佐倉双葉と行くデート   作:裏方

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佐倉双葉と惣治郎(上)

「おぉ!アキラ〜!」

「いいところに帰って来たじゃねぇか、まぁ座れよ」

 

 アキラが扉を開けると喜色満面の惣治郎と双葉が待っていた。

 店内に客の姿はないもののカウンターには無造作に、五つ空のカップが置いてある。先ほどまで団体で客がいたのだろうか?しかしルブランに団体で客が来るとはとても思えないが……と思案を巡らせる間も与えず、双葉はアキラの腕を引いた。

 

「ほらほら来てくれアキラ!めっちゃ頑張ったからお客さんとしてお前に最初に味わって欲しかったんだ」

「自分の身内にこんな事言うのもなんだが……天才はいるもんだぜ、本当に」

 

 何やら興奮気味な双葉と何やら自慢げに煙草を吹かす惣治郎の様子は、やはり普段の様子とは大きく違っている。

 とりあえずカウンター前の椅子に腰を下ろすと、隣の椅子に置いた鞄から上半身を出しながらモルガナがアキラに話かけた。

 

「な、なんか妙な感じだな……なんでゴシュジンと双葉はこんなご機嫌なんだ?」

「ふっふっふ、気になるか?語るより飲むが易し、こちらをどうぞ」

「いやテンションが意味不明だぞ……」

 

 したり顔の双葉がアキラの前に出したのはソーサーに乗った変哲のないコーヒーだった。どこからどう見て普通のコーヒーに見えるそれは、アキラのサードアイを以てしてもやはり普通のコーヒーに見える。

 

 アキラがコーヒーカップから視線を外すと相変わらず満ち足りた表情の二人がそこに立っていて、今はなぜか背中合わせになりながらお互い腕を組んでいた。

 

「一時期テレビでこういうラーメン屋取り上げられてたよな……」

「うーん、よくわかんねぇけどとりあえずコーヒー飲むか?見た感じなにか仕掛けがあるって感じじゃねぇし」

 

 アキラは頷いて、コーヒーカップから立ち上る湯気を一吸いした。

 

「!」

「おぉ……!?」

 

 アキラはルブランに来てからほぼ毎日淹れたてのコーヒーを朝晩飲んでいる。初めの頃惣治郎に「コーヒーを飲む前に香りを楽しむもんだ」と教わって以来、飲む直前に匂いを嗅ぐことは今や一連のルーティンとなっていた。

 そして今日に至るまでに優に百回は繰り返したルーティーンの中、アキラは初めてコーヒーカップを運ぶ手を止めた。

 

 鼻腔内に広がる香りの一つ一つが鮮烈なまでの色どりを持っていて、それでいて過去体験した香りの中で飛びぬけて濃い。

 

 アキラは恐る恐る、黒みがかった琥珀色の液体を口の中に流し込む。

 舌の先端部に触れたとき最初に感じたのは柔らかい酸味だった。直後口腔内に広がる香ばしいフレーバーはまさにブルーマウンテンであることの証左だった。舌全体に広がる苦味は、しかし通常のそれと比較してやや苦く、濃い。喉奥へと飲み込んだあとの余韻はすっきりと爽やかで、かすかさな酸味の残響のみを残して消えた。

 

 

➤美味い!!

 

「そうだろそうだろ!なんせめっっっちゃ頑張ったからな!お腹タポタポだぞ!」

 

「俺もコーヒーで腹いっぱいになっちまったが、それでこの味が生まれるってんなら安いもんだ」

「双葉の奴今日コーヒーを淹れ始めたばっかだってのにもうこんな腕前だ。信じらんねぇだろ?」

「お前もかなり勘はいい方だが双葉には敵わねぇかもな」

「ふっふっふっ……褒めろ!」

 

➤確かに信じられないほどおいしい

 勝負するか?

 ゲームだったら……

 

「お、おぉ?……自分で言わせてなんだけど真正面から言われると照れるな」

「ま、まぁともかく!これでわたしもちゃんと店の手伝いが出来る訳だな?」

 

「え?あぁ、そういうつもりで練習してたのか?いや俺はてっきりコイツに飲ませてぇからかと……」

「いやー、ほら、なんていうかアレだ……お、親孝行?」

「双葉……」

 

 言葉を聞いた直後、惣治郎は眼鏡を外して目頭に指を当てた。

 

「……長く生きてりゃいいことがあるもんだな。これからも頼んだぜ双葉」

「うむ、ガッテンショウチ!」

「おっと、もちろんお前にもいろいろ頼むからな。」

 

 アキラは頷くと、またコーヒーを口元へと運んだ。口の中に含むと思わずため息が出てしまうような味わいに、アキラはやや放心した表情でカウンターを眺めている。

 

「なぁ、双葉のコーヒーそんなに美味いのか?ワガハイコーヒーはそんなに得意じゃないからわかんねぇんだけど」

 

➤好みの味だ

 香り高いブルーマウンテンの豆を損なわない完璧なドリップが……

 

「へぇー、確かにアレだな、いつもオマエが作ってるコーヒーに似てる気がしなくもないぜ?」

「……」

 

 そう言われて、アキラは何かに気づいたようにまじまじと黒い液体を眺めた。確かにこのコーヒーはアキラの好みを完璧に網羅している。

 しかしアキラの好みの味は惣治郎の指導する味とはやや違う。勿論惣治郎のコーヒーは絶品でありその味の完成度に疑いようはないが、惣治郎の動作をトレースしただけではこのような味わいにならない。

 

 そうすると、残った可能性としては偶然この味になったか、もしくはアキラの味覚に合わせて濃さを調整したかの二択となる。

 

 アキラの記憶の中でコーヒーの濃さに関して双葉に語った記憶はなかったが、とりあえず悩むようなことでもないので今聞いてしまうことにした。

 

➤濃いめだ

 いつもと味が違う気がする

 毎日このコーヒーを飲みたい

 

「……お!?マジかスゲー!!分かるもんなのな!」

「おいおい。この短時間でアレンジまでできるようになったのか?」

「へへ、そんな大層なもんじゃないけど、ちょっとだけな。最後の一杯だけほんの少し濃くした。アキラの好きな味だからな」

 

 基本的に惣治郎の帰った後にコーヒを淹れている上に誰かに好みの味を話事もないため、一体どこでその情報を知ったかにはやや疑問が残ったがはにかむ双葉の笑顔が可愛いのでアキラは考えるのをやめた。

 

 照れる双葉とにこやかにコーヒーを飲むアキラの姿を交互に見ながら、惣治郎は口元の煙草を吸い切った。吸殻を灰皿に放り込んで、少し考えるように顎に手を当ててから惣治郎机の上の食器類の片付けを始めた。

 

「これからは双葉にコーヒーを作ってもらうのもありかも知んねぇな。接客と料理はコイツにやってもらって、俺は……盆栽でもやるか?」

「ぶふっ!?盆栽!?あははははそうじろうスゲージジ臭いぞ!」

「へっ、こう見えて十分ジジイなんだよ俺は。ほら、飲み終わっただろ?片付け手伝ってくれ」

 

 垂直になったコップのフチから滴った最後の一滴を舌で受け止めると、アキラは名残惜しそうに空の容器を眺めた。

 悲しげに眉根を下げた表情を見つめていると、双葉の心中に愛おしい感情がふつふつと湧き上がってくる。

 

「くふふ、そんな物欲しそうな顔するな!後でいくらでも淹れてやるぞ?だから一緒に片付けしような!」

 

 渋々といった緩慢さで二つほどのソーサーを持つと、カウンター裏のシンクに置いた。六つものコーヒーカップがまとめてシンクに置いてある光景は、否が応でも双葉の努力の跡を感じさせた。

 

 アキラはルブランで調合した専用の洗剤をスポンジに染み込ませると二度三度揉んで泡立たせた。コーヒーカップのフチを滑るように、流れるように手早く汚れを落としていく。

 あっという間に全てのカップを洗浄すると、アキラはタオルで手を拭いて一息ついた。

 

「よっしゃー!片付け完了!ミッションコンプリートだ

ー!」

 

「……なんつーか、今日一日終わったような充足感があるが六時にもなってねぇのか……流石にこんな早く店じまいって訳にはいかねぇからな」

「お前らなんか用事でもあんのか?」

 

「んー、家に戻ってネットしてゲームして……あ!そういえばアキラ今日暇か?一緒に見たいSF映画があるんだった!わたしの超好きな監督の新作がついに発表されてネットの前評判みるとかなり好評で期待がやばい!」

 

 目をキラキラとさせながら早口気味に双葉が捲し立ててる。よほど好きな映画なのか、前作がどんな映画だったかどのあたりが見どころなのか、果ては出演した俳優の演技についてまで語っている。

 浮足立った様子で双葉はルブランのドアベルを鳴らし残暑の空の下へ繰り出すと、アキラは惣治郎に一度会釈をしてから双葉を追うようにルブランを後にした。

 

 

 店内に、壁掛け時計が時を刻む音とエアコンの稼働する低い音だけが満ちていく。惣治郎は二人の出ていった扉を数秒眺めると、カウンターの端、古めかしい黄色い電話器のそばの新聞紙を手に取ってカウンター前の椅子へ腰を下ろした。

 

 新聞紙には政党批判だとか昨今の世界情勢だとか、当然ながら大衆の注視している内容が多分の面積を占めている。惣治郎は見出しをざっと確認してやや興味を惹かれるものを読み始めるが、しばらくしても読む箇所が全く変わっていない。一度読み終わったはずのところへ戻ったり、別の欄で行きつ戻りつを繰り返している。 

 

「……」

 

 ポリポリと頬を掻いて新聞紙を置くと、惣治郎は煙草を口にくわえた。カウンター上の折りたたんだ新聞紙を一瞥するが現在の惣治郎の心理状態ではとてもまともに読めそうにない。

 

 常日頃惣治郎の心中を占めるのは双葉か夕飯の献立(大体カレー)か厄介な居候の内のどれかだが、今は双葉と一緒に居候のことばかりが浮かんだ。

 この二人を合わせてで思い浮かべるようになってからそう日は経っていない。

 

 

 初めて惣治郎が気づいたのは、店の手伝いをするアキラに双葉が一言声をかけた時だった。

 

「おっすアキラ~」

 

 声をかけられたアキラは軽く微笑むと、また手元に目を落とした。双葉も一言声をかけただけで特に会話はせず、出入り口に一番近いテーブル席に腰を下ろしノートパソコンをいじり始めた。

 

 しばらく作業をしているとアキラの口元が緩み柔らかい笑みを浮かべていることに気づいた。口元を軽く緩め、目を細めたような控えめな笑みだ。しかし何故コーヒーミルを分解しながらそんな表情を浮かべているのかが惣治郎には全く分からない。

 思わず声をかけようとしたが、ふと視界の端に映った双葉の笑みを見て惣治郎は動きを止めた。それは、惣治郎が見たことのない類の笑みだった。充足して、ついこぼれてしまったかのように、いたずら気に口元を隠しながら双葉は笑っていた。

 

 その瞬間、決して鈍い方ではない惣治郎の脳内に一筋の閃電が奔り、そして脳裏にそり立った極大サイズの「アベック」の四文字を煌々と照らし出した。

 

 

「はぁ……」

 

 昨日と今日のやり取りを見て、九割九分九厘だった疑念が純度百パーセントの事実となった。

 どこの誰がどう見ても、アキラと双葉は恋人同士だった。

 

「はぁ~~~……」

 

 店内をそのまま埋めてしまうのではないかと思うほどの紫煙が、ため息と共に惣治郎の口元から吐き出される。

 

 惣治郎は双葉に対し一般の親子と比べてもなんら遜色のない愛情を持っている。不器用ではあるが何ら嘘偽りのない愛を双葉に対し注いでいた。

 そしてそれは、今や屋根裏の居候に対してもだった。当初は前科者と聞いて警戒はしていたが、一か月もしないうちにそれは事実でないことを惣治郎は理解した。惣治郎本人は決して人を見る目に万全の自信があるわけではない。しかし数か月という時間と双葉に纏わる多くの体験を経て、今や惣治郎のアキラに対する信頼はゆるぎないものとなっていた。

 

 双葉とアキラ。惣治郎が世界で最も気に掛ける二人が恋仲になってしまったのだ。

 

 驚きこそすれ、惣治郎に二人の恋路を阻む気はない。この世で自分を除けば一番信頼出来る男と愛娘が恋仲になったのだから、他の馬の骨とそうなるよりは遥かに受け入れやすい。

 

 しかしそれでも、やはり双葉の保護者として、父親としてはいそうですかと受け入れる訳にはいかない。さしあたって一体将来の展望をどこまで見通しているのかをアキラに問いたださねばならないと惣治郎は思った。

 

「……一応話だけ聞いてみるか。一応な」

 

 一本吸殻の増えた吸殻入れにまた煙草を押し付け、惣治郎は最後の煙を口から吐き出した。 




 確かに信じられないほどおいしい
➤勝負するか?
 ゲームだったら……

「ほほーう?面白そうだ!その勝負受けて立つぞ!」
「じゃあ早速豆を砕いてくれ」
「あれ?もうコーヒー淹れたのか?一体いつの間に……」
「じゃあ飲むぞー」
「……」
「……うん、そうじろうと同じ味がする!」
「……へへ、確かにわたしにとってはこれが世界で一番美味しい味だ。これを出されたら勝てないな〜」
「今回はお前の勝ちだな。だが油断するんじゃねぇぞ。いずれ第二、第三の双葉が漆黒の雫を以て世界を制する時が来るだろう……」
「何言ってんだゴシュジン……」

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