推理小説のワトソン役に転生したけど、原作ファンなので犯人もトリックも全部知っています   作:k-san

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メタレベルでの幕間(2)
第9話 名探偵の絶対性


 館での件がひと段落つき、僕は休暇を貰った。メンタル的な疲労はまだ抜けないものの、昨日は十五時間も眠りこけていたので、睡眠時間はばっちりだった。これ以上は(やす)もうにも寝めない。

 

 スムーズに起床し、しゃきっとした頭で時間を確認すると、もう昼前だった。

 

 さて、今日は何をしようか……。

 何をするでもなく部屋を見回すと、改めてその殺風景さに思い至る。そうだ。本を買いに行こうと思っていたんだった。

 

 というわけで僕は近所の古本屋に向かうことにした。本当は大型書店へ向かいたいところだったが、しばらくは財布のひもを緩められない事情があった。

 

 古本屋に立ち寄る前に、安い牛丼チェーンで腹ごしらえをした。大盛の牛丼を注文し、勢いよくかっ食らった。しかし想定よりも量が多く――いや、僕の腹に収まる限界値が低く、か――途中で満腹になってしまう。

 

 う……どうしよう。

 どうもこうもない。注文した手前、残すわけにはいかず、僕は残りの牛丼を無理やり腹にかきこんだ。

 吐き気を催しながら、店をあとにする。

 

 

 

 古本屋に来てまず向かったのはノベルスの棚。そこでめぼしいミステリを籠に入れていく。見たこともない作家の名前があると、「もしやこの世界にしか存在しない作家か!?」と胸が熱くなった。単に僕の無知かもしれないが。

 

 文庫のコーナーへ行き、「あ行」から順に背表紙に目を走らせると、途中で「大城龍太郎」の名前を見かけた。

 

「あ……」

 

 冷や水を浴びせられた感覚。

 気持ちの昂揚(こうよう)が一気に冷める。

 

 なんとなく目を逸らし、かといって他の本を探すでもなくただその場に立ち尽くしていると、「大城龍太郎、死んだんだってね」と声がかかった。

 

「えっ!」

 

 急に話しかけられたのと、話題が大城龍太郎だったこともあって過剰なリアクションをとってしまう。

 隣を見ると、黒髪を肩まで伸ばしたパーカーの女の子が立っていた。前髪が眼鏡にかかるほど長い。陰か陽かで言うなら間違いなく《陰》の側にいるであろう雰囲気だった。おそらく高校生。

 彼女は僕の過剰反応に少し驚いたようで、目を丸くしていた。

 

「……なに、もしかして大城龍太郎知らない? すごい有名だし、地元の作家だけど」

 

「いや、知ってるよ。知ってる」

 

「あそう。もしかして死んだのを知らなかった? それでこんなところに立ち尽くしてるのかと思ったけど」

 

「あ、ごめん」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()僕が邪魔で声をかけたのかもしれない。

 

「いや、そういうんじゃないんだけどね。……ところであんた、大城龍太郎の小説は読んだことある?」

 

「まったく」僕は首を横に振る。

 

「ふうん。まあ、見るからに推理小説オタクって感じだもんね」

 

 少女は僕の籠の中身にちらりと目をやった。

 

「でも大城龍太郎ってミステリの影響受けてるっぽいとかよくミステリ読者から名前が上がるけどね。そういうふうに横に広げてったりはしないんだ?」

 

 そういえば綾城さんも確かそんなようなことを言っていたような……。

 この少女もミステリが好きなのだろうか? 僕はなんとなく嬉しくなる。

 

「まあ、そういうこともあるけど。大城龍太郎はたまたま読んでなかっただけだよ」

 

「じゃあこれを機に読むと良いよ。けっこう面白いし」

 

「君は本が好きなんだね」

 

「まあね。とくにミステリが好きかな。おたくと一緒だよ。話しかけたのも、本の趣味がいいなって思ってさ」

 

 少女は顎で僕の持つ籠を示した。

 

「じゃあ、君とは趣味が合いそうだ」

 

「私と趣味が合うだなんて、ろくでもないやつに決まってる」

 

「同感だ」

 

 僕らは笑い合う。

 

 

 

 それから少女とはなんとなくいい雰囲気になり、本棚の隅に寄ってミステリについて話し込んだ。その中で、僕はふと気になっていたことを口にした。

 

「ある日突然、名探偵が謎を解けなくなったとしたら、それはなんでだと思う?」

 

 無論、綾城さんのことだ。

 先日の《入れ子の館》での一件で、綾城さんの推理力が急に鈍るという珍現象があった。それがいったいなんであろうかと疑問に思ってはいたが、考える余裕がなくて保留としていた。

 綾城さんの前でこんなことは絶対に言えないけれど、この少女とは偶然出会い、おそらくこのまま二度と再会することはない。一期一会の相手なので、僕はなんでも訊けるのだった。この際だから、ミステリ談議にかこつけて現状の不可思議についてこっそり相談しようと思う。

 

「あんた、わかってないね」

 

 少女はそう言ってにやりと笑った。先程から生意気な口の利き方をする子なのだが、それが一貫して嫌な感じのしない不思議。たぶん、そのシニカルな態度が妙に板についているからだろう。僕がやったら二言目で殴られる。

 

「《名探偵》ってのは職業じゃない……これはわかるでしょ? 一般的によく言われるのは、名のある探偵に他者がつける称号ってやつかな。――でも、これも実のところ違う。なんも知らん馬鹿がよくメタミスのあらすじを見て『名探偵って自分で言うな!』とかほざくけどね。あれはプロットレベルに分解した《役割》を露骨に表現してるんだよ!

 ……ってああ、正解言っちゃった。そう、正解は《役割》だよ。推理小説において、最終的に謎を解き明かす者の役割を《名探偵》って言うんだ。つまり探偵だろうと刑事だろうと、素人だろうと探偵の助手であろうと、ミステリで最後に謎を解き明かすやつがいたらそいつが《名探偵》なんだ」

 

 これはわりとよく聞く名探偵論だ。だが改めて言葉にしてもらうと勉強になる。

 ふんふん、と僕は少女の話に聞き入った。

 

「より厳密に言うと、《名探偵》ってのはプロットにおける機能を指す。ミステリってのの機能を最大単位に抽象化すると、《謎》と《解明》のプロセスに分かれる。つまり『謎があってそれが解かれる』プロットを人はミステリと呼ぶわけ。

 でも本当にそれだけじゃあただのクイズであって、物語ではないでしょ? だからもう少し機能の単位を小さくすると、《謎》と《解明》のあいだに《推理》が生まれるのよ。まああいだに生まれるというよりは《解明》に含まれるって感じだけど。

 無論なんの媒介もなしに機械的に《推理》と《解明》が生まれるわけはないから、その具象化として――その触媒として《名探偵》の存在が現れる。

 要するに《名探偵》ってのはミステリというもののプロットから必然的に要請された機能であって、役割ってわけ。だから謎が解けない名探偵ってのは《名探偵》じゃない。米のないカレーライスみたいな矛盾した日本語」

 

 なるほどな。つまり謎が解けない綾城さんはすでに《名探偵》ではないってわけか。

 ……いや、僕の《調整》によって最終的に謎が解けているのなら、それは《名探偵》としての役割を全うしているということでは? それともその場合は僕が《名探偵》ということになるのか?

 

 ……ううん、難しい。

 

「ちなみにこの話を現実に敷衍(ふえん)するとさ、《名探偵》ってものの存在はあり得なくなる」

 

「え、なんで?」

 

 話が僕の問題にピンポイントで繋がったため、僕は食いついた。僕の食いつきに少女は気をよくして、更なる饒舌ぶりを見せる。

 

「言ったろ? 必ず謎が解けなければ《名探偵》ではないって。でも現実に事件が起きてさ、それを絶対、百パー、解決できるかって言ったら、絶対の保証はできないわけでしょ? 人間なんだし、間違いはある。それに解決できたとして、それが絶対の真実であるとは、神様でもなければわかりっこない。

 これは実は推理小説内においても言える。……《後期クイーン的問題》って知ってる?」

 

「知ってるよ」

 

《後期クイーン的問題》とは、いわば名探偵の絶対性に疑義を問いかける命題だ。

 

 ミステリにおいて《名探偵》は事件を解決する。僕たち読者は小説の終わりで投げられた《推理》を絶対の解答と見做し、謎が解かれた満足感や余韻と共に、静かに本を閉じる。しかし作中世界において、作中の現実を生きる《名探偵》には、自分の行った《推理》が絶対のものであるかどうかなんてわかりっこないのだ。

 

 もしかしたら《真犯人》が撒いた偽の手がかりをもとに、間違った人物を《犯人》として指摘したのかもしれない。《犯人》が自らの犯行を認めたとしても、それは誰かを庇っているだけなのかもしれない。どんなに完璧な推理をしたって、それに類する不安はどこかで必ず残る。

 僕たちはミステリのお約束としてそれが《正しい正解》と納得することができるが、作中の登場人物たちにとっては必ずしもそうとは限らない。

《名探偵》は自らの推理の絶対性を保証することができない。

 

 フィクションで絶対的に振る舞う《名探偵》の絶対性を揺るがす命題。それが《後期クイーン的問題》である。

 

「じゃあ話は早いね。《後期クイーン的問題》が解消されない以上、いくらフィクションの登場人物だからと言って一概に《名探偵》とは言い切れない。もちろんメタレベルでは《名探偵》の機能を全うしているだろうし、私たちの目線から推理小説の名探偵を《名探偵》と呼ぶことになんの問題もない。でも作中ってのは登場人物にとっては現実だ。現実である以上、《後期クイーン的問題》から逃れることはできない。だから作中のレベルで《名探偵》の存在はあり得ない。

 世の中に探偵小説を謳う作品はごまんとあるけどね、その中に真の意味で《名探偵》を描いた小説は一作もないと私は断言する」

 

 面白い論だが、名探偵を支持するミステリ読者としては納得しがたい。僕は反論を試みる。

 

「でもミステリの世界にはデータが揃えばその瞬間に必ず真相に到達する《メタ探偵》もとい《探偵神》がいるよ。それに、全知全能の神様が探偵役だとか、無謬の探偵だとか、そういった探偵だっている。作中レベルで《名探偵》があり得ないとは限らないんじゃないかな?」

 

「そいつらの場合は、作者によってメタレベルで()()と保証されているだけに過ぎない。メタレベルの私たちと連携があったら、厳密に作中レベルでの《名探偵》とは言えないね。第一、最初のやつなんて《メタ探偵》って言っちゃってるじゃんか。自家撞着(じかどうちゃく)にも程があるよ。

 これは確かに《後期クイーン的問題》を意識したキャラ付けではあるけど、結果行われていることは《名探偵》のパロディであって、つまり《後期クイーン的問題》を露骨に明示化しただけだ。解消ではないかな」

 

 なるほどなぁー……。

 つまり僕が《綾城彩花》シリーズとして名探偵・綾城彩花を追っていたとき、《名探偵》の絶対性は作者によって保証されていた。

 しかし僕が《綾城彩花》シリーズに転生した時点でここは現実となり、作者の保証の及ばない世界と化してしまった。故に綾城さんの持っていた絶対性は揺らぎ、《名探偵》としての機能は失われた。

 それがこの不可思議で危うい現状の正体ってわけか。

 

 ただし、物語のプロットを知っている僕の恣意的《調整》は、いわばプロット通りに物語を展開し登場人物を動かす《作者の恣意》と一致する。つまり《作者の保証》に限りなく近い類似品は僕が提供できるわけだ。その限りにおいて、綾城さんは《名探偵》としての絶対性を一応は確保できる。

 ことによっては綾城さんは《真の意味での名探偵》足りうる初めての存在なのかもしれない。

 

 はあ~……ミステリって奥が深いや。

 

「もしかしてあんたミステリ書き? それで意見を募ってるの? メタミスでも書くわけ?」

 

「いやいや、全然違うよ。そっちこそ普段ミステリとか書いてそうだけどね」

 

「ただの読み専だよ。ま、いまの話がなにかしらの役に立ったなら光栄だ」

 

 それからいくつか言葉を交わし、僕たちは別れた。

 僕は籠に収められた推理小説を購入し、ほくほくで家に帰る。テレビをつけると、地元のニュース番組が大城龍太郎の死を大々的に報道していた。


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