紅き眼の系譜   作:ヒレツ

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Episode 2-17

 中心地から半径十数キロに渡り、更地となる。

 夜中に起こった事件は、早朝ニュースとなって報道された。脂の乗った反魔法派のゲストが、いかに魔法が危険かを語っていた。キャスターなども節々に頷いて入るが、中身が伴っていないことは少し考えればわかる人にはわかる。凝り固まった視点でしか見らない者達には難しいだろう。彼が仰々しく語っているのは、「包丁が人を殺せるから危険だ。だから包丁を無くそう」ということと同じ意味だ。魔法も使い手次第だということを彼は理解していなかった。もしくは、しようとしていなかった。使えない彼らからすれば、体系化されていても魔法は未知の領域でしか無い。恐怖を抱くなと言う方が、土台無理な話なのだろう。

 

 事件に目が向けられれば、当然近くで行われている九校戦へと目が向く。初めは第一高校の優勝が決定していることもあって、最終日の日程の中止を検討していた。運営委員会も今下手に世論を刺激するのは得策ではないと考えたのだろう。だが、一時間後には通常通り開催することを宣言した。どこからか鶴の一声がかかったという考えに至るには、そう難しいことではない。

 

 予定通りの進行が決定しても、生徒たちの表情はどこか浮かない。魔法の規模から戦略魔法と考え、誰が使用したのか意見を述べ合っている者。被害範囲にありながらも、傷ひとつ付かなかった宿泊施設について語っている者。バラバラではあるが、大きなくくりでは昨夜の出来事にまとめることができた。どの話も憶測を出ないものだが、一部の者達には見当がついていた。

 

 一番知っている者は、現在モノリス・コードの試合中。普段とは違った魔法の使い方をしても尚、その実力は圧倒的だった。筋骨隆々の肉体が人間離れした速度で移動する様は、重戦車が突進しているかのようでもあった。対戦相手は不運としか言い様が無いだろう。

 

 これが十師族だ。

 

 モニター越しからも、気概は十二分に感じられた。

 

 一条が数字付きですらない家に、それも古式の家の出に負ける。十師族は本当に最強なのかと、疑問を抱いた人々ともいただろう。多少の傷が付いた程度で揺らぐほどの軟な基盤ではない。それでも、不要な傷はすぐに塞いで固める必要がある。蟻の這い出る隙間さえも残さないほどに。

 

 起こる必要のない悶着が起これば、外からの敵に付け込まれる危険がある。大きな問題へと発展する可能性がある以上、無視することはやはりできなかった。

 

 数は違えども、同じ十師族。七を冠する七草家の長女である真由美は、克人が意気込む理由を理解していた。けれど、どこか他人ごとのようにも感じた。

 

 裏葉秋水のパーソナルデータは知っている。裏葉家についても、全てではないが知っている。だが、それだけだ。本の登場人物に対するかのように、どこか遠くの事のように思えてしまう。真由美には、秋水と話した記憶が()()なかった。克人が昨日尋ねに来なければ、気にもとめなかっただろう。

 

 改めて思い出そうとしても、やはり無理だった。誰かと話した記憶はある。だが、顔が靄に隠されていて思い出すことができない。声も同じだった。その相手が秋水かと問われても、首を縦にふることは難しい。

 

 幻術ではない。精神に干渉する魔法はいくつかあるが、記憶に干渉できる魔法は限られてくる。似通った力、精神構造干渉魔法の使い手である四葉深夜も、すでに故人。となれば、恐るべきはやはり裏葉の力ということなのだろう。公にされている情報以外にも、まだまだ隠された力があるに違いなかった。

 

「はぁ……」

 

 吐きたくもない溜め息が勝手に出てしまう。思い出そうとしても思い出せないことに対してではない。モヤモヤした感情は間違いなくあるが、他に問題があれば、意識を向けることをやめてしまうほどに小さい。原因は別のもの。とはいえ、秋水に関することには変わりなかった。端末を操作し、一番上のメールを表示する。届いたのは丑三つ時。日本語でも英語でも中国語でもない、言語ではない文字が羅列されていた。たとえ傍受されたとしても、七草家の人間にしかわからないように作られた暗号文だった。

 

 書かれていた内容は二つ。

 

 一つは、十師族の力を示せとの内容。

 

 もう一つは、四葉と裏葉が同盟を結んだということだった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 まだ日が完全に顔を出してはいない。時は早朝まで遡る。

 

 旧長野県の県境に近い、旧山梨県の山々に囲まれた場所。他者から遠ざかるような人里離れたこの場所に山村があった。小中学校が一括りにされ、クラスも一つだけしか作れないような小さな村だ。独特の空気は、異物が入り込めば容易く察知するだろう。

 

 舗装もされていない土の道を、一人の少年が歩いている。近寄りがたい雰囲気を全身から放っている少年に、朝早くから起きている村人たちは誰も関わろうとしない。遠ざかってみているわけではなく、どこか観察しているようでもあった。

 

 ここは、ただの山村ではない。かつて「死の魔法師工場」と悪名を知らしめた施設の跡地であり、四葉家の本拠地とも言える。そんな場所に、無関係の人間がいるはずもない。小さな子どもから老人まで、少なからず四葉の関係者。黙って見送ることなど、あり得ないことだった。

 

「ちょっといいかな」

 

 柔い言い方ではあるが、言葉には刺が乗っている。青色の制服を来た人物。国家を守る警察だ。ただし、四葉の息がかかっているため、正規の者かはわからない。四葉ならば、その程度のことは造作も無いだろう。

 

 少年は足を止めた。少し下を向いているために、互いの顔はわからない。

 

「不審な少年がうろついていると連絡があってね。IDを見せてくれないかな」

 

 身分証明書さえ電子化された現代では、端末を操作すれば戸籍情報を表示することができる。慣れてしまえば、ズボンのポケットから財布を取り出し、そこから免許証などを出すよりも簡単に提示できる。

 

「……どけ」

 

 少年はそれさえもしなかった。代わりに出したのは小さくもドスの聞いた声。

 

「雑魚に構っている暇はない」

 

 顔を上げ、男の目を捉える。少年がしたのはそれだけだった。

 

 男の周囲の景色が一瞬にして変わった。憎しみや憤怒といった負の感情、それらが混ざりに混ざったかのようなどす黒い背景。男の足元には同色の液体が波紋を広げている。その液体はまとわりつくように次第に侵食を始めていった。幻術だと理解した時はすでに遅い。強固な幻を解くほどの力を、男は持っていなかった。

 

 目を合わせたが最後、少年、裏葉秋水の写輪眼は相手を悪夢へと誘う。万華鏡ともなれば、抗うすべはないに等しい。

 

 再び歩き出した秋水を、男が止めることはなかった。虚ろになった目は焦点があっていない。開いた口からは、だらしなく涎が垂れていた。

 

 秋水の向かう先は、村の中で最も大きな建物。四葉家当主、四葉真夜が暮らす母屋。もっとも、今回の狙いは彼女ではない。同盟を結ぶと宣った、愚かな実父だった。

 

 情報を知ったのは、真由美とほぼ同じタイミング。七草家当主である弘一から真由美宛に送られた一通のメールが、秋水の端末へと転送されていたためだ。仕込んだのは、秋水が真由美に別れを告げた日。十師族の動向を探るためにと弘一からのメールだけに転送設定をしていたが、思いもよらない収穫を得ることとなった。見た直後、秋水の沸点は瞬時に超え、自身が意識する前に体が動いていた。何を思っての行動なのか、そんなことはどうでも良かった。敵と手を取り合う愚行は、いかようにも度し難いもの。可能ならば何度も殺してやりたい激情に駆られていた。

 

 小さな山村故に、目的地へはあっという間に辿り着いた。

 

 黒塗りされた金属製の柵の奥にそびえ立つ洋館。隠れるにはもってこいの場所だと思いながら、秋水はまだ目視できない標的を睨みつけた。

 

 ここまできて、忍びこむような真似はしない。秋水を覆う炎によって作られた巨腕が、肘を曲げ勢いをつけて門を叩いた。

 

 壊せぬものなどない。来るものを拒むはずの鉄柵はひしゃげ、地面から引きずり出された。高い地点から倒れたせいで、砂埃が舞うと同時に大きな音がなる。続けざまに建物内から侵入者をしらせる警報が鳴り響くも、誰一人として排除しには来ない。

 

 誰も居ないのか、出るまでもないと思っているのか。答えがなんであれ、今の秋水にはすべてが感情を逆なでする要因でしかない。

 

 今度は家そのものを壊そうとした時のこと。ようやく目当ての人物、裏葉幻冬が姿を見せた。

 

「呼び鈴の鳴らし方も知らんのか」

 

 豪腕が容赦なく振り下ろされた。今度は砂埃ではすまず、砕けた地面が弾丸のよう四方に飛んで行く。小石程度でも十分に凶器になり得る速度だ。

 

「話を聞け……と言っても、聞く耳など持たんか」

 

 再び言葉が発せられる。特別な眼から得られる情報では、上手いことかわしたために無傷のようだった。

 

「……なぜ裏葉を売った」

 

 震える声は、今すぐにでも殺してやりたい衝動を必至に抑えていることか来るもの。

 

 視界を遮るものがようやく無くなった。よく似た顔立ちの二人。だが、表情は対照的。平常と激情。実に対極的だった。

 

「売ってはいない。同盟を結んだのだ」

 

 決して下に付いたわけではない。同じ立場に立ち、手を組んだに過ぎない。

 

「お前は感情に身を任せ、先走りすぎた。四葉との同盟を告げなければ、日々狙われる身となっていただろう」

 

「俺のことなんてどうでもいい。四葉と同盟だと? 裏葉の誇りさえも失くしたのか!」

 

 裏葉は六道の直系。どの血が混ざったのかわからないような雑種と同じ位置に立つことなど、裏葉の血を引く者ならば考えられないことだった。

 

「傲慢がすぎるぞ。俺は裏葉の当主として、なんとしても存続させなければならない。そのためならばなんでもする覚悟だ。今の時代、誇りだけで生きていけるほど甘くはない」

 

 単に力がモノを言う時代は、とうの昔に終焉を迎えている。今も尚その時代が続いているのであれば、人類はここまで繁栄を築くことはできなかっただろう。

 

「力のない奴は必死だな。俺は、お前とは違う」

 

 秋水はこれでもかというほど拳に力を入れる。

 

「それはまだお前が子供で、()()()()()()視野狭窄に陥っているからこそ言える台詞だ」

 

 限界だった。

 

「お前が……お前がそれを言うか!!」

 

 感情の爆発は、秋水を覆っている炎に変化を与えた。炎だけの場所から骨が急速に生え始め、腕などの上肢の骨が作られる。胸椎、頚椎と作られていく骨は、頭蓋骨をも形成させた。頭には二本の角のような鋭い突起物があり、人間とは明らかに異なっている。筋のようなものが大量に発生し、骨を覆っていく。骨、筋肉、その次は表皮。空洞な眼窩(がんか)には、命を吹き込まれたかのように輝きが宿った。

 

 剣や槍、弓や斧のような武器を持っているわけではない。けれど、爪も牙も、恐ろしいまでに鋭利。一つ一つが必殺の凶器となりえるほどだ。むき出しの皮膚は、下手な鎧を纏われるよりも、かえって気味の悪さを助長していた。

 

 悪鬼。

 

 その姿を形容するならば、他にない。清潔や神聖といったクリーンなイメージを与えるはずの白色は、今では黒以上に闇を感じさせるほどに禍々しかった。

 

 形作られたのも束の間、人の何倍もある腕が振り上げられた。

 

須佐能乎(スサノオ)……これほどとは」

 

 人が虫を叩くのと同じ。同情などそこにはない。あるのは明確な殺意。裏葉幻冬という虫めがけて、須佐能乎の巨大な手が振り下ろされた。

 

 ただ叩く。たったそれだけの動作で、地面はいとも簡単に陥没する。亀裂に至っては、打点の数倍まで広がった。例えどれだけの盾を拵えてこようとも、それごと叩き潰すほどの力。

 

 秋水の呼吸が荒い。肉親を手にかけたことから来る罪悪感や苦悩、恐怖などといった、人らしい感情ではない。怒りに染まった感情の中に、他の情動が入り込む余地などなかった。須佐能乎の長時間使用による全身への痛み。自然と肩で息をしてしまうのは、それが原因だった。

 

 万華鏡写輪眼の瞳術のように、視力低下に直結するデメリットは存在しない。頭の天辺からつま先まで、細胞の一つと余すこと無く激痛に苛まれる。全身を蝕む事こそ、須佐能乎のリスク。

 

「呆気無いものだな……」

 

 余韻も感じさせない敢なさが、秋水の溜飲を下げる。

 

 視線を地面から四葉家の玄関へと向けた時だった。

 

「そうだな。実に呆気の無いものだ。俺の力など、お前からすればゴミのようだろう」

 

 何故だ。手応えはあった。確かに殺したはず。

 

 聞き違えることのない声が背後からしたことは、秋水に動揺を奔らせた。

 

「だがな、人には誰しも一つは長所がある。俺はお前には勝てないだろうが、この瞳術(ちょうしょ)がある限り、お前も俺には勝てん」

 

 現実を虚構へ。

 

 虚構を現実へ。

 

 二つの世界を随意に往来する、禁忌の術。

 

「教えてはいないが、お前も知ってはいるだろう。イザナギ、裏葉の中でも禁術とされている瞳術だ」

 

 他者ではなく、自分自身にかける究極幻術。失明することを対価とし、一定時間現実と虚構を任意に操作できる事象改変能力。それを知ったのは、秋水にとって大切な者が亡くなってしまった後。

 

 振り返りざま、秋水は須佐能乎を使って幻冬の体を薙いだ。写輪眼が捉える幻冬の姿は、紛れも無い本物。

 

 だがそれでも、切断された幻冬の体は霧のように消えてしまう。ホログラムでも投影したかのように、すぐ側に何事もなかったかのように現れた。死という現実が、生という虚構に塗りつぶされる。

 

「無駄だ。お前のいかなる攻撃も、イザナギの前では無意味」

 

 再度、秋水の怒りがこみ上げてくる。

 

「そんなに大切か」

 

 裏葉にとって写輪眼とは、自己の象徴とも言える代物。二つしか無い物のうち一つを捨てるほど同盟が、四葉真夜が大切なのだろうか。使うべき時は過去にいくらでもあったというのに。

 

 思い通りにならずにグズる子供のように、手当たり次第に憎悪をぶつけ始めた。狙いは大雑把。いくら殺しても死なない幻冬を、何度も何度も殺していく。それでも、一向に気が晴れることはなかった。

 

 冷静さが残っていれば、チャクラの無駄遣いはしなかっただろう。イザナギには個人差があるものの、制限時間が存在する。根本的な実力は秋水の方が上な以上、限界点に到達するまで時間を稼ぐことも容易いはずだった。

 

 膨大なチャクラを使う須佐能乎の連続使用。秋水のチャクラは急速に減っていく。スタミナが底をつき始めるのに、そう時間はかからなかった。幻冬のイザナギが効果を失うよりも早く、須佐能乎の姿が変わる。悪鬼の姿から骨の状態への逆戻り。

 

 怒りの雨が止んだ。地面は隕石でも大量に降ってきたのかと思ってしまうほどに凹凸が激しく、元に戻すことは相当の労力を要するだろう。

 

 一時的におとなしくなったことで、幻冬が動いた。

 

「勘違いするな。俺がイザナギを使ったのは裏葉のためだ」

 

「だったら、なぜあの時使わなかった!」

 

 使っていれば、もっと早くに裏葉の地位は向上したかもしれない。四葉と同盟を結ぶ必要など無かったかもしれない。

 

「それがあいつの、風夏(ふうか)の願いでもあったのだ」

 

 頭を雷で撃ち抜かれたかのような衝撃が、秋水を襲う。

 

「どういうことだ……何を知っている!」

 

 裏葉風夏。秋水の姉であり、現在の彼になるきっかけとなった人間の一人。

 

「どうやら、少しは聞く耳をもったようだな」

 

「いいから話せ! 一体、姉さんの何を知っているんだ!」

 

 幻冬は少しタメを作って焦らした後、ゆっくりと口を開いた。

 

 

「風夏は裏葉のために、いや、お前のために死を選んだ」

 

 

 秋水の動きが、完全に停止した。言葉の一つも発せないほどに、言葉を理解するために脳の容量を要した。それでも理解することはできない。なぜ。どうして。考察ではなく、単なる疑問ばかりが浮かんでしまう。隙だらけの状態は、丸裸同然の無防備さだ。

 

 反応を待つこと無く、幻冬は話を続ける。

 

「風夏はお前のことを思っていると同時に、裏葉の未来についても考えていた。女である身では、当主を継ぐことはできない。他家に嫁げば写輪眼が渡り、婿を迎え入れたとしても血が濁ってしまう。だからこそ、あいつなりに考えたのだろう」

 

 秋水と風夏の母親の血は、裏葉とは相対した千手のもの。裏葉と千手の混血でありながらも、二人は裏葉の特性を大きく受け継いでいた。

 

「最愛の弟に、すべてを託そうと」

 

 聞きたくないにもかかわらず、勝手に耳が音を拾い、脳が処理を初めてしまう。不思議と手で耳を塞ぐという選択肢は、初めから存在さえしていなかった。

 

「そのために下準備を始めた。古式、現代問わず、お前に持てるすべての魔法を見せたはずだ。いずれは、十全に使いこなせると信じてな。お前が成長し、万華鏡の開眼条件が自分だと理解したあいつは、俺にある頼み事をしてきた」

 

 滞っているにも関わらず、次々に情報が入り込んでくる。

 

 愛を知り、喪失する。自身への失意にもがき苦しむ。喪失によって生まれた強い感情に飲み込まれ時、裏葉の目には写輪眼が宿る。失った代償に得た力は、思いの強さに比例する。周りを見て、今度こそは守ると、これ以上失わせないと誓いを立てる。繋がりという見えない鎖は、まだ一人ではないことを感じさせた。だが時に、世界は非情さを見せる。最も強い繋がりを持つ者が死んだときだ。それを目にした時、力こそすべてなのだと身を持って理解する。初めから繋がりなど無い方が良かったのだと、自ら孤独へと突き進む。頼れるのは自分だけ。最も愛情深い者が愛情を切り捨てたことで、写輪眼を超える力を手にすることができる。勿論、ノーリスクとはいかない。万華鏡を開眼すると同時に、真っ暗な闇へと向かう。防ぐことはできない。光を失ってしまえば、何も目にしなくて良いためだ。本人の意図しないところで、本能的に望んでしまっている。

 

 しかし、失明を免れる方法が皆無というわけではない。

 

「もし自分が死んだときは、お前に眼の移植をしてくれ、とな」

 

 渋滞していた情報は、知らなかった意思を聞いたことで一部の記憶を表面に押し出した。フラッシュバックという、最も望まない形として。

 

 景色や音に加え、臭いまでも。その時五感を通じて得た記憶が、再び五感へと流れ戻ってくる。今まさに経験しているかのような錯覚に陥ってしまった。急激な心的ストレスが生じ、不安と動揺からか呼吸がひどく乱れ始めた。

 

「そして、風夏は死んだ。イザナギを使えば、死から逃れられたにも関わらず。すべては秋水、お前の未来の為に」

 

 潤んだ視線は、慈愛と悲しみに染まっている。頬に触れている手に、秋水は恐る恐る手を重ねた。まだ暖かさは残っているが、いつ消えてもおかしくないほどに弱々しい。守るために、しっかりと握った。

 

 口が動くが、音が出てこない。

 

 ――ごめんね

 

 声が届かなくとも、確かにそう言っていた。

 

 秋水は手の平を見下ろした。記憶が重なり、真っ赤に染まっている。情けないほど、小刻みに震えていた。

 

 守れなかった。

 

 未来など関係ない。生きていて欲しかった。生きて側にいて欲しかった。たった、それだけだった。

 

「俺の事が気に入らないならばそれで構わない。殺したければいつでも殺せばいい。だが、これだけは忘れるな。その命は、風夏によって絆がれたものだ。感情に支配され、思考を止めた状態で事を起こすな。お前が死ぬことは、誰よりも風夏が望んでいない」

 

「…………」

 

 幻冬を殺すことは簡単だ。イザナギが解けた後、次のイザナギを使う前にかたをつければいい。仮に発動されてしまっても、そこで打ち止め。時間が過ぎるのを待つだけだ。だが殺してしまえば、おそらく同盟は破談になる。怒りに任せて身内を殺す人間との同盟など、誰が結ぶのだろうか。

 

 幼くして母を失い、姉を失った。父を恨み、頼る人間がいなかった秋水は、大人にならざるを得なかった。本来ゆっくりとかけて進む道のりを、駆け足で進まなければならなかった。だから、中身が伴っていない。大人のように振る舞うことはできても、悪い意味でどこか子供っぽさが抜け切れていない。

 

 ただでさえ、十歳半ばは多感な時期。それでいて裏葉の者には繊細な者が多い。崩れる時は、一気に崩れ去る。

 

 来た時はあった憤怒の感情は、もう無い。空っぽだ。何をすればいいのか、何が正しいのか、何もわからない。混乱した頭では、思考がまとまるはずもなかった。

 

 幻冬は秋水に近寄った。

 

「何も一から十までを相手にする必要はない。四葉に協力して天下を取らせ、その後に首を取ればいい」

 

 肩に手を置き、耳元でひっそりと囁く。これが真意だと言わんばかりだ。

 

「お前が成し遂げるのだ。風夏が描いた裏葉の未来を」

 

「……俺が?」

 

「そうだ。風夏が愛した、お前の手で」

 

 姉のため。

 

 今の状態の秋水には、全ての言葉がその意味に聞こえていた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 四葉と裏葉の同盟が世間一般に公にされたのは、九校戦が幕を閉じた翌日だった。現代と古式のトップが手を組んだことで、双方のパワーバランスは急変化を見せることになる。もはや四葉を止める手立ては存在しない。そんなことを言う者さえいた。

 

 


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