「それではこれより上陸前の最後のミーティングを始める。皆も面倒だと思うだろうが、今回のプロジェクトは……いや、何度も繰り返している定型文くらいは省くとしよう。コーヒーは行き渡ったな? まずは一息ついて目を覚まそう」
ソロアタッカー組のリーダー的存在、ポーラ・メドヴェーチェ女史の合図に合わせて多目的ルームに集まったメンバーがゆっくりと銀色のコップを口元へ運ぶ。ミルクと砂糖もたっぷりと入った、イタリア政府が奮発して用意したコーヒーはなかなか美味い。
俺たちがそんなふうに寛いでいる間に、ミスカトニック大学の研究者がプロジェクターの用意をテキパキと進めている。透明なフィルムに下から光を当ててスクリーンに映すタイプだ。
前世では小学校ぐらいの時に使っていた懐かしいというか古いというか。俺にとってはそういうレベルの代物であるが、この世界では充分に新しい機械である。
何せ時代が時代だからな。今年は1931年、転生前から90年ほどタイムスリップしたようなものだ。
魔法が存在しても急速に文明が発達とかはしなかったらしい。この砕氷船もエンジンと帆船が混ざったような船だし。まぁ、その帆に使われているのが魔力の結界なところはマジでファンタジーだが。ちなみに建造したのは三菱造船という物凄く聞き覚えのある企業である。
「大まかな流れに変更はない。まずは南極大陸の入り口であるアバラコフ基地に上陸、犬ぞりで前線の石村基地へ移動。メンバーの順応状況に合わせながら徒歩でダンジョンへ接近し、メインアタッカーのための侵入経路を探す。ここまではいいな?」
「はいは~い、質問で~す! やっぱり石村基地から先は犬ぞりムリっぽいの?」
「それ以上は犬たちが怯えてしまってダメらしい。モンスターも研究用に飼育しているが、無害で人懐っこいもののそりを牽引できるほどのパワーは無いそうでな」
「侵入経路を探すとき山には登るのか? 登攀が必要になるなら専用の装備に切り替える必要があるぞ」
「状況次第だ。そもそもダンジョンの存在も遠距離からの観測で推定したものだらかな。各国の学者たちが協力し、検討に検討を重ねて導きだした結論だ、さすがに空振りということはないだろうが……」
「実際に接近してみないとわからん、か?」
「そうだ。だからこそ我々ソロアタッカーが呼ばれたようなものだ。身軽で臨機応変、何よりコストパフォーマンスも良好だからな」
違いない、と探索者たちから笑い声が上がる。
俺に限らず、基本的にソロアタッカーとして活動する探索者というものはあまり金銭や名誉に執着しない者が多いのだ。
第一に生存、第二に自由と独立、三番目に趣味が入って四番目はソロ仲間。概ねこんな具合で誰もが活動していると言っていい。おそらく、名誉の類いは大事なものランキングでは相当下のほうになるだろう。
「あとは、前線基地の設営支援だが……まぁ、なんだ……皆も乗船したときに見ただろうが、輸送機が12機、ドイツのハインケル航空機製造会社から貸し出されている。高速郵便機を改造した次世代機らしいが……」
ポーラさんの言葉が弱々しいものになる。おそらくこの場にいる全員が、なんならこの砕氷船に乗船している全ての人間が同じ気持ちでいるだろう。これから暗黒に閉ざされる予定の空へ、輸送機を飛ばすとかアホなのかと。
もちろん何の考えも無しに飛ばすワケではない。滑走路には充分な照明を用意するし、アバラコフ基地と前線基地の設営予定地の間には障害物らしいものは一切存在しないので事故のリスクは少ないだろう。
それでもパイロットの精神的負担は相当なものになるはずだ。彼らが輸送に失敗すれば、今回のダンジョンアタックのスケジュールは大きく乱れることになる。それで発生するだろう経済的損失とか考えたくもない。
「大型の圧縮式魔導倉庫が完成していれば違ったのかもしれないが、残念ながら間に合わなかったからな。ともかく、我々のメインミッションは輸送完了までが基本となる。あとは石村基地で一流パーティーのダンジョンアタックでもじっくり観察していればいい。……何事もなければ、だが」
◇◇◇
ミーティングが完了したので、俺は少し外の空気を吸うために甲板に出ることにした。結界のおかげで船の上はほぼ無風だが、寒さまでは防ぐことは出来ないのでかなり冷える。我ながら単純な思考回路だが、いよいよ南極大陸に近付いているのだと実感する。
すでに日照時間はかなり短くなっている。前世では考えもしなかったが、太陽が見えないまま過ごすのは思いの外メンタルに響くのだ。ダンジョンの中で数日、時計だけを頼りに活動したときも随分消耗したのは未だに忘れられない。
これから、そんな状態が1ヶ月、いや2ヶ月は続くかもしれないのだ。とてもじゃないが、正真正銘のソロアタックでは体力の前に精神が耐えられずに限界を迎えるだろう。
「小僧、こんなところを散歩か? あまり身体を冷やさんほうがいいぞ。この辺りは水と風の魔力の影響が強い。慣れていない者では簡単に体調を崩すことになる」
「いえ、今のうちに太陽をしっかりと見ておこうと。あの水平線に沈む姿も当面は見納めですから。バラエナさんこそ、こんなところをウロウロしていていいんですか? 船長たちと打ち合わせとか……」
「構うものかよ。海のイロハも知らんような素人じゃあるまいに、プロの仕事にホイホイ口出しするもんじゃない。彼らも一流の海男だ。それはそれとして、なるほど小僧の気持ちはよくわかる。ワシも南極では随分稼がせて貰っているが、極夜でアタック仕掛けるのは初めてだからな」
その言葉は意外であった。目の前にいる老齢の探索者・バラエナ老はチート頼りの俺とは違う正真正銘の凄腕ダンジョンアタッカーである。てっきり暗闇での活動ぐらい手慣れたものだろうと思っていたからだ。
そんな俺の僅かな動揺を見逃さなかったのだろう、バラエナ老は少しイタズラっぽくニヤリと笑う。慣れているからこそ、夜間の行動は極力控えるのだと。おそらく、今回のダンジョンアタックでは全員が初心者のような慎重かつ丁寧な探索が要求されるだろうと。
「そういうものですか。やはり“グレート・エクスプローラー”と呼ばれるバラエナさんでも夜は警戒するんですね」
「当然だ。夜を恐れない探索者に先は無い。我々は何時如何なるときも自然への畏怖を忘れてはならんのだ。なに、それでもソロで探索するときに比べれば気楽なものだ。いよいよとなれば小僧が助けてくれるのだろう? なぁ、偉大なる“パーフェクト・サルベージ”殿よ」
してやったり。そう言わんばかりにバラエナ老がケラケラと笑いだす。
ソロアタッカーたちのお遊びのひとつに『通り名』を付けるというものがある。それぞれの探索者の特徴やこだわり、実績からそれらしい言葉を当てはめて冷やかしつつ称賛するのだ。
バラエナ老はいくつものダンジョンを単独制覇していることから、偉大なる探索者、あるいは探求者として一般人でもその名を知るほど有名人である。後進の育成にも熱心で、稼いだお金を若手の探索者たちの支援にそうとう注ぎ込んでいるはずだ。
と、まぁ本来なら通り名が付けられることは喜ぶべきことなのだろう。だが、俺は自分に付けられた通り名はそんなに好きじゃない。主に人命救助に関する実績からサルベージなどと呼ばれているのだろうが、それはつまりそれだけのトラブルに巻き込まれているという証でもある。
それにもうひとつ、救出が必ずしも歓迎されるとは限らないという問題もある。命に関わるレベルの事故を起こしたとなれば探索者としての評価に影響するので、俺が余計なことをしなければ隠匿することができたのにと睨んでくる者もいるのだ。
確実に今回の探索隊の中にもいるだろう。俺のことを疎ましく思う者たちが。別に積極的に敵対しているつもりはないが、メンツを潰されたと判断した者たちが何らかの依頼を出している可能性だってある。
「心配無用だ小僧。怪しからんことを企む奴ばらもいるだろうが、南極という場所は余所見をして歩けるほど生易しいところではない」
「……俺、声、出てました?」
「伊達にジジイやっとらんぞワシは? 日本の諺で言う“亀の甲より年の功”というヤツよ。目の前に前人未踏のダンジョンという垂涎の宝があるのだ、むしろ小僧などに見向きしている暇なぞ無かろう。それを差し置いて己が狙われるなどと……自惚れるには10年は早いわ、若造が」
言われてみればその通りだ。普段ならここまで考え込むことはないのだが、もしかしたら自分で思っている以上に緊張しているのかもしれない。まぁ恐怖心という奴は生き残るためには必要なものだし、根拠もなく大丈夫だと慢心するよりはマシだろう。
気持ちを切り替えるため、俺は再び沈み行く太陽に視線を戻した。そうだ、これから向かうのは誰も知らない未知のダンジョンなのだ。危険は確かに多いだろうが、新しい発見や驚きだってあるはず。陰鬱として挑むよりも前向きにワクワク感を楽しむほうがいい。
よし、そうと決まれば今日は早めに休むとしよう。明日にはアバラコフ基地だ、前世と合わせても人生初の南極大陸である。ちゃんとコンディションを整えて1歩目を踏むとしよう。
☆ちょっとした説明ロール☆
・1931年
こちらの世界では第1次南極地域観測隊により昭和基地が開設されたのが1957年なので、異世界の日本は30年以上は先取りして石村基地を開設していることになる。
それだけ技術が先行してるならパソコンくらいあっても良さそうだが、オカルトが文化として明確に存在している世界なので科学の発展が歪なのだ。
・登攀
とうはん。クライミング。本作では主に岩壁や氷壁に金具を打ち込んでロープを取り付けながら登ることを登攀と表現している。傾斜の穏やかなルートを歩くときは登山。
道具を使わないフリークライミングも登攀になるのだが、モンスターの出るダンジョンで素手で登る奴はいないだろうな……ということで割愛。