未完の神話 / Beyond the Ruminant 作:うみやっち
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未完の神話 / Beyond the Ruminant
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目を醒ますのと同時に、ネプテューヌは得体の知れない違和感に襲われた。
「あれ……」
微かな衣擦れの音を鳴らしながら、ベッドから体を起こす。額に張り付いた前髪をかき上げながら窓の外へ近づくと、そこからは朝焼けの光に照らされるプラネテューヌの街並みが見えた。
ガラスへ手を合わせると、どうしてかいつも以上に、自分の心臓の鼓動が大きく聞こえてくる。焦っているのだろうか、あるいは普段通りの風景に安堵しているのだろうか。正体の掴めない感覚に、ネプテューヌはただ困惑を覚えていた。額に浮かぶ汗は、夏の気温がもたらしたものでは、なかった。
壁にかけられた時計の針は、午前の七時と十九分を示している。秒針はかちり、かちりと規則的に時を刻み続け、そこで初めて、ネプテューヌはあることに気づいた。
「……静かだ」
街の喧噪も、穏やかな朝の風音も、鳥の囀りすらも聞こえてこない。ただ響き渡るのは、秒針が進み続ける音だけ。口から洩れる自らの息遣いが、どこか荒々しく、しかしながら弱弱しいものになっていた。
静かに早くなっていく鼓動を押さえつけながら、ネプテューヌが部屋の扉を開ける。廊下を歩く自分の足音すらも、普段の何倍も大きく聞こえた。それ以上に、この気味の悪い静けさに、ネプテューヌはどうしようもない焦燥を感じていた。
視界がぐらりと揺らぐ。先程から平衡感覚がおかしくなっている。これも焦りによるものなのだろうか。もしくは、また別の何かなのだろうか。膝をつくと、見下ろした床に自分の汗がぽたり、ぽたりと落ちていった。
顔を覆う右手が微かに震える。立ち上がろうとしても、脚に力が入らない。
あるいは、このまま動けなくなってしまいそうなほどの、体を縛り付ける何かを感じ取った、その時。
「ネプテューヌさん……?」
声が、聞こえる。
見上げたその先には、こちらのことを心配そうな顔で見つめるイストワールの姿があった。
「いーすん……」
「よかった、無事だったんですね」
「今のところはね」
へたり、とそのまま床に腰を下ろして、ネプテューヌが安堵の混じった息を吐いた。
「どうなってるの?」
「分かりません。私も今朝、起きたらここに」
「……そっか」
既に手の震えは消えていた。ゆっくりと立ち上がると、イストワールが心配そうな顔でこちらを見つめてくる。
「みんなは、どこにいったの?」
「消えました。跡形もなく、どこかへ」
「それはプラネテューヌだけ? 他の国は?」
「まだ不明です。先程から連絡はしているのですが、返答はありません」
「そう」
脳内を埋め尽くす疑問が、ネプテューヌの返答を短くした。壁へと手をつくと、その輪郭が一瞬だけノイズが走ったようにブレる。何度か手のひらを閉じたり開いたりすると、再び小さなノイズが走り、指先の輪郭を崩した。
「……シェアエネルギーが不安定化していますね」
「みんな、いなくなっちゃったからかな。かろうじて残ったエネルギーは使えるみたいだけど」
「長くは保ちませんよ」
「みたいだね」
力のない笑みを浮かべながら、ネプテューヌがそう答えた。
「これから、どうしますか?」
「うーん……まずは……」
「お姉ちゃん! いーすんさん!」
唸り声に重なるように、叫び声とどたどたとした足音が廊下の向こうから聞こえてくる。やがて姿を現したのは、寝癖すらも整えていない、起きしなのネプギアであった。
ぜえはあと息を切らす彼女に、ネプテューヌとイストワールが視線を向ける。しかしながら、ネプギアはそれすらも気づかないほど焦った様子で口を開いて、
「大変だよ二人とも! みんな、いなくなっちゃった!」
わなわなと震えるネプギアに、ネプテューヌはくすりと笑って、
「……とりあえず、朝ごはんにしよっか」
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さく、とトーストを齧りながら、ネプテューヌがイストワールへと問いかける。
「前々から何か異常はあったの?」
「ここ三ヶ月はありませんね。シェアエネルギーの変動は確認されましたが、誤差の範囲です」
「ネプギアから見て、何か変わったことは?」
「特に、何もなかったかな……いつも通りだったよ」
「そうだよねー」
肘をつきながら、ネプテューヌがコップを傾ける。何の味もしない水は、しかしながら乾ききった喉を充分に潤してくれた。そのままピッチャーへと手を伸ばすと、再び指先へノイズが走る。それに痛みはないし、感覚がなくなることもないが、ただ不安だけはあった。
「お姉ちゃん……」
「ネプギアはどう? こんな感じのこと起きてる?」
「……私もさっきから、何度か」
「ってことは、やっぱりシェアエネルギーに異常が出てるみたいだね」
だが、それは副次的な問題だということは、この場の誰もが理解していた。
トーストの最後のかけらを口に放り込んでから、ネプテューヌが頷く。
「それにしても、どうして私たちは残されたんだろう?」
「……考えられるのは、シェアエネルギーを低下させて、私たちの弱体化を図ろうとした、ってところかな」
「第一、こんな規模の事象を引き起こせるなら、それこそ直接私たちの方を狙いそうだけどね」
「シェアエネルギーを生み出すことのできる国民の方が目的、という線はどうでしょう?」
「だとしても、いくらでも方法はある。それこそ、私たちから奪えばいいだろうし」
顎に手を当てながら思考する中で、ネプテューヌが、ふと。
「……これも、もしかして副次的な事象だった、っていう線は?」
「ここまで来ると、その可能性は否定できませんね」
息を吐きながら、イストワールが既に疲れた様子で答えた。
「とにかく、原因を調べないとには始まらないか」
「どこから行きますか?」
「ノワールたちと連絡を取ってみるよ。まだ、返答はないんでしょ?」
「……残念ながら」
「いーすんはこのままプラネテューヌに残って。ネプギアはこのまま、私と一緒にラステイションに行こう」
「…………」
「……ネプギア?」
そこで初めて、ネプテューヌはネプギアが、自分のずっと向こうを見つめていることに気が付いた。
「大丈夫?」
「……お姉ちゃん、何か聞こえない?」
「え? 何か、って……」
ざざん、と。
波の打ち付ける音が、耳の奥で鳴り響く。
「……この音は?」
「たぶん、あれじゃないかな」
ノイズの走るネプギアの指先が、ネプテューヌの背後にある窓を示す。
恐る恐る振り返った、その向こうに映っていたのは。
「え……?」
隆起する大地が波のようになって、こちらへと迫ってくる光景であった。
「お姉ちゃん!」
ネプギアの叫び声と同時、ネプテューヌの体をに強い浮遊感が襲う。視界が一瞬で暗闇に包まれて、それが崩れ落ちた瓦礫によって目が潰されたものだと気づいたときには、既に両脚が潰れていた。
地面に叩きつけられる。痛みはない。体の感覚が全て奪われているからなのだろう。意識だけはかろうじて残っているが、それも長くは保たないと、考えるまでもなく理解できた。
「……いったい、何が…………」
上手くその言葉を口にできたのかすらも、分からないまま。
ネプテューヌの意識が、ぷつりと途切れた。
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