未完の神話 / Beyond the Ruminant   作:うみやっち

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 白く塗り潰された視界に、色彩が戻ってくる。

 

「あぁ……」

 

 地面に両脚で立つ実感が沸いてきたのは、そう呟いた直後だった。

 時間軸の異なる次元に渡った際の、身体の擦り合わせ。内臓がぐわり、と浮かび上がる感覚が襲ってきたかと思うと、すぐに何事もなかったかのように元に戻る。久しぶりのそれに、思わずネプテューヌが足を眩ませる。顔を片手で覆うと、その指先からは朝焼けに染まる空が見えた。

 立っているそこは見慣れた、しかし普段のそれとは違うプラネテューヌの展望であった。それに気づいたとき、ネプテューヌは無意識に深く、安らかに息を吐いていた。外に取り付けられた階段を下りていく脚は、とても静かでなものだった。こんなにゆったりと歩いたのは、久しぶりのことだった。

 プラネタワーの内部へと続く扉を開けて、居住スペースへと続く道を進んでいく。途中、何度か道を間違えてしまったが、それはここがあの津波が襲ってこない世界であるということを、ネプテューヌに実感させてくれた。

 そうしてネプテューヌがたどり着いたのは、薄暗い廊下の先にある扉の前だった。隙間からは蛍光灯の淡い光が漏れていて、それは既にこの先に誰かがいるということを示していた。一度、ネプテューヌは扉を叩こうとして腕を上げたが、それもおかしなことだと思い立って止めた。今の自分の不安そうな様子を見られたくないし、何よりあの繰り返す死の現実から逃れ、いつも通りに過ごしたかった。

 ドアノブを弱く握り、静かに息を吸う。早くなる鼓動を落ち着かせて、ネプテューヌは勢いよく扉を開けた。

 

「……ねぷちゃん?」

 

 果たして、その先に立っていたのは時計をじっと見つめているプルルートだった。よほど集中して見つめていたのか、最初ネプテューヌが部屋へ入ってきても、すぐには気づいていなかった。そうして向けられた彼女の視線には、珍しく焦燥の色と、若干の驚きが入り混じっている。何と言葉をかけようか、と迷っていると、プルルートは普段の様子が嘘のようにすたすたと早い足取りでこちらへ寄ってきたかと思うと、ネプテューヌの肩を強くつかみ、その目をじっとのぞき込んだ。

 突然の行動に驚いたネプテューヌが、しかしいつも通りの様子を取り繕いながら、声を絞り出す。

 

「おはよ、プルルート……どうしたの、そんなに急いで……」

「ねぷちゃん、どうしてここにいるの?」

 

 告げられたその言葉に、ネプテューヌは一度、口を噤んだ。

 

「……理由もなしに来ちゃダメなの?」

「悪い意味じゃないよ。あたしはただ、ねぷちゃんがここにいるのが、不思議なだけ」

 

 鬼灯の色をした瞳が、じっとこちらを覗く。

 しばらく続いた沈黙に、ネプテューヌはばつの悪そうに視線を逸らしながら、ぽつぽつと語り始めた。

 

「向こうでちょっと、イヤなことがあったからこっちに来たんだ」

「イヤなことって?」

「それは……難しいよ。簡単に言えることじゃ、ない。説明が、っていうのもあるし……何より、言いたくない。ぷるるんだって、そういうときはあるでしょ? だから……」

「……だから、ここへ逃げてきた、ってこと?」

 

 プルルートの言葉が、重く伸し掛かる。逃げる場所を間違えたな、とネプテューヌは思った。しかしながら、もう逃げることは許されなかった。肩へ乗せられたプルルートの小さな手のひらは、今までのどれよりも重たかった。

 会話はそこで止まった。薄暗い表情を浮かべて黙り込むネプテューヌを見て、プルルートが肩から手を離す。しかし、ネプテューヌはそこから一歩も動けなかった。自らの次元から逃げ出したその事実が足に絡みついて、動くことを許さなかった。

 そうして俯いたままの彼女を眺めながら、プルルートが、ふと。

 

「ねぷちゃん、()()()?」

 

 問いかけたその言葉に、ネプテューヌが顔を上げる。

 

「何回目、って?」

「聴かなくても、ねぷちゃんなら分かるでしょ?」

「……まさか」

「うん」

 

 頷く彼女に、ネプテューヌはしばらくの沈黙をもってから、小さく答えた。

 

「私は、三回……」

「そうなんだ」

「……ぷるるんは?」

「わたしは、これで二十七回目だよ」

 

 ぞわり、と肺が干上がるような感覚がネプテューヌを襲う。それはこの次元でもあの津波による崩壊の循環が存在しているというのもあるし、それ以上に、プルルートが二十回以上もあの経験を繰り返していることが、ネプテューヌには信じられなかった。そしてネプテューヌは、自分がとてもちっぽけで、情けない存在だと悟った。

 じっとこちらを覗くプルルートの瞳と、目を合わせることができなかった。苦し紛れに逸らした視線の先には、七時と十九分を示している時計があった。かちり、かちりと刻まれていく秒針が、ネプテューヌの脳に灼きついていた。

 

「……ここも、ダメなの?」

 

 絞り出したのは、そんな独りよがりの言葉で。

 

「ごめんね」

 

 申し訳なさそうな、情けない笑みを浮かべながら、プルルートはそう答えた。

 

「でもね、あたしは嬉しかったよ。ねぷちゃんがここに来てくれて」

「……どういうこと?」

「あたしと同じなんだ、ってこともあるけど……それよりも、あたしを頼ってくれたってことだもん」

「それは……違う。違うんだよ。私はただ、あそこから逃げてきただけで……」

「だとしても、だよ」

 

 座り込むネプテューヌの頬へ、プルルートが手を添える。

 潮騒の音が、聞こえてきた。

 

「わかるよね。怖いし、何度も死んじゃうのは辛いし。でも、きっと次は大丈夫」

「……どうして?」

「だって、ねぷちゃんとあたしは一緒だから」

 

 窓の外から押し寄せる瓦礫の津波が、朝焼けの光を遮る。

 

「待ってるね、ねぷちゃん――」

 

 そして、ネプテューヌの視界が再び、黒く染まった。

 


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