紅き眼の系譜   作:ヒレツ

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Episode 1-9

 喧騒とした周囲に反して、ある一部だけは森閑としていた。ただそれに反して、辺りを覆う空気はいつ爆発してもおかしくはないほど張り詰められている。

 

(一人は土遁。後の三人は分からないが、おそらくは別の性質変化を持っているはず。雷遁使いがいるとすれば厄介だが……)

 

 秋水は四人を一人一人観察しながら、それぞれがどの程度の力量をもっているのか、ある程度の目安をつけている。

 

 身に纏う雰囲気、構え方、呼吸の仕方、相手の力量を推し量り、戦闘を組み立てることが可能な冷静さと経験。

 

(この程度ならば問題はない)

 

 あらゆる要因を短時間で検証した結果、さほど強敵ではないと判断した。

 

 それによって油断はしない。本当に雷遁使いがいた場合、嘗めてかかれば相性上負ける可能性が高くなるからだ。

 

 秋水を含む、忍術と呼ばれる古式魔法には大きく分けて、火、水、土、風、雷の五つの属性が存在し、それを指して五大性質変化と呼ばれている。その属性には相性が存在し、火は風に強く、風は雷に強く、雷は土に強く、土は水に強く、水は火に強いといった具合に五行思想に近い関係を示す。これらの属性は先天性であり、遺伝性が強い。例えば、裏葉一族は総じて火の性質を持っている。全て先天的に決まってしまう訳でもなく、修行をすることで後天的に他の性質変化を扱えるようになり、優秀な忍術使いは二つか三つの性質を持てるようになる。ただし、それらはあくまで別々に異なる性質が別々に使えるようになったというだけであり、同時に複数の性質変化を扱う――風と水を併せて氷の性質を、土と水を併せて木の性質を作り出す――ことは基本的にはできない。同時に扱うには特別な才能が必要で、裏葉一族に伝わる写輪眼同様に、その才は血継限界と呼ばれている。

 

 優劣関係が存在する以上、三人一組(スリーマンセル)四人一組(フォーマンセル)を組む際には、それぞれの弱点を補い合うような性質の組み合わせが望ましい。一点特化も悪くはないが、強力な弱点を持つ相手と相対した際には、やはり全滅の危険性が高くなってしまうために均等化が望ましい。

 

 そういったことを考えれば、四人の内誰か一人が二つの性質を有している可能性が高い。秋水が安全に勝つためには、早い時期に四人の内、誰が相性の悪い相手なのかを把握し、そこから攻めていくこと。

 

 けれどそれでは、普通の相手が数で不利な相手に勝つ手段でしかない。裏葉が最強であることを示すには、その方法では力不足。証明するためには、言い訳がまるで出ることがないように真正面から破っていく他ない。さらに言えば、相手を何もしないうちに倒すよりかは、多少は後手に回った方が好ましいために、秋水は四人組が仕掛けてくることを待っていた。

 

「いくぞ。散!」

 

 数秒後、その一声とともに三人は散らばり、黒髪を後ろの流した一人の男だけが秋水の前に立っている。

 

 印が素早く、確実に結ばれていく。

 

 巳、未、申、亥――。

 

 その印を見て、秋水も男よりも圧倒的な速度で印を組んでいく。写輪眼で印を読み取り、先出しをするまでもない。その印自体はよく知ったものだった。

 

――午、寅。

 

 双方息を大きく吸い込み、性質を変化させたチャクラを息と一緒に吐き出す。

 

 ――火遁・豪火球

 

 裏葉が好んで使う火遁の術ではあるが、習得難易度は比較的容易なために、火の性質を持つ者が扱えてもなんら不思議はない。どちらも同じ術ではあるが、その大きさは非常に異なっていた。

 

 男が等身大程度の火球であることに対し、秋水が放ったものは等身大の数倍以上の大きさ。ぶつかる赤炎は周囲の温度を一気に跳ね上げ、空気を焦がしていく。

 

 同属の術がぶつかった場合、起こりうる現象は二つ存在する。打ち消される場合と、相手の術事相手へと押しのける場合。後者は術に要したチャクラの量の差や、術自体の練度によって生じる可能性があり、単純に威力が加算されてしまう。

 

 互角に見えたのも束の間、均衡はそう長く続くことはなく、あっという間に崩れ去っていった。秋水の放った炎が男の放った炎を全て飲み込んでいったのだ。かといって、男が自身の放つ豪火球を消すことはできない。消してしまったら、その場から避ける前にその身を豪火が包んでしまう。そのことが脳裏に張り付いて離れないせいか、男は体から出る嫌な汗が止まらなかった。

 

 秋水の眼が左右に素早く動き、焼き尽くす後一歩のところで術の発動を止めた。

 

 哀憫ではない。攻撃を止め、その場を離れなければならなかったからだ。

 

「道順、下がれ!」

 

 ――土遁・土流槍

 

 ――水遁・水乱波

 

 左右それぞれから放たれる術。左側から足元にかけては幾多の岩製の槍が突き出し、右側からは大量の水が押し寄せてくる。土遁は初めに土遁を使った、頬に大きな傷を持つ男、水遁は別の、顔がよく整った男であり、やはりそれぞれが別々の性質を有しているようだ。

 

 性質が不明な者は後一人。

 

 空中に秋水が身を委ねている以上、攻めて来るならば今だろう。それを裏付けるかのように、背後から何かが接近してくる気配があった。

 

 秋水は後ろを一度見ることもなく、振り返りざまに袖口から出した手裏剣を一枚投げ、新たな術を発動させるための工程をこなしていく。

 

 丑、戌、辰、子、戌、亥、巳、寅。

 

 印を結び終えると、一枚だった手裏剣が二枚に、二枚から四枚に、四枚から八枚に、と瞬く間に増殖していく。幾百となった手裏剣は、全て回避することは不可能。

 

「手裏剣がッ!?」

 

 背後から攻めていた四人目の人物、肌の浅黒い男は意表をつかれてしまう。空中に跳んで行動に制限が掛かってしまったのは、当然ながら秋水だけではない。

 

 しかしながら、そのまま黙ってやられるわけでもない。虚ろではなく(うつつ)だと察したのか、雷を纏った短刀で致命傷となる部分をひたすら捌いていく。雷遁による高周波振動を起こしている刃に、ただの鋭利な金属が勝てるはずがない。切られた手裏剣は真っ二つに避けては煙となって霧散していった。

 

 秋水が用いたのは「手裏剣影分身」と呼ばれる高等忍術であり、自分自身ではなく物体を影分身させるために会得難易度は非常に高い。周囲に使い手が存在せず、書物による情報だけだったために、秋水も会得するのには他の術と比べて時間がかかった。

 

 けれども、時間を費やした甲斐があったというものか。男の四肢には処理しきれなかった数多もの手裏剣が突き刺さり、切り裂き、損傷部位から鮮血が飛び散る。

 

 手裏剣ではやはり威力を殺しきれなかったのか、男の体は減速しながらも秋水の方に向かってくる。痛苦によって顔が染まりながらも、闘志はまだ消えてはいない。最後に一太刀でも浴びせようという強い意思が垣間見えた。

 

 秋水の眼が見開かれ、動きを完全に補足する。

 

 振るわれる短刀。それが秋水の身体に届く前に、秋水は得物を持つ手首へと右手で手刀を叩き込み、骨ごと砕く。男の顔がさらにゆがむ。

 

 持ち主を失い、宙をさまよう短刀を即座に掴んでは刃を翻した。

 

「まずは一人」

 

 男にだけ聞こえるような小さな声。

 

 陽光を反射する刃が、容赦なく肉体を切り込んでいく。主の手を離れても残っていた少しばかりの雷遁が仇となり、豆腐を切るように刃は食い込んでいった。

 

 振り切り、今度は逆袈裟斬りで追撃を加える。

 

 これ以上の追撃は必要なかった。

 

「正守!!」

 

 左手で襟元を掴み、力が抜けただ落ちていくだけの身体を支点にして、腕力で位置を入れ替える。地面にいる、追撃をしようとしていた、道順と呼ばれた男は仲間が攻撃の受け皿になることを危惧して手を止める。屍と化した身であっても、攻撃することは忍び難いと思えるほどの仲間意識が彼には存在していた。

 

 皆がそうではない。他の二人は違ったようで、手を止めることなく印を結んでいた。

 

 忍術は基本的には印が長くなればなるほど、高度で強力な術となっていく。その基本に当てはめれば、双方共に好機と見て強力な術を発動させるつもりのようだ。

 

(あの印は……なるほど)

 

 秋水は正守を踏み台にし、さらに高く飛んで時間を稼ぐ。短刀は印を結ぶ際に邪魔になるために、真上に放り投げた。両手を使わなければならないこともまた、現代魔法に劣る点である。

 

 酉。

 

 巳。

 

 寅。

 

 速度が異なりながらも三人の最後の印が重なり、三者三様の術を同時に繰り出した。

 

 ――水遁・水龍弾

 

 ――土遁・土石龍

 

 水、土、火。それぞれの性質によって作られた三体の龍が轟々とぶつかり合う。それらの術は、どれも高難度の強力な術であり、その威力はまさに折り紙つき。爆発に応じて生じた余波が広範囲に行き渡り、近く、とは言っても十メートル以上は離れている場所にあったガラスが無残に大小様々な破片と化していく。現代魔法はない派手さが、確かにそこには存在していた。

 

 周囲を濃霧が包んでいき、雨の代わりに龍を構成していた土砂が天からこぼれ落ちる。視界は極度に悪化し、伸ばした腕の先でさえもよく見えないほどだ。

 

「宰蔵、風遁で霧を飛ばせ! 早く視野を確保――」

 

 叱咤も束の間。言葉は遮られ、その場に立ち尽くしては呆然と先の見えない上を見た。

 

「あれ一つじゃなかったのか!?」

 

 徐々に大きくなる赤く光る物体。霧のカーテンを突き破っては襲いかかるそれが先ほど打ち合った術と同一のものだということは、彼らにとって想像に固くなかった。

 

 ――火遁・豪龍火

 

 鳳仙火のように連射が可能でありながら、その一発一発が豪火球を有に凌ぐ火力を持つ術。

 

 降り注ぐ龍形の火矢は、容赦なく周囲の地面を強く打ち付けては、一帯を隕石が襲ったかのように破壊していく。猛火によって加熱されたコンクリートの温度は急上昇し、その残滓も加わって周囲を火の海に変えていった。何らかの、それも強固な防御を取らなければ、あっという間に昇天してしまうだろう。

 

 砲撃が収まり、秋水が地に両足をしっかりと付ける。そのコンマ数秒後に落ちてきた短刀を掴み、逆手から順手に変えては様子を探った。どうやら、地表では一人だけ生き残っているようだ。

 

 白と黒が混じった膜が、突風によって吹き飛ばされる。小さな礫がそれに伴って襲って来るが、目を細め、腕で顔を守るだけで問題はない。それが止めば、息が上がり、今にも意識が飛んでしまいそうな宰蔵と呼ばれていた優男がこちらを見ていた。左腕が()くなり、もはや忍術の使用は不可能となっている。

 

 少し視線を動かし、他のメンバーの様子を見る。

 

 傷持ちは土遁で壁を作ってはいたようだが、すでに巨大な顎で食いちぎられたかのように穴が空いており、本人は地面に力なく横たわっている。壁を作る暇がなかった道順、既に死んでいた正守の体は炭のように黒ずんでいた。生死のどちらかは、確かめるまでもない。

 

 では、誰が風遁を用いたのだろうか。

 

 秋水の写輪眼には、通常と異なる景色が映っている。その眼が答えを導き出すのに、時間はいらなかった。

 

 地表ではなく地下に、一つだけ本来ならばありえないチャクラの流れが存在している。地中を泳ぐようにして接近してくるそれは、紛れもなく傷持ちのもの。咄嗟に「岩分身」と「土流壁」を発動し、あたかも死んだかのように見せたその技量は、素直に賞賛ものだった。写輪眼を持っていなければ、一矢報いられていたかもしれない。ただ、失敗だったことと言えば、風遁によって周囲の霧を晴らしたことだろう。言葉からも宰蔵が発動したように見せたかったのかもしれないが、あいにく片腕となっている以上印を結ぶことはかなわない。

 

 手にする短刀にチャクラを流す。雷遁を纏った状態には劣るものの、通常のそれよりも強度、切れ味は格段に強化されている。

 

 音もなく忍び寄る傷持ちにタイミングを合わせ、刃を地面へと突き刺そうとする。

 

 そこでようやくしようとしていることを理解したのだろう。阻むためか、それとも秋水に攻撃するチャンスだと思ったのか、宰蔵は残っている片手にクナイを持っては全速力で向かってくる。焼けたことで塞がっていた傷口が再び開いたのか、血が再び吹き出している。

 

 どちらを先に対応するのかを限りなく短い時間で考える。

 

 到達時間ならば、宰蔵の方が早い。危険度ならば、傷持ちの方が高い。一つ目ならば、宰蔵を先に倒すことで眼前の危険度はぬぐい去ることができるが、忍術を使える傷持ちが残ってしまう。二つ目ならば、傷持ちを倒すことで後々の危険は避けられるが、クナイによる切り傷や刺し傷が生じる恐れがある。

 

 須臾(しゅゆ)にて判断し、迅速に行動へと移す。

 

 刀を振り下ろすでも、前方に進むでもなく、()()へと飛び退いた。その際に短刀を宰蔵めがけて投げつけるが、チャクラの流れを切ったそれはあっさりと弾かれてしまう。

 

 それでも、ほんの少し予測地点への到達時間を遅らせることができた。

 

 視線を送る地点に宰蔵が足を踏み入れたとき、全くではないにしろほぼ同じに近いタイミングで、地面から傷持ちが姿を現す。双方驚いた顔となり、大きくも鈍い音が生じた。

 

 秋水が選択したのは、三つ目の案。片方のタイミングをずらすことで、同士打ちをさせる寸法。そしてこれは、未完成の術の練習の為でもあった。

 

 改めてクナイを投げつける。

 

 研ぎ澄まされた一投は、宰蔵の脳天に一直線に向かっている。その軌道はぶつかった際に視野から外れており、今尚気づく素振りはない。

 

 傷持ちが目を見開き、宰蔵の身体を腕一本で押しのける。ぶつかったことで、彼の視界にはクナイの軌道が見えていたのだ。

 

「ぐ……っ!」

 

 突き飛ばした際に、頭の代わりに腕が通過点へと入ってしまったことで切り傷を作ってしまう。痛みに耐えながらも、傷持ちは目を秋水がいるべき場所へと向けた。少しでも逸らせば、また攻撃の隙を作ってしまう。それを極力回避するための行動だった。

 

 いない。

 

 どこへ行った。

 

 信号が大脳へ伝わり、視神経から伝達して目を向けた時には、そこには秋水の姿はどこにもいなかった。必死に探し出そうとする前、いないと認識したことと同じ時、近くで肉が切り裂かれ、溜まっていた液体が出口から溢れ出る音が聞こえた。自然と、目は音のした方向へと向かっていた。

 

 映っていたのは、いつの間にかその場にいた秋水が、投げたはずのクナイを掴んでは空中で宰蔵の頚動脈を正確に裂いた図。血のように赤い眼が、更なる血を欲するかのように傷持ちを捉えた。

 

「……遅いな」

 

 何に対してか、などと考えている時間は無い。

 

 少しでも距離を取らなければと、足先が地面から完全に出た時点でなりふり構わず足先が向いている方向へと駆けた。するとちょうど、目先には正守が使用していた短刀が地面に突き刺さっている。それを自らの得物にしようと決め、一目散に向かう。少しでも、何でも構わない。身を守れると実感できるものが欲しかったのだ。

 

 必死に腕を伸ばす。

 

 もう少しで届く。

 

 心なしか、安堵が湧き出てきた時だった。

 

 眼前に現れたのは、絶望への担い手。その人物の手が、短刀の柄頭(つかがしら)に添えられている。柄に手が移され、地面から抜くことと同時に切ることを目的とした振りが迫っていた。

 

 一瞬よりもさらに細かく刻まれた時間での出来事に、傷持ちは恐怖に彩られる時間もなかった。

 

 無慈悲な銀閃が、容赦なく身体を引き裂いた。

 

「やはり、遅い」

 

 倒れゆく姿を見ることもなく、秋水は自身の動きに不満があるかのようにぼやく。

 

「これでは、()()とは程遠いな」

 

 それはかつてその名を(ほしいまま)にした、秋水にとってかけがえのない人物が最も得意としていた忍術。それと比較してしまうと、明らかに秋水のそれは発動速度も術自体の熟度も劣っていた。眼で何度も見たにも関わらず、未だ体得できてはいない忍術。

 

 八つ当たりでもするかのように、自らの力を呪うかのように、奥歯を噛み締め血を払うことなく短刀を力強く地面へと突き刺した。

 

 刀身をから垂れていくドロドロとした液体は、更なる被害を予測するかのごとく、地面へとその怪しい色を広げていった。

 

 ◇   ◇   ◇

 

 第一高校への襲撃という稀に見る事件は、図書館内にある機密文献を閲覧出来る端末にハッキングを仕掛けていたブランシュのメンバーと、逃亡を図ろうとした司甲を拘束することで収束に向かった。

 

 第一高校の生徒の内、死亡者は幸いにも零。負傷者は数多くいるものの、大半が果敢に立ち向かった生徒であり、名誉の負傷とも言える。

 

 教師陣はマスコミにどう対応するのかを緊急会議を開いており、即時解散と行かない生徒たちは、損傷の少なかった教室で未だ落ち着かない様子でただ時間を過ごしている。風紀委員や部活連、生徒会の一部のメンバー達は残党がいないかどうかを確かめており、少しでも早く生徒達を落ち着かせようと躍起になっていた。

 

 校舎の外には、数名の生徒しかいない。彼らは皆、とある場所に足を運んでいた。

 

「これを、秋水くんが……」

 

 誰に言うわけでもない。自らを納得させるように真由美は呟いた。

 

 目の前にあるのは、まるで戦争があったと思えてしまうような惨劇。地面はひび割れ、砕け、抉れている。そこに倒れる人々も、五体満足の状態や、欠損していたいり、中には丸焦げているなどといった色々な様体ではあるものの、一様なのは皆こと切れていること。既に乾いた血が、一面を別の色へと染め上げていた。思わず吐き出してしまってもおかしくはない光景だが、その場にいる数人はなんとか耐えていた。

 

 侵入者たちは、流石に死者が出ないわけにはいかなかった。そのほとんどが、秋水が応戦したこの場所である。

 

 死を前にして、生存本能の赴くままに手をかけてしまうならば、それは正当防衛と言えるだろう。けれど目の前のそれは、正当防衛からは逸脱し、明らかな過剰防衛だと分かる。秋水が怪我一つなく返り血さえも浴びていなかったのだから、それは尚更のこと。

 

「会長……」

 

 真由美の様子を案ずるような服部も、動揺は隠せなかった。

 

 服部ほどの魔法のレベルがあれば、全く同数の屍を築くことは不可能ではない。母親が腹を痛めてこの世に産み、父や母、周囲の人々や環境によって長い間育まれてきた集合体も、一秒に満たない時間で発動可能な技術によってあっさりと潰すことができてしまう。同じ人間という枠組みに入ってはいても、一般人と魔法師との間には象と蟻以上の差が存在している。そういった点から見れば、服部も秋水も同列だと言えるだろう。

 

 二人に違いがあるとすれば、服部には自制が効いてそれをしない、できないということ。人を殺すということを理解しているために、どうしてもためらってしまう。だからこそ、法から逸れたテロリストであっても気絶させるだけで済ませた。対して秋水はどうだろうか。本来ならば誰でも持っている自制心の扉を容易にこじ開け、できないことを可能にする。そんな些細な違いが、現実ではこのような違いを生み出してしまう。

 

 殺す意味を知らないのか、知っていて殺しているのか。前者も恐ろしいが、後者はそのさらに上を行く。何度も、何度も、わかっていて今と同じように切り捨ててきたのだろう。本来背負うはずの重荷を、どこかに残したまま。

 

 考えれば考えるほど、裏葉秋水という存在が恐ろしく思えてしまう。優等生としての彼を知っているからこそ、余計にそう思ってしまうことがあるのかもしれない。副会長と接してきた上での印象は、聞き分けが良く、まさしく優等生というにふさわしい後輩だったが、あくまでそれは表面上に取り繕われた偽りの仮面だったようだ。一体何をどうすれば、十五歳という年齢でこのようなことができるのだろうか。少なくとも自分にはできはしないと、服部は目を伏せた。

 

 ◇   ◇   ◇

 

 当の惨劇を引き起こした張本人である秋水は、一年E組を担当しているカウンセラーである小野遥の情報を元に、ブランシュの拠点である廃工場へと足を運んでいた。無論、一人ではなく、達也や深雪、克人といった腕利きを始めとして、エリカやレオ、剣術部の桐原などが一緒だ。

 

 作戦は達也に一任されており、その作戦はいたって単純でありながら、意表を突くにはこれとないもの、正面突破だった。正面突破といっても、闇雲に全員が同じ場所から侵入することはない。行動する班は三つに分けられた。一つ目は、そのまま真正面から突入する、達也と深雪、そして秋水の班。二つ目は迂回して裏口から攻める克人と桐原の班。三つ目は退路の確保と撃ち漏らした残党を狩るレオとエリカの班。達也が秋水を自班に加えた理由としては、単に真正面が最も危険だということよりも、監視をするためでもある。敵味方がはっきりしない以上は、傍に置いておく方がいざという際に対応しやすいと考えていたためだ。

 

 だが、少数精鋭の鷹狩り部隊は、出鼻をくじかれてしまう。既に何者かが行動に移していたのか、拠点にいる進むことでエンカウントするブランシュのメンバーは皆息を引き取っている。

 

「深雪、辛いならば目を瞑っているといい」

 

「お気遣いありがとうございます、お兄様。ですが、大丈夫です」

 

 入口に二つ。そこから今までの道のりで三人。拠点の規模としては人数の少ないものの、決して見て何か得られるものでもない。シスコンと呼ばれる達也からすれば、危険地帯に深雪を連れてこようとも、可能な限りそういったものは見せたくはなかった。

 

「秋水、これをどう見る?」

 

「明らかに先客がいる。いや、“いた”といった方が正しいか」

 

 先客が居るにしては静かすぎる。眼で見ても、周囲にチャクラやサイオンなどの流れは存在しない。先客が訪れ、既に殲滅した後だということを推測するのに、手がかりはありすぎると言ってよかった。

 

「だろうな。それに、腕前もかなりのものだ。どれも的確に急所を突いている。まるで忍びだ」

 

「一目見ただけで全て急所を捉えていたとよくわかったな。まるで何度も死体を見てきたようだ」

 

 青と紅がそれぞれの表情を読み取るために焦点を合わせている。互いに探りを入れるような、売り言葉に買い言葉。秋水の言葉に深雪の機嫌が誰でもわかるほどに悪くなり、外気が冷え込む。シスコンと呼ばれる兄が居るならば、ブラコンと呼ばれる妹もいる。二人の関係は、なるべくしてなったのかもしれない。

 

「深雪」

 

 達也の声に、深雪はハッとして冷えていた空気が元に戻っていった。

 

「申し訳ありません」

 

「俺のために怒ってくれるのは嬉しいが、俺も秋水も本気で言っているわけじゃない。あくまで仮定の話だ」

 

 仮定が成り立つということは、道筋さえ立てることができるならば証明は可能だということ。ただ今は、条件が揃わないだけだ。

 

 少しして、大きな金属製の扉付近に再び死体が姿を現す。

 

 秋水も達也もそれぞれの眼によって確認した後に、扉をくぐる。そこにはこの建物内で最も多い、十体もの死体がいあった。だが、そこに司一の姿はない。

 

 達也は彼らではなく、地面に落ちている穴だらけのコートへと手を伸ばし、拾い上げた。

 

「気配隠蔽の術式が組み込まれているのか……」

 

 咄嗟に判断したものの、その顔はあまり優れない。口にした情報以外、まともな物が手に入らなかったことを示していた。

 

 コートを元の位置に戻し、周囲に撒き散らされている血を凝視する。様々な人物の血が混じり合って情報が錯綜しているが、この場にはいない十一人目の情報が手に入る。間違いなく、司一はここにおり、何者かによって連れ去られたのだと確信に至った。

 

「司波」

 

 高校生にしては、やけに低く威厳に満ちた声。克人たちも、同じ場所へとたどり着いたようだ。

 

「これはお前たちが?」

 

「いえ。私たちが来た時には既に」

 

 端的にありのままのことを告げる。

 

「そうか」

 

「会頭の方も?」

 

「ああ」

 

 生きている者は誰もいなかった。司一はいなかった。

 

 本来ならばわかっていることではあったが、聞き返さないことは不自然であり、このようなところで疑問を抱かれることはマイナスでしかない。そのために、達也は答えを知っている問を投げかけることになった。

 

「何か手がかりやわかったことはあったか?」

 

「私たち以外の招かれざる客が身につけていたと思われるコートを。あとこれは推測に過ぎませんが、司一はその者に連れ去られた可能性があります」

 

 達也の言葉に、克人は改めて周囲を見渡し、達也が唱えた可能性をある程度裏付ける。

 

「そうか。――司波、拠点が壊滅状態である以上、俺達はここまでだ。これから先は警察に任せる」

 

 これ以上危険なことをするなと、釘を刺す一言だった。

 

「……わかりました」

 

「お前もだ、裏葉」

 

「わかっています」

 

 殺伐とした空気が振動し、その言葉が音声となって他人の鼓膜を刺激する。

 

 一連の事件は、壊滅しながらもリーダーが行方不明というはっきりとしない着地点に落ちていった。

 

 ◇   ◇   ◇

 

 秋水がブランシュの拠点を訪れてからそう長い時間が経過していない別の場所で、仮面を被った男は司一を物でも運んでいるかのように引きずっては、とある人物の前に放り投げる。未だ意識は戻っていてはいない。

 

「言われた通りの“物”を持ってきた。これで依頼は完了だ」

 

 仮面から除く視線の先には、和服を来た男の背中が映っている。部屋までは和を重視した構造ではなく、無骨で冷たい印象を抱かせる。

 

「ああ、ご苦労だったな。――」

 

 依頼を受領した人物の名前を告げ、依頼主が振り向く。

 

 仮面の男も面を外し、二つの紅い眼が、互のそれを捕捉した。

 


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