故なぜ自分が今動けないのかが理解できない。

 

 深海棲艦にとって呼吸は特に必要とはしない。そもそも存在が人間や艦娘とは異なるのだ。

 しかしぎりぎりと己の頸が絞められ、表皮から筋肉へ、そして骨へとそれは伝わり、みしみしと軋む。

 単純思考しかできないレ級でも、この状況が危険な事だけは分かった。

 だから本能的に動かした。艤装を。

 

「ッ……!!」

 

 ぐぷっと言う音がし、さらに大和の腹部から鮮血が噴き出る。

 そして一瞬、大和の整った眉が顰められるが、ただそれだけであった。

 いや、さらに頸を締め付ける力が増した。

 

「ッ!?」

「ふふっ、ふふふっ……貴方でも表情が変わるのですね」

 

 まるで残念でしたとでも言う様な表情で大和は笑った。

 レ級は恐慌する。大和の凄惨さに。

 己が振りまく恐怖が今、すべて自分に返ってきている。

 ふとレ級は思う。この音は何だろうと。

 金属が擦りあう様な甲高い音。

 ぎりぎり、きりきりと。

 混乱からか、瞳を黄色や青に変化させるレ級の瞳に、その音の正体が写った。

 

 それは大和の艤装から発せられる音だ。

 彼女の身体を中心に、在りし日の戦艦大和の船底をイメージさせるような重厚な艤装。

 今存在する艦娘の誰よりも大きく雄々しいその艤装に換装された四つの砲塔。

 そしてそれぞれに三つずつ存在する砲口、つまり計十二の砲口がすべて、レ級の顔を狙っている。

 

 その口径は四十六センチ。それは装填されている砲弾の大きさだ。

 最大射程四十キロメートルに達すると言われるまさに化け物の主砲。

 レ級には夜の闇の中だというのに、それらが何か綺麗な物に見えていた。

 規則的な円を描きそびえ立つ砲塔は、たしかに機能美の粋であると言える。

 しかしそれらは敵を殺すための武器だ。そしてそれはすべてレ級を向いている。

 迫る死の匂い。感情に鈍いレ級はそれを何故か美しいと感じたのだ。

 

「…………シヌ?」

「ええ」

「…………イタイ?」

「ええ」

「キエル?」

「はい」

 

 周囲では加賀を筆頭とした艦娘たちが獅子奮迅の活躍で次々と深海棲艦の数を減らす。

 旗艦の大和の身体を張った叱咤に、今や彼女達は輝きを取り戻した。

 飛び交う砲弾。炸裂する魚雷に爆雷。空気を切り裂く艦載機。

 ここは確かに最前線だ。だのに大和とレ級の周囲の空間だけが、周りから切り離されたように静かだった。

 視線を交わし合う大和とレ級。無意味に繰り返される不思議な問答。

 その時レ級が初めて身じろぎをした。大和の手から逃れようと。

 

「キエタクナイ」

「………………」

「キエタクナイッ!」

「………………残念です。貴方は生きていてはいけない」

「ヤダ ヤダ ヤダッ!」

 

 まったく表情が変化しないのに、何故かレ級の瞬きをしない瞳から涙が零れた。

 それはレ級にとっても無意識だったのだろう。レ級はそれを不思議そうに見るが、その後まるで幼子の様に手足をばたつかせて叫んだ。

 その声は機械的な声色である事には変わりがないが、確かにレ級の感情が載っている。

 

 大和は考える。きっと今、自分は悲痛な表情をしているだろうと。

 しかし――――

 

「またいつか会いましょう。今度は――――私たちの側で……ごめんなさい」

 

 加賀は最後だと思われる戦艦と空母に爆撃を行った。

 激しい爆発と共に、敵は静かに沈んでいった。

 そんな彼女の耳に、今日の戦闘の中で一際大きな炸裂音が届いた。

 それに続いて、何かが破裂するような音も。

 

 五十鈴を見る。愛宕を見る。島風と響を見る。

 それぞれがそれぞれの敵を仕留め、水面に浮いていた。

 返り血でその美しい顔を真っ赤に染めて。

 そして互いに顔を見合わせ、そして頷く。

 これはきっと勝利だ。何故なら自分たち以外に誰も居ないからだ。

 自分たちは町を防衛出来たのだ――加賀はそう思えど、何故か気持ちは沈んでいる事に気が付くのであった。

 

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

 

「お前たち無事かッ!!!」

 

 大和たちは港に戻ってきた。もっとも大和自身は愛宕に簡易的な止血を施され、その上で肩を貸してもらっての物であるが。誰もが口を閉ざし、どこか重苦しい凱旋となった。

 そんな一同を出迎えたのは珍妙な姿の佐々木であった。辛うじて制服は着ている物の、その背には工廠妖精によって小型化されてるとは言え、人間の佐々木が背負うには大きいだろう無線機がある。

 その姿はまるで入学したての小学生がランドセルを背負っているようだ。

 

 加えて佐々木は抜き身の軍刀を右手に携えているが、全く剣道を知らない彼であるから相当に不恰好な物である。そんな彼が悲痛な表情で大騒ぎしているのだ。

 

「…………くっ」

「あは、あはははははは!」

「ふふっ、ふふふふふふ……」

 

 そんな彼を見て誰かが耐え切れずに含み笑いを洩らす。それがきっかけとなり、笑いは次々と伝播した。それも腹を抱えるほどの馬鹿笑い。普段表情をあまり外に出さない島風ですら涙を流さん程に笑い転げていた。加賀など顔を背けているが、その肩は小刻みに揺れている。

 

「お、おい、大和、け、怪我してるじゃないか! だだだ大丈夫か?! 私は無線に出ないから心配で心配で……」

「くっ、くふっ……て、提督、傷に響くので笑わせないでください、ふふふふ……」

「お、おう? でも入渠したほうが良いぞ?」

「くふふふふふふふふっ!」

 

 一人取り残されぽかんと首をかしげる佐々木。

 彼には気の毒であるが、艦娘たちは彼の間抜けな姿を見て漸く自分たちが無事に帰投出来たことを実感できたのだ。この一生懸命で真面目で、それでいて頼りない自分たちの司令官の慌てる姿を見て。それが張り詰めていた彼女たちの心を弛緩させたのだ。

 愛宕に肩を借りている大和すら声をあげて笑っている。まあとにかく全員無事だったのだから良いかと佐々木はひとまず安心することにした。半ば捨て鉢であるが。

 

 それもやがてさざ波となり、それぞれは落ち着きを取り戻した。

 それと共に面々は居住まいを正し、横一列に整列した。

 島風が、響が大和を見る。五十鈴もまた彼女を見た。

 愛宕は肩を貸していた大和を慎重に離すと、彼女を見て頷いた。

 それを見て大和も察する。そして重たい足を引きずりながら一歩前に出た。

 

「提督、第一艦隊、帰投しました」

 

 愛宕のコートを切り裂き、それを止血帯変わりに腹部に巻いた痛々しい姿であるが、直立して敬礼を見せる大和はやはり、連合艦隊の旗艦を務めただけある威厳と気品に溢れていた。

 その凛とした姿に一瞬見惚れた佐々木であったが、軍刀を地面に突き刺すと帽子を直して大和に答礼した。

 

「………………」

 

 だが俯き気味な佐々木は一言も言葉を発しない。

 そんな佐々木を怪訝そうに一同は見ている。

 帰投の際の言葉は、ある種の儀式の様な物だ。

 互いの無事を確認し合い、そしてこれで終わりなのだと気持ちに区切りをつけるそんな儀式である。

 しかしいくら待とうと佐々木は何も言わない。ただ敬礼を維持したまま俯くだけだ。

 大和も一同を見回し首をかしげた。

 

「……おかえり」

 

 そして長い時間が経ち、一言だけ佐々木がそう言った。

 それは鎮守府を預かる司令官の言葉では無く、ただ家族を待ち、漸く無事に会えた事に感極まったただの男の言葉だった。

 佐々木は泣いていた。何かを言おうとしても、嗚咽がそれを邪魔をする。

 そこから捻り出たのはおかえりという言葉のみ。

 彼の艦娘たちはそこで本当に勝利したのだと実感できたのだった。

 

 その後、気が緩み苦痛を訴えた大和の声をきっかけに、一同は鎮守府へと戻ることにした。

 大和は愛宕と五十鈴に両脇から抱えられて。佐々木に報告を終えた事で、一気に痛みが身体を襲ったようだ。

 頑丈な大和と言えど、今回の傷は深かった。ともすると轟沈してもおかしくはない程に。

 それを見せなかったのは彼女の信念とプライドの強さからだけでしかない。

 

 皆が大和を気遣いながら入渠施設に向かって歩いていく。

 しかし佐々木が一緒にいない事に島風が気付いた。

 

 彼女達が丘に上がった地点からもう二百メートルは歩いただろうか?

 振り返った島風は佐々木の姿を探した。

 すると彼はまだそこにいた。あれほどに感動の再会となった場所に佇んでいる。

 遠目ではあるが、島風には佐々木が無線機に向かって何かを話しているのが見えた。

 しかしその表情はとても冷酷な物に見えた。

 

「……お兄さん?」

 

 島風が見ているのに気が付いたのか、佐々木が彼女を見ると手を振ってよこした。

 その表情はいつもの柔らかい物だった。

 気のせいかな? ――――島風はそう思うことにした。

 

「お兄さん早くぅ! もうおっそーい!」

 

 とにかくこうして、強襲した深海棲艦からの防衛は、無傷とはいかなかったが、轟沈者を出すこと無く終えることが出来たのだった。

 しかし町には沢山の傷跡が残っている。明日からはその復興に忙しくなるだろう。

 敵を排除したら終了――――そうならないのが人間社会なのだから。

 

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

 戦闘の爪痕はあちこちに残っているが、明け方近く、町はひと時の休息を得た。

 避難場所では子供が行方不明となり騒ぎとなっていたが、木曾と暁が無事に連れ戻し、人々は安心することが出来た。

 避難していた住人達は鎮守府から発せられた安全宣言を持って、それぞれが岐路についたが、深海棲艦の攻撃により住居を破壊された者たちは鎮守府エリアの緩衝地区に仮設テントが用意され、混乱が起こることは無かった。

 これら町のインフラに関わる復興や、個人レベルの被害については町主導で明日以降、順繰りと解決に向かうだろう。もちろん佐々木の鎮守府も、それのバックアップを行う事を約束している。

 

 そんな中佐々木は、海沿いの道を倉庫群に向かって歩いていた。

 朝陽の昇る寸前の海が赤々と輝いており、その絶景を彼は眩しそうに目を細めて眺めている。

 

「暁の水平線に勝利を……か。勝つには勝ったが、むしろこの後の方が大変だな……」

 

 佐々木はそう呟き、止めていた足を進めた。

 今の彼の表情には、普段の柔和な物は無かった。

 ただ無表情で何を考えているかが伺えない様な類の物だ。

 

 彼の艦娘たちは激戦の疲れのため、被弾の少ない者は既に床に入っている。

 細かい報告などは後でいいと佐々木が許可したのだ。

 大和は大破状態だったため、早々に入渠している。

 恐らく数日は動くことが出来ないだろう。それほどに彼女の状態は酷かった。

 その為現在の鎮守府は静まり返っており、起きている者は限られていた。

 

 司令部本棟から港湾部を横切り、佐々木はとある倉庫の前に立つ。

 彼はそこで一つ、深い溜息をつくと、赤い錆止めで塗られた鉄製の大きな扉を開いた。

 扉が開くと真っ暗だった倉庫内が朝陽で照らされるが、奥までは見渡せない。

 光に照らされた部分だけが舞う埃に反射し、何とも言えない光景を作りだしている。

 

「司令官、遅かったわね」

「……待っていたのです」

 

 佐々木が中へ一歩踏み出すと、どこからか彼に声が掛った。

 彼はそれを受け帽子を深く被りなおすと、その声の方向へと向かった。

 その先に居たのは雷と電である。何れも強張った表情をしており、瞳は左右に忙しく動いていた。

 彼はそんな二人を労う様に頭を撫でると、雷に明かりをつけるように言った。

 無言でうなずいた雷は、壁際にあるいくつかのガス灯をつけて回るのだった。

 

 ガス灯は蛍光灯の様にスイッチを押してから直ぐに明るくなる事はない。

 じわり、じわりと光量を増し、かなりの時間をかけて周囲を照らす。

 とは言ってもガス灯の周囲の限られた範囲しか照らすことが出来ず、室内すべてを賄うには至らないが。

 

「雷、電、つらい事をさせたな。後は私が引き受けるから宿舎に戻りなさい」

 

 ガス灯を付け終えた雷と、迷いのある表情の電に向かって佐々木がそう言った。

 その表情には、どこか有無を言わさない何かがあった。

 

「私は最後まで居るわ。途中で投げ出すなんて嫌よ」

 

 吃と表情を曇らせた雷が言う。その隣で電も頷いている。

 佐々木は仕様がないなという風に溜息を一つ。

 

「辛くなるかもしれんぞ? それに今後私を信用できなくなるかもしれない」

 

 佐々木は直立不動のまま、二人を見下ろした。

 雷は普段の彼からは想像出来ない迫力に、一瞬たじろぐが、勝気な表情になると言い返した。それに電も続く。

 

「私は駆逐艦の雷よ。司令官よりもたーくさん修羅場を知っているわ! あまり私を見くびらないことね!」

「わ、私も電です。見た目はこんな風ですけど……だから逃げないのです!」

 

 じっと二人を睨む佐々木。重苦しい沈黙が辺りを包む。

 けれども姉妹もまたそこから視線を外さない。

 そんな沈黙がいつまでも続くと思われたその時、佐々木が口を開いた。

 

「なら最後まで付き合ってくれ。私の我儘に――――

 

 そう言って佐々木は振り返った。

 煉瓦で作られた倉庫の内壁際にいくつかのベッドが並んでいる。

 そのベッドには真新しいシーツが敷かれ、そしてその上には何かが寝ていた。

 

 何か。そう何かだ。つまり寝ているのは人間では無いという事だ。

 そこに寝ていたのは――――深海棲艦。

 ここを襲っていた張本人の姿である。

 ただし四肢は拘束され、口には猿轡が噛ませてある。

 

 佐々木が雷と電に出した指令。

 それは息のある深海棲艦の鹵獲であった――――

 

 

 つづく

 

 




※修正
10月15日 大本営表記を大本営海軍部に修正

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