曇天と金剛石   作:塩草

3 / 3
第三章
曇天と金剛石


「そうね、僕もちゃんとしなくちゃ」

 

 ボルツの背後、ダイヤの瞳に映る月人の来襲の知らせである予兆黒点。刃が収められた鞘が宙を舞う。刀を構えた二人を嘲笑うようにその背後と直上に二つの新たな黒点が生まれる。しかし最初に発露した通常時より一回り小さな黒点に意識が向き、新たに生まれた黒点にダイヤは疎かボルツでさえ気付いていなかった。

 

「あっ」

 

 背後から射出された真珠色の矢がダイヤモンドとボルツの左脚と右足を打ち砕く。未だ予兆状態の最初の黒点とは違い後から発現した黒点は完全に開き、微笑を浮かべる月人が二人を見下ろしていた。脚が散ると同時に空へ飛び込んだボルツを矢の雨が襲う。迫りくる矢を旋回させた地面を擦るほどの長い髪で跳ね飛ばす。頂点まで達すると、核である月人を髪で手繰り寄せ手にした刀を深く差し込む。霧散するのを待たずに次の標的へと攻撃を移すボルツ。真正面かつ近距離から放たれた無数の矢を鉄壁の旋回が防ぐ。

 

「ボルツっ!」

 

敵の首を掻き切る寸前、ダイヤの叫びに続いて空にクラック音が響き渡る。

 

「クソっ、何処までもふざけた奴らだ」

 

 空から降るのは黒色の手脚。右腕一本を残したボルツがその手に残した刀で敵を打ち消し、そのまま霧の中を通って失った手足を追いかけるように地面へと落下していく。ボルツを砕いたのは最初に発現した黒点から現れた月人だった。二基を相手にするボルツに対し、一基すら仕留められない挙げ句、足手まといとなった事実がダイヤの心を削る。

 

 刀を支えになんとか立っているダイヤの視線の先には、砕け散った四肢をなんとか動かして欠け落ちた手足を繋げようと藻掻くボルツがいた。空からの攻撃を髪で払いながら左腕を繋げたが損傷が大きく、癒着までには相当な時間がかかることが見て取れた。乱舞する髪の隙間を掻い潜った一本の矢が痛々しい継ぎ目が走る癒着しかけた左腕を再度欠片に戻す。自分がなんとかしなければという焦りから雑になった攻撃を待っていたと言わんばかりに一斉掃射された矢がボルツを仰向けに押し付ける。

 

 ボルツを回収しようと、舟から降ろされた紐を伝い月人が地面へと降り立つ。ボルツの前まで来た月人の欲にまみれた白碗が伸びたと同時に空間を劈く風切り音が走り、その直後腕を伸ばした人影は霧散し元いた世界へと還される。四肢を失い、半ば諦めかけていたボルツの瞳に映ったのは視界の左端から放たれたダイヤの刀が月人の頭部を打ち砕く瞬間であった。

 

「そんなこと……させないんだから」

 

 大地を踏み抜いたダイヤの鋭利に削られた左足がボルツを奪おうと蠢く月人を霧に還す。仲間の死を意に介さぬ微笑を浮かべた敵が止めどなく押し寄せる。投げ放った刀を拾い上げ、勢いそのままに降りてくる月人たちを左足と刀で交互に打ち払い刈り取っていく。空へ向かって駆け上がる虹色の軌跡。敵の頭上まで昇ったダイヤが核となる一人へ向け刃を押し込む。しかし、左右から割り込んできた月人が身を挺してそれを防ぐ。空中に浮かぶ虹色の宝石。追撃を仕掛けようにも足掛かりとなる物がなくそれも叶わない。

 

「ボルツ、やっぱり僕は上手く戦えないや」

 

 届くことのない懺悔を空に残し落ち行くダイヤの顔を霧が覆う。見下ろした先には唯一残った右腕で刀を振り抜いた状態のボルツがいた。落下したダイヤは片足で跳ねながらボルツの隣まで行くとそこへ寝転び、濁って青が見えなくなった空を見上げた。ダイヤがボルツの顔を見るのと同時にボルツもダイヤの顔を覗く。するとボルツは気まずそうに視線を空へと戻した。それを見たダイヤは偽りの仮面を外し本当の笑顔を見せる。

 

 過ぎてゆく時間が永遠に感じられた。すっかり水気を失った小枝を踏みつけたときのような乾いた音は、千切れた手足が癒着していることを知らせている。微動する秒針が時の進みを知らせるように。しかし規則正しく音を刻む秒針とは違い、癒着音は不規則に鳴り続く。内包物(インクルージョン)が奏でる小気味良いメロディーに合わせて歌い出すかのように、ダイヤが口を開くと言葉を紡いでいく。

 

「"ボルツが割れると僕まで割れるの"……前に僕がそう言ったとき、ボルツは分からないって顔をしてた。"ダイヤ族が共鳴如きで割れるわけ無いだろ"って。割れるっていうのはね、僕のこころ(・・・)の話。にんげんが持っていたと言われるそれは、とても柔らかくて、とても傷付きやすいものだと先生が言っていたわ。それでね、それは僕達にも備わっているみたいなの。少し不思議じゃない?殆ど傷付くことなんてない僕達の身体のどこにそんなものがあるのか……」

 

「だからあるんじゃないのか」

 

「えっ」

 

「素手で触れ合うことさえ出来ない僕等を哀れに思って、こころ(そこ)だけは触れ合うことが出来るように。僕らを作り出した存在がそう作ったんだろ」

 

 ボルツの言葉に一瞬言葉を失うも思わず笑い出すダイヤ。

 

「何だ」

 

「フフッ、ボルツったら珍しく可愛いこと言うのね。頭でも打ったのかしら?」

 

「いや、手脚は砕けたが頭部の損傷は無い。それより早く僕をくっつけてくれ。先生の所へ報告しにいかなければ」

 

 ダイヤの冗談に対し真面目に答えを返すボルツ。

 

「おーい二人共ー、大丈夫かー?」

 

 遠くから響くベニトアイトの声が会話に割って入る。

 

「その必要は無いみたいね。だから……だからもう少しだけこうしていましょ」

 

 曇天を見上げたダイヤの提案に言葉を返すこともなく賛成する。ダイヤは再度ボルツを見やると幸せそうに語り始めた。

 

「近くで見るボルツは特別綺麗ね。あのね、あなたを緒の浜で見つけた日もこんな曇り空だったのよ?さっきボルツに怒られたときもその日のことを思い出してたの」

 

「何度も聞いた」

 

 無愛想な返事にまた小さく笑い、視線を空へと戻す。

 

「ボルツ。いつまでも愛してるわ」

 

 ダイヤの言葉に今度はボルツが横に寝転ぶダイヤを見る。

 

「僕もだよ、兄さん」

 

 儚い言葉に不器用な感情を込めて返す。二人の視線は合うことはなかったが、目を合わせなくとも心が繋がったことはその二人が誰よりも理解していた────。

 

 

 それから数え切れぬ程の季節を重ねた未来()、草原の片隅でダイヤモンドはひとり思う。あのとき交わした愛してるという言葉がいつの日か中身を持たぬ虚像に変わってしまうのではないかと。いつしか拗れた愛情によって生み出された思い込みに呑まれ、見えない何かに怯えながら日々を過ごすようになっていた。

 

「やっぱり無いわねぇ」

 

 命煌めく宝石の国でダイヤは今日も探していた。かつてその星に生きた"にんげん"が見つけることが出来なかった拗れた愛情に与える名前を。

 

『ダイヤモンド』

 

 それは漆黒の炭素のみから成る元素鉱物。打ち砕くことはおろか、傷付けることさえ困難な堅牢さ。際限なく光を飲み込む美しい光沢を持つその身体は、積もり積もった歪な愛を詰め込むにはあまりに狭く、脆く、そして淡い。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。