「碧、ちょっといい?」
「はい?」
にこに手招きされて、大人しく着いていく。部室を出て被服室まで辿り着いた時、ようやく呼ばれた理由に気がついた。思い詰めたような横顔ですら綺麗なのだから困ってしまう。よろしくねと呟いた先輩に変わって私がやることはただ1つ。
「ことりちゃん」
「…………」
「ことりちゃん。……はぁ、失礼します」
その頬に恐る恐る手を伸ばす。触れてようやく私がいることに気がついた彼女は大層驚いている。驚かせようと試みたことではあるけれど、どうしてか私も恥ずかしい。
「碧ちゃん、いつから……っ」
「つい先ほどです。呼びかけても反応しなかったのはことりちゃんの方ですよ」
「それはごめんね。何か用?」
「帰りましょう。送っていきます」
「え、大丈夫だよ。穂乃果ちゃん達と一緒に帰るし、碧ちゃん方向違ったよね?」
「穂乃果も海未も先に帰りました。そもそも、予定の時間を過ぎているのは君ですからね。にこが心配していましたよ」
「むむ……でもほら、ことり元気だよ?」
「じゃあ、まだ一緒にいたいので送っていきます」
みるみる顔を赤くしていくことりちゃん。きっと負けないくらい私の顔も染まっている。それでも心配な気持ちは嘘じゃないし、まだ2人でいたいのも嘘じゃない。
これ以上のやり取りは必要ない。ことりちゃんはこくりと頷き、それから静かに片付けを始めた。本当は手伝った方が良かったのだろうけれど、何やら焦った様子の彼女に下手に手を出すのも危ないだろう。
「お待たせ、碧ちゃん」
「いえ、待っていないので。それじゃ行きましょうか」
「ことりの家、場所分かるの?」
「……先週、実はお邪魔しまして。母の用事に着いていくからと練習のサポート出来なくて申し訳なかったので、黙っていました」
「ふぅん……ことりに内緒で、ウチに来たんだ」
「南さん、私に対して少し強引な所があるので、断れないんですよ。それに、そのおかげでこうして一緒に歩いていられるんですから、機嫌を治してください。ね?」
特に怒っているわけでもなかった彼女は、頬をぷくりと膨らませてあからさまに不機嫌を表した。でもそれはほぼわざとのようで、指でつつくとすぐに笑みをこぼす。
薄暗い道を2人で歩く。2人きりなんて学校でもそんな時間はなくて、それが帰り道になると尚更だった。彼女の隣にはいつだって穂乃果と海未がいる。私の入る隙が無いわけじゃないのがまた、少しだけ遠く感じてしまう理由なのかもしれない。もしくは、未だ手の届かない存在だと、そう認識しているだけとか。
「……碧ちゃんは」
「はい」
「ことりのこと、どう思う?」
「……っ」
無垢な蜂蜜色がそう告げる。本人を目の前に言及を避けようとする私と、それを許さないことりちゃん。彼女の自宅はもう目の前で、別れを惜しむ間も無くの問答。誰かに聞かれたら、見られたらどうするんだ。
出てくるのは、そんな臆病な逃げの一手。
「私、は……」
「……ことり?碧ちゃん?」
「お母さん……!?」
「話し声が聞こえたから……邪魔しちゃった?」
いたたまれない空気を破ったのは、音ノ木坂学院の理事長だった。そう紹介すれば聞こえは言いものの、つまるところことりちゃんのお母様である。
南さんは、私の腕を掴んで離さないことりちゃんを見て申し訳なさそうに言う。慌てて離れていくその温もりを寂しく思う余裕が、まだ私にはあったみたいだ。
「こんばんわ。遅くなったのでことりちゃんを送りに来ました。それじゃあ、私はこれで」
「あ、待って碧ちゃん。良かったら晩御飯どう?」
「え?」
「ことりも、まだ一緒に居たいみたい。それとも何か用事があったりする?」
「いえ……」
南さんの提案に、今度はジッと目を合わせてくることりちゃん。きっと彼女は勇気を出してくれたんだ。だからその反動で今言葉に起こすことが出来なくて、代わりに行動で伝えてくれている。それなら、言葉に出せず逃げた私にも踏み出せる確かな1歩。
「では、お言葉に甘えて。だから大丈夫ですよ、私は帰ったりしませんから」
「ほんと?」
「……いえ、さすがに遅くなるまでには帰らせてくださいね」
「ふふ、ことりってば嬉しそう。ありがとう、碧ちゃん」
キラキラした瞳はまるで幼子で、そんな彼女が嬉しそうに家の中へと私を引きずっていく。
どうか、これが友人の延長戦ではありませんように。彼女が私との時間を噛み締めていますように。
願わくば、同じ気持ちならいいな。
エイプリルフールネタ、遅刻でもいいですか
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いいよ
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ダメ