"海軍本部"元帥、センゴク。
彼は今自身の部屋で膨大な数の書類整理を行っていた。
「…………ふん」
本日、彼は少々機嫌が悪い。
何故か、理由は単純である。
「なんじゃ、やっぱり奴の所へ行かせるのに不満があるのか。お前が言い出しっぺじゃろうが」
相変わらず仕事などせずにバリバリと煎餅を頬張る男、ガープ。センゴクのストレスの三割程を生産し続けてきた憎き腐れ縁は、ズズーっと熱い茶で煎餅を流し込みながら、呆れたような声音で言葉を発した。
「当たり前だ、海賊だぞ。……だが、グレイの成長の為には致し方あるまい」
「まあ、あれ程までに適任な奴も他に居らんのが事実じゃ。この場合悪いのはグレイじゃなく、適切な人材を用意出来んワシらの方なんじゃから」
「──……」
押し黙るセンゴク。ガープの言葉に何も言い返さないのも、ガープの言葉の意味を理解しているからに他ならない。
「まあ、問題ないじゃろう。グレイは」
「……そうだな」
書類から目を離し、窓へ視線を向けるセンゴク。
その表情は険しく、平静とは程遠い。グレイのこととなるとすぐにこうなってしまう。だからこそ、ガープも呆れ顔なのだ。
「──"王下七武海"。信用は出来んがな」
険しい表情のまま、センゴクはガープの煎餅を奪った。
センゴクの心配の種であるグレイは
空は厚い雲に覆われており、太陽の光は辺りを見渡す限り見受けられない。紫色の霧が至る所に出現しており、怪しげな雰囲気を纏う島であった。
何故グレイがこの島に来たかと言うと──もちろん修行の為だ。
格好は普段と違いコートを羽織っておらず、ラフな私服と言った感じの装いをしている。しかし私服と言うには不似合いな物が腰に付いており、それこそがこの島に彼が来た最大の理由と言うべき物だった。
「あ、あの〜、お久しぶりです」
「……ああ。一ヶ月程か」
「そう、ですね。お元気でしたか? ミホークさん」
「変わりない。鍛錬の日々だ」
「本日も、その、勉強させて頂きます!」
「無論だ。出来る範囲で加減は無しだ」
グレイの慎重な挨拶から始まった会話。対するミホークと呼ばれたこの男、整えられたオールバックの髪型をしており、背中には自らの背丈程に大きな漆黒の刀を携えていた。金色の装飾が施されており、とても美しい。
しかし、最もインパクトを放っているのは言わずもがな。
(相変わらず……目が怖ぇぇぇ)
──『鷹の目』。
彼、ジュラキュール・ミホークの通称である。
若き剣士でありながら、三大勢力の内の一つ"王下七武海"の一人として名を連ねる世界屈指の実力者であり、並みの海賊は彼と対峙しただけで命惜しさに逃げ出すとさえ言われている。
グレイがこの島に訪れミホークに会いに来た理由、それは彼に剣を教わる為である。それを裏付ける証拠として、グレイの腰には刀が携えられていた。
勢力図では味方として数えられる"王下七武海"とはいえ、海賊ということには変わりない。では何故、海兵であるグレイがミホークに師事してもらっているのかと言えば、これまた理由は単純。
グレイには──剣の才能があった。
月並みな言葉ではあるが、正しくそれ以外に相応しい言葉は無い。
これが子供ながらに巨木を斬る、平凡な海賊を相手に圧倒する
二ヶ月程前のことだ、"海軍"の中でも指折りの剣士であるモモンガ中将が僅か五分程の時間でグレイに剣で打ち負かされた。
本人は認めないことだが、モモンガも少々油断はしていた。だが一合二合と剣を交え、油断が愚かだと瞬時に切り捨てて尚──敗北した。
もちろん、モモンガがグレイに総合的な実力で劣っている訳ではない。"悪魔の実"の能力を使用すれば話は別だが、身体能力や"覇気"、実戦経験を比べれば両者にはまだまだ大きく差が有る。
だからこそ、"天性の才能"でグレイがあの内容を叩き出したことにセンゴクは頭を抱えた。モモンガで相手にならなければ剣技の向上が見込める対戦者など、現在の"海軍"には居ないのだ。
このままでは、グレイの才能を腐らせる。
そうさせない為、センゴクは苦肉の策を講じた。
──"王下七武海"を
(俺の相手は……鬼強い人ばかりだな)
修行相手は大体『ゲンコツ』。週に二度程『黒腕』を挟み、不定期であるが『仏』が襲来。それ以外でなら最低中将か、"悪魔の実"の能力者。修行以外の日は実践経験を積むべく海賊相手に激闘死闘の大立ち回り。
(まあ、俺が望んでるんだけどさ)
ため息混じりに苦笑しながら、屈伸をするグレイ。
これより始まる修行は気を抜けば死ぬ。こちらのことを考えて絶妙に手加減してくれる"先生"達とは違うのだ。
(……本当、すげぇ迫力)
これより剣を交えるのは──"剣士"。
己の強さのみを追い求め、鍛え戦い命を削る。そんな男である。
「ふぅ。……集中」
鞘から刀を抜き、両手で持ち自然な姿勢で構えるグレイ。それを確認してから自身も剣を構えるミホーク。
しかし構えたのは背負っている得物ではなく、全体的にボロく刃こぼればかりの西洋剣であった。
だが決して侮りからの武器選択ではない。打ち合うには十分、それが現時点でのグレイとミホークの実力差だ。
今日で三度目となる鷹の目レッスン。
一度目は刀を折られ全身打撲、二度目は刀こそ折れなかったが全身打撲+右腕骨折と散々な結果に終わっている。
三度目の正直、今日こそは無傷で帰る。
密かに掲げるグレイの目標だ。
「行きますよ、ミホークさん」
「……来い」
次の瞬間──剣戟による轟音が島を揺らした。
ここ《ジメガール島》に朝と呼べる時間は訪れない。元々雲に覆われて続けている島なだけに、薄暗い天候が変わることはないのだ。
しかし、現在の島の光景はここ三時間で大きく変わり果ててしまった。
地面を見渡せば鋭い斬撃のような跡が数え切れない程残り、不気味な色と形をしている木々は斬り倒され、島の上空を旋回していた獰猛な鳥は一匹残らず巣穴へと引き篭もった。
この光景を作り出した原因である二人は、この惨状に置いて食事を摂ろうとしていた。焚き火をしているので、二人の周りはそこそこ明るくなっている。
「受け取れ」
「……ふぁい」
「野菜と鶏肉のスープだ。文句は受け付けん」
「……いただきます。──えっ? 毒? 」
大きく腫れ上がった左頬、一瞬の隙を突かれ西洋剣の柄頭でぶん殴られた結果である。染みる痛みに顔を顰めながら、差し出された皿を受け取るグレイ。スープの色は普通なのだが、鶏肉と説明された肉の色は何故か紫色だ。
しかしミホークが躊躇いなく咀嚼していることから、味に関して問題はないだろう。まあ、身体に良いかは分からないが。
「……あー、痛い。見事なまでにボッコボコですね」
「当然だ。剣を振るい出して数年の小僧に遅れは取らん」
モモンガ中将涙目である。
「……だが、成長はしているようだな。"覇気"が更に洗練されている」
鋭い目をグレイへ向けながら、ミホークは静かにそう告げた。
今回、グレイは刀を折られることなく全身打撲も免れた。左頬にキツイのを喰らいはしたが、それ以外には目立った傷も見受けられない。結果としては上々と言えるだろう。
「まあ、日頃揉まれまくってますから。あはは、いつもいつもボコボコにされてますよ」
「そうか。良い環境だ」
「ええ、お陰様で」
「剣の振りを見るに、俺の言ったことも実践しているようだな」
「それはもちろんやってますよ。武装色付きの全力素振り5000本。あれやった後、毎回腕がミシミシ変な音立てて動かなくなるんですけど」
「筋繊維の回復だ」
「いや回復っていうか、死滅っていうか」
短く会話をしながらも、どんどんスープを腹へ入れていく二人。見た目とは裏腹にクセのないサッパリとした味の鶏肉とシャキシャキとした野菜のスープは普通に満足出来る味であった。
剣士以外に料理人の適性もありそうだと、グレイは内心思った。
「はー、美味かったです。ご馳走様でした。ミホークさん」
「ああ」
スープを飲み干してしまえば、訪れるのは静寂。口下手でない限り会話には困らないシチュエーションだが、現状の相手はあの『鷹の目』である。フレンドリーに会話するような相手ではない。ましてや海兵と海賊、あり得るはずがなかった。
しかし、グレイは語りかけた。
「ミホークさん」
「なんだ?」
「ミホークさんって
「……どういう意味だ?」
「世間話と言うか、答えたくないならいいんですけど……。せっかくの機会なんで質問したいことしとこうかなって」
孤独を好み、これまでたった一人で生き抜いてきたとは言え、ミホークは人との会話を嫌っている訳ではない。認めた相手とは程々に会話を交わし、それなりに友好も結べる。現在進行形でただ一人しかそんな相手は居ないのだが。
だからと言って、自分の倍以上年下の子供からの質問を冷たくあしらう程、ミホークは人として冷酷ではなかった。
そもそもセンゴクからの要請とはいえ、グレイの修行に付き合っていることからも、ミホークがグレイを多少なりとも認めているのは一目瞭然なのだから。
「……およそ五年前だ」
返答されたことに驚くグレイ。チャンスとばかりに質問を続ける。
「ミホークさんの剣ってめっちゃカッコいいですよね。名前はなんていうんですか?」
「この黒刀か……。名は《夜》だ」
「おお、名前もカッコいい」
刀としては世界最高ランクの最上大業物12工の内の一本であり、この世に二つとない紛うことなき名刀だ。
"硬さ"を長所とする黒刀であるが切れ味も凄まじく、ミホークによって本気で振われた際には山だろうが海だろうが関係無しに真っ二つだ。
「てか、デカイですね。何処にあったんです? そんな刀」
剣才以外にも才能と呼ぶべきものがグレイにはあった。純粋な好奇心を隠すことなく曝け出すあっけらかんとした態度は、質問された者の口を容易く割らせてしまう。
「……とある王国だ」
「王国? ミホークさん、本当に色んなとこ行ってるんですね」
予想外の言葉が飛び出したからか、グレイの口から感心したような声が溢れる。
「余り思い出したくはない、場所は黙秘だ」
「全然良いですよ。で、その王国にあったんですか?」
「敵国の攻撃によって滅びたがな。《夜》は国宝として隠されていた」
「ええ、国宝取っちゃったんですか?」
「滅びた国だ。俺が持っても文句は無いだろう」
「海賊ですねぇ」
この話を聞いてこんな反応をする海兵はそうそう居ないだろう。
「良い刀か、俺も欲しいんですよね。どうにも使う刀使う刀、すぐに限界が来ちゃって」
その言葉通り、この島へ持ってきた刀も限界を迎えた。折れてこそいないものの刃こぼれしまくっており、刀身も少し歪んでしまっている。最早実戦では使い物にならないだろう。
「並の刀であることは確かだが……それ以前の問題でもある」
剣士としてグレイに視線を向けるミホーク。言われることが既に分かるのか、グレイの顔は渋い。
「刃こぼれに気を取られた隙を突かれたことを忘れるな」
「頬が痛いです」
「そして刃こぼれさせるような自分の未熟さを忘れるな」
「心が痛いです」
ミホークの性格上、優しくオブラートといった配慮などある筈もなく、ズバズバと攻撃性のある鋭利な言葉の切れ味は相当のものであった。伊達に世界最強の剣士ではない。
「あーあ、どっかに良い刀とか落ちてないかなぁ〜」
「…………やらんぞ」
「ははっ、残念! でもやっぱデカ過ぎるかな。俺、得物の長さは普通の刀ぐらいでいいんですよねぇ」
笑い声を上げながら焚き火へ薪を放り込むグレイ。自分に合う刀が欲しい、ミホークとの修行を始めてから彼が常々思っていることであった。
「ミホークさんの知り合いで良い刀持ってる人とか居ませんか?」
「……居たとしても、お前に譲渡はしないだろう」
「確かに、それもそうか。じゃあ参考までに聞くだけってことで」
「──俺の知るところで言えば、この《夜》と同等の獲物を持つ者は二人だ」
「最上大業物ってやつですか?」
グレイの言葉に頷くミホーク。パチパチと音を立てて燃える焚き火を見つめながら、ゆっくりと口を開く。
「……一人目は現在この海で最強と呼ばれる海賊、『白ひげ』エドワード・ニューゲート。奴の持つ薙刀、"むら雲切"がそうだ」
「おお、すげぇ大物だ。にしても薙刀か、めちゃくちゃデカそうですね。二人目は誰ですか?」
納得したように目を見開くグレイ。二人目が気になる様子で、ミホークへすぐに続きを催促した。
しかしミホークは少しの間無言になった後、目を閉じながら語り出した。
「──『赤髪』だ」
「ああ! ミホークさんのライバルの!」
グレイの言葉を聞いた瞬間、ミホークの眉間に皺が寄る。
「この間戦ったんですよね? "海軍本部"も騒ついてましたよ。『鷹の目』と『赤髪』の決闘」
若くして名のある海賊たちを打ち負かし、破竹の勢いで"
民衆を襲わないことで危険度としてはまだ低く見られているが、その戦闘力に対して"海軍本部"は非常に高い警戒をしている。
自由気ままな男であり、神出鬼没。行きたい所へ行くといった行動基準のようで、"
そんな男は最近ミホークと一騎打ちで引き分けるという快挙を成し遂げた。これにより『鷹の目』と『赤髪』のライバル関係が周知の事実となった訳だ。
「……まあ、最上大業物かは知らんがな。《夜》と同等という意味では、奴の持つ刀も相当な業物だ」
「持つべき者が持つべき刀をって感じですね。羨ましいですよ」
腕を組みながら羨ましそうに言葉を続けるグレイ。
ミホークはそんな彼に視線を向けると、少し呆れたような口調で告げた。
「……お前は、変人だ」
「はは、急な罵倒」
「お前は海兵で俺は仮にも海賊だ。ましてや俺に怖気付くこともなく話しかけてくる」
ミホークの純粋に疑問なのか、自身の言葉の理由について隠すこともなく述べる。グレイはその質問に少し考える素振りを見せると、向けられる視線へ対して返答する。
「俺、別にミホークさんのこと嫌いじゃないんですよ」
「──……?」
「だってミホークさん、一般人に危害を加えたりしてないでしょ? 相手にするのは海賊か海兵、それも金品目的じゃなく強さのため。カッコいいじゃないですか」
「……やはり、お前は変人だ」
「酷いなぁ、これでも尊敬してるんですよ?」
薄暗いこの島に似合わない朗らかな空気が、二人の間に漂う。
見る人が見れば、仲の良い兄弟にすら見えるかもしれない。
後に世界最強の剣士となる男、ジュラキュール・ミホーク。
そんな男には己を尊敬する──海兵の弟子が居た。
シャンクスのライバルという肩書きで、戦わずにインフレに着いていく男の登場でした。七武海の中でもミホークは別格感ありますよね。
そして次の話から少し年数が飛びます。テンポ良く進めたいと思っていますので、よろしくお願い致します!