紅き眼の系譜   作:ヒレツ

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最終章です。
時系列的には来訪者編ですが、話がオリジナルになるため苦手な方は読まれないことをオススメいたします。


紅き眼の系譜編
Episode 5-1


 世界は不平等だ。誰もが幸福になりたいと願っているにも関わらず、それを享受できるのは限られた一部の人々だけ。なぜかと問われれば、幸福には決まった形がないからだろう。好きな者と結ばれたい。多くのお金を持ちたい。他人より活躍したい。価値観の違いは決して悪いことではない。だが千差万別のそれが重なり合うと、時として奪い合いが始まってしまう。個人間での出来事ならばまだ良いが、それが民族間、国家間となると話は変わってくる。揉め事は小競り合いになり、やがては戦となる。規模も次第に大きくなり、国を巻き込む大戦と成る。その果にあるのは、明確な勝者と敗者の境界線。敗者を礎にして築き上げられたのが、勝者が幸せを得る今の世の中だ。

 

 かつて、勝者だけの世界、愛だけの世界、平和だけの世界を作ろうとした男がいた。乱世に生まれた彼の者は、幾度となく起こった戦によって親兄弟を失い、現実では苦しみや痛み、虚しさしかないと悟ってしまった。現実では成し得ないと理解したからこそ、夢の世界で大業を叶えようとした。だが、それは成就することはなかった。当時を生きる者たちによって阻まれたのだ。彼らは例え辛い道であろうと、協力して現実を歩いていくことを選んだ。

 

 幾百の時を隔て、世界を統べようとした男がいた。自ら以外は取るに足らない人物だと切り捨て、自らが王として導こうとした。そしてそれも、己の子孫によって阻まれた。

 

 どちらも独善ではあったものの、世界を良くしたいという願いが根底にはあった。目的が間違っていたとは、完全には言い切れない。間違っていたのは手段。二人に共通するのは、強すぎたが故に人の弱い部分だけ見てしまい、可能性を信じなかったことだ。とは言え、その可能性は今のままでは閉ざされたまま。同じ人間同士で争っているようでは殻を破ることはできない。それどころか、変わらなければいずれ人類は滅びるだろう。

 

 きっかけが必要だ。人類が変わるほどの、大きなきっかけが。例え、どれだけの犠牲が生まれようとも。

 

 金色に輝く月を、真紅の双眸が捉えた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 千野が引き起こした第一高校襲撃事件は幕を閉じた。この事件によって校舎に甚大な被害が出るも、幸いなことに生徒から死傷者は一人も出なかった。いち早く察知した勇敢な生徒たちが吸血鬼相手に奮闘した美談として、世間には報道された。少し前までは魔法の危険性を取り上げていたにも関わらず、今回はなぜ一変したニュースとなったのか。何者かによる圧があったことは明白だが、それが誰なのかは一部の者しか知らない。

 

 第一高校は現在、壊された校舎の修理を行っている最中。流石に事件直後から平常通りに授業が行われることはなく、翌週まで休校になることが生徒たちに通達された。殆どの生徒たちは突然与えられた休みに歓喜した。羽根を伸ばす生徒、鍛錬する生徒、各々が有意義に時間を使っていることだろう。

 

 第一高校の生徒である司波達也は、与えられた余暇を自宅で過ごしている。自室のテーブルには彼の大切な妹が入れてくれた珈琲が芳しい香りを立てている。彼女が少しでも兄の役に立ちたいと豆から拘った珈琲は、達也からすればどの喫茶店にある物よりも美味しく感じられた。そんな至高の珈琲に手を付けず、達也は椅子に深く座って考えにふけている。

 

(須佐能乎……あれは異常だ)

 

 先日の事件の際に秋水が使用した固有魔法。万華鏡写輪眼を開眼した者の中でも、さらに一握りの者だけが身につけることのできる第三の術。

 

 魔法の定義は「事象に付随する情報体を改変する力であり、事象そのものを作り出すものではない」とされている。炎そのものを魔法で作り出すことはできないが、対象における分子運動や周辺酸素濃度などの情報を書き換えることで燃えている状態を作り出すことはできる。この改変する事象が大きければ大きいほど、強ければ強いほど魔法としての難易度は高くなる。

 

 対して古式魔法に分類される忍術は、現代魔法の定義と大きく異なる。チャクラを介して発動する忍術は、情報改変ではなく事象そのものを作り出す。現代魔法とは対極の存在。とはいえ術の規模や複雑さ、威力に依存して習得難易度は高まる。定義こそ異なるが、難易度に関してはどちらも同じ。

 

 それらを踏まえた上で須佐能乎を考えると、如何に異常なのかがわかる。三十メートルを越える巨体が術者の意志で動き回る。一歩踏み出せば大地を揺るがし、握る太刀を振るえば全てを両断する。防御面でも、近い大きさを持った大蛇の攻撃が一切通じなかった。チャクラをどれだけ広範囲に高密度に展開すれば良いのかは、想像もつかない。言えることは、並の術者ならば使用した瞬間にチャクラが枯渇するということと、同様のことを現代魔法で再現しようとすればほぼ不可能ということだろう。あの巨体を動かす度に事象改変を行わなければならず、とてもではないが処理能力が追いつかない。

 

(チャクラで作られている以上、分解で対処できるはずだが)

 

 須佐能乎はその性質上、骨、筋肉、外皮、衣、鎧状の五段階に別けられる。十文字家のファランクス程の数ではないが、あえて現代魔法に準なぞらえるならば多重防壁魔法に該当する。

 

(現状の分解だけでは心許ないことも事実)

 

 分解が効かない相手用の対抗策が必要だ、と達也は己に言い聞かせた。そもそも分解は非常に強力な魔法だが、決して無敵ではない。完璧な魔法などこの世には存在しないのだ。一見そう見えたとしても、どこかに必ず穴がある。

 

 そもそもを言い出せば、二人が戦うことは無いのかもしれない。昔ならばいざ知らず、今や四葉と裏葉は同盟相手。

 

 それでも――――。

 

(同盟は、四葉と裏葉の現、当主達が結んだもの。どちらかの当主が変わり、関係が変化しないとは言い切れない)

 

 裏葉を馬鹿正直に信じるのは危険。それが達也が下した答えだった。裏葉は戦闘能力が高いこと以上に、精神面で安定性に欠ける。

 

 誰よりも愛情深い一族。それが裏葉の真実だということを、達也は秋水の口から直接聞いていた。深雪はそれを聞いて肯定的に捉えていたようだが、達也はそれを聞いて真っ先に思い浮かんだのは反逆の可能性。愛情は、重さや長さとは違って測る指標がない。誰が誰に対してどれだけの愛情を注いでいるかなど、当の本人でさえもわからない。特に裏葉だからこそ、何が引き金になるかが不明瞭なのだ。いざその時になって、何も対策していませんでした、では話にならない。

 

(対策ならば、須佐能乎よりもまずは写輪眼か)

 

 正確には、秋水の写輪眼。もしも秋水と戦った場合、まず近距離戦に持ち込まれると達也は考えていた。秋水の得意分野は近接戦闘であり、達也には深雪のように写輪眼に抵抗できるほどの力がないためだ。目と眼をあわせた瞬間、簡単に幻術にかけられてしまう。過去に秋水と模擬戦を行った際、それが原因となって達也は負けた。あの時より肉体面では鍛えられたが、写輪眼への対抗力は変わらないままだった。

 

 対抗策としては、眼を合わせずに手足の動きを見て戦うという手段がある。写輪眼を相手取るにあたって有効性のある手段だが、少し確実性に欠ける。習得するにもそれなりの時間が必要だ。裏葉一族は写輪眼を持つが故に視覚を使って相手を幻術に嵌めるが、他にも五感を介した方法を持っていないとは言い切れない。特に聴覚や嗅覚に訴えるタイプならば、眼を見ないように心がけても無意味。更には、瞳術だけが視覚へと訴える手段というわけではない。長けた者ならば、指先一つでも可能だ。

 

 たらればを言い出したならばきりが無い。頭では解っていても、達也は考えずにはいられなかった。

 

 秋水が持つ左眼の万華鏡写輪眼こそ、達也が警戒する最大の理由。

 

 横浜事変で共闘した時、達也は万華鏡に宿る瞳術の強力さを嫌というほど実感した。穢土転生体故の不死性も相まって、これまで戦ってきた誰よりも強く、苦戦したと言って良い。そして、その相手にとどめを刺したのが秋水の左眼。

 

(おそらくあれは、脳へと干渉する瞳術)

 

 達也が危惧しているのは、脳へ干渉された場合に果たして再生が発動するのかどうか。達也自身の見解は、イエスでありノー。

 

 再生にも手動と自動がある。自動再生――自己修復術式は、戦闘に支障を来たすダメージを負った際に自動で発動するよう設定してある。ここで問題になるのが、戦闘に支障が出るかどうかを判断するのが脳だということ。脳の情報を改竄され「支障を来たす」条件を変えられた場合、再生は発動しない。

 

 この段階の改竄ならばまだ問題はない。もしも自動再生が開始されなければ、手動でそれを行えば良いだけの話。故に、ここまでならば答えはイエス。

 

 問題は先の条件変更に加え、再生できるということを忘却された場合。こうなってしまった場合には再生という選択肢が消えてしまうため、発動しようとさえ思えなくなってしまう。つまり、答えはノー。

 

 最悪のケースを想定すると、達也は秋水に敗れる。深雪のガーディアンとして存在しているからには負けは許されない。どうにかして打開策を見つけなければと、達也の脳のモーターが回転数を上げた。

 

(……師匠に相談してみるか)

 

 何らかのヒントを得られるかもしれない。行き詰まった達也は、助言を貰えそうな相手に相談することに決めた。

 

 達也自身、なぜここまで危険視するのかがわからなかった。縁や運命といった非科学的なものかもしれないと、不安定な足場に着地点を決める。

 

 達也は肩の力を抜き、一息つくためにマグカップに手を伸ばす。やや温くなった珈琲は、甘み、苦味、酸味、コクのどれをとっても文句一つ無い。それどころかそれぞれが調和し、好みの味に仕上がっていた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 朝の天気予報の通り、日が暮れた頃には一段と寒さが厳しくなっていた。時折吹く風が露出した肌を通り抜け、実際の気温よりも冷たく体感させる。先程まで暖かい部屋に居たとしても、体が冷えるのは一瞬だろう。

 

「ごめんね、付き合わせちゃって」

 

「構いませんよ」

 

 顔の前に両手を合わせて誤る真由美に対し、秋水の対応は素っ気ない。別段機嫌が悪いわけではなく、普段通りの反応だ。

 

「……もしかして、楽しくなかった?」

 

 昼に待ち合わせてランチを摂る。話題の映画を見て、併設されたショッピングモールで買い物をする。年頃の男女が一緒に過ごすにはありきたりな、有り体に言えばデートとも言える一日。中身は月並みだ。その手の本に載っている店での食事。映画は魔法師と非魔法師の立場の違いから生まれる愛を描く恋愛もの。ショッピングも高級ブランドではなく、デザイン重視の若者に人気のリーズナブルな店。

 

「いえ、十分楽しめました」

 

 偽りのない本心だった。行動の中身は関係ない。ただ共に行動する。それだけで十分なのだ。これまで好意を抱いた相手と二人きりの時間を過ごす経験はなかったために、知り得なかったことだった。

 

「そう、なら良かった」

 

 安堵の表情を浮かべる真由美を余所に、秋水の内側は晴れない。このまま幸せな時が続けば良いという思いと、本当に自分にはこの幸せを享受する資格があるのかどうか。相反する二つの思考が複雑に絡み合い、胸中を曇らせる。

 

 街を歩く老若男女。一人、友人、カップル、夫婦、家族、彼らの関係は様々だ。彼らの目から自分たちはどのように映っているのだろうかと、秋水はふと考えてしまう。

 

(やはり、俺には……)

 

「私ね、色々考えたんだけど」

 

 一旦区切ったことで、秋水の注意引いた。自然と足が止まる。

 

「やっぱり誰にでも、幸せになる権利ってあると思うの」

 

 秋水は心を見透かされた気分だった。とはいえ悪い気はしない。自覚がなくとも誰かに言って欲しかったその言葉は、灰色の世界に彩りを与えた。

 

「きっと秋水くんは、自分にはそんな資格がないって言うんだろうけどね」

 

 誰かを傷つけたり殺めたりしたのは、任務中に限ってのことではない。写輪眼を狙われ正当防衛ならぬ過剰防衛は勿論のこと、ただの八つ当たり他者の人生を狂わせたこともあった。圧倒的な力でねじ伏せた時に、優越感に浸らなかったと言えば嘘になる。背負うべき罪に対して、今更言い訳をするつもりもない。罪から目を背けていないからこそ、秋水は自身に権利がないと考えていた。

 

「誰にだって間違いを起こす事はあるわ。完璧な人間なんていないもの。だけどね、その間違いを認めて次に活かせるのも人間だって思うの」

 

 一人の殺害は犯罪者を生み、百万の殺害は英雄を生む。一世紀以上前に米国で公開された映画において、主人公が処刑台に向かう際に発した台詞。もしも台詞の通りだとするならば、数をこなすことで神聖視されるのだろうかと、秋水はかつて考えたことがある。だとすれば、後どれだけの人々を殺めれば良いのだろうかとも。

 

「だからね、秋水くんも罪を償った後のことを考えてみて」

 

 一体、どれだけの時をかければ償いきれるのだろう。

 

「って言っても、いきなり考え方を変えるのは無理よね。少しだけでいいの。こういう考え方もあるんだって事、覚えておいてね」

 

「俺は――」

 

 はっきりと空気が変わったことを肌で感じ取った。

 

 言葉を鎖すほどの敵意が、刃物のように秋水に突き刺さる。霞がかっていた頭も、戦場に出れば途端にクリアになる。五感だけでなく六感までもが研ぎ澄まされ、周囲の情報を一斉に収集する。

 

「どうしたの?」

 

「俺の傍から離れないで下さい」

 

 真由美の反応から、秋水は標的が自分だけだと確信した。悪意を無差別にばら撒く輩ではないことは幸だが、場所が悪い。周辺には通行人が多く、まだ誰も異変に気づいていない。いくら秋水だけを狙っているとしても、流れ弾に当たらない保証はまるでない。

 

 二人の前方から、歩いてくる男がいた。黒いロングコートを羽織り、コートに付いているフードで頭をすっぽりと覆っている。顔は見えないが、逸脱した雰囲気は常人のものではない。

 

「まさか、ここで戦う気!? ダメよ、ここで戦ったりしたら」

 

 真由美もそれに気づき、最悪の事態を想定する。

 

「そんなことは分かっています。いざとなれば、俺が奴ごと飛雷神で人の居ないところまで飛びます」

 

 男はある程度まで近づくと右手に雷を纏わせ、秋水へと一直線に迫る。

 

 雷が、天へと放たれた。

 

 先程まで放電していた右手は、秋水に掴まれ夜空に掲げられている。

 

「俺の千鳥をこうも容易く防ぐとは、流石に強いな」

 

 簡単に言えば、千鳥はただの突き。肉体活性によって常人離れした速度を出す代償に、カウンターにさえ対応できない不完全な技。それを完成形へと進化させ、絶対的な武器とするには、写輪眼の存在が必要不可欠なのだ。その眼を持つ秋水が、対応できない通りはない。

 

 近づいたことで、秋水はあることに気づいた。

 

 フードの下は仮面だった。目元だけがくり抜かれ、他の装飾は一切ない簡素なもの。ただ秋水と真由美が注目したのは、仮面ではなかった。秋水も思わず手の力を緩めてしまう。男は腕を振り払い、後退して距離を取った。

 

「写輪眼……」

 

 真由美が呟くように、仮面の奥にある紅眼が写輪眼であることは疑う余地もない。

 

「どうやってその眼を手に入れた?」

 

 声の質からして、男は秋水と同年代か少し上。秋水が知る限り、その世代で写輪眼を発現した者は一人もいない。かと言って、現在写輪眼を持つ者は秋水とその父である幻冬のみ。幻冬の左眼はイザナギによって失明しているため、奪ったのだとしても両眼が揃うことはありえない。

 

「おかしなことを聞く。これは俺自身の眼だ。俺に宿る裏葉の血が、俺に写輪眼この力を与えた」

 

 言い方に妙な引っ掛かりを覚える。少しカマをかけることにした。

 

「傍系の人間か。見せびらかしたいのなら他所でやれ。俺は、お前なんかに付き合っている暇はない」

 

「安い挑発だな。それに、お前の都合など知ったことではない。宿願のためにも、お前には付き合ってもらわなくては困る」

 

「どういう意味だ」

 

「すぐにわかる」

 

 秋水たちを囲うように、新たに五体の男が姿を現した。皆一様に同じ衣装をしており、両眼に写輪眼を有している。目の前で起こっている現状が異常だということは、同じ写輪眼を持つ秋水が一番理解していた。

 

 真由美が、秋水の袖を掴んだ。不安や恐怖から逃れるための、反射的な行動。

 

 秋水は指をクロスさせて印を結び、分身を一体作り出す。分身体が真由美の肩に触れる。

 

「頼んだぞ」

 

 自分に告げる言葉。真由美が秋水に何かを言おうとした所で、秋水の前から消える。分身体が飛雷神を発動させ、安全な場所へと避難させたのだ。戦いになることは、もう避けられそうにない。この場から遠ざけたのは、戦闘に巻き込まないためであり、血腥い戦いを見せないためでもあった。

 

「無駄なことを」

 

 嘲笑う言葉に、秋水は返事をしなかった。魔眼で一人一人を観察していく。チャクラ量やサイオン量は高いレベルで六人全員が同程度。使用系統が分かっているのは、最初に遭遇した男が使った雷遁のみ。

 

(人数を考えれば、五つ使えると見たほうが良い)

 

 一対一ならばともかく、一対六ともなれば全員を飛雷神で飛ばすことは不可能。この場での交戦が避けられないのならば、最速で片付けて被害を最小に留めるしかない。そう判断した秋水は、写輪眼から万華鏡写輪眼へと変化させる。

 

(天火明は……周りの人間が邪魔だ。それに使用した瞬間、どうしても他への意識が薄れる。使うにしても少し数を減らしてからだ)

 

 相手も写輪眼。視点発火の天火明であっても、事前にチャクラを貯める必要があるため、見破られる可能性が高い。

 

「万華鏡写輪眼か……。愛を知り失っても尚、親しい者を手にかけることで得る力。お前こそ、今の世の象徴だ」

 

 男が言い終えたタイミングで広範囲に霧が生じる。

 

(霧隠れ――――いや、これは)

 

 あちらこちらから悲鳴が上がる。

 

 霧は視界を奪うだけではなかった。衣服が溶け、皮膚がただれ始める。通常とは異なる酸性の霧。水遁と火遁を合わせることで作り出される、沸遁と呼ばれる特異な性質変化。

 

 秋水はすぐさまCADにインストールしていた収束魔法を発動させる。数十箇所に作られた基点が、急速に霧を吸い込み留める。霧が晴れたことで惨状が顕になった。チャクラやサイオンを持たない、持っていても微量な一般人は、秋水の何倍も酸霧の影響を受けている。霧の発生源に近ければ近いほど痛みに藻掻き、逃げるどころではない。

 

 秋水の注意がそれた所で、背後から奇襲がかかる。男は飛び上がり、チャクラを込めた拳を叩きつけた。男の拳によって砕かれたのは、秋水ではなく冷たく乾いたコンクリート。陥没した道路が、その威力を物語っている。

 

 直後、男を中心とした半径数メートルの円状に爆発し、一体が吹き飛んだ。想定外の範囲に、秋水の耳が一時的に麻痺を起こす。

 

(沸遁に爆遁……まさかこいつら、全員が血継限界を持っているのか)

 

 耳鳴りに不快感を抱きながらも、秋水の眼は左右にせわしなく動く。複数の相手と戦うときこそ大規模な魔法が役立つのだが、現状それを使うことができない。忍術に必要な印を結ぶ時間は早々与えられず、魔法は収束魔法に費やしているため次の魔法が使えない。残された手は体術のみだった。

 

 腰を落とし、視線を頭一つ分下げる。頭上を通過した腕に自身の腕を添え、背を相手の体に密着させる。横からくる力に対してほんの少しだけ上に力を加える。大の男の体が、宙を舞った。

 

 一呼吸つく間もない。右に左、前後から来る攻撃を捌いてく。爆遁を使った男の拳には触れないように細心の注意を払うも、同じ衣装、似たようなチャクラを持つために非常にややこしい。 

 

 ついに避けきれないタイミングがやってくる。眼で見る時間だけあったのは幸で、両腕を体の前に出すことで直撃だけは避けることができた。腕を介して伝わる衝撃。咄嗟に地面から足を離したことで、秋水の体は勢い良く飛ばされた。ぶつかる前に背に須佐能乎を展開する。程なくして背後から硝子の砕ける音が聞こえ、建物内に入ったことで視界が明るくなった。

 

 体勢を整える。張り付かれて印を結べなかった先ほどとは違い、今は十二分にそれがある。秋水の右手から雷獣が産声を上げた。

 

「聞いていた話と違うな」

 

 後ろから声がした。立ち上がり、振り返りながら半歩だけ下がる。

 

「お前はもっとこう、利己的だと思っていたが」

 

 秋水は気配もなく背後を取った男に最大の警戒を向けていた。時空間忍術と予測はつくも、見渡す限りマーキングの類はない。もしもマーキングが要らないのであれば、それは飛雷神を越える時空間忍術ということになる。

 

「周囲の人間を意識を取られ、戦闘に身が入っていない。俺の知るお前なら、より冷徹に、計算高く戦えたはずだ。例え、相手が写輪眼を持っていてたとしてもな」

 

「俺が、以前よりも弱くなったと言いたいのか?」

 

「そうだ。正直お前には落胆した。大層な力を持っていても、今のお前は進化を止めた愚民となんら変わりはない」

 

「そうか」

 

 雷が尾を引く。最速の矛が、容赦なく男の胸を貫いた。

 

「堕落した者の攻撃など、俺には届かない」

 

 確かに体を貫通しているにも関わらず、貫いた腕にその感覚はない。まるで初めから穴が空いていた所に腕を通したように、何の感覚もなかった。もはや該当する時空間忍術は、一つしか無かった。

 

「神威、だと……」

 

 万華鏡写輪眼の瞳術にして、最高峰の時空間忍術。書物にしか記されておらず、大昔にたった一人だけ発現したことが確認されている。強力な術を宿す万華鏡の瞳術においても、攻撃能力、回避能力、応用性など、その性能は他とくらべても一線を画する。

 

「お前、誰だ」

 

「俺にとって名前などに意味はないが、そうだな……敢えて呼ぶなら――」

 

 写輪眼が怪しく光る。仮面越しの声が、やけにはっきりと秋水の耳に届く。

 

「俺は、マダラだ」


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