「もう一度確認するが本当に私で良いんだな?」
「はい。よろしくお願いします」
秋の選抜レースが終了後、案の定数多のトレーナーに囲まれたラクローヌをトレーナー室に何とか連れ込む事が出来た。かなり強引な手を使ったから後が怖いが。
「でも良かったんですか? リギルの名前を引き合いに出すなんて」
「生憎私にあのトレーナーの群れをどうこうする力はないよ。ルドルフの言質も得ている」
わざわざレース前に私のところに来て「今年リギルはこれ以上のメンバー募集をしない」とわざわざ言ったのはそういうことなんだろう。例えそうじゃなかったのなら、それはそれで何とかするしかない。
「会長さんには頭が上がりません。あとでお礼に言わないといけませんね」
「大丈夫だ。あいつは博愛主義に見えるが、その実自分が見たいもののために動いているだけなんだ。あんまり甘やかすな」
「失礼ですが、トレーナーさんはルドルフ会長とはどのような関係なのでしょうか。スズパレード先輩との対戦以外に接点が?」
「基本それ以外に接点はない。こっちからしてみれば、にっくき仇敵なんだが……気をつけろ。あれに遠慮がなくなったら終わりだぞ」
具体的に言えば私みたいなことになる。そう言うと苦笑いを浮かべながら適当な相槌を打った。
関係ない話で盛り上がってしまうな。さっさと本題に移らなくては。
「真面目な話をしようか。もし決まっているのなら、まずは目標を教えてくれ。オグリラクローヌ」
「あっ。クロでお願いします。言いにくいでしょうし、先輩方からもそう呼ばれているので」
「ではクロ、改めて君の目標を」
何だか猫みたいなあだ名だと思いながら改めて尋ねると、言いよどみつつも最後はちゃんと言葉にしてくれた。
「えっと……、クラシック三冠、です」
「……」
ルドルフが目をかけたのだ。何となく予想はできたが実際に聞くとこう、何というか、困る。
「す、すいません!忘れてください!」
手をワタワタさせて取り消そうとするクロ。不用意に不安にさせてしまったようだ。そういえばスズパレードにも唐突に考え込むのはあまりよくないと言われていた。
「すまない。以前挑戦した時は、NHKマイルまででほぼ離脱させてしまったから少し、な」
皐月賞のあともう一度ルドルフと戦うつもりだったが、結局それっきりになってしまった。スズパレードの戦績を知っているのかクロは複雑そうな表情をする。
「宝塚に逃げるというのも大概な気がしますが」
「ルドルフよりはマシと思って登録した。彼女ならシニア相手でも好走するだろうし、それで自信を持ってくれればと思ったのだが……、結果は予想以上だった」
勝った上でルドルフ恐怖症をさらに悪化させるとは思わなんだ。
「まぁ昔のことは置いといてだ。問題は君のことだ。三冠を目指すとのことだが、もっと具体的な希望はあるか? デビュー時期とか、ステップレースは何にしたいとか」
するとまたしても対面が慌て始めた。
「実はその……レース形式で走ったのは小学校以来でして……、ちゃんとした芝のコースを走ったのも今回が初めてだったり、そもそも、もうすぐ冬なのに私は皐月賞に間に合うんでしょうか?」
「落ち着け。言っちゃ悪いがレース経験も芝のコースも初めてというのは意外だな。両親の関係で嫌でもやらされそうだが」
今度は苦虫を噛み潰したような顔になった。
何というか、思ったより表情豊かな子だ。
「私、あまり期待されていなかったので、両親から指導を受けたことがほとんどないんです。特に母からは一切、指導を受けた記憶がなくて」
「嫌なことを思い出させたか。申し訳ない」
思った通り家庭の方で問題があったようだ。こちらが謝ると「いえいえ」と
「でもこうやってなんとかトレセン学園に滑り込めて、運良くトレーナーさんに会えましたし! 結果オーライです。ここから頑張って両親をぎゃふんと言わせてみせますよ! それに入学前、妹とかけっこしたら生まれて初めて勝てたんですよ?」
「もしや妹は来年あたり入学予定か?」
「はい。自慢の妹です。母も期待してて、付きっ切りで指導してました。まぁ勝ったと言っても遊びでですけど……」
自嘲気味にクロが語る。
そう。実はあのソールの娘が入学してくると、一部のトレーナー間では既に話題になっていた。色々あった方なので、皆積極的に話そうとはしていないが、
ただし、それは来年度の話だった。
……こうやって事実を並べられると、どうにも違和感がある。虫食いだらけで憶測もすら怪しいが。
「……そうか。何であれ君は今スタートラインに立ったんだ。すべてはこれからだ」
言いたいことも聞きたいこともあるが、今じゃない。走っていくうちにわかるものもたくさんあるだろう。
良くも悪くも。
「さて、クラシックに間に合うかについてだが、結論から言えば走ってみなきゃ分からない、だ」
「それを私はどう捉えればよろしいのでしょう……?」
「そのままの意味だ。レースというのは出来うる限り準備を重ねて、ありたけ包んで押しつぶすと言うのが私の考えでな。残念ながら今は準備しようにも土台となるデータが足りない。しかも実戦でノーミスは有り得ない。今何を言っても机上の空論なのさ」
例え母親がエプソムの丘を切り裂いた豪脚の持ち主でも、娘が同じとは限らない。その母親ですら絶対ではなかったのだ。
絶対があると言われたウマ娘は現状、かの皇帝ただ1人である。
その皇帝ですら3度の負けがあるのだから。
それにノープランだったというのならむしろ好都合だ。
「だから手っ取り早く行こう」
「手っ取り早く、ですか?」
「あぁ。多分これが1番早いと思います」
不安な現状を更に悪化させてしまうかもしれないが、こればっかりは仕方ない。彼女の状況を顧みれば、むしろ最善手まである。
「ところで君は運がいい方か?」
G1最短優勝RTAはっじまーるよー。
「半ば冗談のつもりだったんだがなぁ」
雪がチラつく年末の中山、クロがウイニングランを行っていた。
なんということでしょう! オグリが! あの芦毛の怪物が! 年末の中山に帰ってきました!
鼻声になっている実況を聞いて沸き立つ観客を尻目に1人頭を抱えた。
これは面倒なことになるぞ、と。
とある雑誌のインタビュー記事②
「皆ラクローヌのことをオグリキャップの息子として見てますが、自分にとっては『ソール』の息子という印象が強いですね。もちろん。ソールの主戦だった贔屓目はありますが」
例えばどんな所が母親に似たのでしょうか。
「あの操縦性の高さはソールの子ども共通の特徴ですね。ラクローヌは特にそれが抜きん出ていました」
要は賢い馬だと? それに関してはオグリキャップにも通じるところがあると思いますが。
「それもありますが、それだけではないんです。わかりやすいのはスタート部分ですね。枠順関係なく、いつも簡単に好位置をとってたでしょ?」
確かに安定感がありましたね。あの行き脚の良さはオグリキャップにはなかったかもしれません。
「わかりやすいのがスタート部分というだけで、実際はレース中ずーっと騎手の指示通りに動いてくれるんですよ。サラブレッドは機械ではありません。どんなに賢い馬でもgoサインと、実際のタイミングになんとなくタイムラグを感じるんですが、ソールのそれはかなり小さなものだった。その上であのキレ味です。『行く』と思ったタイミングで本当に『行けた』のは、自分にはソール以外に経験はありませんね。あの軽くて力強い脚は、ラクローヌにも完璧に受け継がれていたように見えます」
その割にソールは追い込み一辺倒だったようですが。
「そうなんですよね。だから皆さんソールとラクローヌがあまり結び付かないのでしょうけど、自分からしてみれば矛盾しないんですよ。親子で馬群が好きじゃなかったんです」
ラクローヌに逃げが多かったのは、能力だけでなく気性の問題もあったと
「その辺りは鞍上と陣営の経験値もあると思います。ソールがクラシックで引退してしまったのは、自分が彼女の能力に夢中になって追込競馬ばかりしてしまったのもあるんです。有馬でマックイーンに負けた挙句、屈腱炎で引退と聞いた時は荒れましたね。朝まで呑んで後輩に宥められる羽目になりました」
ですがあの時引退しなかったら、ラクローヌは産まれなかったかもしれません。
「そうですね。まさか競走馬以上に母親として競馬界に貢献するとは、当時は夢にも思いませんでした。万事塞翁が馬と言いますが、未来は誰にもわかりませんね」
でも正直友達の姉が希代の美少女だったらうまだっちするよね。