"海軍本部"第三訓練場。
多くの海兵達が使い慣れた広い訓練場に響く、強い衝撃。銀髪を揺らしながら、三人を同時に相手しているグレイによるものだった。
「ロシーさん、油断するな」
「す、すまん!」
気を抜いたロシナンテを叱責。
「ロー、すぐに怯むな。一撃受けても反撃する意思を見せろ」
「分かってるっ!!」
後手に回ってしまうローを叱責。
「ベポ、蹴りの速度が遅い」
「リーダーッ!! ずびまぜんッ!!!」
全く攻撃を当てられないベポを叱責。
朝から行っているロシナンテ、ロー、ベポを相手にした同時訓練。グレイ一人に対して三人と数的有利な状況だが、疲弊しているのはグレイを除く三人のみ。木刀一本でボコボコにされていた。
「よし、ここまで。今日は終わりだ」
訓練開始から三時間。朝の七時から始めた筈が既に十時、体力的に見ても終わらせるには良いタイミングであった。
「ま、待て……! 俺はまだやれるぞ!」
「フラフラの足で無理すんな。──はい、トドメ」
「ぐあっ」
グレイは案の定食い下がってきたローにデコピンをかまし、地面に腰を落とさせる。そのまま頭にタオルを被せながら、それを笑って見ていたロシナンテとベポにもタオルを投げ渡す。
ロシナンテは元々実力があったこともあり、鍛え直している現在ではアインには及ばずとも近い戦闘力を身に付けていた。
ローとベポは覇気の基礎が身に付いてきたこともあり、未熟ながらも"武装色"と"見聞色"の両方を扱えるようになっていた。特にローの成長にはグレイも驚かされており、剣の腕もアインにたんこぶタワーを造られない程度には上がっていた。
「しっかり水分補給しておくように。じゃ、俺はこれで」
近くの木に引っ掛けておいたコートを羽織り、疲れを感じさせない足取りで去って行くグレイ。当人が言うにはアインに呼び出されているらしい。
「ロー、大丈夫か? 今日もやられたな」
「……ふん。どうってことねぇ」
「キャプテン立てる?」
「……当たり前だ」
差し伸べられたベポの手を取り、なんとか立ち上がるロー。三人の中で最も攻撃を受けており、ダメージの蓄積量はトップだ。
「……コラさん、ベポ。休憩したら続きだ」
「おうよ。付き合うぜ」
「アイ!」
青空の下、汗を流す。
助けられた恩人ではあるが、こう何度も何度もやられるのは不本意。手も足も出ない状態を抜け出すため、ローは信頼の置ける二人と共に訓練を続けるのだった。
本格的に部下を持ち、上司となってから一年。
グレイは十七歳となり、少将という階級に相応しい功績も何度か挙げていた。
身体的成長と合わせて体力も更に向上、少しばかり無理をする程度では疲れない鋼の身体となっていた。身長も180cmを超えるまでに伸び、リーチの拡張で戦闘にも良い影響が出ている。
順調の一言に尽きる毎日だったが、それを良く思わない者が居た。グレイの活躍が気に入らない、などといった理由ではない。むしろ逆、活躍し過ぎていることを心配している者であった。
そして遂に今日、行動を起こす。
活躍し過ぎ、言い換えて──働き過ぎの上司を叱責するために。
「──
呼び出したアインに連れられ、元帥室へ来たグレイ。少し冷や汗を流しているように見えるセンゴクから、重々しい雰囲気でそんな単語を告げられた。
グレイの隣に立つアインからは全てを威圧するプレッシャーが放たれており、言葉を発していないにも関わらず、センゴクとグレイを圧倒していた。
どうやら只事ではない。グレイは戦闘に臨むような意識に切り替え、恐る恐る口を開いた。
「……ウ、ウチの部隊は計画的に有給が取れてると思うんです。もちろん全てではありませんが希望の日に取れるように工夫していますし、もしダメでも部下達には納得してもらって別の日に取ってもらってます」
センゴクから出た有給という言葉について考え、浮上した問題点に対して説明を試みたグレイ。組織のトップから直々に有給消化に関して言われるなど、これ以外に思いつきはしなかった。
しかし、そんなグレイの説明は的外れのものだったようで、センゴクはアインに視線を向けながらゆっくりと首を横に振った
「い、いや……そうじゃない。有給消化について話しておきたいのはな……」
「──貴方のことよ、グレイ」
言い淀むセンゴクをぶった斬り、アインが静かに言い放つ。室内の温度が少し下がったようにすら感じ、グレイは背筋に冷たいものを感じた。
「……お、俺?」
「これを見て」
「こ、これは……有給計画表?」
アインによって顔の前に突きつけられたのは、部隊全員の有給が記された有給計画表であった。誰が何日に有給なのかまとめられており、取る日付に○が書かれている。しかし、そんな計画表の中に○どころか鉛筆が触れた形跡すらない空白の一行が存在した。グレイの行である。
「……えーっと、アインさ」
「グレイ」
「あっ、はい」
機嫌を伺うように口を開こうとしたグレイを遮り、絶対零度の瞳でアインが言葉を放つ。
「貴方、最後に有給を取ったのはいつか覚えている?」
「……確か、先月ぐらいに」
「──
「「…………」」
冷や汗を流すグレイとセンゴク。この二人は"海軍"でも休みを取らないことで有名であり、グレイだけでなくセンゴクの耳も痛くなっていた。
「何度有給を取りなさいと言っても適当に誤魔化す。その上、部下の私達には無理矢理にでも有給を取らせる。……もう我慢の限界よ、貴方には休んでもらいます」
「いや、でも……休んでるけどなぁ」
「なに?」
「なんでもないです」
弱い。普段頼りになる男はそこに居らず、ただノーガードで殴られるサンドバッグが立っていた。
「元帥、見ての通りです。彼には自覚が足りません。元帥からもしっかりと言って頂きたいと思います」
組織のトップ相手にも物怖じせず、ハッキリと言い切るアイン。堪忍袋の緒はとっくにズタズタに切れているらしく、有無を言わせない迫力を秘めている。
「お、おお……そうだな。アインくんの言う通りだぞ、グレイ」
「……センゴクさん」
「良い機会だ、お前も長期連休を取れ。こ、これは命令だ」
アインの本気具合を感じ取ったセンゴク。無闇に言い返せば痛い目に遭うと察し、素直にアインの要求を援護した。
「ちなみにこの件は貴方の部下達からの要求でもあるわ。これは署名よ」
「……えっ? 署名?」
有給計画表を下げ、新たに三枚の紙をグレイに手渡したアイン。三枚の紙全てにビッシリと名前が書かれており、余白がほとんど存在していない。何故か部下ではないゼファーの名前まであるのは不思議だが。
「で、でも……仕事あるし」
「それに関しては問題ないわ」
「……どうして?」
「ゼファー先生にお願いして、協力してもらえることになったの。ゼファー先生と私の二人で、貴方が居ない分は十分にカバー出来るから」
「そ、そうなんだ……」
仕事を理由に反論してくると読んでいたらしく、グレイの言い分をすぐに叩き潰すアイン。ゼファーの名前まで出されてしまえば、最早グレイに言い返すことは出来なかった。
「そっか……」
パラパラと署名を確認しながら、細い声を溢すグレイ。そんな彼を見て、アインはダメ押しの一手をセンゴクへ要求した。
「元帥、こちらが有給申請書になります。一週間分の有給が記してありますので、承認をお願いします」
「えっ? なにそれ? 俺知らない」
「貴方に黙って書いたもの。知らなくて当然よ」
「お、おい、流石に勝手に書くのは」
「いつも私の有給を勝手に書くのは誰?」
「……俺です」
強い。隙など一切与えずに完封、アインはグレイを黙らせることに成功した。そんなやりとりを死んだ目で見ていたセンゴク、話が終わったと悟り口を開いた。
「で、では以上で話は終わりと」
「──元帥。少しよろしいでしょうか?」
「……な、何かな?」
まさか自身に矛先が向くとは思っていなかったセンゴク。取り乱しそうになるのを元帥のプライドで押さえ込み、アインの言葉に耳を傾けた。
「失礼ですが、元帥も休みを取らな過ぎると考えます。それが影響してグレイもこうなってしまった……そうは思われませんか?」
「……ううむ」
「つる師匠からも言っておくようにと伝えられていましたので、申し上げておきます。無礼な発言をお許しください。では、私はこれで失礼します」
「ああ、はい」
凛とした立ち振る舞いで敬礼し、退出していったアイン。
残されたグレイとセンゴクは呆然としながら、深いため息と同時に肩を落とすのだった。
"海軍"養成学校のグラウンド。
そこでは青空の下、多くの若者達が自らを鍛えるために切磋琢磨している。海兵になることを目指しているため、本気度は見ている者にも伝わる程だ。
しかしそんなグラウンドに似合わないような雰囲気で、ベンチに座って聞かされた話に大笑いする者も居た。
「ガハハハハッ!!」
「……笑い過ぎですよ。ゼファーさん」
時計を片手に高らかに笑うのは、養成学校最高責任者でもあるゼファー。先程の元帥室でのやりとりを隣に座るグレイから聞かされ、腹を抱えて笑っていた。
「……センゴクさんと二人で震えてました」
「アインはつるちゃんに似てきたな。最近は迫力が増してきたようにすら感じる」
「ゼファーさんも関わってるんでしょ? 俺に有給取らせる作戦」
「まあな。アインに頼まれては断れんさ」
「親バカ度が増してません?」
海軍将校として、そしてグレイの右腕として活躍するアイン。そんな彼女を誇りとするゼファーにとって、滅多にないアインからの頼みはほぼ最優先事項である。
「仕事は俺とアインでカバーする。何が不満だ?」
「……不満という訳じゃないですけど」
「頑固な所はセンゴクに似たな。そんな所まで似なくて良いんだぞ」
「……前におつるさんにも言われました。そんなに似てます?」
「ああ、そっくりだ」
水筒を持ち上げ、水分補給。
喉を潤しながら、ゼファーは空を見上げた。
「海兵としての責務を全うすることは言うまでもなく大事だ。──だがな、俺達は機械じゃない。命ある人間だ。若い時にしか作れない思い出というものはある。これからの人生を豊かにするために大切なものだ」
「思い出……ですか」
要領を得ないように呟くグレイ。
ゼファーはそんな彼を、どこか懐かしむような目で見ていた。
「俺達も昔は旅行をしたもんだ。今のお前と同じように渋るセンゴクをガープと共に連れ出したりな。ガハハッ!」
「……そう、ですか」
どこか気まずそうに、それでいて嬉しそうに。そんな不安定な顔をしながら、グレイはゆっくりと口を開いた。
「……分かりました。休みます」
「それで良い。休める時に休んでおくのも、海兵にとって大事なことだ」
教育者としてだけでなく、幼い頃からグレイを見守っていた者としてゼファーは真剣な声音で告げる。
「あの子達のことも心配は要らん。俺とアインでしっかり育てるさ。お前が心配せずともいい程にな」
「……一年で変わるもんですね」
グレイが感慨深く見ているのは二人の姉妹。一年前にこの海軍養成学校へ入学したモネとシュガーであった。
拳を交える組手をしており、以前とは比べ物にならない程の俊敏な動きを披露している。長い手足を生かした攻撃を繰り出すモネに、小柄な身体を生かした回避を見せるシュガー。グレイはゼファーの育成力に少し引いた。
「ローとベポ……だったか? 順調に育ってるようじゃないか。お前も教育者に向いてるのかもしれんな」
「いやいや、十七歳と九歳の女の子を一年であんな風にまで育て上げるのは絶対無理です」
「筋が良いのに加えて、計り知れないやる気がある。そういう若者はすぐに伸びていくものだ。──お前のようにな」
「……ですかね」
口では敵わないと、ベンチから立ち上がるグレイ。
「声はかけてやらんのか?」
「ええ。集中してるみたいですし、邪魔しちゃ悪いです」
「存分に羽を伸ばしてこい。お前は働き過ぎだ」
「アインと同じこと言わないでくださいよ。……何するかな」
伸びをしながら考え込むが、特にやりたいことも思いつかない。自由な時間が出来るというなら修行でもしたいが、それを休暇とは認めてくれないだろう。
悩みながらその場を離れようとしたグレイ。そんな彼の休暇内容を決めたのは、突如鳴り響いた電伝虫だった。
「俺だ。どうした?」
ガチャッと受話器を取ったゼファー。立場上すぐに連絡を受けられるようにと側に置いていた電伝虫だったので、すぐに手に取ることが出来た。
ゼファーは何度か話し相手の言葉に頷くと、口角を上げて笑みを浮かべた。
「グレイ。変われ」
「えっ、俺ですか?」
背を向けて歩き出そうとしていたグレイを引き止め、ゼファーが受話器を手渡した。予想外の展開に驚きながらも、差し出された受話器に耳を当てる。
「もしも──」
「グレイッ!! 休暇を貰ったんじゃってなぁッ!!!
初めての長期休暇は──嵐のような幕開けだった。
ガープ(災害)襲来!
あの激強おじいちゃん登場させるの久々な筈なのに、インパクト強過ぎてあんまりそう思わなかったです(笑)