前略、神を殺した世界最強の魔術師が営む冒険者パーティはいかがですか 作:ネコわさびRPG
男は科学者だった。
しかし魔術が台頭してからというもの、科学とは魔術学中心の『魔導科学』を指すようになり、『自然科学』は旧世代の烙印を押される事になる。
男はそれが許せなかった。
だから男は説いて回った。魔術の絡まぬ自然科学が―――純粋な物理学が、自然に基づいた生物学が、ありのままの化学が、ただの数学が、素朴な地球科学が、どれほどの可能性に満ちているのかを。
その結果は、
「魔術の基礎すらできない人間に教鞭をとる事は許されていません。よって、お前は我が校から追放処分とします」
「魔術師でもない奴の話など聞く気にもならないな」
「くだらんな。『神秘の力』を操る魔術の前には、自然科学など児戯にも満たん」
「いつまで旧世代の遺物にしがみついているのかね? 時代の流れに付いて行けない人間はこれだから……」
「で? 魔術は使えないの?」
「自然科学は所詮、魔術の踏み台だ。いつまでも執着するなど馬鹿のする事だな」
「そういう意味のない事に拘るのやめたらどうです? 自然科学とか古すぎて誰も興味ないんですよね」
「生き物の体の仕組みとか調べて何になるんだよ。魔術でいくらでも操れんじゃんそんなの」
「魔術があれば自然科学とかいらなくない?」
「クビだ。主のように社会の役に立たん研究ばかりをしている人間など置いておけん」
「魔術も使えん無能に費やす時間などない! 今すぐ出ていけ!」
「目障りだ。消えたまえ」
結果は、
「この……っ!!」
あまりに散々だった。
「愚か者共がァァあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
誰も耳を貸さなかったし。
誰も見向きもしなかった。
「何が旧世代だ! 何が踏み台だ! 自分が偉そうに座るその椅子がどんな物質と加工技術で出来ているかも知らん無知蒙昧な類人猿の分際で!!」
いくら叫んでも、いくら喚いても、結果は変わらない。
世界の常識から弾き出された男は、結局、世界の何もかもから追放されただけだった。
いつからか男は、魔術への復讐に奔走するようになっていった。
そんな時だった。
『要塞都市カルドキアに、魔術師アーサーの住居がある』
男がそれを知ったのは、今から二週間も前の事。
普段から魔術師に一泡吹かせてやる事ばかりを考えていた彼にとって、それは願ってもみない絶好のチャンスだった。
魔術師アーサー。魔術という文明の頂点。
自然科学の力を誇示する相手として、これ以上の獲物はいない。
男はさっそくカルドキアに足を運び、さらなる情報を探ってみた。すると案の定、カルドキアの方もアーサーを持て余している事が分かった。
一度はカルドキアに受け入れたものの、その存在の大きさや、何をしでかすか分からない恐怖、そして一度何かをしでかせば神話的な被害になりかねない事に、街の住民はもちろん、カルドキアの重鎮達も頭を悩ませているようだった。
元はと言えば、カルドキアを管理する政府の連中が、自分らの都市の名を売るためにアーサーに居住の契約を持ちかけたのが発端らしかったのだが、今ではそれが重荷となって困り果てるとは、なんと自分勝手な奴らだろうか。
そう思わなくもないが、しかし男にとってはどうでもいい事だった。
さっそく彼はカルドキアの重鎮達に、一つの話を持ち掛けた。
「魔術の頂点であるアーサーに、魔術で挑むのは無謀過ぎる。ここはどうでしょう、わたしの自然科学を用いてみては。もしもアーサーの抹殺に成功すれば、その研究結果をあなた方に献上いたしましょう。仮に失敗に終わったのなら、わたしを『旧世代の遺物』と切り捨てればよろしい。どちらにせよ、あなた方には一切損のない話だ」
馬鹿を言いくるめるのは容易かった。
当たり前のように許可を得た。
壁の中に存在する壁内防衛施設の事も、この時初めて知った。
利用できるものは何でも利用する。
まずは『騎士連合』に虚偽の通告をし、アーサーを襲わせ、そこで起きた騒ぎを奴の責任にしてカルドキアから追い出すところから計画がスタートした。奴に悟られずに科学兵器を準備する時間が欲しかったのだ。
正直ここが一番難しいと思っていたが……案外、あっさりと成功した。
そして、アーサーが再びこの都市に戻って来る事も
奴が本当に世界を自由に渡り歩ける世界最強ならば、わざわざカルドキアに特定の住居など置く必要はない。仮に一度はカルドキアの誘致に乗ったとしても、気紛れで火山を沸かせ、海を干上がらせ、街を更地に変えるような気分屋が、いつまでも一ヵ所に留まっているとは思えなかった。
これはすなわち、奴が『一定の住所に執着がある』事の証明でもあった。
カルドキアを追い出されたアーサーは、しばらくあちこちを放浪するだろう。
しかし、いつかはどこにも住めないと確信し、一度は自分を受け入れたこの街に再び戻って来るはずだ。
……別に、この予想が外れても構わなかった。作戦など他にいくらでも用意している。この作戦が失敗したところで、別の作戦に移行すれば済むだけの話だった。
が、愚かにもアーサーは、本当にノコノコと戻って来た。
その時点で、運命は決した。
「貴様がわたしの踏み台だ、
こうして。
男が今まで培ってきた科学者人生の集大成が、今、壮絶な産声を上げた。
雲一つない青空。いわゆる快晴。
実は空そのものに色は無い。太陽光に含まれる複数の光のうち、青の光が大気中の微粒子によって激しく散乱された結果、人の目に空が青く染まっているように見えるだけだ。
言ってしまえばそれだけの事なのに……なんて美しいのだろう。
単なる物理現象が、こうも精美な色彩を再現してみせようとは。
だから自然科学に魅せられた。
この世界が初めから持っている純粋な自然の理。すなわち自然科学。
目の前に広がる青い空は、自然がもたらした奇跡なのだと男は心の底から信じていた。
そんな青い空が、黒く染まっていく。
ただの曇天じゃない。まるで黒の絵具でキャンバスを端から端まで塗りたくるような、まさしく絵に描いたような『闇』が、気象学的にもあり得ない速度で空を埋め尽くしていったのだ。
一体、何が起きている?
自然科学を極めた男だけは、その現象を理解できていた。
「……
あり得ない。信じられない。
否定しようとしても、頭の中の知識が男の意思とは無関係に正解を導き出す。
そうこうしているうちに太陽の光はどんどんと遮られ、ついには半分以上も漆黒に呑み込まれてしまった。
突如、世界に夜が訪れて、漆黒の空に白い三日月が昇る。
本物の三日月じゃない。
あれは、三日月型に抉れた太陽だ。
「馬鹿な……そんな馬鹿な!」
異常過ぎる現象に、男は思わず叫んでいた。
「日食が最後に観測されたのが五年前! 次にこの国から観測できる日食は、計算上どれだけ早くとも三一年後になるはずだ! そもそも昨夜に観測した月の位置から鑑みれば、こんな現象……惑星そのものが意思を持って動いたとしか―――」
そこまで叫んだ時、ようやく科学者の男の脳裏に『当たり前の疑問』が湧いた。
……なぜ自分は、空など見上げている?
「は?」
その疑問が頭を過った瞬間、男は初めて、自分が地面に倒れている事を自覚した。
思考が止まった。
日食の原理すら理解している男は、自分が倒れている理由も解明できなかった。
何が起きた?
最後に覚えているのは確か、壁内施設から望遠器具で壁の外を確認したところまでだ。それから壁の外で、白い光が瞬いたのが見えて―――見えて……。
そして?
「っ!?」
何かを思い出し、男は弾かれるように上半身を起こす。
直後、ドオオオォォォッ!! という圧力が男の全身を叩いた。
最初に目に入ったのは、津波の如く押し寄せる『人の波』だった。
男も女も子供も老人も、とにかく数え切れないほど大量の人間が、絶叫にも似た悲鳴を上げながら逃げ惑っていた。
地面の上で、上半身だけ起こして呆然とする自分。
そんな自分を避けるように、左右に割れて自分を走って通り過ぎて行く住人達。
もはや意味が分からなかった。
そして、ようやくだ。『自分はカルドキアの街の中に倒れていて、この逃げ惑う人々は「何か」から逃げようとしているカルドキアの住民達だ』と気付いた頃には、カルドキアの街の中にはポツンと一人、科学者の男だけが取り残されていた。
無音の街並みがあった。
あれだけ繁栄していたカルドキアから、人の声が、音が、気配が、消える。
……その時、科学者の男は三つ、信じられない光景を目撃した。
一つ目。カルドキアを覆う外壁の正面が、綺麗に消滅していた。
直径四〇〇メートルが半月状に抉れている。……ちょうど男が部下達と共に『
二つ目。消えた外壁の断面が、オレンジ色に赤熱していた。
あれは紛れもなく、自分が造った『天の梯子』の破壊痕だ。しかしそんなわけがない。あの兵器を、自分以外の誰かが作れるはずがない。
そして、三つ目を見た瞬間、
「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
男は言葉を失った。
消滅してしまったカルドキアの外壁。その向こう側から、ゆっくりと近付いて来る『誰か』の姿があった。
……日食は、太陽をほぼ完全に覆い隠した状態のまま静止していた。
闇一色の世界。
にも拘わらず『ソイツ』は、闇の中でも鮮明に浮き出ていた。
まるで世界の全てを包み込まんばかりに、大きく左右に開かれた両腕。
まるで世界の全てを視線だけで焼き尽くさんばかりに、赤く燃える両眼。
まるで世界の全てを食い尽くさんばかりに、耳すら引き裂くほど巨大な笑み。
まるで世界の全てを叩き伏せんばかりに立ちはだかる、一人の『少年』が。
「……うそだ……」
結局、男は最後まで、この異常な日食の原因に気付く事ができなかった。
まさか、天体規模の魔術でも存在するというのか?
いや違う。これはただの自然現象だ。
しかし、一体誰が肯定できただろう。
「あぁ」
遠くから。
世界最強の魔術師の、小さな声が。
「俺の街だ」
聞こえた瞬間だった。
ドッ!!!!!! と、男の顔から滝のような汗が溢れ出した。
――――なんで生きている? なぜ無傷で立っている?
――――『天の梯子』が直撃しておいて、なぜ笑っていられる!?
危うく現実逃避したくなるが、男の頭脳がそれを許さない。科学を極めるほどに鍛え上げた自らの計算力と理解力は、非情な現実を自分自身に突き付けていた。
己の集大成『天の梯子』が、微塵も届かなかった事。
挙句、アーサーにあっさりその技術を奪われたどころか、返す刀で自分も光学攻撃を浴びた事。
そしてもう一つ、こうして自分が地面に倒れている理由。
模倣とはいえ、『天の梯子』に匹敵する光を浴びたのならば、こうして生きているのはまずおかしい。カルドキアの外壁を焼き尽くすほどの威力だ。壁の内部にいた人間など一瞬で蒸発してしまうはずなのに。
手加減された? いや違う。壁を蒸発させておいて手加減もクソも無い。
だから―――
「わたしを……わたし『達』を……」
自分だけを生かす理由はない。おそらくは部下達も同様に……いやそれだけじゃない。『天の梯子』を製造した男本人だからこそ分かる。あの外壁を消滅させ得る威力なら本来、カルドキアの街の中まで焼き尽くされているはずだ。
しかし見渡す限りにおいて、カルドキアの街並みに被害が及んだ形跡は無い。
だから。
まさか。
「守ったと言うのか!? 自分の攻撃から! この街全てを!?」
死なせないように。殺してしまわぬように。
まるで小さい虫を間違って踏み潰してしまわぬよう虫籠の中に放り込んで、甲斐甲斐しく世話をするような感覚で。
……これは、科学者の男の知る由もない事だが。
かつてアーサーは、大勢の人間を殺してしまった際、こう誓っていた。
『やっぱ人を殺しちまうのぁ良くねえよ、弱い者いじめみてぇで最悪な気分になる。今日学ンだ。おし、これからは二度と人は殺さねえ。神に誓ってもいいぜ?』
アーサーからすれば、自分が自分に課した約束を、忘れず決行したに過ぎない。
ただ、生かされた側からしてみれば。
特に、魔術に対する憎悪を燃やす男からしてみれば。
「……魔術師が……」
のそり、と。
男は呟きながら起き上がる。
「どこまでもそうやって、わたしを、科学を、侮辱する……!」
さっきまで地面に転がっていた男が。
本当ならとっくに殺されているはずの男が。
これだけ圧倒的な力を見せつけられて、なお。
「ふざけるな……」
怨嗟、怨恨、怨念。
あるいはそれは、魔術という文明を丸ごと呑み込んでしまいかねない程の。
「勘違いでつけ上がる愚物風情がァ……!!」
科学者の男。自らの人生を否定され続け、数十年。
長い時間の中で蓄積し、今にもはち切れんばかりに膨れ上がっていた『悪意』の渦が。それをギリギリのところで抑え込んでいた細い細い理性の糸が。
ブツリと、千切れ飛ぶ。
「調子に乗るな!! クソ猿がァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」
始まる。
世界最強を殺すための復讐劇が。