紅き眼の系譜   作:ヒレツ

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Episode 1-2

 帰路に着いた秋水は学校を出てから真っ直ぐ自宅へと向かった。

 

 見た目はただの一軒家。周囲にも見通った建物が多くみられることから、住宅街だと言う事がわかる。

 

 玄関の前に立つと指紋認証を行う装置に人差し指を置く。ほどなくして内側から小さなロックが解除された音が聞こえ、秋水は扉を開いた。

 

 背後でパタンと扉が閉まる音を確認すると、秋水は靴を脱いでは廊下へとあがる。外装とは異なり、内装はどこか和を感じさせる造りとなっている。本来ならばゆったりとした気分になるのだろうが、そう言った気分になることは一切なかった。

 

「帰ったのか」

 

 居間から顔を出したのは中年の男性。目元は秋水にそっくりで、血縁者だとすぐにわかる。

 

「はい。ただ今帰りました、父さん」

 

 その人物は他ならぬ秋水の実父であり裏葉の現当主である、裏葉幻冬(げんとう)。秋水が自分の家であってもくつろぐことが出来ない理由としては、この人物が原因だ。

 

「遅かったな」

 

「生徒会の方々と少し話をしていたので」

 

 止まって話をすることなく、秋水の視線は二階に上がる階段に向けられたまま微動だにしない。幻冬も咎める事無く淡々と話していく。二人の間に、親子らしい感情は見られない。

 

「話がある。着替えたら降りてこい」

 

「わかりました」

 

 階段を上がり、自室に入ったところでようやく秋水は息を大きく吐いた。言うまでも無く、彼はこの家が嫌いである。その家の中で唯一、辛うじてくつろぐことのできる場所がこの部屋だ。この部屋にだけは幻冬は決して入ろうとしない。

 

 何があるわけではない。ベッドや机、キャビネットといった現代の生活において必要な物は全て揃えられているが、余分な物はほとんどどころか全くない。整理整頓がされていると言うよりは物が無いと言った方が適切だ。どこかに別の部屋があるのではないかとさえ思えてしまう。

 

 制服を脱ぎ、部屋着に着替える。その衣服には裏葉の家紋が施されていた。

 

 部屋を出て階段を降り、先ほど幻冬が顔を出した部屋とは別の部屋に向かう。そこは他とは違い、扉も襖で出来ている。扉を開けると、畳の原料であるイグサの香りがした。この匂いは嫌いではない。

 

「来たか。ここに座りなさい」

 

 促されるがまま幻冬の前まで進み、腰を下ろす。椅子は無いために正座をする形となる。

 

 互いの眼は黒いままだ。

 

「先ほど生徒会と言ったな。接触してきたのは弘一の娘か?」

 

 七草弘一。真由美の父親であり、現在の七草家の当主に当たる人物だ。

 

「はい、そうです」

 

 その答えに幻冬はフンと鼻を鳴らす。

 

「さっそく接触して来たのか、十師族め。それほどまでに裏葉の眼が欲しいのか。……いや、あいつだからこそか」

 

 弘一の右目は約三十年前の事件の際に失っており、今では義眼をはめ込み、その違和感を消すために眼鏡を掛けている。

 

 幻冬と弘一の共通の過去。それが原因で、幻冬が十師族の中でも特に七草の事を良く思っていないことだけは確かだった。秋水とは異なり、表情豊かなその顔には怒りや侮蔑の様な負の感情が色濃く現れていた。今も憎々し気な笑みを浮かべている。

 

「それで、何を提示してきた? 眼を手に入れるために娘との婚約でも提示して来たのか?」

 

 魔法において遺伝的素質は非常に重要視されている。故に後進国では強姦紛いの強制交配が、先進国では卵子の複製及び人工授精、遺伝子操作による魔法師の開発が行われてきた。これは一例でしかなく、より強力な魔法師を生み出すために政略結婚紛いの事も行わる事もある。フリーセックスの時代が終わったとは言っても、過去から変わっていない所もある。

 

「いえ、生徒会の役職をいただきました。貴方が考えているような事はありませんよ」

 

 無かったことは無い。実際に視て、その反応から眼を欲している事は理解できた。ただ、それが真由美の本意かどうかまではわからない。総意だと口にしたのはあくまで関係改善であって、眼を欲している事とは異なる。自分か身内にそう望んでいる者がいる事しかわかっていないのだ。もしかしたら、真由美に関しては本当に関係の改善を望んでいるのかもしれない。そう思える余地がある以上は、幻冬にとやかく言われる事は何故だか癪に感じた。

 

 単に秋水が幻冬を嫌っている事もあるが、他の理由もあるのかもしれない。その真意に気づく事が出来るのは他ならぬ秋水のみだが、現状では前者としか考えていない。

 

 秋水の言葉に、幻冬の眉間に皺が寄る。短時間のそれは作り物ではなく、本物の怒りを示す表情だった。

 

「何も知らないくせに知った風な口を利くな。それで貴様は、出された餌にただ黙って食いついたと言うのか? それでは与えられた餌に群がる(こい)と同じだ」

 

 口調が普段よりも荒くなる。感情のコントロールが出来なくなり始めているのだ。

 

「四葉の次期当主の候補の一人が、生徒会に入ります。貴方が命じた監視の任をするには、生徒会に入る事はこの上ない利点になると考えました」

 

 対して秋水は平常のままであり、家族に対して向けるには不釣り合いな敬語を用いている。

 

「クラスが違ったのか?」

 

 その秋水の態度が気に入らないのか、幻冬はどうにか粗捜しをしているようにしか見えない。

 

「いえ。クラスは同じでした」

 

「ならば何故だ? お前ならばそれで事足りるはずだろう」

 

 気に入らなくとも実力は認めている。その事が垣間見えた時だった。

 

「彼女はその容姿も相まって人気者ですから。普段は人に囲まれていて難しいので、時間を共有できる生徒会に入った方が便利であることに間違いはありません」

 

「……ガーディアンの方はどうした? まさか奴も生徒会に入るとでも言うのか?」

 

 次期当主候補の少女には、自身の身を挺してでも守ろうとするガーディアンがついている。

 

 次期当主候補の名前は司波深雪、そしてガーディアンの名前が司波達也。後者はしっかりと確認したわけではないが、どのような容姿をしているのかのおおよその検討は付いている。入学式で多くの生徒を見たが、やはり彼は他とは違った。否、二科生だからこそ、その異彩さは一際(ひときわ)際立っていたのだろう。

 

「いえ。まだはっきりと確認したわけではありません。ですがガーディアンと言うならば、彼女を監視しておけば自ずと周囲に現れるでしょう。心配はいりません」

 

 彼がそうだとするならば、決して生徒会には入ることはない。否、入る事はできない。席が有る、無い以前に、二科生が入ったという前例は存在しない。そうしようとしても、周囲がそれを認めないはずだ。生徒会長の一任によって決まるために、一応ゴリ押しをすれば決めること自体はできるが、反感を買うのがオチ。仮にその問題をクリアしても、メリットが無い以上はやはり生徒会に入る事が無いと秋水は考えていた。

 

「だが――」

 

 言いかけた言葉を秋水が声を強めに発し、重ねて遮る。

 

「貴方に命じられたのは監視だけです。その方法までは指示されていない。俺は俺のやり方で、俺のやりやすいように動いています。事あるごとに、一々口を挟まないでいただきたい」

 

 入学テスト前に四葉家の次期当主候補が第一高校を受験するとの情報を掴み、同じ年だった秋水に候補の監視を幻冬が命じた。命じたと言うよりは依頼したと言った方が適切な言い方かもしれない。いずれにしても秋水が言ったように、どのようにしろとまでは言われていないことは事実。

 

 秋水の言葉を境に徐々に重くなりつつあった空気が一気に加速し、互いの眼が赤く染まっていく。

 

 赤い瞳、瞳孔の周囲にある三つの黒い勾玉が浮かんでいる。どちらも同じ形状だ。

 

 紛れもない写輪眼。幻冬は情報は流れていないものの、開眼自体はしている。

 

 だが、同じ写輪眼でも違いがある。

 

「――貴、様……ッ!」

 

 ほんの一瞬の出来事。

 

 突然現れた鎖が幻冬の身体を束縛し、身動きが全く取れない様になっている。色は本来の鎖が持つ銀色だが、畳や天井、壁と言った至る所から生えており異質さが顕著に表れている。

 

 ――魔幻・拘鎖(こうさ)の術。

 

 写輪眼における、相手を金縛りに掛ける幻術の内の一つ。

 

 それは、元々は幻冬が秋水に仕掛けた幻術だった。

 

「俺に幻術を掛けようしても無駄だ。貴方の瞳力は、俺の眼よりはるかに劣る。それは既にご存知のはずだ」

 

 同じ写輪眼であっても、その力には個体差が生じる。それもあくまで道具であり、それを扱う術者にその性能は大きく左右されてしまうということ。瞬き一つしない刹那の時間、そんな短時間でも性能差が顕著に出ていた。

 

 元来、幻術の掛け合いをした場合には、互いに幻術を上書きしていく事で逃れる事ができる。そして最後に制した者が、幻術世界の支配権を得ることになる。しかし、この方法は幻術に造詣が深く無ければならず、惑わされない屈強な精神力が必要になる。実力差が顕著ならば、そうそう重ねがけが成立することはない。

 

 ――魔幻・鏡天地転

 

 秋水が行ったのは、幻術の重ねがけではない。写輪眼を用いた、幻術返し。瞬時に幻術を看破し、相手に掛け直す術。力の差を教えるには、これ以上の術はない。

 

 痛みを与えるだけならば、より強力な幻術は幾らでもある。

 

「どうやら少し勘違いされている様ですから、今一度言っておこう。確かに貴方は俺の父親だ。それに、裏葉家の当主でもある。だが、俺は貴方の言う事を全て聞くだけの人形ではない」

 

 鎖の数が増え、徐々に首の方まで巻きついてくる。万力の如き力で締め付けられれば、人の息を止める事は容易だ。これは幻術であっても、全てが夢幻という訳ではない。痛覚は虚構を通して現実にまで浸透し、幻術に嵌まった対象が虚構に溺れれば溺れるほど強くなる。このまま絞殺でもすれば、相応の痛みが現実と成って幻冬を襲うだろう。

 

「俺は決して、あの事を忘れたわけでも、許したわけでも無い事を忘れなるな……!」

 

 未だ貴方がこの世にいられる理由も。

 

 それだけは口にせず、秋水の心の内に留めておく代わりに幻術を解く。

 

 解除と共に体勢が崩れた幻冬。その顔には脂汗が滲み出ており、呼吸も荒く、一切の威厳が感じられない。疲労し、どこか恐怖を覚えたような視線を向ける幻冬に対して、秋水は見下(みくだ)すかのように魔眼で見下(みお)ろす。

 

「ご心配なさらずとも、任務は必ずやり遂げますよ。勿論、監視だけでなくもう一つの方もね」

 

 静かに立ち上がると、幻冬の反応を見る事無く部屋を出て行こうとする。

 

「お前は――」

 

 秋水の足が止まる。だが、振り返ることは無い。

 

「お前は所詮俺と同じだ……。どれだけ着飾ろうとも、な」

 

 秋水が口を開くことは無かった。

 

 静かに襖が閉じられる音だけが、静かな部屋の空気を刺激した。

 

 

◇◇◇

 

 

 二日目。

 

 入学式と同様に晴天に恵まれた今日は、春の日差しが優しい暖かさで見送りをしてくれる。かつては温暖化によって春でも真夏日を観測する日があった。しかし、一旦寒冷化を経験した事もあってか、そのような夏さながらの日は無くなっていた。さらに言えば、衣服の繊維技術の発達によって吸汗性、速乾性、通気性などはかなり向上しているために不快感はほとんど無いと言ってよかった。

 

 周囲の様子は昨日と全くといって良い程変わらない。妙に浮ついた空気を纏っている一年生は学年ごとに制服に違いが無い中でも特に目立ち、これから先に待つ様々な事に期待に胸を膨らませているようだ。

 

 そう冷静に分析している秋水もまた、任務をこなす目的で通ってはいても、高校生活は楽しみでもあった。

 

 ただ、不安もある。

 

 その不安の種は直ぐ近くにあった。

 

「秋水くん、おはよ~」

 

 校門を潜ったすぐの場所。風によって花弁を美しく散らせる桜と共に秋水を待っていたのは、手を振る真由美の姿。背が低いせいで子供が手を振っているようにも見えてしまうが、昨日と今日とで全く違う態度に初めは眼を疑ってしまった。

 

「おはよう、ございます」

 

 秋水が小さく礼をすると真由美の方から寄ってくる。生徒会長と言う事もあり、周囲の――羨望や敵意を表す様々な――視線が集中している事がかなり鬱陶しくも感じる。なぜ態度が違うのかという理由はこれから聞く予定だが、昨日の事での仕返しと考えた方が納得できそうな自信があった。

 

「七草会長。その、昨日とはずいぶんと違いませんか?」

 

 良く言えばフレンドリー。悪く言えば馴れ馴れしい。

 

 真由美の態度はそのように取れるものだった。

 

「昨日秋水くんが「仲良くしたい」って言ってくれたんじゃない。すぐに七草と裏葉の関係は無理でも、私達だけなら可能でしょう?」

 

 大きな目標も小さな一歩から。要はそう言う事なのだろうが、昨日それなりにきつい言葉で言ったにも関わらず、翌日から行動に出た行動性に対して秋水は素直に驚いていた。その早さが単に個人の意見によるものなのか、眼欲しさに早々に違ったアプローチを仕掛け始めたのかはわからない。

 

「それとも、やっぱり七草の血を引く私とは仲良くできない?」

 

 関係の改善、それは秋水の中では本気で考えている事だった。十師族結成以降の裏葉は、秋水が身内としての贔屓目で見ても良い立場とは思えない。身内として見てしまうから、という事もあるが、伝統ある古式魔法師としての立場はあれども、それは本来あるべき立場からは程遠い。裏葉が扱う古式魔法は、何も裏葉だけが使用できるものではないからだ。

 

 真由美の聞き方は言質を取った上でその穴にピンポイントに攻め込んでくるものであり、したたかさが窺えた。加えて悲しそうな表情は、例え作り物であったとしても男に負い目を感じさせるには十分すぎるほどの武器。潜在意識の中で罪悪感を抱かせて答えをある方向へと誘導するような、悪く言えば卑怯な言い方だった。

 

「いえ。そんなことはありませんよ。七草会長のお考えには感謝します」

 

 真意はこれから探って行けばいい。こと観察において、秋水は自身の実力を高く評価していた。写輪眼を有している事もあるが、これまで様々な人間を見てきたことから得られる経験もその自信に一役買っている。

 

「真由美」

 

「……はい?」

 

 突然どうした、と口から出てしまいそうになるも、それを無理矢理呑み込み、音として外に放出する事をなんとかやめる。

 

「せっかく家柄抜きでお友達になるんだから、名前で呼びあった方がいいでしょ?」

 

「ですが、七草会――」

 

 生徒会長としてそれはどうなのか。それを問おうとしたところで、今度は言い切る前に遮断されてしまう。

 

「真由美」

 

 昔のRPGの村人が同じ言葉しか話さないように、テコでも動かないと言わんばかりだ。このまま言ってもずっと平行線だと理解した秋水は、真由美の事を素直に名前で呼ぶことを決意した。

 

 小さく溜息をついた。

 

「わかりました。真由美会長、と呼ばせていただきます。これでよろしいですか?」

 

「まだちょっと硬い気もするけど……」

 

 今にも首を捻りそうな様子で、些か不安そうな表情は残ったままだ。硬いのは単に秋水の声のトーンがどこか突き放すようなものだからだろう。然るべき相手が同様の呼び方をすれば、その硬さは気にならないはず。

 

「それは、より関係が親密になった時や二人きりになった時にでもそうさせていただきます」

 

 その事を言うつもりはない。だが、一方的に事が運ばれるのを癪に感じた秋水は、昨日の一件から真由美が歳相応の反応をすることはわかっていたために、色々と想像を掻き立てらることの出来る発言をする。この時少しばかり笑みを浮かべ、音質を意図的に変えたことで、その効果を増幅させていた。他人を欺く術は、何も彼女の十八番ではない。

 

 写輪眼による幻術でも使えば、より鮮明に様々な事を認識や体験させる可能だ。だが、さすがにそこまでするつもりはない。軽いいたずらに対して、本気で相手をするような大人気ない事はさすがにしない。

 

「えっ……?」

 

 攻めるのは好きだが、攻められるのはあまり好きではない。と言うよりも得意ではないのだろう。秋水がすぐさまそう判断するほどに、真由美の態度は一変していた。

 

 さまよう視線は秋水を捉えてはおらず、恥ずかしさを隠すためは口元に手を持って行っている。心理的にも物理的にも壁となるものが欲しいのだろう。

 

「ではそろそろ時間なので失礼します。“真由美さん”、また昼食時に」

 

 からかわれていることにいつ気が付くのだろうか。

 

 小さな悪戯心が芽吹き、ついついそう言った発言をしてしまう。

 

 こういった一面が垣間見えるのは、秋水が普段仮面を被っている良い証拠だろう。そしてその仮面が剥がれると言う事は、真由美に対して普通とは違った好意的な感情を持っている事も示している。同じく普通とは違うものの、好意的、とは真逆に位置するような感情を抱いている幻冬相手には決して見せない一面だからだ。

 

 

◇◇◇

 

 

 始めて入った教室はざわついた空気に満たされていた。入学式前からなのか、昨日の入学式やその後教室を訪れて友人を作ったのかは定かではないが、既に教室内では小さなグループが出来上がっている。それでも今いる人数の半数を少し超える程度であり、一人でいる生徒もごく普通にいた。

 

 教室の見た目はそう昔と変わらない。机と椅子、色の違いがある程度で、昔との相違点は教卓や黒板がないことぐらいだ。

 

 だが見た目では無く中身に目を向ければ、昔との違いは明らかだ。

 

 まず机には収納スペースは無い。昔のように教科書やノート、筆記用具の類が一切必要なくなったためだ。それもこれも、机に搭載されている仮装ディスプレイによるネットワーク授業が主流になったことが大きい。少数いる有能な教師の講義を最大限生かせるこの技術は今ではかなり支持されており、一昔前にあった教鞭を振るう教師によって生じる学力差は無くなったと言える。また全てが電子化した事で持ち物もほとんどなくなり、登校において鞄の類が必要なくなった。これによって生徒の負担を減らしつつ、ネットを介した自宅による予復習も可能にしたことで平均的な学力の向上も見られている。科学技術の向上がもたらしたものは、何も魔法に限ったことではない。

 

 秋水は自身のあてがわれる端末を探す。席に示された番号は、窓際から下に向かって若い番号から始まっている。裏葉の姓も考えると窓際の列と言う事は免れないが、弊害は特にない。正直な所、席の場所などとりわけ気にする事でも無い。

 

 案の定、席は窓際中央に位置していた。

 

 だが、そこまでの道のりは若干険しくなっている。一つ、周囲のグループとは異なり、大きな群を成しているグループが秋水の行く手を阻んでいた。と、言えばたいそうな物言いだが、実際は一人の生徒の周りにたくさんの生徒が集まっているだけであって、意図的に妨害しようと言う意思は一切ない。

 

 その中心にいる人物は、昨日の入学式において男子生徒の心をほとんどを射止めたと思われる司波深雪。周囲の生徒達の隙間からかろうじて後ろ姿が確認できる程度だが、まだ一限も始まっていないと言うのにも関わらず、既に若干の疲れの色が見える。登校してクラスに入ってからずっと囲まれているのだとすれば、それは致し方のない事と言えた。

 

 本来、優秀であることは羨望を集めると同時に妬みなども一緒に受けるものだが、深雪においてはその例から外れるようだ。魔法の成績は実技筆記共に良し、容姿も良し、性格もそれらに溺れる事無く悪くはない。そもそも、現状把握できている情報の段階では欠点らしい欠点は見られない。天はニ物を与えんとは、よく言ったものだと実感できる。

 

 どの点から見ても魅力的に映る深雪が周囲を惹きつけてしまうのは、当たり前の事なのかもしれない。深雪にとってそれがどう作用するのかは時と場合にもよって変化するのだろうが、秋水にとっては良い方向へと作用している。人が多く集まると言う事は、それだけ紛れ込みやすくなることに比例するからだ。

 

 学生生活において過ごすグループがあるとすれば、それは深雪がいるグループになるだろう。その中で親しくなりすぎることはなく、それでいてどんな時でも近くに居ても不自然ではない程度には交友を深め、その裏では何食わぬ顔をして十師族の中で今最も強力な四葉の次代の当主候補に常に監視の眼を光らせる。さながら人の軌跡を残す影のように。そうしていく中で、秋水は自らの過失でそれが露呈してしまう事はまずありえないという自負があった。

 

「すみません」

 

 親睦を深めるならば、精神的疲労の少ない時が良い。いくら場は整っていても、期が訪れなければあまり意味は無い。生徒会室あたりなどが妥当だろうと判断した秋水は、通行の妨げになっている生徒に退いてもらうつもりで声を掛けたのだが、深雪と彼女を覆う生徒全員の視線が一斉に注がれた。

 

 彼らからすれば、秋水も深雪と話したいがために声をかけたと思っていたのだろう。女子生徒はそうでも無いが、男子生徒からは若干嫌な感じが現れている。

 

 思春期真只中の男子生徒からすれば、深雪に近づく理由としては単なる友人関係を築きたいと考えている者はほぼいない。恋人関係になりたいと考えている者が大半のはずだ。そんな彼らからすればライバルが増えたと思うのも仕方がない。これは血筋にもよるが、裏葉家の者は比較的容姿にも優れた者が多いことも、それに拍車をかける要因になっている。

 

 秋水も裏葉の家に生まれず真っ当に育ち、深雪と出会えばそういう関係になりたいと思っていたかもしれないと考えていた。

 

 何もそういった感情を抱くことは悪い事ではない。男は女を意識し、他の男と競い合う事で成長しては力を付けていく。そういった事を経験していくことで、少年少女たちは次第に大人へと変化していくからだ。

 

「そこを通していただきたいのですが」

 

 ほっとしたような顔をしている男子生徒が数人、驚いているのが大半と言ったところ。驚いているのは目的が深雪に接触する事ではなかった事だろう。

 

 特に食って掛かられることは無く、自然と通れる道が出来た。

 

 礼を述べてから通り過ぎる。それだけで済むはずだったのだが、事は上手く運ばない。

 

「申し訳ありません」

 

 深雪がわざわざ椅子から立ち上がり、謝罪の意を述べた。

 

(余計な事を……)

 

 毒付かずにはいられなかった。

 

 あのまま何もしなければ済んだにも関わらず、深雪が謝罪をしたことで周囲から敵意が漏れ出す。深雪としては単に邪魔をしてしまったことに対しての詫びのつもりだったのだろう。それは悪い事では無く、実に優等生として取るべき行動だったのかもしれない。だが、正しい行動がその時の最善の行動となるかどうかは別の問題。今は、まさにその一例とも言えた。

 

「司波さんが悪いわけじゃ無いよ」

 

「そうだよ。邪魔をしたのは俺達の方なんだからさ」

 

 矢継ぎ早に深雪に対しての弁護が始まる。ここで秋水に飛び火するのが最悪のケースだったが、彼らも自分達に非があったことを認めてくれたおかげでその危機は避けられた。しかし、秋水がそのまま何事も無く席に着くと言う事は手の届かない所にいってしまった。

 

「すまなかった。えっと――」

 

 周囲が庇っていた中で一番先に秋水に謝って来たのは、今日初めて直接会うものの名前は知っている一人の男子生徒。深雪にも言える事だが、本来面と向かって謝る必要性は無い。日本人がすぐに謝罪を述べるのと同じようにすればいいのだ。だが同じ謝罪であっても深雪と男子生徒とで違う点は、後者は純粋に謝りたいと言うよりは点数稼ぎをしたいという下心が垣間見えている点。

 

 嫌悪感は無い。教科書通りにすれば何事も上手くいくことが無い以上、機転を利かせる事が出来るのは魔法師としても、普段生活することにおいても必要な事だからだ。

 

 秋水は男子生徒の言葉の詰まりを秋水の名前を求めている事と判断し、自身の名前を名乗った。

 

「あの裏葉の者か。僕の名前は森崎駿、森崎の本家に連なる者だ。先ほどはすまなかった。けど、これから一年は同じクラスなんだ。同じ“ブルーム”同士仲良くしよう」

 

 何が「けど」なのかはわからない。少しのやり取りでわかったことは、プライドが高く、目立ちたがり屋で、結果を求めるために急ぎ過ぎて空気を読むのが下手だと言う事。それでも百家の支流であり、クイック・ドロウで有名な森崎家の者である以上は実技においては優秀な成績を修めているに違いなかった。

 

 考えている事を一切表に出さず、秋水は差し出された手を握り返す。

 

 それを和解と取ったのか、森崎の隣にいた生徒が挨拶をし、バケツリレーの如くそのグループ内での自己紹介が始まった。

 

 名前を知っていく中でとりわけ気になった生徒は深雪と森崎を除いて二人。一人は光井ほのか。もう一人は北山雫。どちらも容姿に秀でた美少女だが、だからという訳ではない。

 

 ほのかに関しては、現代魔法の基準が設けられる以前に「地」「水」「火」「風」を始めとした伝統的な属性に基づいて開発された日本初の魔法師であるエレメンツの末裔。魔法科高校の中では秋水が扱う古式魔法に近い力を持っている。

 

 雫に関しては、大富豪である北山家の血縁者ということ。北山の姓はさほど珍しくは無いが、嘗て見させられた映像の中にいた、かつて振動魔法で名を馳せた鳴瀬紅音の容姿が似ており、その紅音は北山家に嫁いだことからの判断だ。

 

 有名な家柄の生徒が多いのはさすが魔法科高校であり、一科生なのだと思えた。

 

 予鈴(よれい)が鳴ったことでようやく自身の席に着いた秋水は、この後このメンバーが引き起こす出来事など知る由も無く、ようやく自己紹介の嵐から解放されたとひっそりと胸を撫で下ろしていた。

 


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