勝ち逃げツインターボ   作:TrueLight

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阪神ジュベナイルフィリーズ

 ついに迎えた12月上旬の某日(Xデー)、場所は阪神レース場。何をしに来たのかなんて言うまでもないだろう。ターボを控え室に送り届けた俺は、観客席の最前列で開始の時を待っていた。

 

 学園からバスで発った時、ターボはいつもどおり元気よく、これから挑む格式高いレースにも怯んでいる様子はなかった。しかし……今まさに行われているパドックでのお披露目では、ターボに普段の笑みはない。緊張しているんだろう、当たり前といえば当たり前だ。

 

「──ふぅーっ……」

 

 そしてそれは、実際に走るわけでもない俺でさえ例外じゃない。阪神レース場、収容人数8万人。10月に挑んだサウジアラビアロイヤルカップ、アルテミスステークスはどちらも東京レース場で行われたが、収容人数20万人以上を誇るその場所は満員には程遠い来客数だった。しかし今、ターボを含む18人の少女たちには8万、いやそれ以上の注目が集まっているのだ。中高生の少女に緊張するなという方がバカげた話である。

 

 メイクデビューの時からレース場に訪れる人の多さは毎度のごとく体感してきたが、それでも今日この時。今までのレースとは文字通り格が違うのだとまざまざと見せつけられている。

 

「……勝てる」

 

 じっとりと手のひらに浮かぶ汗を余所行きのスーツの袖で拭い、思わず震える声で一つ呟いた。ターボは緊張している、間違いない。だがそれは他のウマ娘たちも同様、あるいはターボ以上にコンディションが悪い。ヒシアマゾンの応援にと観戦したエリザベス女王杯、そこで俺たちは確かにG1というレースの空気に僅かながら触れることが出来た。

 

 しかしターボと競う17人のウマ娘たちのほとんどから、シニア級のヒシアマゾンを含め、あのエリザベス女王杯で走った優駿のような気迫は感じられない。それも仕方ないだろう、この阪神ジュベナイルフィリーズは他のG1レースに比べると出走条件がかなり緩い。

 

 もちろん申込みが多ければ、出走したレースやその勝利数を鑑みて参加が叶わないウマ娘も出てくるだろうが、今日走る娘の中には"ダメ元で申し込んだ結果出走できてしまった"という場合も有るだろう。おそらく顔面蒼白で落ち着かない何人かのウマ娘はそのパターンだ。

 

「大丈夫だ、勝てる」

 

 ウオッカ。アルテミスステークスではターボに次いで2着でゴールし、前月のコースレコードに肉薄したウマ娘。ターボがこのレースを走り抜く上で最も手強いライバルになると予想された彼女でさえ、万来の観客に、この日のためにと仕上げてきたライバルの存在に気圧されているのがひと目で分かる。会場の雰囲気に呑まれているのは間違いない。

 

「一番仕上がってるのは間違いなくターボだ。勝てるぞ……」

 

 ほとんどのウマ娘は緊張に顔を強張らせている。けれど……"ダメ元で申し込んだ結果出走できてしまった"、これがプラスに働いているウマ娘も何人か見受けられる。G1レースというのはある種の夢だ。地方から中央トレセン学園に繰り出し、一つでも獲って故郷に凱旋すればヒーローと言っても過言ではない。

 

 挑戦が許されるウマ娘はほんの一握り。ゆえにたった一つ、もう二度と参戦すら叶わないかもしれない大舞台で勝利を手にしたい。この先トゥインクル・シリーズを駆け抜けることが叶わなくても、送り出してくれた家族のもとに胸を張って帰りたい。栄光を、届けたい。このレースに己の人生すら賭ける。そんな気迫でレースに臨むウマ娘は、少なくとも確かに目前に存在するのだ。

 

 だが大丈夫だ。レースに対する覚悟は大切だ、しかしそれだけで勝利できるならトレーナーの存在なんて不要だ。独りじゃどう頑張っても届かないレースがある。ウマ娘とトレーナー。歩幅の全く違うそれぞれが互いを信頼し、二人三脚で進むからこそ届き得る栄光がG1だ。俺とターボには届く。その確信が、積み重ねた時間がある。

 

「勝てるんだ。だから……笑ってくれ、ターボ」

 

 祈るように、口を真一文字に引き結んだターボへ視線を向ける。阪神レース場の芝1600Mは向こう正面半ばからスタートとなる。俺が立っている観客席、ホームストレッチ側から発走地点に向かおうとしているターボもまた、G1という舞台に普段の快活さは鳴りを潜めていた。

 

 ──こっちを見ろ、ターボ。いつもみたいに笑って……楽しんで、そして勝って来い……!

 

 レースが始まる時、ターボはいつだって俺を見た。勝ち気に笑って、任せろと。勝つところを見ていろと言わんばかりに胸を張っていた。負けたレースだってそうだ、レースの中で焦ったり、恐怖に負けてしまうことはあれど。始まる前はいつだって笑ってレースに臨んでいた。

 

 しかし目前のターボは、あれだけ手にした時(はしゃ)いでいた勝負服に身を包んでいても悄然(しょうぜん)としている。俺の存在に気づくこともなく、目の前を気難しい表情で通り過ぎようとしている。

 

 ……思えば、そうだ。楽しそうにレースに挑む時、いつだってターボは俺を見た。ギザギザの歯を見せつけて、嬉しそうに笑っていた。──俺の信頼に、無意識に応えてくれていたのだ。俺を信じている、だから怖くはないと。

 

 ギリ、と。悔しさに歯が軋んだ。そうだ、今までだって緊張でガチガチになってもおかしくない場面は何度もあった。敗北を喫したフェニックス賞や新潟ジュニアステークスでは焦りや恐れから実力を発揮することが叶わなかった。あの時は仕方がなかった。誰あろうトレーナー()が、負けるかもしれないという考えを常に持っていたんだ。むしろそれが良い経験になるし、いずれトウカイテイオーとG1で肩を並べるための研究に役立てることも出来るだろうと。

 

 けれど──勝利するために力を尽くした時。その確信でレースに挑む時、俺はターボをレースに送り出すことが出来ていただろうか? 俺は……一度でも、自分からターボに声をかけてやっただろうか。

 

「──っ、ターボォ!!」

 

 今まさに俺の前を通り過ぎようとしたターボが、ビクリと肩を揺らす。周囲でレースの開始を楽しみに待っていた観客も同様に。そしてざわめきが止み、申し訳なくも有り難いことに、少しばかりの静寂が訪れた。

 

「と、トレーナー……?」

「――ターボ」

 

 意識して真剣な表情を作る。俺の顔を見てターボがゴクリとつばを飲んだのが見てわかった。あぁ……伝わっている。俺の気持ちが、ターボに伝播(でんぱ)している。それが嬉しくもあり……だからこそ、情けなくもある。故にニッカリと、俺の記憶の中で一番輝いている笑顔を模倣した。誰よりも気持ちのいい笑みで俺の心を震わせてくれた――ツインターボというウマ娘の笑顔を。俺は浮かべてみせた。

 

「勝って来い! ツインターボ!!」

 

 うまく笑えただろうか。俺の気持ちは、信頼は伝わっただろうか。……その答え合わせはすぐに。胸元に下げたウサギのぬいぐるみをギュッと抱き寄せて、そのウマ娘はうつむき加減で居た顔を上げて返してくれた。

 

「──見ててね、トレーナー。ターボがいちばんにゴールするところっ!!」

 

 思わず涙しそうになり、ぐっとそれをこらえた。まだ早すぎる。スタートラインにすら立っていないのにトレーナーの俺がそんなんでどうする? 見届けなければ。一瞬たりとも見逃しはしない。瞬きなんて許されない。

 

 ツインターボ初挑戦となるG1レース、阪神ジュベナイルフィリーズが。やっとこれから始まるんだ……!

 

『寒空の阪神に熱き心の若駒(わかごま)が揃う! 来年のティアラ路線に向けて新たな女王の誕生が期待されます、クラシックへの道──阪神ジュベナイルフィリーズ! 芝1600M、バ場状態は良と発表されております!』

 

 ファンファーレが鳴り、ジュニア級の数少ないG1ということもあってか気合が入ったアナウンスが響く阪神レース場。ターボが打倒トウカイテイオーを目標にトゥインクル・シリーズを駆け抜ける、本当のスタートラインとでも言うべき重賞レースが幕を開けた。

 

『注目の一番人気、1枠1番ツインターボ。パドックでは緊張した面持ちでしたがどうでしょう、今日も逃げ切ると言わんばかりに不敵に笑っています』

 

『すでに重賞レースを二度勝利している逃げウマ娘です、一番人気は実力の通りでしょう。しかし噴射口の向きによってはまさかの展開もありえます、色んな意味で注目のウマ娘ですねぇ』

 

『歓声に応えて駆け抜けることが出来るでしょうか、あるいは逆噴射を見せてしまうでしょうか、その走りに期待が高まります。続きまして──』

 

 実況、解説の両人が同じ方なのかは定かじゃないが、いつかのレースで揶揄された逆噴射というワードを取り上げられて思わず苦笑が漏れた。ここまでイジられるのであればただのからかいじゃなく、ツインターボという逃げウマ娘が愛されているということに他ならないだろう。甘んじて受け入れ、そしてその期待を良い意味で裏切ってみせるしかない。

 

 続くウマ娘の紹介でどんどんボルテージが上がっていき、ゲートインが済むと観客の熱狂とは反比例してレース場は静まり返る。まさに嵐の前の静けさというやつだ。──慣れ親しんだ、と言える()だ。()()──。

 

『──スタートしました』

 

 瞬間、会場が歓声に揺れた。それぞれがそれぞれに夢を託したウマ娘たちが走り出す。ゲートが開く瞬間を肉眼で捉えることは距離的に出来なかった。しかしターフビジョンが真っ先に映し出すウマ娘、先頭を突っ切るのはもちろん──ツインターボ!!

 

 スタートダッシュは成功している。トレーニング時の計測と相違なく、第3コーナーに向けて後続を置き去りに最高速を叩きつける。

 

「いいぞ……!」

 

 思わず笑みが溢れる。ターボの他に逃げが居ない……! ターボと開幕から競り合うことを嫌ったか、あるいは他のウマ娘と潰し合うことを前提としてレースに臨んだのか。どちらにせよレースを走る彼女たちは、ターボが失速することを前提として走っているのだ。予想外の僥倖(ぎょうこう)、ターボにとって最も走りやすい――気持ちよく大逃げできる状況が形作られている……!

 

『ハナを奪ったのはツインターボ。続くのは3バ身開いてジュエルルビー、それに並ぶようにモイストアイズ。更に1バ身下がってウオッカ、少し後ろをブラボーツヴァイ、リボンヴィルレーも続きます。内にナイスネイチャ、争うようにシャレミーリズムはここ──』

 

 ターボを大逃げと別にカテゴライズしてしまうと、2番手を争っているジュエルルビー及びモイストアイズが逃げと捉える事ができる。すると続く、中団を率いているウオッカが先行のように見えるが──、やはり、このレースでターボを捉える可能性があるのは彼女だと再認識した。

 

 ウオッカが出走したレースとその走りから、彼女の脚質は差しであると判断できる。現状、彼女は一見して先行集団に位置しているように見えて、唯一ターボを先頭とした伸びたバ群において好機に差せるよう仕掛けどころを探っているのだ。

 

 しかし他のウマ娘は、ジュエルルビーとモイストアイズを先頭としていつも通りに走ってしまっている。ターボの失速という運任せにも似た状況を前提にしてしまったために。

 

『第3コーナーを抜け、ゆったりしたと弧を描きながら走ります、先頭はいまだツインターボ。モイストアイズ、ジュエルルビー並んで続きますがすぐ後ろにウオッカ、シャレミーリズム外から上がります。リボンヴィレ―、ブラボーツヴァイ、ナイスネイチャ横に並びます──』

 

 実況が中団の混戦から最後尾までを慌ただしくアナウンスする中、その間にもターボは全速力でコーナーを駆ける。()()が第3、第4コーナー中ほどを通過したときにはすでにコーナーを抜けてゴールを視界に捉え、最後の直線500M弱を全力で駆けていく。

 

 しかし。いややはり、というべきか。ここで仕掛けてきた……!

 

『さぁツインターボが4コーナーから直線に入った! しかしここで、ここでウオッカ、大外からウオッカがジュエルルビーを捉えます! 2番手に躍り出たウオッカが差を詰めていきます! 粘りますツインターボ、追いすがるウオッカ!』

 

 G1の、会場の雰囲気に呑まれていた。他のウマ娘の気迫に圧されていた。だが彼女にも培った努力があり、それは疑いようもなく走りに(あらわ)れる。アルテミスステークスでターボを(おびや)かしたウマ娘が、今回もその背中に食らいつく。残り200Mを切り、間違いなくその距離は短くなっていく……!

 

『ウオッカが来た! 4バ身3バ身、ツインターボも衰えない! 脚が伸びるウオッカ! 落ちないツインターボ!』

 

「行け……!」

 

 ゴールは目前だ、G1だ、ターボの一番だ……! 柵を両手で握りしめ前のめりに、真っ直ぐに駆けるターボを見て歯を食いしばる。勝てる……! あの日の模擬レース、全てのウマ娘にお前は負けた。でも今日まで走り続けて来たんだ。折れることなく、腐ることなく。……勝てる。勝てる! 絶対に勝てる……!!

 

『1バ身! ツインターボ! ウオッカ!! 並んだ!! ツインターボウオッカ!! わずかにツインターボっ、いやウオッカ!』

 

「「ツインターボだぁああああ!!!!」」

 

 届くわけがないと思いながら、それでもと滾る心のままに叫んだ。そして今──。

 

『並んでっ、いやツインターボッ!! わずかにツインターボがッ!! ツインターボが駆け抜けました!! 最後までターボエンジン全開ッ! ジュニア級にしてG1レース1勝を成し遂げました!!』

 

 ――――勝った?

 

 ツインターボが。俺と一緒に走ってきたウマ娘が、G1で……ジュニア級とはいえ最高峰のレースで勝った……。

 

「…………ぁぁ……」

 

 思わず、柵を握りしめたままに顔を俯ける。平静を取り繕う自信がなかった。現にぽつぽつと、雫が足元に吸い込まれるのが分かる。……勝ちを、信じていた。それに見合う努力をしてきた。文句の一つも言わず、ターボは一緒に走ってくれた。この勝利は当然と言えるはずだった。

 

 なのに……どうしてこんなに心が熱くなる? こうなるようにと頑張って、こうなるだろうと確信に至ってこの地に立ったのに。どうして俺はこんなにも涙するんだろう。

 

「とれーなぁっ!!」

 

 頭を上げる。俺がこんな顔を晒しているっていうのに、どうせお前は笑ってるんだろうな。トレーナーを信じてたから、なんて簡単に言うに決まってるんだ。あぁそのとおりだ、俺を信じろ。そしていつでも、いつまでも笑顔で走り続けてくれ。

 

 そんなふうに、ぐちゃぐちゃな頭で考えていたのに──。

 

「ぐすっ……とれーなー。ターボ、かったよ。G1、勝ったよ……!」

 

 うさぎをギュッと抱きしめて。あぁ、笑ってるといえば笑ってる。鼻水を垂らして、目元を真っ赤にして。口角はうにうにと震えてるが確かに笑ってるんだろう。……俺も、そんな顔をしてるんだろうなぁ、ターボ……!

 

「ああ……やったな、ターボ。よくやったな、ターボ……! お前は……本当に、最高の……最速のウマ娘だ……!!」

 

 誰に咎められると考えもせず、勢いのままに柵を越えてターフに立つ。衝動のままに膝をついて両腕を広げれば、同時に胸の中に熱を帯びた少女が飛び込んできた。

 

「トレーナー……とれーなぁっ……!」

「何も言わなくていい、なんにも……!!」

 

 お互いに言葉にはならなかった。ただ胸に抱く想いは、その情動はきっと一緒だった。今すぐに抱きしめ合いたい。喜びを分かち合いたい。あぁ……言葉なんか、いらないんだ。ただそれだけで、今は良いんだ……!!

 




参考資料:2006年 阪神ジュベナイルフィリーズ(GⅠ) | ウオッカ | JRA公式
https://www.youtube.com/watch?v=VvFKg3bweII

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