──気に入らねぇ。
それがとある男への第一印象であった。とても好意的なものではなく、むしろ真反対のものと言える。
しかし、今となっては何が気に入らなかったのかすら覚えてはいないのだから不思議なものだ。いや、気に入らない要素が多過ぎたせいかもしれないが。
"海軍"という組織に不似合いな年齢、こちらを舐め腐った口調、自身のことなど眼中にも無いと言わんばかりの態度。要素を挙げればキリがない。
自身を含めてたった三人と少ない同期。自分から仲良くしようなどという性格をしていないとはいえ、わざわざ不仲になろうとする程捻くれてもいない。
だが一目見て分かった。自分はこの男とは相入れないのだと。
歳下であるにも関わらず、自分より横柄。
歳下であるにも関わらず、自分より博識。
歳下であるにも関わらず、自分より強者。
腕っ節での負けがなかったこと、"悪魔の実"の能力者であったこと、本部へ入隊を決めたこと。
それら全てが強固な自信を形成し、これまで歩んで来た道のりを楽なものとしてきた。
だが、現れた格上と認めざるを得ない相手。
実践訓練で完膚なきまでの敗北、"悪魔の実"の能力も練度は桁違い、極め付けには"海軍"のトップである元帥直属の部下。誇っていた全てに置いて、自分は負けていた。
──気に入らねぇ。
くだらない言い訳などしない。自分の方が劣っている。ならば鍛えるだけのことだ。同じ領域に到達するまで、鍛えて鍛えて鍛え抜けば良いのだから。
癪ではあるが周りの手も借りて成長の糧とした。無理矢理付き合わせたもう一人の同期、だらけきっている尊敬出来ない上司、ボコボコしてくる教育ヤクザ。
柄にもなく熱くなる。柄にもなくライバルなどという言葉を当て嵌める。柄にもなく──どうしても勝ちたい。
男は挑む。自身の遥か先を行く気に入らない奴へ。
──白い煙を巻き上げながら。
"海軍本部"第二訓練所。
数ある訓練場の中でも少数の室内訓練場であり、主に柔術などの鍛錬に使用される。床は畳ではあるが固く、叩き付けられでもすれば大きな痛みが襲うだろう。
現に一人の男が、息を切らせながら苦しそうな表情で仰向けに倒れている。
「……ハァ……ハァ……」
呼吸の度に口から飛び出す白い煙。季節外れの白い息でもなければ、場所的に禁止されている煙草の類でもない。身体的疲労から能力の制御に乱れが生じてしまっていることが原因だ。
大の字に倒れている男。白い髪と厳つい顔が特徴的であり、身体は筋肉質でよく鍛えられていることが素人目にも分かる。
そしてそんな男が荒い呼吸で倒れている訓練場に、女性のものと分かる凛々しい声が響き渡った。
「──勝負あり。グレイ君の勝ち。残念だったわね、スモーカー君」
「……チッ。ニヤついた顔で言うんじゃねぇ、ヒナ」
舌打ちをしつつも、ヒナから差し出された手を取るスモーカー。上体を起こし一息吐いてから、対峙していたグレイへと視線を向けた。
ヒナよりもニヤついた顔をしており、出来ることなら是非とも硬く握った拳をお見舞いしたい。
「……余裕そうだな。クソが」
「いや? 前よりは手強かったよ。このぐらい」
人差し指と親指の二本を使い、小梅一個分程の大きさを作るグレイ。要するに、この程度は成長していると言いたいのだ。相変わらずムカつくことこの上ない。
「これで全44戦。俺の40勝、0敗、4引き分け……だっけ?」
銀色の髪をかき上げながらスモーカーへ訊ねるグレイ。そんな問いに跳ね起きる勢いでスモーカーは返した。
「ちげぇッ! てめぇは39勝目だ! まだ40敗もしてねぇッ!! 引き分けは4じゃなくて5だッ!!」
「変わんないだろ」
「変わらないわね」
「……ふん」
グレイとヒナによる真顔での言葉。スモーカーは不機嫌そうに立ち上がると、タオルを取り汗を拭った。彼にとって一敗の重みは譲れないもののようだ。
「──"モクモクの実"。"覇気"が使えない相手には滅茶苦茶強いんだけどな」
食べた者を煙人間へと変えるその実は、最強種とよばれる
実体のない煙というのは一見弱そうと思えるかもしれないがそんなことはない。実体が無いことによる物理攻撃の無力化、煙による一方的な拘束、浮遊による移動範囲の拡大と、優秀なメリットが数多く存在する。
しかしこの能力最大の弱点と呼べるのが"覇気"、正確には"武装色の覇気"だ。これにより無かった筈の実体を捉えられてしまい、物理攻撃が通用するようになる。しかも能力を発動すれば必然的に体積が増え、尚且つ攻撃性が皆無の煙は格好の的となってしまうのだ。
実際、グレイが"武装色の覇気"を身に付けてからスモーカーは敗北し続けている。
「だから"覇気"教えてやるって」
「てめぇに教わる気はねぇ」
目には目を歯には歯を、"覇気"には"覇気"を。以前から対抗策である"覇気"を教える提案をしていたグレイだったが、スモーカーからの返答は全てNOである。
「じゃあ、だらけてる人にでも頼んでみるか?」
「…………」
露骨に嫌な顔をする同期。表情に出やすい男である。
「まあ、一朝一夕で身に付くものでもないけどな」
当然努力が必要ではあるが、"覇気"に関しては才能が大きく物を言う。だからこそ個人個人が得意な『色』の"覇気"を磨くことに重きを置くようになる。
比較的才能に恵まれているグレイでさえ、基礎をマスターするだけで半年の時間をかけた。スモーカーの才能にも左右されるが、簡単に習得出来ないことだけは確かだ。
「さて……ヒナはどうする? 勝負するか?」
「いいえ、今日は遠慮するわ。訓練に熱が入ってヘトヘトなの」
「ハッ、筋力ゴリラの女がそんなひ弱な訳ねぇだろ」
「そんなに無いわよ、失礼ね。ヒナ心外」
「どうかなぁ、確かにヒナは強いしな」
「グレイ君?」
咎める意志が込められた鋭い視線。プラズマである身体でもすり抜けることはなく、グサグサと突き刺さる。ちなみにヒナも"オリオリの実"という"悪魔の実"の能力者であり、自身の身体をすり抜けた者を
「ははっ、冗談冗談。昼飯奢るからさ……スモーカーが」
「おい」
「あら、そういうことなら許すわ。ヒナ満足」
「だからおいって」
「「食堂行こう」」
「無視してんじゃねぇぞッ!!!」
響く怒号を無視し、グレイとヒナは歩き出した。ピキピキと額に血管を浮かべながら、スモーカーも二人の背中を追うのだった。
訓練場から食堂へやって来た同期能力者トリオ。
時刻が昼過ぎということもあり、見受けられる人数はそれほど多くない。そのため並ぶ必要も無く、三人それぞれがすぐに食事を受け取った。
「この机で良いわね」
「そうだな。スモーカー、お茶」
「なんで俺が」
「さっき負けたよな?」
「──……」
スモーカーは言葉を返すこともなく立ち上がり、ポットの置いてある場所へ向かって行った。あのヤクザ顔がお茶を用意している様子を見て、満足そうな顔のグレイ。文句を言いつつも結局やる所を評価しているのだ。
「……ほらよ」
「サンキュー」
「ありがとう、ヒナ感謝」
グレイの分だけでなくヒナの分も用意する良い漢に感謝した後、三人はそれぞれトレイに乗せてきた食事へと手を付けた。
「唐揚げ定食美味そう〜」
「ラーメンも良いわよ。スモーカー君はカレー?」
「スモークチキンが乗ってるからだろ。好物だもんな」
「黙って食え。バカども」
少し鬱陶しそうにスプーンを動かすスモーカー。しかしそんな言葉など聞こえていないかのように、グレイが新たな話題を持ち出した。
「そういえば、この間ベルメールに会ったよ」
「そうなの、元気にしてた?」
「ああ、相変わらず手は早いけどな」
「……ケッ。あの不良女に子育てなんぞ出来るのかよ」
「ははっ、俺も同じこと言った」
三人の最初の教育係であったベルメールの話題ということもあり、懐かしさを感じつつ朗らかな雰囲気となる。
「それと大佐になったことも言っといた」
「グレイ君も大佐か。ますます置いていかれるわね」
「スモーカーのこと顎で使ってやるからな」
「ハッ、すぐ追い越すに決まってんだろ」
「まっ、頑張れよ。スモーカー
スモークチキンをムシャムシャと頬張りながら生意気小僧の言葉をスルー。いちいち腹を立てていてはキリがないのだ。
ちなみにヒナはスモーカーより一段階上の階級である『准尉』であり、この三人で最も階級が低いのはスモーカーだった。
「俺とスモーカーはベルメールによく殴られたよな」
「嫌なこと思い出させんな」
「貴方たちが問題起こすからでしょ。グレイ君は大分丸くなったと思うけどね」
「そうか? 後、俺はスモーカー程問題起こしてない」
「うるせぇ」
気に食わないことがあれば例え上官でさえ噛みつく、『野犬』と呼ばれる男は新人の頃から問題児であった。腐れ縁であるヒナのフォローが無ければ、今頃は"海軍"をクビになっていたことだろう。
「海楼石はズルいよなぁ。アレ本当に痛い」
「貴方達は
ヒナの言葉通りグレイは"ズマズマの実"、スモーカーは"モクモクの実"の能力者なので"覇気"を纏わない物理攻撃を無効化出来る。そのため制裁を与える際に使用されたのは、"悪魔の実"の能力を封じる海と同じ性質を持つ海楼石が仕込まれた鉄棒であった。
「まあ、今は改良されたやつをスモーカーが持ってる訳だけどな」
「スモーカー君はベルメールさんに可愛がられてたものね。手の掛かる人程可愛いものよ」
「お前ら早く食えよ」
スモーカーが愛用している巨大な十手、『七尺十手』と呼ばれるそれの元となった物がベルメールからの贈り物であった。先端部分に海楼石を移動させたことで、能力者相手でも動きを封じることが容易となった。
「はー、美味かった」
「そうね。ヒナ満足」
「済んだなら早く行くぞ。俺は一服する」
粗暴ではあるが海兵、食堂で煙草など吸う筈がない。スモーカーに急かされヒナはやれやれといった様子で立ち上がる。筋金入りのヘビースモーカー振りには少々呆れてしまう。
「スモーカーの奢りだろ?」
「……分かったから早くしろ」
「やったわね。グレイ君、行くわよ」
「流石スモーカー。話が分かる男だ」
口角を上げながらトレイを持ち上げ、席を立つグレイ。先に行った二人に早歩きで追いつく──手前のことだった。
「……おおっとっ!!」
グレイの前から歩いて来た二人の海兵の片方と肩がぶつかり、その海兵が手に持っていた湯呑みからお茶がぶちまけられる。それが誰にかかったかと言えば、当然グレイだ。
「ああ、すまない! 不注意だった!」
「いえ、俺の方こそ。火傷したりしてませんか?」
「私は平気だ。いやぁ本当にすまないねぇ〜。"海軍"期待の星に火傷させてしまう所だったよ」
「お前気をつけろよ、元帥に叱られてしまうぞ」
「それは怖いな。スティージアくん、元帥殿には内密で頼むよ。フハハ!」
「……はは、分かりました」
あからさまに嫌味な言葉と態度。詫びる男も隣を歩いていた男もコートを羽織っている、つまりは"海軍将校"である。部下の上に立つ身でありながら、この二人はわざと子供のような嫌がらせをグレイにした。
(ふん、元帥の贔屓がなければこんなガキ)
(既に大佐とはな。目障りなんだよ)
それぞれ階級はグレイよりも下。幼い少年が立場的に自らを上回っているという事実に、彼らのプライドは傷つけられていた。しかし、熱いお茶が黒色のワイシャツに染みている所を見て少し溜飲が下がったようで、上機嫌でその場を去ろうとする。
そんな彼らを止めたのは、低く唸る『野犬』だった。
「──ちょっと待てや」
ドスの効いた声で二人を呼び止めるスモーカー。青筋を立てるのはもちろんのこと、放つオーラはまるで野獣のようだ。
「今わざとソイツにぶつかったろ?」
「な、何を言うんだお前は!!」
「失礼だぞ!!」
持っていたトレイをヒナに押し付け、二人の将校へ詰め寄るスモーカー。将校たちは鋭い眼光に怯みながらも、自分たちの方が上の階級であると分かった途端に強い口調で言い返す。
「何が気に食わねぇんだ、ああ?」
「やめろスモーカー」
「こんなガキにデカい顔されるのが気に食わねぇかッ!?」
グレイの静止も無視し、スモーカーが大声で怒鳴りつける。食堂全体に響き渡る声に、少ない人数ではあるが視線を向けられる。
「わ、私がわざと肩をぶつけてお茶をかけたと言うのかッ!」
「貴様ッ! 我々は上官だぞ!」
思惑を見透かされたことで、立場を用いた反論しか出来ない将校。しかしそんな言葉に退くスモーカーではない。自身を抑えようとするグレイを乱暴に振り払い、更に言葉を放った。
「笑わせんなよ。気に食わないからってガキに茶をかけて喜んでるような小さい上官なんざ、尊敬出来るわけねぇだろが」
「き、貴様ッ! 名を名乗れ!」
「上官を侮辱しておいてただで済むと思うなよ!!」
「──もうやめろ」
ヒートアップした場を収めたのは、一人の少年だった。幼い年齢からは考えられない圧倒的なプレッシャーでその場を掌握し、頭に血が昇っていた者たちを鎮めた。
「同期の無礼をお詫びします。私からキツく言っておきますので、ご容赦ください」
先程までの幼さは消え、歴戦の戦士を思わせる雰囲気。そんなグレイの言葉に頷きながら、将校たちは震えた声で笑い合った。
「ま、まあ? スティージアくんがそこまで言うなら」
「我々も少し言い過ぎたな! ハハハッ!」
「ありがとうございます」
しっかりと腰から頭を下げるグレイ。ここが良いタイミングと二人の将校たちはその場を去ろうとする。
「で、ではな!」
「お前はもう上官に無礼な真似をするなよ!」
去り際にスモーカーへ一言飛ばして、二人は背を向け歩き出した。最初から最後まで小物であった。
「……はぁ」
「おい」
「うるせぇ」
スモーカーの言葉を押さえ込むグレイ。少し怯んだスモーカーを見て、表情を緩めた。
「お前は後先考えなさすぎだ。仮にも上官、手でも出したら処罰は重いんだぞ」
「手なんて出さ……ねぇよ」
「間があるわよ。スモーカー君?」
二つのトレイを持ちながら問いかけるヒナ。細められた目から放たれる視線はスモーカーを貫く。
「グレイくんが止めてくれたから良かったものの」
「知るか。ムカつくもんはムカつくんだ」
「はいはい、俺のために怒ってくれたんだもんな」
「違ぇわボケッ!!」
「「ツンデレ」」
「……ぶっ殺す!!」
「「わー!」」
しっかり三人分の会計を終わらせてから、スモーカーは二人の同期を追いかけるべく駆け出した。
「……チッ」
長い廊下を見ながら腕組みをする男が一人。まんまと同期二人に逃げられたスモーカーである。
しかしその手には一枚の雑巾が握られており、既に二人を追ってはいないことが分かる。
彼がこれからしようとしていることは極々ありふれた掃除であり、誰もが進んでやりたがりはしない雑巾掛けであった。
食堂の一件で噛みついた二人の将校たちがあの後スモーカーの態度を上に報告したらしく、罰として掃除命令が出されたのだ。本当にどこまでも小物である。
無視しようかとも考えたが、一応上からの指示ではある。無視すればあの生意気なガキに迷惑の一つでも掛かるかと思い、素直に罰を受けようと考えたのだった。
「……やるか」
雑巾を床に置き、スタートの準備を取る。いざ開始しようとした足を止めたのは、相変わらずのムカつく声であった。
「──『野犬』の雑巾掛けか、見逃せないな」
後方から掛けられた声。心底嫌そうな顔で振り返ったスモーカーの目に映ったのは、先程までの自分と同じく腕組みをしながら立っているグレイだった。
「おーいヒナ! 面白いもんが見られるぞ!」
「あら、中々良い光景ね。ヒナ眼福」
「……てめぇらなぁ」
最早呆れて言葉も出ない。無視して始めてしまおう、そんなスモーカーの右隣に同じく雑巾が置かれる。それだけではない、左隣にも雑巾が置かれた。
「おい」
「さっさと終わらせるか」
「この後の講習に遅れたくないわ」
「だからおいって」
「「掃除開始」」
スモーカーの言葉を無視し、グレイとヒナはスタートした。憎まれ口を叩きつつ、実際には手伝いに来た。素直じゃない、自分のことを棚に上げながらそんなことを思いつつ、一言だけ呟いた。
「……ありがとよ」
本当に小さな声だったが、地獄耳はしっかりと拾う。
「おいヒナ、スモーカーが礼を言ったぞ」
「明日は雪……いえ、槍ね」
「……てめぇら、そこを動くな」
茶化されたムカつきと聞かれた気恥ずかしさからプッツン。スモーカーは再び怒りの獣へと切り替わった。
「やべ怒った。逃げるぞ」
「了解よ。ヒナ、爆走」
割とマジギレに近い状態であると察した二人。すぐに床を蹴り上げ加速、スモーカーから距離を取った。
「待ちやがれぇぇぇぇぇッ!!!」
そして廊下は、騒がしい声に包まれたのだった。
スモーカーとヒナは同期、ベルメールが三人の教官という独自設定です。
ベルメールさんの階級は将校クラスのようだったので、こうしました。
『原作死亡キャラ生存』のタグで圧倒的な生存力を見せつけるベルメールさんです(笑)。