最後の投稿からまるまる一ヶ月経ってしまいました。
執筆の気分転換になるかなと思って様々なアニメを見ていたら更に遅れてしまいました。申し訳ないです。
それでは本編どうぞ。
朝。私は少し早めに目が覚めてしまい、少し前に研いだ加治屋さんから頂いたお米を研いで炊飯器で炊く。それからパックに入っている榎本さんがくれたあおさのインスタント味噌汁を二つ用意し、朝ごはんを作っている所だ。
普段朝ごはんを滅多に食べない私からしたら、ご飯と味噌汁だけでも充分お腹いっぱいになるけど、モカちゃんには及ばないけどそれでもよく食べる夏帆さんの為に何か用意した方がいいかな、とまだ壁にソファを内側にくっつけた狭い空間で快適そうに眠っている夏帆ちゃんと、夏帆ちゃんのお腹の上で丸まって寝ているミルちゃんを見やった。
とても気持ちよさそうでいて、そしてとても幸せそうだ。そうだ。合うかどうかは分からないけど、あおさの味噌汁に軽く水で洗ってからきゅうりを入れてみようか。いや、そのまま出した方がいいのかな……。
そろそろ二人を起こそうか、いやまだ寝かせておいてあげよう。
昨夜、一方的にチロルチョコと交換してもらった、枕元に置いてあったコーラ味の棒付き飴を手に取る。
そうだ。昨日、夏帆ちゃんはブルームーンに、ブル厶に入ってくれた。ドラムとリーダーを引き受けてくれたんだ。
何の気なしに私は、昨夜、夏帆ちゃんと過ごした一時、夏帆ちゃんと交わした〝約束〟を思い出す。
☆
「夏帆さーん、ミルちゃーん! ただいまー!」
名無しちゃんを途中まで送って行ったあと、ソファで本を読み、ミルちゃんと一緒にまったりしていた夏帆さんにソファ越しに背後から抱きつきながら言った。
心底迷惑そうな表情を浮かべ、「ちっ」と短く舌打ちをするとパタンと本を閉じてテーブルに置いた夏帆さん、とそんな夏帆さんの舌打ちに呼応するかのように丸まっていたミルちゃんは、起き上がるとくああっと大きく口を開けあくびをしながら身体を大きく伸ばすと、再び身体を丸めて眠りに入る。
ミルちゃんのあくびは「おかえり」と言ってくれた事として、夏帆さんは言ってくれなかった。返事を促す為に抱きついたまま身体をゆさゆさと揺らし、再度声をかける。
「夏帆さーん! ただいまー!」
更に激しく揺さぶるが、首をぐわんぐわんとさせている夏帆さんは未だおかえりとは言ってくれない。
まあ別におかえりと言ってくれないからどうって事ではないけど、ほんのりと人肌が恋しく感じたので今日であったばかりである夏帆さんにこうして甘えてみたらどういった反応をするんだろうと、気になってしまった私がいる。
「アンタねぇ……。そろそろいい加減にしなさいよね……怒るわよ」
「ねぇ! いい加減にするとかしないとか、怒るとか言ってないでさぁ! 『おかえりー』は!?」
「お、おかえんなさい……」
「それで夏帆さん、ちょっと今後の事とかいろいろお話があるんだけど……」
あ、待ってその前に──と、今日はバンドメンバーの勧誘、友希那先輩とのいざこざ、学校の授業、モカちゃんと学食で食べたプリン、つぐさんのお店でのバイト、名無しちゃんを送って行った事で、色々とあって疲れた。疲れを癒すために話の前にまず、お風呂を済ませる事にした。着替えを持ってお風呂場へ向かった。
☆
早急にお風呂と着替えを済ませた。夏帆さんはソファを内側にして壁にくっつけ、お風呂から出た私には目もくれず、寝転びながらスマホをいじっている。
むっと頬を膨らましながら全く興味がなさそうな夏帆さんを睨みつけると、窮屈そうにTシャツの胸元を引っ張っていた。
未来姉の服を貸したんだけど、サイズ、あってないのかな。未来姉は私とそんなに体格変わらないし、夏帆さんが泊まるのは今日だけだろう。他に貸してあげられる服もないからとりあえず我慢してもらうしかない。
「夏帆さーん? ちょっとこれからのことをお話しよ?」
スマホをソファの上に放ると、そのまま両手を組んで枕にする。この様子から私の話を訊く意思はあるそうだ。本当は面と向かって、目と目を合わせ、話がしたい。
人と目を合わせるのが苦手な私が、なぜ今、そう思ったのかは分からない。だけど何故かちゃんと夏帆さんと向き合いたい、そう思ったのだ。
話したいこと、バンドに入ってくれたことへの感謝、なんの楽器をやりたいか、そしてこれからのバンドの方針、まあそれはAfterglowと対バンする──今はそれが、それだけがブルームーンの目的なんだけど。
「……ブルームーン、ブルムに入ったのはいいけどアタシ、何の楽器やればいいの」
「ブ、ブルム……?」
「っそ、ブルームーン。略して〝ブルム〟、いいでしょ?」
「ブルム……うん! うんうん! めっちゃいいよ、それ!」
「ふふん。アタシって、センスあるでしょ?」
「めっちゃあるよ! ブルムって響き可愛いし、なんかこう、ぶわーってお花が咲いてくるようなイメージが湧いてくる!」
「そりゃアンタ、ブルムじゃなくて『Bloom』でしょーが……」
花女の一年生の子たちで結成したバンド、Poppin’Partyが〝ポピパ〟。日菜ちゃんやイヴちゃん、麻弥ちゃんのバンド、Pastel*Paletteが〝パスパレ〟。あとはこころんのバンド、ハロー、ハッピーワールドがハロハピ。
そして私たちのバンド、ブルームーンがブルム……。こう並ぶとなんだか私たちのバンドも凄そうな気がするかも……。
名だたるガールズバンドの中でもRoseliaとAfterglowの両バンドには略称こそないけど、だからと言って実力が低いという訳では決してない。
実際に演奏してる所を目の当たりにした、Afterglowはもちろんのこと、まだ聴いたことはない──聴かせて欲しいと告げても、友希那先輩は絶対に嫌がりそうだ──けど友希那先輩とリサ先輩のRoseliaも絶対に凄い心に響くような、そんな演奏をするんだろうな。
「うーん、ブルムかぁ……」
「それで、ブルムはいいんだけど、アタシは何やればいいのよ。ギター? ベース? ……と、あと他になんかあったっけ」
「私がベースで、ギターと、キーボードって言うのもあって、もう決まっちゃってるんだよね……。夏帆さんにはドラムをやって欲しいと思ったけど、ベースだったらまだ何とか組み込める、と思う……。思うんだけどさ……私、せっかくベース買ったし夏帆さんがベースをやるとしたらどうしよう……」
「……分かったわよ。アタシがそのドラムをやればいいんでしょ」
「やってくれるの!?」
「別にいいわよ。ドラムでもなんでもやってやろうじゃないの。だけど条件があるわ──」
夏帆さんは身体を起こし、背もたれに手をかけ、その手に顎を乗せると私を見つめてくる。優雅な仕草だなと私は思った。とても気品に溢れている。本来は、私なんかが気安く話しかけていい相手じゃない、私とは別の世界の人間なんだと感じさせられた。
だけどそれと同時に冷たい手で心臓を掴まれたような、気味の悪い感触が伝い、冷や汗がながれた。思わず、ごくっと喉を鳴らして唾を飲み込む。
「条件がある……わ……?」
夏帆さんに言われた言葉を、震えた声でそのまま復唱してしまう。我ながらなんとも間抜けだ。
そんな私の言葉に夏帆さんは「そっ、条件」と私を見つめたまま、顔を傾けて言った。
私は、私を見つめているままの夏帆さんの目から逸らしてしまう。
「しばらく、ここに──アンタの家に住まわせなさい」
言葉が出てこない。一日二日泊めるだけなら全然構わない。モカちゃんもよく家に泊まりに来てくれるから。
だけどついさっき会ったばかりの夏帆さんをしばらく家に住まわせるとなると話は違う。
私の家族の事を訊いてくるだろう。それに例の〝発作〟が、頭痛がしてしまったら、私はどう誤魔化せばいいんだろう。
「……アタシは普通なんかじゃない。だから、料理も掃除も、洗濯だってなんでもできんのよ。バイトもしてるから家にお金だって入れてあげる。アンタらのバンドに入るだけじゃなくて、アタシがハウスメイドになってあげる。どう? 決してアンタにとっても悪い条件じゃないと思うけど?」
それは違う。違うんだよ。料理とか掃除とか洗濯とか、そういう事を求めてるんじゃない。
私は凄く怖いんだよ。夏帆さんが私の家に住んで、同じ時間を過ごす事になったら、私はきっとふとした瞬間に夏帆さんを傷つける事になっちゃうかもしれない。嫌な思いだってさせてしまうかもしれない。
私のあんな見苦しい姿を見せるのは絶対にいやだ。
そういう事ならやっぱり、夏帆さんをブルームーンに入れるのは断らせて貰うべきかもしれない。でもそうなったら、せっかく夏帆さんに声をかけてくれたしず子と悠さんをガッカリさせる事になるのでは……。
どうしたらいいか分からず、今は少し暑い時期のはずなのに寒気がして身体が震える。それを少しでも抑えようと、両手で自分をぎゅっと抱きしめるが収まらない。
そんな時、クッションで眠っていたミルちゃんも私の膝元に擦り寄って来てくれた。少しだけ気持ちが落ち着く。
「……アンタが何を話したくなくて、何を隠したいのかは分からない。アンタにはアンタの事情があるってのは何となく分かったわ。……だから、アンタの事情に、アタシは一切口を出さない。これからどんな事があっても、絶対にアンタを見捨てない。約束する」
もしかしたら、夏帆さんはシャワーを浴びていたはずだけどさっきの私と名無しちゃんとの会話を聞かれていたのかもしれない。聞かれたくない、知られたくないと思っていたはずなのに、夏帆さんのその言葉に溜飲が下がった。
私は、親元を離れ一人で暮らしているから情緒が不安定で、たまに頭が痛くなったり不安になる事が多い為に、医師から処方されている抗不安薬を日常的に頓服している事だけ夏帆さんに伝えた。
テーブルの上に置いてあった夏帆さんの飴を手に取り、寝巻きのポケットに忍ばせる。でもこれだと盗んでいるみたいで忍びない。飴が置いてあった場所に代わりにとチロルチョコを置いておく。これで交換、という事になるかな。
部屋の電気を暗くして、床に就く事にした。私の傍で寄り添ってくれていたミルちゃんも今はクッションの上で小さな寝息を立てて、眠っている。
☆
夏帆さんとはこれ以上、特に会話をする事もなく私も布団に入る。名無しちゃんにLINEを送る。夏帆さんと話をする事が出来たと伝えた。
明日、蘭に夏帆さんを合わせたいから途中で会えないかとも伝えておいた。
直接蘭に言ったら面倒くさがられて、拒否されそうだと思ったから。その時、蒼弥からもLINEが来ていた事に気づいた。そのまま返事を返そうと思ったんだけど朧気な意識の中、私は夏帆さんに語りかける。
「ねぇ夏帆さん」
「……なによ」
「これからは夏帆さんのこと、夏帆ちゃんって呼んでもいい?」
「別に」
「じゃあさ、これからは夏帆ちゃん、って呼ぶね」
ポケットの中の飴を取り出し、ぎゅっと握る。こんなに強く握ったら砕けてしまうだろうか。いや、私の握力なんかで砕けるとは思えないから大丈夫、大丈夫……そう自分に言い聞かせると、気になっていた事があったので、うつらうつらとする意識の中、再び問うてみる。
「あっ、そうだ。もう一個訊きたい事があるんだけど……」
「はぁ……今度はなに?」
「夏帆ちゃんの言ってたそのナナ、ナナシちゃんってどんな子なの?」
「……アンタと同じ、変なやつ」
「そっかぁ、変なやつかぁ……」
「そーそー、普通なことが好きな変なやつ。じゃ、アタシはもう寝るから」
「……他にはなんかないの? その子の特徴とかさ」
私の問いに答える気はなく、ソファの上から寝返りを打つ音だけが聞こえる。夏帆さんはもう、本格的に寝る体勢に入ったようだ。そしてそれは、もう寝たいからこれ以上は話しかけるなという意思表示にも感じられた。
「あっ、待って。寝る前にお願いしたいことがあるんだけどさ……。いいかな?」
「今〝もう一個〟って言ったばかりじゃない。なに、まだなんかあるわけ?」
「うん。夏帆ちゃんにブルムのリーダーになってもらいたいんだけど……。いいかな……?」
返事はない。もう寝てしまったのか、それともリーダーなんて面倒くさいから引き受ける気はない、という意思の表れから単に無視をしているのかは分からない。
やっぱりいきなりリーダーになってくれなんて頼むべきじゃなかったのかも。変なことを頼んでしまったな。
それから何分ほど経ったのか、ゴシゴシと目を擦る音が聞こえたかと思うと、掠れた声で夏帆さんが答える。
「……リーダーとかなんとか、ちっとも興味ないけど、頼まれちゃしょうがないわね。このアタシがなってやるわよ、ブルムのリーダーに」
「……本当に?」
「本当よ」
「本当の本当に?」
「本当の本当に、よ」
「本当の本当の本当に?」
「あーもう、本当に本当にってしつこいわね……。リーダーになってやるったら……。だから本当、いい加減に寝かせなさいよ……」
私と夏帆ちゃんは何回本当に、と口に出しただろう。名無しちゃんがさっき、バナナフィッシュというお魚の小説の話をしてくれた時にバナナと口にした回数と同じくらいには言っただろうか。
確か、サリンジャーって人の小説なんだっけ。どんな内容なのか凄く気になる。バナナが好きな魚のお話? でも名無しちゃんとお友達はその小説の結末が怖くて二人して泣いちゃったんだっけ……。怖い話なのかな……。モカちゃんは好きそうだけど、蘭はきっと読めないだろうな。
「何度もごめんね。でも、でも、本当にありがとう。夏帆ちゃんの飴も貰っちゃったけど……いいかな……。勝手に私のチロルと交換……しちゃっ……」
そのまま眠っちゃったかも。眠る前に「いいわよ、そのくらい……」って言ってくれた気がする。気がするんじゃなくて言ってくれたんだと思う。
まだ言いたい事があったんだ。伝えなきゃ。
掃除も洗濯も料理も、夏帆ちゃんに全部任せるなんて私は夏帆ちゃんを私の都合で縛り付けちゃうのはやだよ。
私と一緒に二人で──ううん。私と夏帆ちゃん、ミルちゃんの三人で協力しあってやっていこうね。
バンドも、これからどうなるんだろう。楽しい事だけじゃない。辛くて嫌になっちゃう事も絶対にあるはず。でも楽しいことも辛いことも、どんなことでも私は受け入れていきたい。
そうだ、名無しちゃんからのLINE見なきゃ。蒼弥からも来てたんだった。大河くん、ブルムに入ってくれるって言ってくれたのかな。
でももう寝たいよ。明日の朝二人に返信すればいいか。
☆
と、昨夜の出来事を思い出していたら夏帆ちゃんのお腹の上で眠っていたミルちゃんが起きて、伸びをしてから夏帆ちゃんを起こす為に上に乗っかっていたミルちゃんが足踏みをし、その弾みで起きた夏帆ちゃん、ミルちゃんと三人で朝ごはんを食べ終えて、一緒に食器を洗っている所だ。
夏帆ちゃんは冷蔵庫にあった納豆をねりねりしてから、そのままご飯にはかけずに納豆だけで食べていた。
昨日LINEで名無しちゃんからはなんとか蘭に話を通してくれたみたいで、これから合流する事になった。
蒼弥からは『午後、CiRCLEに来て欲しい。柚月と萩尾さんに合わせたい人がいる。まあ俺の二個上の先輩なんだけど、他に誘える人いなかったから勘弁』との事。
また最初は大河くんと、もう一人、同級生の財前くんって子をバンドに入ってくれないかと誘ってみたんだけど、残念ながら二人ともブルムに入ってくれなかった、といった内容だった。
私は、『りょーかい( •̀ •́ゞ 実はね、私も蒼弥に合わせたい人がいるんだ〜。名無しちゃんは昨日あったんだけど、私たちのバンドに入ってくれて、さらにドラムやってくれるって人がいてね。とにかく午後、CiRCLEで会おーね』と返信した。
「夏帆ちゃん。これ洗い終わったら夏帆ちゃんに合わせたい人がいるんだ」
「うん」
洗い終えた食器を夏帆ちゃんに手渡す。夏帆ちゃんが受け取った食器を布巾で拭いてくれる。
夏帆ちゃんはお嬢様のようではあるけど、そんな事を微塵も感じさせないほどに手際がいい。
無心でお皿を拭いていた夏帆ちゃんだったけど、ハッと我に返ったように私の方へ振り向き、答える。
「……は? 合わせたい人? ……もしかしてもう一人いるっていうメンバー?」
「うん。蒼弥もそうだけど、その子に会うのは午後だよ。いまから会いに行くのは蘭って子なんだけど。知ってる?」
「訊いたことあるかも」
訊いたことがある、しず子と翼ちゃんから蘭のことは訊いていたようだ。
夏帆ちゃんは学校が違うとはいえ、私たちと同学年だと思うし、何より私と名無しちゃんがいるから、会話に行き詰まるという事はないはず。
拭き終わった食器を棚に片すと、着替えを済ませる。
夏帆ちゃんには未来姉のお下がりの洋服を貸した。寝巻き同様、窮屈そうではあるけど紺色のポロシャツに黒のスポーツウェアは傍から見てもおかしい所は何もない。むしろ夏帆ちゃんによく似合っている。
二人で家を出るとミルちゃんもついてきて、アパートの階段を降りきった所で私たちを追い越して先を歩いていく。うん、仲良く三人で散歩しようね。
夏帆ちゃんが先を歩くミルちゃんに向かって右手を伸ばした。同時に、夏帆ちゃんの長くて綺麗な朱色の髪も揺れ踊った。
ともちんやリサ先輩もそうだけど本当に長くて綺麗だ。私ももっと髪を伸ばしてみようかな……。
私が髪を伸ばし初めた時、蒼弥は少しだけ複雑そうな顔をしてたっけ。
髪の長い女の人が好きだって言ってたのは蒼弥のくせにね。
「あいつが水先案内人、ってところね」
「え……夏帆ちゃん……。その台詞ってあの小説のだよね!?」
目を輝かせ、夏帆ちゃんに問うた。
夏帆ちゃんは自らの行動を若干の後悔を添えて小恥ずかしげに顔を赤らめると、やや俯き加減に答える。
「う……。なによその顔は……。言っとくけど、アンタを待ってる間、暇だったからちょっと読んで見ただけなんだからね!」
「おお。リアルツンデレ?」
「うるさいっ! 早くそのランの所に行くわよ!」
「分かってるよ。夏帆ちゃん一人じゃ、きっと迷っちゃうだろうからね。あっ、ミルちゃん! 先行かないで一緒に行こうよー!」
「うっせー……。アンタってホント、人をイライラさせる天才ね……」
走ってミルちゃんを追いかける私。その後から髪をはためかせ、早足でついてくる夏帆ちゃん。
アンタ──夏帆ちゃんは昨日出会ってから、一緒に一夜を過ごしても、ただの一度も私の名前を呼んでくれていないことに今更ながら気づいた。
まあ本当に昨日あったばかりだし、まだちょっとだけ本人の中では気難しいと思う所があるのかも知れないよね。
☆
朝方。あたしは凪との待ち合わせの為に身支度を済ませてから、父さんと顔を合わせないよう、早急に家を出る。
さっさと家を出たおかげか、幸い今朝は父さんと顔を合わせる事はなかった。でも朝ごはん、食べ損ねちゃった。まあ、途中コンビニでなんか買えばいいか。
凪はもう起きてるかな。柚月じゃあるまいし、寝坊とかはしないだろうけどとりあえず連絡を入れてみようと、ポケットからスマホを取り出し、LINEを送ってみる。
『おはよ。あたしは今家出たとこだけど……凪はもう起きてる? 大丈夫そう?』
『おはようございます。わたしは早くに目が覚めてしまって、今は集合場所の公園で待ってます』
『あ、そうだったんだ。待たせてごめん……すぐ向かうから』
『そんな……謝らないでください。美竹先輩のペースで大丈夫ですよ。わたしが早起きしすぎただけですから……』
『分かった。それよりも凪は早起きしたって何時頃起きたの?』
『朝の五時くらい……ですかね笑』
『それちょっと早く起きすぎなんじゃないの? そんなに早く起きることなかったのに』
『実は、美竹先輩とのお散歩が楽しみであまり眠れなかったんですよ』
お散歩が楽しみすぎたと言っても、凪がそんな早い時間に起きてるとは思わなかった。蒼弥もちょっと天然な所があると思ってたけど凪も凪でちょっと天然気味だと思う。柚月も言わずもがな天然だし、ブルームーンの三人は揃うべくして揃ったとも思える。
そういえば凪と柚月が知り合ったきっかけも、凪が柚月の事をずっと観察、もとい尾行してたからなんだっけ。
凪とはまだあまり話した事がないし、一概にはそうだと言いきれないけど、一途に思いつめるタイプのようだ。
今まで学校に友達がいなかったとはいえ、初めて学校内で関心を示した相手が柚月な辺り、あまり人を見る目がないのかも……。
☆
凪と待ち合わせした公園──あたしたちが子供の頃によく遊んでいた──にたどり着いた。
子供の頃、学校帰り、そして休みの日には決まってここでみんなと遊んでいた公園だ。
でも別に感傷的な気分にはならなかった。だって久しぶりに来たわけじゃないし。高校になっても何度かモカと来たことがあるから。
改めて公園を見渡す。砂場に滑り台、ブランコ。公園の中央、石造りの椅子に凪は座り、何かの本を読んであたしを待っていた。
どちらかと言うと、視力がいいとは言えないあたしでは遠目からだと凪が何の本を読んでいるのかは分からない。近づいて行って声をかけることにした。近づくと耳にはイヤホンを付けていて何やら集中して本を読んでいる。
あまりにも集中していてあたしの存在に気づく様子もなかったので、背中をトントンと優しく叩く。凪は振り向き、耳につけていたイヤホンを外した。
「あっ……美竹先輩。おはようございます」
「おはよ。……なんか集中して読んでたみたいだけど、それ何の本?」
「この本は、『ナイン・ストーリーズ』といいまして九つの短編が収録された小説でして、わたしがちょうど今読んでいたのは『笑い男』っていうお話なんですよ──」
凪の語った笑い男。ニューヨーク市マンハッタンを舞台にした話であるらしい。少年団に所属している主人公の少年、そしてその少年団の団長である青年が学校の終わる頃にバスで少年団のみんなを迎えに来てマンハッタンにある都市公園、セントラル・パーク、博物館──記述はなかったらしいけど、凪の話ではセントラル・パークの西側に位置する、公園からもっとも近い『アメリカ自然史博物館』ではないかとの事──に連れて行ってくれているらしい。
そしてみんなからしたわれている、団長の青年がバスの中で語ったのが、芥子の花びらで作った仮面を身につけ、義賊となって活躍する『笑い男』という物語。
あニューヨークと訊いてあたしが考えつくのは自由の女神像とそのセントラル・パーク、あとはエンパイアステートビル……そのくらいだった。
知ってるのが自由の女神像だけだったら柚月と同格になってしまっていたかもしれない。でも今の凪の話で『アメリカ自然史博物館』という物がある事も知れた。
「って、わたしってば、なに熱くなっちゃってるんだろ……。すみません。わたし、こんなにも長々と語ってしまって……」
「いや、そんな事ないよ。凪がその本の事好きなんだって事がよく分かった。話してくれてありがとう」
「ほっ……。良かった……。わたしてっきり美竹先輩に引かれてしまったのかと思いました……」
「そのくらいで引くわけないじゃん……。凪のおかげで知れたこともあるし、本当に大丈夫だから……」
☆
公園を出てからしばらく二人で歩いていた。凪と二人っきりになるのは初めてだからやっぱり、会話の切り口が今ひとつ見いだせない。
バンドの事、上手くやっていけそうか、なにか困っている事はないか、喉元まで出かけてはいるんだけど、それらを言葉として出すことが出来ないでいた。
「あ、そうだ。あの、美竹先輩。実は昨日、ブルームーンに新しい人が入ってくれたんです」
「そうだったんだ。新しい人が入ってくれたんだ」
「その人、月ノ森の生徒だかなんだか知らないですけど、なんだか偉っそうな癖に、ビビりで、気取ってるのが少々鼻につく人で……」
凪のこの様子から伺えるのは新しいメンバーの人とはあまりいい関係、とは言えなさそうだ。
でも確か月ノ森って創立百年のお嬢様学校と形容される名門校だったはず……。
そんな名門校に通ってる人と、お嬢様には程遠い柚月とどう関わりがあったと言うんだろう。
「えっと……。月ノ森って、あの名門校でしょ? なんでそんな所行ってるような人が凪たちのバンドに入ってくれたの……?」
「片桐……先輩のお知り合いらしいです。昨日、美竹先輩がお帰りになったあとお店に来まして……」
その後、柚月の家でバンドに入ってくれないかと改めてお願いしたらしい。
名前までは覚えてないけど、しず子と翼が月ノ森の人と知り合いとかなんとか話してた事があったかも。その人がブルームーンに入ってくれたんだ。
「美竹先輩。わたし、片桐先輩の事もその人の事もはっきり言って苦手です」
「に、苦手……なんだ」
しず子の事も、新しく入ってくれた人の事も苦手、なんだ。
あたしもしず子の事、友達になる前は少しだけ近寄り難い印象があったっけ。
しず子とも翼とも関わることなく、時間が過ぎていくものばかりだと思ってたけど今では二人とも友達になることができた。
高校に入ってから、中学二年の時と同じようにモカやみんなとクラスが離れてしまった時はやっぱり寂しかったけど、今は寂しいと思う事も少なくなってきた。
うん、今は寂しいと思うよりも柚月がうるさくて、やかましいって気持ちの方が強くはあるんだけど。
それはそうと苦手な人と同じバンド、それは凪にとってとてつもない精神的な負担になるのではないか。こんな時、あたしが凪になんて言葉をかけてあげるべきなんだろう。
「……でも二人の事が苦手だからこそ、相手が迷惑だって思うほど関わってやりたいって、そう思ってしまうんです。ちゃんと話してみれば分かる事もあるから……。友達って言える人があまりいたことがなかったから、そういう風に思ってしまうわたしって、やはりおかしいんでしょうか……。昨日は片桐先輩に話すことなんてないって突き放してしまったのに、わたしの言ってることって矛盾してますでしょうか……」
「凪は凄いな」
「え、わたし、凄いんでしょうか。わたしに誇れる所なんて一つも……」
「普通、苦手だったらさ。あんまり関わりたくない、近寄りたくないって思うもんじゃない? それなのに苦手だからこそ、突き放したとか、矛盾してるとか、あたしはしず子と凪の間に昨日何があったかは分からないけど、それでも関わりたいって思えるのは充分立派なんだと思う……から……。あれ、凪?」
あたしが凪に呼びかけると、呆気に取られたような、放心しているようにも見える顔をしている。
なんかあたしらしくない、余計な事を言ってしまったかな。そう考えていると、みるみるうちに凪の顔が紅潮していき、嬉しそうにはにかみ言う。凪ってこういう顔するんだ。
「わたしが立派かぁ。そっかぁ。うわぁ……ふふっ。あぁっ! すみません……美竹先輩に褒められたみたいでなんだか嬉しくってつい……」
「へぇ。あたしに褒められたのがそんなに嬉しいんだ?」
「う、嬉しい……です。胸がぽわぽわしてくるような感じがして……。例えば恋した時、誰かを好きになった時ってこんな風に胸が暖かくなる感覚に包まれてしまうのでしょうか……」
「なに? 凪はあたしに恋でもしたってこと? あたしには別にそういう趣味はないんだけど……」
「た、例え話の一環ですよっ! うーんもう……美竹先輩ってばおかしな事言うんですね……」
「はいはい。別におかしくってもいいから。あたし、もっと凪と話したい」
「わたしも、美竹先輩ともっともっとお話がしたいです」
あたしと凪は、そのまま二人並んで、商店街を外れて道路沿いの道を歩いていく。
胸がぽわぽわして暖かくなる。恋愛とかそういうのはひまりやリサさんの方が詳しそうだけど、誰かを好きになるのってそんな感覚なのかな。あたしもいつかそういうのが分かる時がくるのだろうか。
それはきっと大人に近づくって事なのかもしれないけど。今はまだ、大人になるのが少しだけ怖いと思ってしまう辺り、あたしはまだまだ子供のままなんだと痛感させられた。
ご高覧ありがとうございました。
それではまた次回。