ダンジョンで拾ったアンドロイドがポンコツすぎる   作:たこふらい

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8.破壊の剣Ⅱ<Lvateinn>

 

 この世のものとは思えない光景に一瞬、我を忘れる。

 視界が魅了されたかのように釘付けになる。

 あまりにも幻想的で、時間感覚が鈍化する。

 

 すぐそこまで命の危機が迫っているというのに、どうしようもなく見惚れてしまう。

 

 雲を引き裂いて上空へ現れた黄昏の彼女は、暗夜を流れる雲の下、一輪の鮮やかな花のように宙に浮かんでいた。

 

 落下するはずの体を、大気が当然のように受け止める。

 

 引力の鎖は彼女の下で弾け飛び、重力の枷は解き放たれた。

 

 波間を漂う舟。あるいは、ソラに浮かぶ星のように、彼女は夜に流離(さすら)う。

 

「───マスター、及び敵性個体の存在を確認。これより迎撃態勢に移行します」

 

 上空から夜の街へ、凛とした声が染みわたる。

 

攻性鎧装(コードアサルト)、起動。射角確保───完了」

 

 くるりと、身を切り返した彼女の服装が変化する。

 月が雲に隠れ、また現れる。その一瞬で、少女の姿は一変していた。

 

 見る者に柔らかな印象を与えていた服は空気に解けるように消えていく。

 

 代わりに現れたのは武骨な鎧。

 要所を覆うように展開される堅牢な鎧。目元を覆い隠すバイザー。そして淡く赤色に舞う燐光が少女を包む。

 

 鋭角。今まさに、少女の姿は研がれた刃そのものだった。

 

「準備完了。───射出」

 

 一瞬の後に、全身を兵器へと換装した彼女がその身を弾丸として撃ち放った。

 

 空の星は地を裂く花となり咲き誇る。

 

 (ゴウ)(ガツ)、と。落下地点を叩き割り吹き飛ばしながら、弾丸が炸裂した。

 位置はちょうど俺と男の中間。迫る呪いの濁流を遮るように、落下した星は、圧倒的なまでの破壊力を持って大地を(めく)り上げ、闇を吹き飛ばした。

 

 はじけ飛んでくる砂塵から身を守りながらなんとか顔を上げれば、罅割れ陥没した地面の中心で右手を大地に突き立てて着地姿勢を取った少女の姿。

 

 ───なぜか。その姿に、振り下ろされた一本の剣を想起した。

 バチバチ、と。何かが爆ぜる音がする。

 

「お待たせしました、マスター。現時刻を持って当機の到着が完了しました」

「──────」

 

 驚きのあまりに言葉が出ない。彼女の出で立ちの変化も、ここに居る理由にも。考えが及ばずに思考が停止する。

 そんな俺とは対照的に少女は冷静そのものだ。

 ただ冷徹に現状を認識し、敵を補足し、殲滅すべくその回路(しこう)を働かせている。

 

「強大な魔力反応、及びマスターの精神状態の変化を検知しました。戦闘中と予測、その後高速機動によって現在位置に到着。以上が現状報告になります」

 

 報告書を読み上げるかのように、言い切って、トワは男に相対する。

 

「第八層主『執行者』───オーガスト=クロイゼルング。平時であれば戦闘は回避するべき個体ですが、現在は由来不明の強力な呪いに侵されているようです。今ならば殺せます」

 

 パキキキ、と。硝子が砕けるような音と共に、光の粒子が女の両手に収束する。そして白い閃光と後に形成されたのは半透明の鋭い刀身。魔力で作られたそれは実体の無いまますべてを切り裂く光の剣、破壊の刃に他ならない。

 左手へ長刀を、欠けた右手から短剣を伸ばし、鉄の少女が構える。

 一連の動作は澱みなく正確に。冷たい鋼のようだった。

 

「───行きます。マスターは後方へ」

 

 瞬間、その姿が爆発した。否、爆発したかと見紛うほどの速さで駆けたのだ。

 

 放たれた矢のように一直線と向かってくる少女に対し、変わらず男は不動。ただ俺にしたことと同じように、黒い蛇が鎌首を擡げただけだ。

 

「──────」

 

 進路を阻む呪いの壁にあくまで少女は冷静そのもので。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 避けろと声を上げる暇さえなかった。そして、すぐにその必要さえなかったと思い知った。

 

 黒が割れる。

 鋼が飛び出す。

 

 少しの減速もないままに少女は呪いの壁を突き破った。その身には僅かな陰りもない。纏った燐光があらゆる障害を焼き焦がした。少女を押しつぶすはずだった漆黒は、逆に焼かれ浄滅され、大きくその量を減らしていた。

 

 今まで不動だった男がそれを見て動き出す。理性の無いまま本能だけで警戒心を引き上げ、初めて戦闘を意識した行動を実行する。

 すなわち迎撃。今までただ提げていただけの大鋸が、呪いを纏って振るわれる。

 

 上段から力任せに一閃。工夫の欠片も見られないその剣戟は紛れもなくただの駄剣であり、純粋な暴力であり───逆に言えば、技などに寄らずとも十分であるという証明でもあった。鍛えずとも考えずとも、人外の膂力を伴って振るわれるそれはあらゆるものが必殺に等しい。まともにぶつかれば、例え岩塊であろうとも粉微塵に成り果てる。

 

 それを、真っ向から弾き返す影があった。

 男の攻撃が巌ならば、少女の一撃は雷だ。正確無比、迅速迅雷。面で制圧する男の大剣を、それより速く、刺すような鋭さで力みの一点を抑え、押し返す。

 

「なっ───」

 

 驚きの声は俺のものか、それとも男のものか。見ているこちらでさえ信じられないのだ。それをその身で受けている男の驚愕は計り知れない。

 

 防がれることなんて予期していなかったであろう男がたたらを踏む。明確な隙を晒した吸血鬼に反撃が突き刺さる。その身から滲む呪いごと、袈裟に体が切り裂かれた。

 

『"───!"』

 

 さらなる追撃を男は飛び退いて躱す。その一挙動で路地の向こうまで退いていく。

 

 飛び退いた男の体には、およそ骨まで達している傷が見えた。人であれば例外なく致命傷だろうが、吸血鬼であるヤツにとってはありえない。グズリ、と、傷口が脈動し、溢れ出した血液により傷そのものが無かったかのように再生する。

 

 吸血鬼は血のある限りは不死身であり、吸い取った命を大量にストックしているのだと、いつか師匠が言っていた。

 

 確かに、人間の尺度で計ればヤツはほとんど不死身だ。人であれば三度は死んでいるであろう深手も、男は当然のように()()()()ことにする。しかし傷を負ったという事実は無くならない。見かけ上は元通りでも、少女の一撃は確かに、確実に男の体を削っている……!

 

 再び相対する男と少女。焼き直しにも見えるそれは先程のものとは大きく意味が違っていた。

 

「私は、破壊する」

 

 鈴が鳴るような声で少女が宣言する。

 

「破壊する。それが、私の機能」

 

 狩るものは狩られるものへ。立場が逆転する。

 少女にとって男の攻撃は対処可能なものでしかなく、男にとって少女は天敵だ。

 

「砲身形成、術式装填───発射」

 

 闇蠢く瓦礫の群れを、鋼鉄の狩人が疾駆する。

 呪いの渦を飛び越えながら、動きを止めないままにその右手の光が変化する。短剣から砲塔へ。男へと向けられたそれが連続で火を吹いた。

 一撃一撃が身を抉って余りある威力。たまらず男は防御に動いた。

 尾を引いて着弾する光の矢。盾として砲撃を受けた大鋸が大きく軋む。ボロボロと破片が飛び散る。そして生まれた隙を、あの少女が見逃すはずがない。

 

 すれ違いざまに一閃、男の体に再び大きな傷が走る。肉が抉れ骨が削れる。苦悶の声を上げた怪物が、闇雲に獲物を振り回す。

 繰り出される死の嵐。まともに当たれば少女でさえ無事ではいられず───しかしそれさえもまるで問題がない。

 何度も振るわれる無骨な凶器を、まるで重さなんて感じさせない軽やかな動きで避けていく。まるで風に吹かれる花びらのようだ。大鋸は少女を掠めはすれど、その芯を捉えることはできずに素通りしていく。

 一歩間違えれば死に至る嵐の舞。その中で表情一つ崩さない彼女は、どこか異常で───目が離せない。あの怪物さえ目に入らない。

 

 やがて躱すのみだったその動きが変化する。体全体を回し、捻じるように。大鋸が命中するその瞬間に、蓄えられた力が解放される。

 渾身のカウンター。

 バキリ、と。弾き飛ばされた男の得物が破片と共に悲鳴を上げた。堪えきれずにその長身が後退する。

 

 突き刺さる追撃、怨嗟の声を上げながら退こうとする怪物、退かすまいと追い詰める狩人。

 

 ───圧倒的だった。

 破壊という行為に対して少女の性能は群を抜いていた。

 

 幾度も衝撃音が木霊する。

 その度に男の体だけが削れ、治り、また削れる。

 

『───、───、───!』

 

 怪物の呼吸が狂っていく。

 

 繰り出される呪いの奔流に、彼女は無造作に左手を振るうだけ。

 それだけで黒は弾かれる。あれは至高、かつて世界を焼いた炎。例え熾火であろうともその輝きを穢すことは能わない。

 

 舞い散る赤に身を焼かれ、平伏した黒が道を開ける。

 黄昏色の髪が流星のように尾を引き駆けていく。

 

 そして怪物へ致命傷を重ね続ける。間断なく、緩みなく、余すことなく、確実にその身を削り続けていく。

 

 もはや、これは戦いではなくなった。

 男を接近不可能の砦にしていた呪いは通用せず、その手に持つ武器ですら歯が立たない。何度も少女の攻撃を受け、その表面はボロボロだ。

 

 勝負は決まった。あと数撃で決着がつくだろう。

 圧倒的なまでの性能差だ。逆転はあり得ない。狂気に苛まれている男はただ飢えた獣としてだけ少女に討伐されるだろう。

 

 なにも心配はいらない。文字通り降って湧いた幸運がこの身を救ったのだ。あとは少女が勝利する瞬間を見届ければいいだけだ。

 人間の援護なんて必要ない。あの戦場はまさに魔境。人が入り込む余地もない。だからこのまま見ていればそれだけで片が付く。はずだ。

 

 なのに。

 それなのに、どうしようもなく胸騒ぎがする。

 

 ()()。ヤツという怪物を倒すということは、きっとそういうことじゃない。だがそう思う根拠が見つからない。

 

 今も俺は心の底から少女の勝利を疑ってはいない。あれは誰が見てもきっとそう答えるに違いない。

 

 だが何かを見落としている。おそらくは前提から間違えている。

 不安が胸中を覆っていく。些細なことだと無視できないほどに大きくなっていく。

 

『"───やめ、ろ"』

 

 男が苦悶と共に命乞いの喘ぎを漏らす。

 その姿は追いつめられた獲物そのものだ。逆転の余地のない敗北者のはずだ。───それなのに、その姿へどこか不吉なものを覚える。

 

 まるで───追い詰めている側が、追い詰められているような。

 

 俺はヤツを『狂った怪物』だと認識した。おそらくは少女も似たような認識だろう。己の奥底から湧き出る衝動に呑まれ、正気を失った化物。ただ闇雲に原理を振るうだけのモノと化した憐れな吸血鬼。

 

 ()()()()()()()()()()()()

 あれはヤツ本来の姿ではなく、仮初のものだと言うのなら?

 

 ……答えは出ない。

 もし気づいたとしても既に手遅れだ。

 

「……ダメだ」

 

 戦場では男に向かって駆ける少女の姿。その姿勢の力強さから、これがとどめの一撃だということが見て取れる。

 同感だ。ヤツに反撃の手段はない。これできっと勝負がつく。

 

 だからきっと───何かを、致命的に見落としている。

 

「ダメだ、よせ───やめろ、トワ───!」

 

 思わず叫んだ。

 見落としているものがあるとするならば、それは今この瞬間に牙を剥く。

 だが叫んだところで届かない。届いたとしても止まれない。

 

 鋼鉄の少女は止まらぬまま、その左手で男の心臓を貫いた。

 

 

 ───寸前。その凶手を止めるものがあった。

 受け止めたのは男の大鋸。だがそれで限界なのか、ピシリ、と。大きくひび割れる。

 

 その隙間から()が覗いた。目を疑う。あの負の化身の如き化物の得物からなぜそのようなものが見えるのか、一瞬思考が停滞する。

 

 それは決して眩いものではない。ただ、もとある光を反射しただけの鏡のようなもの。つまりは。それだけ純化された何かが、そこにはある。

 

「───ようやく、目が覚めた。血の通わぬ人形よ」

 

 狂気を上回った生存本能が渇望の呪いを打ち砕く。

 解き放たれた自我が産声を上げる。

 

 濁った黒が搔き消される。

 巡り廻りながら凝縮する呪いは次第にその姿を変えていく。反転する。

 

 泥の代わりに流れ出したのは清水。一秒後にはその形を変え決して留まることのない無常の権化。

 

 大鋸だったものがボロボロと崩れていく。その暴力的な外殻の中から、真なる鋼が本性を露わにする。

 

 それは呪いなどではなかった。『腐敗』など、男の持つ原理の一側面に過ぎない。

 あれは、世界の在り方だ。絶えず巡り、一つとして変わらぬものなど無い、全てがあるがままに終わる世界。───『流転』の理。

 

原理展開(ロウ・バースト)───『■■■■■■、■■■』」

 

 そして万物は流転する。一節の呪文と共に、吸血鬼の真の姿が顕現した。

 

 理性の灯った声は心の底からの謝意を示し。

 

「───貴様に感謝を」

 

 激流が、眼前の少女の全身を吞み込んだ。

 

 

「──────、は?」

 

 呆けた声が自分の喉から漏れる。

 それは、あまりにも一瞬の変化だった。

 何かが、高速で自分の真横を吹き飛んでいった事実だけが今の自分に理解できたことだった。

 

 吸血鬼の黒い呪いは純化を重ね、澱みない清水と化し、激流の一撃となって少女を穿った。

 振りぬいた姿勢で残心をとる男の得物は、主に従うようにその姿を変えていた。

 水流を纏ったそれは、一本のこの世ならざる幻想の剣槍。男が目覚めた瞬間に、あの大鋸の内側から、引き抜かれるように現れた神秘の結晶だった。迸る魔力も、宿した歴史も、まるで別格。

 

 その結果、どうなったか。

 

 ───ダメだ。信じられない。まさか。

 

 振り向く。

 そこには、男の下からこちらまで吹き飛ばされた少女の姿が、瓦礫に埋もれて倒れていた。

 鎧は砕け散った。破損したバイザーの下に覗く瞳は閉じられていた。───ピクリとも動かない。

 

 あの直前。彼女は一瞬こちらを振り向いた。

 吸血鬼の攻撃範囲に俺が居ることを理解し、俺を見捨てれば回避できると理解していながら、それでも彼女はその身で受けた。

 

 その結果が、これだ。

 

 勝負の天秤は一瞬でひっくり返った。

 俺たちは目覚めさせてはいけないものを目覚めさせてしまった。

 

 ヤツを殺すのであれば先ほどまでの瞬間しかなかった。ただ飢えに喘ぎ、狂気のままに暴れるだけの怪物のまま倒すしかなかった。

 

 コツ、コツと。死が迫る。男が近づいてくる。

 そこに先ほどまでの狂気はない。あるのは理性、冷徹な意思。

 人ならざるものでありながら己を高め続けた一人の戦士の姿がそこにはあった。

 踏み出すたびに剣槍の先端が殺意に研ぎ澄まされる。狙いは───言うまでもない。

 

 勝機は、失われた。

 選択肢は見失った。

 

 俺はすぐそこまで迫った結末を想像し、破裂しそうなほど脈打つ心臓を搔きむしる。

 

 少女、トワは殺される。これは現時点で確定された結末だ。

 それを俺はただ黙って眺めている。

 このまま路傍の石のようにじっとしていれば見逃されるという微かな希望にすがって、ただ眺めている。

 

 全身は恐怖に支配された。

 勝てるわけがない。倒せるだなんて思いあがりも甚だしかった。

 

 生存しようとする体の意思が今この瞬間に全力で逃げろと叫んでいる。怪物が女に夢中になっている間に逃げろと。

 だってしょうがない。アレを相手にただの人間が何ができる。無理だ。不可能だ。歯向かう意思さえ持てはしない、逃げてしまえばいい、誰も責めない、だってそれが普通の反応だ、正常な人間の判断だ、自分から命の危険に飛び込むなんてとてもできない、仕方がなかった、だから、

 

 目が合う。死の寸前に意識を取り戻した少女と目が合う。

 間に合わない。あと数秒で少女は動けるようになるだろうが、それより速く男の凶器が振り下ろされる。確実に手遅れだ。それはあの少女自身が一番わかっているはずなのに。

 

 その目が俺に促した。ただ『逃げろ』と。自分のことは気にせずにこの場から逃走しろと。

 

 一瞬、すべてを忘我した。

 頭の中で渦を巻いていた何もかもを吹き飛ばして真っ白に染まった。

 

 ───それで、固まっていた体は解けた。

 

「ふっざけんじゃねぇぞクソがあああああああぁァッッッ!!!!!!」

 

 すべての恐怖は赫怒と成った。

 体を縛り付けていた怯えは進むための推進剤となった。

 

 走る。怒りのままに全力で地を蹴る。心臓は一秒で最高速度に達し血液を全身へ吐き出し始める。

 足りない。それでは足りない。それではあの領域に届かない。それだけでは間に合わない!

 

 更に加速する。生涯の最高速を更新する。ブチブチと足の筋線維が千切れる音がする。突然の急加速に体の方が追い付かない。どうでもいい。そこまでしてようやく振り下ろされようとしていた凶器の前へたどり着く。

 だがこれではダメだ。割って入ることはできても無駄だ。俺の体では盾にはならない。ならばどうにかして防ぐしかない。

 

 全身の骨、筋肉、内臓から足の指先まですべてを使って生み出した力を構えたナイフの一点に集中させる。

 受けることはできない。受ければ最後押しとどめることもできずに圧殺される。ならば、

 

「ヅッ、───あァッ!」

「マスター!?」

 

 弾いた。

 振り下ろされる穂先に合わせて横合いから一閃。僅かにブレた剣槍は的を外して地面を抉るだけに留まった。

 

 たったそれだけの行為で腕の骨が軋んだ。無理やり動かした筋肉はいくつかが断裂した。ナイフは今の一合で刃毀れを起こした。あと持って数回、それ以上は折れる。ヤツにとっては攻撃にも満たないとどめを刺す行為だろうと、こちらにとっては必殺に変わりない。肉体という決定的な性能差が生んだ当然の結果。

 

 そこまでして稼げたのはたったの数秒。それでも後悔はしていない。あのまま見ているだけだったなら、きっと俺は俺を許せなくて自分を殺したくなっていただろう。

 

「───なんだ。お前はなんだ?」

 

 怪物が疑問の声を上げる。当然だろう。俺が奴だったのなら俺だってそう思う。ヤツにとって俺は眼前を飛ぶ小虫に過ぎない。端から敵とさえ認識していなかったのだから。

 

「どけ。……いいや、お前もそのまま死んでいろ」

 

 逡巡の後、再び剣槍が牙を剥く。今度こそ防げる自信はない。

 だがしかし、その数瞬ばかりの隙は少女が動くのに十分な時間だった。

 

「チッ───」

 

 再起動を果たした少女が復帰する。

 瓦礫を吹き飛ばす勢いで立ち上がり、止まらぬままに掌打を男へ叩き込む。

 全霊の一撃。人ならざる膂力の込められたそれは受けた相手が人間であれば全身が破裂しているであろう威力だ。人外である男を殺すには至らなくとも、この場から移動させることには十分過ぎる。

 

 掌を受け大きく後方へ跳ぶ吸血鬼。真に驚くべきはまともに受けたように見えながらも今の一撃でヤツにはダメージはほとんどないということか。持ち手のしなりで衝撃の大部分を殺し、自らも後方へ跳ぶことで受けるダメージを最小限にまで軽減する。

 それはまさしく技術の粋だった。あの理性の無い姿からは想像もできないほどに冴えわたる体術の極み。ただの獣であった先ほどよりもよほど脅威と言っていい。

 

「……マスター、」

「言うな。俺だってわかってる。無謀なことだってのは理解してる」

 

 膝を付きそうな体を持ち上げて、少女を見る。

 

 ───少女は、俺なんかよりもずっとボロボロだった。身を守るための鎧はとっくに砕けていた。元の服は破れ、剣槍が命中した付近は大きく欠けて中身が見えそうになっている場所さえある。俺を庇うなんてことをしなければ負う必要のない傷、だったはずなのに。

 

「でも、あのままじゃお前が殺されてた。それを黙って見てることなんて、俺にはできない」

 

 吐き出すように言い切った。それは今まで交わした言葉の中で、ずっと本心に近いものだった。

 

 それを納得できないような無表情で、どこか責めるような色さえある少女の顔を見て一つ納得がいった。

 自分でもわからなかった正体不明の怒りの理由がわかった。

 

 ───単に、気に食わなかったのだ。この少女が、ただ道具のように振る舞う姿が。目的のためならば消費されて当然という態度がどうしようもなく癇に障った。

 命じられれば遂行する。そこに可能と不可能の区分はない。

 

 違う。

 違うだろう。お前はそんな冷たいものじゃない。

 ただ命令に従うだけの道具なら身を挺して俺を助けたりなどしない。命令もないのに動いたりしない。

 

 なら、それは少女の意思だ。例え人間ではなくとも少女自身が想い、考え、そして行動したのだ。その尊いものを、どうして俺のためなんかに踏みにじることができるだろうか。

 

「俺は死にたくない。でもお前を殺させたくもない。だから俺は逃げない」

 

 少女の瞳が揺れる。つっ、と。何かが刺さったかのように、僅かに瞼が閉じる。初めて見る表情。

 だがそれも一瞬のこと。すぐにいつもの無表情へと戻る。

 

「…………マスターの考えは、理解しました。しかし、現状ではそれは困難と判断します」

 

 少女が見据える先には無傷のまま立ち上がる男の姿。その目には殺意が迸っている。だがすぐには動き出さないところを見ると、ヤツも相応に消耗しているらしい。先ほどまでの猛攻が効いている。

 

「マスターが選べる選択肢は二つ。一つは私が交戦している間に逃走すること。オーガスト=クロイゼルングは強敵ですが、なんとか時間は稼ぎます」

「却下だ。次」

「………………………………、こちらはマスターに多大なリスクを生じる可能性が高い、と予測できます。当機の立場からは推奨されません」

「ならそれでいこう。言っておくがお前が逃げないのなら俺だって逃げない。梃子でも動かないからな」

「言っても───聞かない、ようですね。もうそれしかないようです、と当機は了承します」

 

 残った猶予はあと僅か。

 それまでにできることをする。

 

 とは言ってもこちらに案はない。トワにすべてを任せる形になる。

 

「マスターがすることはただ一つ。───『契約しろ』と、当機に命令を下してください。その後に必要なことは私が代行して処理を行います」

 

 疑問を挟む余地すらない。少女を疑うという機能はとっくの昔に消え去った。

 

 頷いて、『命令』する。今までの漠然とした目的のないお願いではなく、ただ一つの目的のために、己の意思で鋼の少女へ命を下す。

 

「契約しろ、トワ。俺にはお前が必要だ。力を貸せ!」

「───命令(オーダー)、受領。結びの誓いは今ここに。我がすべては盾となり、剣となり、貴方を阻むすべての災禍を破壊しましょう」

 

 自分と少女、二つの間に見えない何かが紡がれる。少女のナニカが音を立てて駆動し始める。その本質が、表層へと現れていく。

 少女が何かを受け入れるかのように両手を広げる。その左胸に光が灯る。

 

「───マスター。()()()()()()()

 

 導かれるままに、それに手を伸ばした。

 

 

 ───それは、柄だった。少女の胸から伸びるそれは、どう見たって剣の柄だった。

 

 手を伸ばす。

 触れる寸前、頭の中に警告が走る。───それを手に取ったら最後、滅びの運命は避けられない。後戻りはできないよ───何者かが、そう囁いた。

 

「───構わない」

 

 覚悟はとうにできている。あらゆる手段を使って彼女を失わないと決めた。後戻りできる地点はとっくに過ぎている。───故に、躊躇はしない。

 

 触れた瞬間に灼熱が体に流れ込む。全身を満たす火焔に不思議と恐怖はない。ただ、何かが繋がったという感覚だけがあった。

 

 それを握りこみ、そして───一息に引き抜いた。

  

「───そうか、貴様が()()()だったか───人間!」

 

 戦士の眼光に険が宿る。有象無象の塵芥から、打倒すべき『敵』へと認識が入れ替わる。

 

「その熱さは知らない。その炎は知らない」

 

 ()()()()()()()()、と。男が言う。

 

 自らの記憶になくともその()()が覚えている。記録している。忘れられるはずがない出来事。

 

 現れたのは灼熱の光輝。翳りもなく燦々と光を放つ星の炎。かつて時代を七度に渡って焼き尽くした終焉の象徴。

 

 清澄の蒼の刀身。吹き上がるは赤の炎。

 

 神造兵器。神々の黄昏。終端機構。

 

 それは───、

 

「───破壊の剣(レーヴァテイン)

 


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