この世界においては、どういうわけか上条恭介が怪我をしていない。
いや、正確に言えば、怪我はしたのだがすぐに治ったのだ。
羅輯の前世の世界の医療技術が持ち込まれていたからだ。
かくして、羅輯はそれでコンサートに行く羽目になっていた。
「寝るな、マセガキ」
美樹さやかにこつんと頭を叩かれる。
彼女や鹿目まどかは近所のお姉さん的存在だった。
それゆえに、よくコンサートに連れて行かれることが多い。
なお、この世界の恭介は自暴自棄にならなかった。
ゆえに、さやかも魔法少女になっている様子は見受けられない。
さて、コンサートで演奏される音楽はクラシックの交響曲のようだった。
『ようだった』というのは、それが本物のクラシックではなかったからだ。
この時代の文化と芸術は三体危機以前というよりは、抑止紀元のものに近い。
美学的な新しい基礎の上に、ポスト・ポストモダニズムが築かれているのだ。
現代文化特有の暗い絶望感や奇怪なノイズはまだ残されていた。
だが、だんだんと過去に例のないあたたかなのどかさとオプティミズムが台頭していた。
それは決してまどマギの世界ではありえないようなことだろう。
それほどにまで前世の地球文化は影響力を有していたということだ。
(・・・確かに史兄の言う通りだな。今はいい時代、だ)
確かにまどか山という脅威はある。
しかし、ワルプルギスを倒した人類に恐れるものがあろうか?
羅輯はいい気分で音楽を聴いていた。
彼の中で、過去のことは夢となっていた。
「ヴァアアアアアアッ!」
アリナは冷や汗に塗れた状態で目覚めた。
もはや彼女にとって、この世界は悪夢そのものだった。
ありとあらゆる方面で、根無しの楽観主義が蔓延していた。
もちろん、彼女の芸術だって評価されてはいた。
審査員の手紙にも『今の芸術に対抗できるかもしれない』と書かれていた。
それでもなお、この世界は悪夢そのものだった。
かつて自分が惹かれた魔女も、最近は数を減らしつつある。
この世界は偽善に満ちつつある。死が忘れ去られるのも時間の問題だろう。
それが彼女にとっては苦しみでしかなかった。
「・・・ぶっ壊してやル」
彼女は起き上がって、キャンバスに思いっきり赤い絵の具をぶちまけた。
そこに書かれていたのは、あの物理学者の丁儀の肖像画だった。
これで、一つの作品が完成した。
このクソッタレで偽善と根無し楽観主義の文化に対する反逆だ。
「アハハ!」
「おっす、おはよ。まだ深夜の三時だけど」
とある青年が飲み物を持って部屋に入ってきた。
「コーヤも寝てないんじゃん」
「これでも一団体のリーダーだからね」
コーヤと呼ばれた青年はコップを差し出す。
「アリガト・・・そういえば、コーヤはどうして発電所建設に反対してるワケ?」
発電所建設というのは、最近になって現れた計画のことだ。
見滝原と同じように、神浜市にも試験的に制御核融合発電所を建設するというものだ。
コーヤはそれに反対する団体の若き青年リーダーであった。
「二度と帰る場所を奪われたくない。ただそれだけのことだよ」
「フーン・・・」