グレイが新しいコートを手に入れるため、仕立て屋のおっちゃんに叱られまくった日から──三日の時間が過ぎていた。
「すまなかったッ!!」
頭には包帯、顔には傷とボロボロの男が頭を下げて謝罪。そんな異様な光景が見られるのは"海軍本部"第三訓練場。幸い広さに定評のある訓練場なので、周りから変な目で見られてはいない。
謝罪されている当人のグレイはと言えば、なんとも言葉にしにくい微妙な気持ちにされていた。
「ロ、ロシナンテさん。別にもう気にしてませんから。むしろ俺の方こそすみませんでした……胸ぐら掴んで怒鳴ったり」
「いーや! 悪いのは俺だ! 本当にすまなかった!」
「だ、だから、もういいですって。まだ怪我治ってないんですから、無理しない方が──」
「本当にすまなかったッ!!」
「……はぁ」
訓練場に来たグレイを迎えてからというもの、ロシナンテはずっとこの調子だった。グレイも和解出来たこと自体は素直に嬉しい。センゴクに助けられた者同士という共通点から、実質ロシナンテのことも家族のように思えた。しかし呼び出してからずっとこれだ、いい加減にしつこい。
グレイは話題を変えようと一瞬の隙を突き、第三訓練場へ来た本来の目的である二人の男女を指差した。
「それで……あの状況はなんなんですかね。ロシナンテさん」
「グレイ……俺を、許してくれるのか?」
「はい、許します。だからもう謝らないで話を進めてください。怪我人じゃなかったら手が出てたかもです」
握り拳を見せながら笑顔でそう告げるグレイに、ロシナンテは反省した。確かに、しつこかったただろうと。
「わ、分かった……」
「これからよろしくお願いします。ロシナンテさ……いや、ロシーさん」
「お、おう! よろしくな、グレイ!」
朗らかな空気で交わされる握手。似たような境遇だけでなく、元々相性が悪くない二人であった。
「……さて、それじゃあ説明してもらえますかね。アレのこと」
握手を終え、またも渋い表情になるグレイ。視線の先に居るのは先程と変わらない、訓練場中央で対峙する二人の男女だ。
「そ、そうだな。センゴクさんからは事情を聞いてるか?」
「ええ、大雑把には。ロシーさん……それとロー、二人を俺の部隊に入れることが決定されたんですよね?」
グレイの返答に頷くロシナンテ。それがこの三日で正式に決定された、ロシナンテとローのこれからであった。
「ああ……ローは関係ないと話したんだが、当の本人が"海軍"への入隊を希望してな。俺じゃ止められなかったんだ」
「それは分かったんですけど……それでどうしてああなったんですか?」
訓練場中央で睨み合う男女。一人は今の話にも出ていたロー、ロシナンテよりも怪我は酷くなく元気な様子だ。そんなローが睨みつけている女性はアイン。既にグレイの右腕として活躍している優秀な補佐役だ。
そんな二人が何故か勝負することになった。
グレイはロシナンテからそう報告を受け、こうして訓練場にまで足を運んだという訳だ。
「それが話してくれなくてな。ローの奴、アインちゃんに勝負しろの一点張りでよ」
「……直接聞いた方が早いか」
バチバチと視線をぶつけ合い、今にも一戦始めそうな雰囲気だ。グレイは足早に駆け寄ると、状況の説明を求めた。
「アイン。どうした?」
「……グレイ。今からこの子と決闘するらしいわ」
「決闘? ……なんでそうなったんだ?」
「さあ? この子に聞いて」
どこか不機嫌そうに告げるアイン。手には竹刀を持っており、これを武器として決闘に使用するつもりのようだ。
グレイは言われた通りに、同じく竹刀を持つローへ声をかけた。見舞いには何度か行ったが、そこまで会話が出来た試しもない。少し緊張しながら様子を伺った。
「えーっと、ロー? どうしたんだ? なんでこんなことに?」
「……」
──無視である。
視線をアインから移すこともなく、グレイの言葉に無反応。ここまで綺麗に無視された経験などないグレイは、初めて年下に凹まされかけた。
「ロ……ロー? 仮にも俺は上官になるんだから、無視はやめてくれるか?」
だがこれしきのことで折れる"海軍本部"少将ではない。立場を用いるという格好のつかないやり方を躊躇うことなく決行した。
「……気に入らねぇ」
取り敢えず返答してくれたことに安堵し、グレイは質問を続ける。
「気に入らないって何がだ? 俺が上官ってとこか? それとも、海兵になるってとこ?」
前者であればセンゴクへ口添えしてどうにかなるだろうが、後者だと力になれない可能性が高い。そんなグレイの不安を打ち消すように、ローはどちらでもないと言い切った。
「──なんで俺がこの女の部下なんだ」
「……へ?」
思ってもいなかった台詞に、間抜けな声を溢すグレイ。しかし聞き間違いではないようで、ローの指差す先に居るのは腕を組んだアイン。原因はローの言葉通りらしい。
「そりゃあ……アインの階級は中佐だし、ローよりはずっと先輩だしなぁ」
「俺はドフラミンゴの所で鍛えられてきたんだ。こんな女の下につくなんて御免だ」
強気な物言いで、ハッキリと断言するロー。確かに年齢に相応しくない強さは持っているようだが、流石に噛み付く相手が悪い。なんとか穏便な方向に持っていきたいグレイだったが、それよりも先にアインが口を開いた。
「グレイ、そういうことよ。自分より弱い人の下にはつけない、この子はそう言って私に決闘を申し込んできたの」
「それで……アインは受けたのか?」
「ええ。──何か問題でも?」
「あっ、いえ、特には」
このやり取りを見て、ロシナンテは二人の力関係を理解した。階級的には真逆の立場である筈なのだが、グレイがアインに逆らう光景がイメージすら出来なかった。
「安心して、手加減はするから」
「……なめやがって」
もう止まらない、というか止められない。グレイは早々に穏便を諦めた。
「ロシーさん、下がろう」
「お、おう。アインちゃん、手加減頼むよ」
「コラさん! 俺が負けると思ってんのか!」
グレイと共に距離を取るロシナンテ。聞こえてきた言葉が不満だったのかローが叫ぶが、アインが竹刀を構えたのを見て意識を切り替えた。
「……相手に竹刀を当てたら勝ち、それで良いな?」
「貴方はそれで良いわ。どうせ──当てられないから」
「このッ!!」
煽り耐性は低いらしく、ローが竹刀を振り上げながらアインへ接近。身長差を埋めるためにジャンプしながらの一撃を繰り出した。
「なっ!?」
「その程度?」
しかしそんな素直な一太刀が通じる訳もなく、アインは簡単にガード。竹刀で受けてから、滑らかな動きでローの体勢を崩した。
「まず一本」
「があぁぁぁァァっ!!」
ゴンッという、竹刀では鳴らないような音が響く。帽子の上からでも分かる程大きなたんこぶが出来ており、見るだけで痛い。
「「……うわぁ」」
共に声を溢すグレイとロシナンテ。今の攻防だけでも、ローには一つの勝ち目もないことが分かったからだ。
手痛い一撃を喰らったローはといえば、痛みにもがきながらも立ち上がる。耐久力はあるようだ。
「次よ。早くかかってきなさい」
「くそっ!!」
一本、一本、また一本。時間が経つにつれて、ローの頭にこぶが増えていく。さながら、何段アイスのようにポンポンポンと。
「手加減……してるんだよな? あれ」
「してる……とは思うんですけどね。そもそも、アインの得物は短剣ですから。──にしても、なんか機嫌悪いんだよな」
「……俺も鍛え直さねぇとな」
「付き合いますよ、ロシーさん」
「すまねぇ、助かるよ」
あの日に死んでいて当然だった事実が、ロシナンテに己の弱さを自覚させた。もうスパイをすることが出来ないのならば、せめて戦闘力を上げなければ話にならない。
泣いてくれたセンゴクのため、そして新しく支える対象となったグレイのため、ロシナンテは自らを鍛え直そうと強く決心した。
「あっ、また決まった」
「あれは……痛いな」
決闘の勝者、アイン。
結局ローは十二段のたんこぶタワーを建造し、意識を手放したのだった。
「──ッ! あの女!」
「おっ、起きたか。ロー」
顔に乗せられてたタオルを落としながら飛び起きるロー。二十分程気絶していたとは思えない元気である。
「気分はどうだ? 水飲めよ」
「……あ、ありがとう」
ボッコボコにされたのを見られたのが恥ずかしいのか、ローは帽子で目元を隠しながら水の入ったペットボトルを受け取った。
「……全く歯が立たなかった」
「んー、まあ、そうだな」
ドフラミンゴの所で鍛えた経験を持ってしても、言い訳の一つも出来ない完璧な敗北。ローは積み上げてきた自信を失いそうになっていた。
「でも、お前だって万全な状態じゃない。病気はまだ治ってないんだから」
「……知ってたのか」
「当然だ、上官になるって言ったろ。……安心しろよ。ここにいる限り、お前に嫌な思いはさせない」
ローが《フレバンス》出身で"珀鉛病"を患っていると知っているのは、ロシナンテを除いて三人のみ。センゴク、アイン、そしてグレイだ。
「"オペオペの実"があれば、お前は自分で病気を治せる。ロシーさんはそう言ってたんだってな」
「……ああ。でも、能力なんて、使い方も分からねぇ」
「そんなもん当たり前だ。初めから使いこなせるなら、苦労はないって」
「お前も……苦労したのか?」
「したな。俺の場合は能力を発動させるより、制御する方が大変だったよ。暴走したり……爆発したり」
遠い目になりながら昔のことを思い出すグレイ。何度か訓練場を破壊してしまったこともあり、あまり覚えていたくはない記憶だ。
「……俺に、出来るのかな」
「出来る」
一瞬だけ出してしまった弱音にも、グレイは即答した。あまりにも早い返しだったからか、ローは一瞬固まってしまった。
「な、なんで……俺なんて、さっきの女にも勝てないんだぞ」
「ローがドフラミンゴの所でどんな修行をしてきたかは知らないけど、死に物狂いで鍛えてるのはアインも一緒ってことさ」
「……やっぱり、海賊に教えられた技術なんかじゃ」
「──それは違うな」
またも即答。そして強い口調で否定したグレイ。高い実力差の前に卑屈になる気持ちも分からなくはないが、ローの言おうとしていることが間違いだとグレイは断言出来た。
「誰に学ぶかなんて関係ないんだよ。誰に学ぼうと、身に付けたなら自分のものだ。俺の剣の師匠だって海賊だしな。……それも"王下七武海"」
「……は?」
信じられないような声を発したロー。予想外過ぎる発言に、思考が停止しかけた。
「大切なのは誰に学ぶかじゃなくて、学んだことを活かせるかどうか……俺はそう思ってる」
「……活かせるか、どうか」
「見てたけど、ローは筋が良いよ。ちゃんと強くなれる」
「……お前みたいにか?」
「俺? 俺は強くなんてないよ」
笑いながら首を振るグレイ。しかし、ローは食い下がった。
「強いだろ! ……コラさんと俺を、助けてくれた」
「必死だっただけだ。それにあの時ローが俺を止めなかったら、俺はドフラミンゴ達を追っていたと思う。ロシーさんを助けたのは……お前だ」
心からそう思っている顔で話すグレイ。そんな言葉を聞き、ローは自分の未熟さを突きつけられたようにすら感じた。
「……あの時、海兵を信じたくなかった。裏切られたばかりだったから」
ドンキホーテファミリーの幹部・ヴェルゴ。
初代コラソンとしてドフラミンゴを支えていた最古参のメンバーだが、スパイとして"海軍"へ潜入していた。その際に運悪くローとロシナンテに遭遇し、怒りのままにロシナンテを瀕死へ追い込んだ男だ。
「悪かったな……。スパイに入り込まれるようじゃ、"海軍"もまだまだ甘い。ヴェルゴは既に姿を消したよ、恐らくドフラミンゴの所に戻っている筈だ」
「……そっか」
安心したように息を吐くロー。自身のせいでロシナンテを殺されかけたことがトラウマになっているようだ。
「今から強くなれば良い。ここにはお前より強い人間が山程いるんだからな。見て、戦って、痛い思いして強くなれ。俺も手伝うしな」
何かを思考するかのように硬直するロー。話し出したかと思えば、内容はアインについてだった。
「さっきの女に……こう言ったんだ。お前は銀髪の男の役に立ててんのかって」
「ああ……なるほどね」
何故か不機嫌だった謎が解けた。手加減の中にも怒りの感情を感じたのは、そのためだったのだろう。
「けど、役に立たないのは俺の方だ」
「現状では、な。期待してるぜ、ロー」
ポンっと帽子に手を置くグレイ。ローは照れくさそうに手を払うと、水を飲み干して立ち上がった。
「……俺、さっきの女に謝ってくる」
「ん、頑張れよ。それから、ちゃんとアインって呼んでやれ」
「……行ってくる」
下を向いたまま歩き出したロー。素直じゃない新入りを微笑ましく思いながら、弟が居たらこのような感じなのだろうかと思わされたグレイ。
(──……弟、か)
瞳へ落ちた影に気付く者は、一人も居なかった。
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