紅き眼の系譜   作:ヒレツ

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Episode 1-4

 揉め事はあったものの、授業が始まってしまえばそれは見事に落ち着いた。というよりは、落ち着かされたと言った方が適切だろう。三年生の実習は二年の差が生じているだけでかなり存在しており、特に一科生ともなれば見事と呼ぶにふさわしい魔法を披露していた。中でも見学している一年生の目を惹いたのは真由美であり、実技の実力も然ることながら、生徒会長や女性として優れた容姿もそれに一役買っていた。

 

 授業も終わり、生徒達が教室を出ていく中でもう一悶着、等と言うことは無く、不満そうな顔は残りながらも一科生は先に退場していった。秋水はその波に乗ることなく、その場に留まり続けている。ここで付いていけば、おそらくは秋水に対して溜まっているだろう不平を吐き出すことが出来ないからだ。いなければいくらでも文句を言う事ができ、ガス抜きをすることが可能となる。魔法において心理面は非常に重要な要素であり、少しでも早く平常に戻すに越したことは無かった。

 

「裏葉くん」

 

 もう一つの理由としては、秋水同様に残っていた二科生が何か話しかけてくると踏んでいたからだ。自意識過剰かもしれないが、違うならば違うで黙って出て行けば済む話だった。

 

 思惑通り話しかけてきた。授業中からずっと近くに居たために近づいてくる足音は無い。見れば残っているのはエリカと美月に男子生徒が二人、そして秋水を除いて唯一の一科生である深雪だった。

 

「入学式以来ですね。そちらの方々は初めまして。先ほどは失礼しました」

 

 不自然なく、違和感を与える事無く、決して悟られてはいけない。互いに観察や監視しているのではなく、それらをしているのは相手だけだと思わせなければならない。全てを見透かすような目を持つ少年を前にして、秋水は改めて意を決すると同時に一つの事を感じた。

 

 強い、と。

 

 力を誇示する者が放つ、他を潰さんとする威嚇するようなオーラは無い。あくまで風に揺れる柳の様でありながら、どこかに存在する逆鱗に触れれば牙を剥くタイプ。そしてその牙はこれまで秋水が見て、感じてきた中で最も強力なものだった。興味本位で触れてしまえば、あっという間に壊されてしまうだろう。だがそれは逆に、逆鱗にさえ触れなければ問題は無いことを意味している。逆さに生えた鱗がどこにあるのか、それは可能な限り早く見つけるべきだった。

 

「いや、俺の方こそ当たるようなことして悪かったな」

 

「そんな事よりさ、あんなにはっきり言っちゃって良かったの?」

 

 またテメェはという言葉が少年の口から洩れるが、エリカはその言葉を無視している。“また”の言葉から、この二人の間ではこういったことが前にもあったのだろうということは容易に推測が出来る。

 

「問題ありませんよ。ただ一緒のクラスと言うだけで、とりわけ仲が良かったわけでもありませんから」

 

 ただ一緒にいただけ。時折見せるものを除いて基本的には敬語だと言う事から見ても、同じコミュニティに属してはいても生徒会に顔を出していた秋水は他の一科生と比較して数歩後ろを歩いている。深雪の監視をするにあたって便利と言うだけの理由で行動を共にしており、そこまで踏み込む必要は無かったからだ。ここで関係が悪くなり、そこに属せ無くなれば少し監視をするにあたって不便が生じるが、それでも全くできなくなるわけではない。ただそういった杞憂も、深雪がこちら側にいる事を考えれば危惧する必要は無い。あのグループは深雪に近づきたいがために自然発生したものであり、良くも悪くもそこに目的が集約されているからだ。内面ではいざ知らず、表面上で省かれることは無い。

 

「随分とはっきり言うのね」

 

「この場で取り繕っても仕方がありませんから」

 

 嘘を吐き続ける事は出来る。けれど、それを続けている内にふとわからなくなってしまう時がある。何が本当で、何が嘘なのか。だからこうして、まだ自覚が出来ている内にオブラートにさえ包まず本音を吐露する。これもまた、一種のガス抜きだ。

 

「裏葉さんはこの後どうされるんですか?」

 

 横から出てきたのは美月の声。入学式の際とは違って、秋水には敬語であっても硬さが抜けているように感じられた。一科生の中でも、先ほどの出来事で一科生と二科生の隔たりが少ない部類だと確信したのだろう。

 

「特に予定も無いので、適当に校内でも見て回ろうかと」

 

 放課後になればまた生徒会室へと行く事にはなるが、それまでの時間はフリー。じっとしている事も悪くはないが、まだ見ていない場所はあるためにそこへ行くか、何があるわけでもないのだろうが深雪の監視をするかのどちらかにしようと考えていた。狙っていたわけではないが、グループ行動ではなくなったためにそういった自由は幾らでも利く。

 

「でしたら、一緒に周りませんか?」

 

 少々控えめではあったが、専ら受け身のタイプだと踏んでいた秋水には意外なことに感じられた。見た目や普段の言動と根幹を成す根っこは、また違うようだ。

 

「ありがたい話ですが……」

 

 秋水の目線は美月から二人の少年達へと向けられる。まだ互いに自己紹介さえしていない間柄だ。そんな二人の同意を取るのは何よりも先決。

 

「俺は構わねぇよ。達也は?」

 

「俺も構わない」

 

 達也という名前は珍しい名前ではないが、秋水の中では彼こそが司波達也だと裏付けられたといってよかった。たかだか名前ではあるが、それこそが存在を示す重要な要素であり、他者との関係を繋ぎとめておく指標でもある。

 

「そういやぁ、自己紹介がまだだったよな。俺は西城レオンハルトだ。レオって呼んでくれ。で、こっちが――」

 

「司波達也だ。苗字では妹と混同してしまうから、俺の事は達也でいい」

 

 秋水も名乗り、呼び方は適当にと付け加える。

 

 妹との発言に対して、秋水はもっともらしい質問を投げかける。

 

「双子ですか?」

 

 仮に双子ならば、性別が異なる事から二卵性双生児が大を占める。ごくまれに性別が異なっても一卵性双生児が存在するが、そのケースは本当に片手で足りるような数だ。

 

「俺が四月生まれで妹が三月生まれだから、双子では無いんだ」

 

 達也が一ヶ月先に生まれたとしても、深雪が一ヶ月後に生まれたとしても同じ学年になることは無かった事を考えれば、これもまた限りなく低い可能性の事だろう。だが、驚くべきことはそこでは無かった。

 

 実の兄妹だということが何よりも驚嘆に値した。深雪(いもうと)達也(あに)に対する態度ではなく、ガーディアンが実の兄だと言う事だ。

 

 四葉家の者はある出来事の真実を知る者達からは「触れてはならない者たち(アンタッチャブル)」と恐れられている一族であり、代々遺伝によって魔法を継承していく魔法士達とは異なり、代々異なる力を発現していく家系――裏葉の写輪眼などがそれにあたる――でもある。その能力は魔法師としては非常に優れており、現当主である四葉真夜は「極東の魔王」や「夜の女王」と呼ばれ、世界最強の魔法師の一角とされているほどだ。そんな優れた血筋から、二科生が生まれてくるとは到底思えなかった。そもそも達也が兄にあたるならば、彼もまた当主候補の一人でなければならない。そんな彼がガーディアンをやっているということはどれだけおかしい事なのか、彼らが四葉の者と知っているだけでこういった疑問がすぐに浮かんできてしまう。

 

 そういった内面を一切表情に出さず、出された事実に対して誰かが言いそうな事を言う。

 

「そうなんですか。双子よりも珍しいですね」

 

「そうかな? 確かに同じ学年に居る事は珍しいのかもしれないが、当事者からすると、やっぱり兄と妹でしかないよ」

 

 達也も返答とは裏腹に、その目で秋水を確かめようとしている。

 

 恐らく、これほど素直では無い自己紹介はそうそう無いだろう。

 

「さ、自己紹介も終わったことだしどこかに行こうよ」

 

 エリカの一言で、その小さな集団は射撃場を後にした。

 

 

 

「秋水、深雪はクラスで上手くやっているのか?」

 

 廊下を歩いている最中、最後尾を歩いていた秋水と達也は無言状態だったが、ふと口を開いたのは達也の方だった。

 

 兄やガーディアンと言うよりは親と言った方がしっくりくる。

 

「誰にでも分け隔てなく接していて、男女ともに人気ですよ。少々、人気過ぎる気はしますけどね」

 

「……それは言えているな」

 

 秋水は先ほどの、達也は昼食時の事も思い出していた。あれは人気というレベルを超えている。あの中からやがて信者が出たとしても秋水が不思議に思うことは無い。

 

「兄としては、やはり複雑ですか?」

 

 実際は違っていても、学校では優等生の妹と劣等生の兄。向けられる視線は普通の劣等生とはまた違うもののはずだ。

 

「いや、誇りに思っているよ。俺には勿体無いくらい出来た妹だ」

 

 今日、初めて現れた感情。達也が深雪に向ける視線からは本当に大切に思っている事が窺える。

 

「兄バカだと思うか?」

 

 自嘲したような物言いだ。自身でも周囲と比べて度が過ぎていると自覚しているのだろう。

 

「いえ。兄妹とはこういうものだと思いますよ。大切に思う事は、何も不自然な事ではありません」

 

 秋水は言葉の通り、達也の感情が普通だと考えていた。父でも母でも無い。兄や弟、姉や妹だからこそのものがあるのだ。

 

 秋水の発言が意外だったのか、達也の表情に心なしか吃驚しているように見えた。

 

「秋水にも兄弟がいるのか?」

 

「ええ。姉が一人()()()()

 

 戸籍に存在している以上、偽ったとしても意味が無い事。それにここで嘘をつくと言う事は、彼女の存在を侮辱する事と同じ。彼女はその時まで確かにこの世にいたのだと言う事を秋水は伝えたかった。

 

「……そうか」

 

 その言葉の意味を明確に理解した達也は、特に何かを言及する事は無く静かに告げた。

 

 

 

 ♢ ♢ ♢

 

 

 

 三日目。

 

 二日目の放課後に一科生と二科生、それもまた深雪を囲うグループと達也たちがいざこざを引き起こした事を聞いた。帰宅時だったこともあってCADを保持していたのが災いして対人攻撃の一歩手前までいったようだった。ただ、真由美と摩利がそれを阻止し、達也が弁明をしたことで事なきを得た様でもあった。それを聞いたのが昼時であり、朝教室に入った際にほのかと雫を除いて余所余所しかったことに合点が行くと同時に、何をやっているんだと頭を抱えたくなったのは言うまでも無い。

 

 その昼食時には司波兄妹が生徒会室を訪れ、深雪は生徒会の書記に、達也は生徒会の推薦枠として風紀委員に任命された。達也としては二科生である自分には相応しくないと必死に弁明していたが、周りが達也の側に付くことなく孤立無援状態となり、結果的にしぶしぶ承諾するはめになった。深雪が自分のこと以上に喜んでいたのは、まだ記憶に新しい。

 

 午前午後ともにあった授業だが、教科書を読めばわかるような座学に、対した性能も無い設置型のCADによる魔法演習はひどく退屈なものでしかなかった。入学して初日の授業としてはこんなものだろうと納得はしていたが、もう少し質の高いものだと期待していたばかりに失望の念は禁じえなかった。実技に関しては他の生徒も不満気だったことから、何も秋水だけに限ったことではなかったのだろう。

 

 後は放課後に生徒会室にて仕事をすれば一日が終わる。そう思っていた秋水を待っていたのはまたもや問題ごとだった。内容は服部が達也の風紀委員就任を反対するものであり、今では摩利や深雪が入り混じっての舌戦となり、一向に収束の気配を見せない。

 

 秋水は椅子に座り、情報端末をいじりながら耳だけをそちらに傾けていた。そんな中で気になったのは深雪が発した「実戦ならば誰にも負けない」と言う言葉。売り言葉に買い言葉からそういった訳ではなく、兄だからと贔屓(ひいき)目で見ていると言う事でもなく、確固たる自信がそこには存在していた。それはつまり、達也が秋水も予め想定していた、評価対象外が優れている生徒であることを示していた。

 

 だが、それでも服部は納得をしては無い。深雪の先の発言を身内贔屓としてとらえており、深雪を諭し始めていた。それに対して深雪は冷静さを失いかけており、何か重要な事を言いかけた所で達也に遮られてしまう。

 

「服部副会長、俺と模擬戦をしませんか?」

 

 その言葉にはずっと画面を見ていた秋水もそちらに目を走らせることになる。妹を守る兄の構図、妹のために重い腰を上げたと言った所だろうかと分析を始めた。

 

「思い上がるなよ、補欠の分際で!」

 

 我慢の限界が来たのか、服部は声を荒げた。服部は学内でも五本の指に入る実力者であり、そんな彼からすれば二科生が模擬戦をしようと言うのは身の程を弁えない様に見えても何らおかしくは無い。勝負を提案すると言う事は少なからず勝算があるという事であり、そんな態度は酷く服部のプライドを傷つけ、神経を逆なでした。

 

「魔法師は冷静であるべき、でしょう? 俺としては風紀委員になりたいわけではありませんが、妹の目が曇っていないことを証明するためならばやむを得ません。それに、あるがままの対人戦闘スキルは、闘ってみなければ分からないと思いますが」

 

 自分が言ったことを揶揄され、更には挑発的な発言。怒りに震える手は自らの爪で皮膚を裂いてしまうのではないかとさえ思えてしまう。

 

(あれでは、まともに実力も出せないだろうな)

 

 服部の方に目を向けた秋水は今の状態を見てそう判断した。怒りの方もそうではあるが、二科生だからと油断しているのでは足下を救われるのがオチだ。ただ、今の服部の状態は秋水にとっては好都合とも言えた。

 

「服部副会長。その模擬戦、俺にやらせて頂けませんか?」

 

 おもむろに立ち上がりそう発言した秋水に、全員の視線が向けられた。

 

「何故だ?」

 

「今の服部副会長は少々冷静さに掛けています。そのような状態での模擬戦では加減が効かずに事故の原因になりかねません。少しでも危険を避けられるならば避けるべきだと考えます。ですが今後のためにも、誰かが彼の実力を確かめる必要性がある事も事実」

 

「それをお前がやると言うのか?」

 

「はい」

 

 一科生と二科生が戦闘を行うと言う事はまずない。魔法における戦闘では一科生が有利だと言う事はほぼ抗う事の出来ない事実だからだ。だが、戦闘は相手の力量を推し量るにはこれ以上ないもの。せっかくの機会を逃すまいと、秋水は願い出た。

 

 軽い気持ちでは無い事を伝えるために、じっと真由美の目を見つめる。

 

 真由美が小さく頷いた。

 

「私は生徒会長の権限により、一年A組・裏葉秋水と一年E組・司波達也の模擬戦を正式な試合として認めます。良いですね、服部副会長」

 

「……わかりました」

 

 何か言いたそうではあったが、真由美が生徒会長として発言した時点で服部にはどうする事も出来ず、どこに溜まった怒りをぶつけて良いのか解らぬままに静かに首を縦に振った。

 

「試合はこれより三十分後、第三演習室にて非公式で行います。双方にCADの使用を許可します」

 

 

 

 ♢ ♢ ♢

 

 

 

「どうして達也くんとの模擬戦をやろうと思ったの?」

 

「どうして、と言われましても、理由は先ほど述べた通りですよ」

 

 CADを常時持つことが許可されているのは生徒会役員と、一部の委員会のメンバーのみ。達也と深雪がCADを取りに行っている間に、秋水たちはそのまま演習場へと向かっていた。

 

「本当にそれだけ?」

 

「……確かめてみたくなったんですよ、彼が本当にただの二科生なのかを」

 

 嘘は言っていない。ただ本音の上に服を着せて着飾っただけだ。

 

「真由美会長と渡辺先輩は見たとおっしゃっていましたが、彼は展開中の起動式を読み取ることが出来るそうですね」

 

 答えたのは摩利の方だった。

「ああ。彼には分析が得意、というだけではぐらかされてしまったがな」

 

 魔法式は事象に付随する情報を改変するためのサイオン情報体。起動式はその魔法式を構築する膨大なデータの塊である。簡単な魔法であってもその情報量はアルファベットにした場合に約三万字に相当し、それを一秒に満たないごく僅かな時間で読み取り理解するなどと言う芸当は、一般の魔法師では絶対に出来はしない。

 

「それですよ。俺の写輪眼()ならともかくとして、普通の目で起動式を読み取る事なんてまずできない」

 

 実際に十師族である真由美、風紀院長の摩利を始めとしたメンバーは出来ない。

 

「それを確かめたいと?」

 

「そうです。それに加えて、服部副会長に自ら模擬戦を申し込んだ彼が、ただの二科生のはずが無い。良くも悪くも、彼は現代の魔法社会における異端者だと思いますよ」

 

 異端者は秋水も同じなのだろう。現代魔法の打ち合いとは違い、単なる戦闘ならばこの場にいる全員を難無く倒せる自身が秋水にはあった。三巨頭だろうが、十師族だろうが、天才だろうが関係ない。裏葉の名の前には、あらゆる才能を持つ者が凡人へと成り下がる。どれだけ強力な魔法を持っていたとしても、どれだけ優れた技術を持っていても、紅い魔眼が一目見れば大抵の事は体現出来てしまう。

 

「そんなに真面目な理由だったのね……。私はてっきり、深雪さんへの点数稼ぎのために、達也くんの肩を持ってあげるものだと思っていたのに」

 

 真由美が本当に残念そうに呟いた。

 

 どうやら、間違った状態で情報が伝わってしまったようだ。やはり即席でのアイコンタクトでの意思疎通は難しい物がある。

 

「なぜそこで司波さんが出てくるんですか?」

 

「だって、深雪さんってすごく可愛いでしょ? 同性の私でもそう思うのだから、異性の、それも同じクラスの男の子なら誰だってお近づきになりたいと思うのだけれど」

 

「確かに司波さんは綺麗だと思います。ですが深い間柄になりたいかどうかは、また別ものです」

 

 深雪の容姿を見たら、十人中十人が称賛を贈るだろう。秋水にしても、これまで見てきた女性の中最も綺麗だと思える女性を選べと言われれば、悩むことなく深雪を選んでしまうほど。容姿が整っていればその分だけ異性の目を惹きやすくなるが、その相互関係は完全にイコールとは言い難い。秋水からすれば監視対象と言う事もあるのだろうが、単純に男女ともにあまり親しい関係を作りたくは無いと考えている事も、そう考えさせる一因となっていた。

 

「そういうものなの?」

 

「そういうものですよ。……そうだ、一つ言い忘れていた事がありました」

 

 演習場も近くなってきたことで、秋水は話題の転換を試みた。適当な内容では無く、ここで言っておかなければ追々文句を言われかねないことだ。

 

「CADが故障しても困りますので、防水対策をしておくことを奨めておきます」

 

 秋水以外は何のことだと疑問を抱いていたが、その事が何を意味していたのかはすぐに理解する事になる。

 

 

 

 秋水たちが演習場に付いてからほどなくして、達也と深雪がCADを携えてやってきた。アタッシュケース内には拳銃型のCADが二丁収納されており、一丁を取り出すと弾倉を別の物に取り換える。弾倉とは言っても、中に入っているのは使用する魔法のために必要な情報だ。そこから、達也が使うCADは汎用型ではなく、特化型だと言うことが判断できた。達也本人は汎用型では処理能力が足りないとは言っていたが、俄かには信じがたかった。

 

 模擬戦のルールを摩利が説明し始めた。

 

 直接、間接攻撃を問わず、相手を死に至らしめる術式・回復が不可能な傷害を与える術式・相手の肉体を直接損壊させる術式・武器の使用の禁止。打撃に至っては捻挫以下ならば直接攻撃や素手、足(ただしソフトシューズ使用)が可能。

 

 勝敗はどちらかが降参するか、審判である摩利が続行不可、これ以上は無意味だと判断した際に決まる。

 

 開始の合図があるまではCADを起動しない。当然写輪眼の事前発動も禁止。

 

 まとめればこの様なもので、既に秋水と達也は五メートル離れた開始線で向かい合っている。手を伸ばそうが足を伸ばそうが、決して届かない、短くも長く感じられる距離だ。

 

 禁止事項が多い以上秋水は実力がかなり制限されてしまうが、それは相手も同じ条件のために文句は言えない。

 

 この模擬戦、もとい魔法士同士の基本的な勝ち方としては先にCADを起動し、魔法を発動して相手に当てる事であり、まさしく先手必勝という言葉が相応しい。このために特化された技術が森崎家のクイックドロウであり、実際にかなりの実績を残してきた。例え威力が弱く一発でノックアウトできずとも、攻撃を食らった状態で魔法を構築できる並外れた精神力を持っている人間などそうはいないからだ。

 

 だが、その勝ち方は攻撃が相手に必ず当たることを大前提としている。仮に避ける相手がいれば、如何に正確に魔法を発動し、一撃で鎮圧する事が重要になってくる。そしてその要素は、魔法科高校の試験においては査定項目に含まれてはいない。

 

 開始の合図を待つ間、達也は銃型のCADの銃口を地面に向けながら静かにその時を待っていたが、秋水は腕輪型のCADに手を添える事はしなかった。対照的ではあるが、互いに互いの目から離す事だけは決して逸らすことは無かった。

 

 ただの模擬戦だと言うにも関わらず、実際の戦場に蔓延する独特の緊張感が支配し始め、見ているだけの真由美たちにもそれが伝搬していた。

 

(隙が無い。それに緩みすぎもせず硬くなりすぎる事も無い適度な緊張、場慣れしているのは間違いないな)

 

 摩利が視界の端で手を上げ、今にも試合が始まろうと言う時に、秋水は達也に対して冷静に分析をしていた。当然、逆もまた然りだ。

 

 普通ならば模擬戦であっても緊張しそうなものだが、その様子は見られないことから、過去や現在において幾度となく戦闘を繰り返してきた事が把握できた。

 

「始め!」

 

 合図と同時に、秋水は写輪眼を発動させる。

 

 先に動いたのは達也だった。

 

 開始線には既に達也の姿は無い。普通の魔法師の目には達也が消えたと見えるだろうが、秋水の眼には高速で接近してくる達也の姿がはっきりと写っていた。ただ見えているだけでなく、僅かな筋肉の動きからその少し先まで完全に予測されている。プロ野球選手がよく「ボールが止まって見えた」という表現を使うが、今の秋水が見ているのは、まさしくその状態だ。

 

 いくら速かろうが、変則的ではなく直線的な動きならば問題は無い。秋水は眼に映る予測図から身体をギリギリのところでズラし、印を結んでいく。結び始めてから終えるまでの時間は、達也が一旦止まり、CADを持たない左手の裏拳による二撃目の動作が行われる時間よりも早かった。

 

 透明な水の壁が秋水の盾と成り、達也の攻撃を妨げる。

 

 球体上の大小さまざまな飛沫が舞い、揺れる水面越しに達也の目が僅かに見開かれたのを確認した。

 

 水遁・水陣壁

 

 練り上げたエネルギーを水に変換し、水の壁を作り上げ術者を防御する術。錬度が上がれば上がるほど水の強度は上がり、どんな攻撃でも防ぐ至高の盾と成り得る高度な術だ。

 

 達也が使った技も紛れも無い忍術。「瞬身の術」と呼ばれる、肉体を活性化させることで高速移動を実現する術であり、比較的容易な忍術だが使用者の実力が高い程その速度は速くなる。秋水の見立てでは達也は最速では無いものの、上から数えた方が遥かに早い。

 

「良い速さだ。だが――」

 

 達也の耳に届くその声は、水面の向こう側にいる秋水からではなく、別の場所から届いていた。

 

「直線的すぎるな」

 

 達也の目がもう一人の秋水を捉えた時には既にCADを付けた左腕が前に突き出され、起動式が展開されていた。そこから読み取り、発動される魔法が基礎単一系統の移動魔法だと認識する。

 

 発動されるまでその場に居続ければ、不可視の力が達也を襲い、十メートルは飛ばされるだろう。それを回避するためにも達也は腕を自ら離してその場から移動をする。対象の座標が消失すれば、エラーが生じて魔法は発動されない。

役割を果たした水壁は力なく地面へと落ち、消える事無く周囲を浸していく。

 

 完全に水が地面と平行になる前に、今度は達也が魔法を発動させた。

 

 波長も速度も異なる三つの波が秋水と言う点で合成され、拡大されるようにして放たれた。身体を至る所から激しく揺さぶるような感覚が襲い、平衡感覚に狂いが生じる。そんな状態でまともに立ってはいられなかった。

 

「水の分身体……。古式魔法なだけあって、現代魔法には無理な魔法だな」

 

 達也の目は魔法を放った秋水には見向きもせず、水面に立っている本物の秋水を見ていた。見た目では全く瓜二つの分身体でありながら、初めからどちらが本物で偽物なのかがわかっていた様子だ。攻撃を受けた分身体は、既に水に戻り形を失っていた。

 

 息も乱れず、服装に乱れも無い。双方に変わった様子は無かった。立ち位置が変わっただけで、まだ戦闘が始まっていないのではないかとさえ思えてしまう。

 

「なるほど。やはり良い眼を持っている」

 

 「水分身」は質量のある水を使って作り上げる分身体であるために、体術など術者の能力をある程度再現する事が出来る。ただ、その性能は本体の十分の一程度であり、それ相応の動きしかできない。起動式を読み取れるほどの洞察眼を持っているならば、看破は不可能ではないだろう。

 

 これだけの眼と動きが出来て二科生とは、逆に二科生に失礼だ。今の動きだけで、普通の一科生ならば制圧は可能なレベルだ。

 

「秋水、遠慮はいらないぞ」

 

 言葉の裏に、下手な小細工などするな、と意図が隠れているように思えた。先ほど驚いたように見えたのは、水の壁よりも、短時間で複数の忍術を使用した事だったのだろう。実によく見ている。

 

「そうか。なら、今度は俺から仕掛けるとしよう」

 

 周囲が呆気にとられている間に、水が演習室の床すべてに行き渡る事とほぼ同時に、第二幕がその幕を上げた。

 


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