私の前に道はない。私の後ろに道は出来る。   作:魔庭鳳凰

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もしも世界を救えるとしたら、どこまでできるか。

もしも世界を救えるとしたら、なにまでできるか。

刃を振るえ!

己が業で、世界を救うために!


第一章 ファイナル・ミッション①

 動揺が無かったわけではない。しかし、八千代メイの裏切りは予想できたことだった。

「詰めが、甘すぎる。……やはり人間は、弱い」

 メイの裏切り、つまりメイが二重スパイであったという事実を前にしても天堂は冷静だった。巨大散布装置は既に予備の動力に切り替えている。予備の動力は巨大散布装置とは大きく離れた場所にある。だから、予備の動力を落として洗脳薬品『ロボトミー』の散布を止める方法は取れない。それは時間的に間に合わない。

 つまり、『ツキカゲ』が『月下香(ゲッカコウ)作戦』を止めるためには巨大散布装置自体を破壊するしかない。しかしそれは天堂が巨大散布装置の屋上にいる限りできない。故に『月下香(ゲッカコウ)作戦』を止めるために『ツキカゲ』が取るべき行動は一つ。

「――――――来たか」

「はぁーッ!」

 天堂を倒し、巨大散布装置を破壊する。

 それを実行するためにワイヤーを駆使し、一人の少女が巨大散布装置の屋上へと降り立った。

 桃色の髪。へそ出しの忍び装束。両手に付けられた手甲。腰に装備された刀。膝にまかれたガーターリングとそこに仕込まれたスパイス。服の中に隠された特殊拳銃。空崎高校二年生。スパイ歴約一年。

 その瞳には覚悟が見えた。

 その表情は決意に(あふ)れていた。

 その歩みは確かだった。

 少女の名を、(みなもと)モモといった。

「……ふ」

 天堂は誰にも分からないほど小さく(わら)った。何かが可笑(おか)しかったわけではない。何かが気に(さわ)ったわけでもない。ただ、それでもなぜか笑みが(こぼ)れた。

 覚悟。

 強い、覚悟。

 それが見て取れる。

(だが、それでも勝つのは私だ)

 距離が(ちぢ)まる。

 天堂は『モウリョウ』製の強化薬物を首に打った。

 距離が縮まる。

 モモはスパイスを服用した。

 距離が縮まる。

 天堂は刀を手に取った。

 距離が縮まる。

 モモも刀を手に取った。

 距離が縮まる。

 一瞬の静寂。

「――――――――――――」

「――――――――――――」

 その一瞬の間に、二人は様々なことを思った。

 天堂はここまでに至った道のりを思い出していた。天堂が歩いてきた道のりは決して平坦ではなかった。『モウリョウ』に入ってからも、『モウリョウ』に入る前も、決して楽なだけの道のりではなかった。

 天堂は天才だった。歴史に名を残せるほどの天才だった。しかし出る杭は打たれるもので、だから天堂は人間に絶望した。

 人間は欲深い。正しくない。人類の文明は間違っていた。人間の成長は正解ではなかった。

 誤った人類史で、誤った世界だ。

 正さなくてはならないと天堂は思った。

 天堂のような才人が、正しい人間が、『モウリョウ』が、(あやま)った道を進み続ける人間達を適切に導かなければならないと思った。

 そしてモモもまた、ここまでに至った道のりを思い出していた。モモが歩んできた道のりは決して平坦ではなかった。『ツキカゲ』に入ってからも、『ツキカゲ』に入る前も、決して楽なだけの道のりではなかった。

 モモは一般人だった。多少五感が鋭いだけの一般人だった。

 モモは一般人だったから『ツキカゲ』に入った当初は失敗ばかりで師匠である半蔵門(はんぞうもん)(ゆき)にフォローされることも多かった。モモの失敗で仲間達を危険な目に合わせたこともあったし、自信がなくて落ち込むこともあった。『ツキカゲ』に入ったことを後悔したこともあった。自分のような人間が『ツキカゲ』に入ったのは正しかったのかと、そう悩むこともあった。

 けれど、今のモモは『ツキカゲ』に入ったことを後悔していない。

 当然だったのだ。失敗することは当たり前だった。最初は誰でもそうで、問題なのはそこからどう成長するのかということ。

 モモは成長した。『ツキカゲ』に入った頃と比べて大きく成長した。

 だから、今のモモはもう(おく)さない。敵は『モウリョウ』の最上級幹部。長きに渡る人類史においても五指に入る程の天才。今のモモよりも明らかに強い人間。

 だが、それは決して敗北する理由にはならず、決して逃げてもいい理由にはならない。

 理由。

 モモには戦う理由がある。戦わなければならない理由がある。

 モモは空崎市が好きだ。モモはこの世界が好きだ。モモは仲間達が大好きだ。

 だから戦うのだ。例え、命を()けることになっても。

 師匠の代わりに、モモが天堂を倒さなければならない。

 雪はもう、天堂を倒すことはできないのだから。

「……………………………………」

「……………………………………」

 静寂の中、二人は己の決意を再確認した。

 天堂は人を正しく導くために、

 モモは世界を守り抜くために、

 譲れない思いがある。

 敗けられない理由がある。

 だから、戦うしかないのだ。

 正義の敵はいつも別の正義で、明確な悪なんてこの世には存在しない。

 そして最後に交わすのはいつだって言葉ではなく刃となる。

「――――――――――――」

「――――――――――――」

 合図は無かった。

 ただ、行動のみがあった。

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

「先手必勝!」

 初めに動いたのはモモだった。体幹をわずかにずらし、いくつかのフェイントを交えながら限りなく直線に近い曲線行動で天堂に向かって走る。走り、手にもった刀を振り上げる。

 振り下ろす。

 甲高い衝突音。

 激しい鍔迫り合い。

「ッ!」

「っ!」

 客観的な事実として、モモと天堂では天堂の方が優位である。

 その要因は三つ。

 一つ、単純な戦闘能力の差。モモと天堂は双方共に刀を主武器(メインウェポン)として扱うが、その技量は天堂の方が一枚も二枚も上手である。

 二つ、才能の差。天堂は間違いなく天才だ。全能でこそないが万能ではある。ステータスがオールA、全て一流だ。対してモモはどれだけ甘く見積もっても秀才が限度である。間違えても天才ではない。単純な才能の差は単純であるが故に酷く大きな戦力差と成り得る。

 三つ、情報量の差。天堂はメイ経由で『ツキカゲ』の情報をある程度得ている。そしてそれを基準に『モウリョウ』独自の情報網を使って『ツキカゲ』のことを調べあげた。だから、天堂はモモのことを詳しく知っている。どんな武器を使うか、実力はどれくらいか、何がアキレス腱なのかを知っている。対してモモは天堂についてほとんど何も知らない。実力も、性格も、目的も、弱点も、傷も、何も。

 この三つ故に、天堂の優位は明らかなのだ。

 だが、優位であるからといって勝利できるとは限らない。

「源モモ、お前のことは調べたぞ! 警官の父親が死んでいるな!」

「………………」

 本物の戦場に、全力の戦闘に、卑怯などという言葉は存在しない。できることは全てすべきなのだ。何もかもを行うべきなのだ。禁忌も禁則も無い。だから、天堂は攻撃だけでなく口撃も行う。精神が揺らげば太刀筋が(にぶ)る。動揺が発生すれば動きに(あら)が出る。

 油断も慢心も天堂には無い。

 あるのは絶対的な覚悟と絶望的な強さ。

 だが、モモにだってそれらはある。天堂に及ばなかったとしても、天堂より劣っていたとしても、それでも今のモモはそれらを持っている。覚悟も強さも今のモモは持っている。一人でも戦える。隣にも後ろにもどこにも誰も誰一人としていなかったとしても今のモモは闘える。師匠に依存していたモモはもういない。そんな弱さは()うに捨てた。

 全ての犠牲を無駄にしないためにも、モモは勝たなくてはならない。

 だから返されたのは強い意志を宿した瞳。(まばゆ)く輝く両の(まなこ)

「ふっ!」

 単純に腕力の差があった。

 (つば)()り合いの状態から天堂は強引に刀を押し出し、横に払ってモモの刀を弾く。衝撃のあまり蹈鞴(たたら)を踏んだモモに絶妙なタイミングで蹴りを入れる。

「ぐぁッ⁉」

 (うめ)き声をあげて吹き飛ぶモモ。

 驚く程に軽く、(やわ)い身体だった。だから天堂は嘲笑(ちょうしょう)しながら口撃を続ける。

「なぜ死んだのか、我ら『モウリョウ』は真相を知っているぞ!」

「………………ん」

 起き上がり、再び刀を構えるモモ。両の手でしっかりと刀の(つか)を握りしめる。その瞳に動揺は見られない。その表情に(かげ)りは存在しない。

 つまり、響いていない。

 天堂による口撃は全くモモに効いていない。

「ちっ」

 それは天堂にとって少なからず予想外の事態だった。源モモはスパイ歴一年にも満たない新人。半人前未満のスパイのはずだった。身体(からだ)を鍛えることは容易(たやす)くとも、精神(こころ)を鍛えることは容易(たやす)くはない。だから、天堂による口撃はモモの精神に響くはずだった。

 見違えるようだった。

 メイの裏切りによって拘束された時のモモはもっと弱かったはずだ。師匠の死に様を()の当たりにしたモモの心は完全に折れていた。それはモモの心が弱いことを示していて、だからこそ天堂はモモの父親を話題に出した。

 別人のようだった。

 たった一日で、わずか十数時間で、モモは成長していた。

(この程度では動揺もしない、か)

 いや、いいや。

「――――――――――――」

 天堂は大きな勘違いをしている。

 天堂はモモのことを見誤っている。

 モモは強い。

 とても強い。

 天堂は知らないだろうが、モモは()()()から自力で立ち直った。(かえで)()()も絶望していた状況でモモだけは前を向いていた。

 モモは強い。

 モモの精神(こころ)は天堂が考えているよりもずっと強い。

 だから、

「ああああああああああああッ!」

 モモは再び走り出した。一直線に天堂の(もと)へ走り、思いっきり刀を振るう。それに合わせるようにして天堂も刀を振るった。

 今度は鍔迫(つばぜ)り合いにはならなかった。

「はぁっ!」

「ふっ!」

 天堂が弾かれた刀を再び振り下ろす。振り下ろされる刀の軌道を目で追い、モモは体勢を低くして刃から逃れた。そしてその低い体勢から刀を振り上げ、天堂に一太刀を浴びせ、

「っ⁉」

 いや、そんな簡単にはいかない。すぐさま刀を構え直した天堂はモモの一撃を真っ向から迎え撃った。そして万馬奔騰(ばんばほんとう)の勢いでモモを攻め立てる。

「くっ!」

 交わされる刃の数が増えていく。一合、二合、三合、四合、五合。

 攻めるのが天堂で、防ぐのがモモ。

 天堂が前に進む分だけモモが後ろに下がっていく。

 少しずつ、少しずつ、追い詰める。

 少しずつ、少しずつ、追い詰められる。

 振るう。突く。返す。フェイントを入れる。打ち合わせる。

 迎え撃つ。合わせる。(さば)く。(かわ)す。逃げる。

「――――――っ!」 

「………………っ!」

 ここで出たのが厳然たる実力の差だ。

 地力では天堂が(まさ)っている。

 だから、モモが激しすぎる天堂の攻撃から逃げられなくなるのは必然だった。

「はぁっ!」

「っあ゙!」

 モモの体勢が崩れた瞬間を天堂は見逃さなかった。コンマ一秒にも満たない隙は、しかし天堂からすれば十分過ぎた。

 (かん)(ぱつ)入れずに蹴りを放つ。モモは避けられなかった。真面に()らった。

 再びモモの身体が吹き飛ぶ。これでモモが()らった蹴りは二発。ダメージは嫌でも蓄積する。いずれ根性だけでは誤魔化せなくなる時が来る。

 一太刀でも受ければ終わり。

 そして『月下香(ゲッカコウ)作戦』完了まで後四分を切った。

「ぐ、ぅ」

「ふ」

 三度目の攻撃は天堂から仕掛けた。走り出し、刀をモモに向かって振り下ろし、

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「――――――――――――」

 それは間違いなく完璧で完全な、これ以上ない程に適確なタイミングでの攻撃。予想外の方向からの、予想外の速度での、予想外の武器を使った攻撃。袖口に仕込んだ金属針を射出する。そんな攻撃を予見できるわけがない。

 だからモモは金属針を避けられないだろう。避けるにはあまりにも距離が近すぎて、あまりにも射出速度が速過ぎた。

 故にその三本の金属針はモモに直撃し、

(な、に……?)

 直撃は、しなかった。

 モモは射出された金属針を回避した。

 といってもその回避は完全ではなかった。金属針はモモの頬を僅かに(かす)り、空の彼方に消えていった。

(見えたのか? 予備動作を最小限に留めてなお?)

 もう『ツキカゲ』メンバーで天堂の戦闘スタイルを知っている人間はいないはずだ。メイの見ているところで天堂は戦っていないし、今始めて戦っている(さま)を見せたモモに天堂が暗器使いであることが分かるはずもない。

 であるとすれば、と天堂は考える。

 であるとすれば、モモは純粋に成長したのだ。何らかの手段、第六感か前兆を感知したのか分からないが、ともかく何らかの手段でモモは天堂の金属針による攻撃を察知した。

 そうとしか考えられない。

(……確かこいつは五感が異常に(すぐ)れていたな。それが理由、か……?)

 だが、と天堂はほくそ笑む。

 モモの頬に金属針は(かす)っている。モモは金属針を完全には避けられなかった。その代償は大きい。必ず、後になって響く。

(…………っ⁉)

 ギチリとモモの頬に(しび)れが走った。それは平時であれば無視できる程度の違和感であったが、極限の集中状態を維持している今では無視できない違和感だった。だから、その影響でモモの体勢は左に流れ、目線は金属針の飛び去った右側を向いてしまった。

 つまりは隙だらけだ。

 勝てる、と天堂は確信した。

 当たる、と天堂は確信した。

 これで終わり。

 これで勝利。

 四百年にも渡る『モウリョウ』と『ツキカゲ』の因縁はここで終わる。

 『月下香(ゲッカコウ)作戦』は完了される。

 そのはずだった。

「なぁ⁉」

 『ツキカゲ』と『モウリョウ』の最大の違いは何だろうか。

 『ツキカゲ』は正義の組織で『モウリョウ』は悪の組織であることか?

 『ツキカゲ』は少数精鋭で『モウリョウ』は上層部以外粗悪乱造であることか?

 違う。そうではない。『ツキカゲ』と『モウリョウ』、その最大の違いは、

 最大の違いは、

((かえる)、だと⁉)

 それは天堂にとって完全に予想外の攻撃だった。いや、正確に言えばそれは攻撃ではなかった。しかし、少なくとも天堂の意識は()れた。

 『ツキカゲ』の使役する忍動物の一匹――カマリという名の(かえる)がモモの胸元から跳び出し、天堂に跳びかかり、天堂の意識を僅かに()らした。

 だから追撃が一瞬遅れた。その一瞬は値千金の時間で、カマリがもたらした非常に有益な時間だった。

(今っ!)

 その一瞬で、モモは体勢を立て直し、いやそれどころか天堂に先んじて攻撃を行った。

 全身全霊で刀を振り下ろす。この一撃に魂を掛けるが如く。

「ふっ‼」

「っう‼」

 甲高い音を立てて刀同士が接触し、火花を散らす。

 単純な腕力では天堂の方が勝っている。だからこそ、今回の結果にはそれ以外の要因が加わっていた。

(圧さ、れ)

(押し込むっ!)

 戦闘における重要要素は主に三点。すなわち心技体。精神、技術、身体。

 この時、天堂の精神は揺らいでいた。動揺していたと言い換えてもいい。

 カマリによる奇襲はそれほどまでに予想外だった。

 だからこの一瞬だけ、モモは鍔迫り合いで優位に立つことができた。

 だから、天堂は刀の握りを僅かに緩めた。

「な」

 緩急の緩。あえて握りを緩め力を抜くことで相手の体勢を崩す技術。

 積み重ねてきたモノがある。

 歩んで来たのはエベレストよりも険しすぎる道のり。

 天堂久良羅。

 十三人しかいない『モウリョウ』最上級幹部の一人。

 世界史に残れるほどの才人。

 これが、天才。

「くぅ!」

 千載一遇のチャンスだった。

 まさしく今しかない好機だった。

 それを失った。

「ふん!」

 弾かれる。

 弾かれた。

 そして開く距離。

 もう少しだけモモに経験があれば、ここで天堂を仕留められたかもしれない。

 もう少しだけモモに力があれば、ここで天堂を倒せたかもしれない。

 もしモモが雪からアドバイスをもらっていれば、ここで天堂に勝てたかもしれない。

 だが現実は非情だ。絶好の機会は失われた。もはや天堂に隙は無い。

「はっ!」

 開いた距離は好機だった。遠距離用の武装を天堂は持っている。金属針を仕込んでいた袖口とは逆の袖口からワイヤーを射出する。

 ワイヤーがモモの持っている刀の柄に(から)みついた。それを確認した天堂はワイヤーを操り、モモの刀を遠くに放り投げた。

「⁉」

 刀が手から離れる。主武装(メインウェポン)を失った。無防備。

 それは天堂が手にしたチャンスだった。今しかないという絶好で最高のタイミング。天堂はそのチャンスを逃さず、一気にモモとの距離を詰める。

 そしていくつもの超高速フェイントを繰り出しながら水平に刀を振るう。

 モモの首を()ねる高さで、刀を振るう。

 シュッ、と一際大きな風切り音がした。

「――――――」

 だが、モモはあくまでも冷静だった。いっそ冷徹な程に冷静だった。心を(たぎ)らせても思考は冷たく。それはまさに一流のスパイの在り方。雪と同じ、一流のスパイとしての在り方。

 モモは成長していた。天堂との戦いの中で急激に成長していた。

(見える)

 時間の流れが遅くなっていた。

 思考があり得ないくらい加速しているのを自覚できた。

 天堂の振るう刀の軌道が分かる。非常にゆっくりと動いている。

 右手を(ふところ)に伸ばしながら、体勢を後ろに倒して、モモは天堂の刀を避けた。

 スパンッ、と風切り音が止まった。

(ちぃっ⁉)

 完璧な受け身をとり地面に倒れたモモはその体勢のまま両手で銃を構えた。

(いつのま、に⁉)

 防御が間に合ったのは間違いなく日頃の努力の賜物(たまもの)だった。モモの手が懐に伸びているのを視認した瞬間、天堂もまた服の中に隠し持っていた鉄扇を左手に持った。

 銃弾が放たれる。一発、二発。特殊弾頭を使用しているが故に軽い発砲音。しかし直撃すれば間違いなく天堂は敗北する。

 だが、天堂も()る者だ。鉄扇で銃弾を防御した。

(くっ)

(ふん)

 攻撃の失敗を悟った瞬間にモモは次の行動に出た。拳銃の設定を変える。弾丸射出モードからワイヤー射出モードへ。『ツキカゲ』の技術力だからこそできる同一武器に内蔵された複数の機能。それは間違いなくモモのことを助けていた。

 天堂の追撃よりも早くワイヤーを射出する。

 射出されたワイヤーが巨大散布装置の鉄柱に絡みついた。ワイヤーを巻き取ってモモは天堂から距離を取る。

 そして、先ほど天堂がワイヤーを使って放り投げた刀を回収した。

(やらせない……)

 ホルスターから物体透明化ハンドクリームを取り出す。それを手の指に塗り、立ち上がりながら言い放つ。

 開いているのは距離。

 開いているのは心の距離。

 それはもう埋められない。今はもう、戦う以外に道はない。

「これ以上、皆に酷いことはさせない!」

 物体透明化ハンドクリームを刀身に塗りながらモモは強く言い放った。

 隠される刀身とは正反対に明らかにされるモモの決意。

 強い言葉で、強い心。

 偽物ではない、本物の強さ。

「素敵なこと、だ。導いてやるのだから」

 見えなくなった刀身に天堂は少しだけ警戒を強める。刃渡りは完全に把握している。ギミックも無いだろう。モモの腕と手の動き、そして視線を追えば刃が見えずとも刀の動きは把握できる。

 ここで負けるわけには絶対にいかなかった。

 人類は救えない。故に、導く必要がある。天堂はそう強く信じているから。

 偽物でもあり本物でもある人造の強さ。

 それが天堂久良羅という人間の根幹。

「はあッ!」

 モモが刀を振るう。天堂の足を払うように。

 それを天堂が(なん)なく避ける。前方宙返り(サマーソルト)で上手く避ける。

 その行動に一瞬モモが驚愕した瞬間、三度(みたび)天堂の攻撃がモモを直撃した。

「ごッ⁉」

 もろに腹に入った。胃が引っ繰り返りそうになるほどの衝撃。胃液が口から飛び出そうになって、モモは思わず呼吸を止めた。

 呼吸を止めている暇などなかった。

(落ち、っ!)

 天堂とモモが戦っている場所は高度三百メートル以上ある巨大散布装置の屋上だ。落ちれば一貫の終わり。その先には死あるのみ。

 屋上から蹴り出されたモモの身体が宙に浮く。このままではモモは地上に向かって真っ逆さまだ。都合よく助けなんて来ない。今はもう、誰もモモのことを助けられない。

 だからモモ自身がモモのことを助けなければならない。

「――――――――――――」

 あくまでも冷静に、

 いっそのこと冷淡に、

 怖いほどに冷徹に、

 モモは腰に差したバールのようなモノを手すりにひっかけ、そのまま手の力だけで屋上へと舞い戻った。

「ほぉ」

 感心したような溜息に関心を持つ暇はない。

 モモは屋上に舞い戻ったその勢いのままにスライディングし、カポエイラの動作で逆立ち状態になって右手に持った刀を天堂の(ひざ)付近に向かって振るった。

「っはぁ!」

 だが、その動作は戦いの当初に比べてあまりにも(にぶ)すぎた。故に、簡単に避けられる。そう、モモの動きは(はた)から見ても分かるほどに(にぶ)くなっていた。モモが消耗したのもその理由の一つだろう。天堂がモモの動きに対応してきたのもその理由の一つだろう。

 しかし違う。モモの動きが鈍くなっている理由は、その大きな理由は、もっと他にある。

 それは、

「我らが適切に人を運用してやるっ!」

 天堂は勝ちを確信した。

 一分前の一撃が勝敗の分かれ道だったのだ。

 才能(あふ)れる少女でも、経験が足りなかった。

 才気煥発(かんぱつ)な少女でも、苦境が足りなかった。

(…………こ、れ……って…………)

 足がふらつく。

 腕が(しび)れる。

 視界が(かす)む。

 身体が重い。

 思考が鈍い。

 これは、

 これ、は……っ!

「ぐっ、うぅっ!」

「効いてきたようだなぁ、源モモ」

「っ……!」

 違う。精神的なモノが原因ではない。

 違う。モモの体力が尽きているわけではない。

 違う。モモの技術が急に衰えたわけではもちろんない。

 原因は外部にあった。

 敵は悪の大組織『モウリョウ』だった。

 天堂は『モウリョウ』の最上級幹部で暗器使いだった。

 この戦いに卑怯などという言葉は存在しない。

 つまりは、

「毒……っ!」

「我ら『モウリョウ』特製の毒だ。名を『九天カンタレラ』。いくら『ツキカゲ』といえども、研究班の連中が丹精込めて作ったそれを解毒することはそう簡単にはできないだろう?」

「くっ!」

 いつ毒を()らったのか、モモには思い当たる瞬間があった。

 天堂が袖口から放った三本の金属針。『九天カンタレラ』はそれに塗られていたに違いない。モモは金属針を完全には回避できなかった。金属針はモモの頬を(かす)っていた。

 だからモモは毒に侵された。

 思えばモモの動きは金属針が(かす)った瞬間から僅かに(にぶ)っていた。

 頬に走った(しび)れ。崩してしまった体勢。逸らしてしまった視線。

 全て、毒のせいだ。

 『九天カンタレラ』はモモを侵し、犯した。

「消してやろう。以前の『ツキカゲ』共と同じように」

 月の光を反射して(にぶ)(きら)めく天堂の刀。

 爛々(らんらん)と輝く緋色の瞳。

 口元は弧を描き、頬は朱色(しゅいろ)に染まる。

 絶対的優位。圧倒的優越。

「魂だけは、誰にも消せない」

 だが負けていない。

 確かに現状はモモが圧倒的に不利だ。

 身体中に毒がまわり動きが(にぶ)くなってしまっている。刀を持つ手は震え、瞳に映る景色に(もや)がかかる。荒くなる息、上昇する心拍数。

 自覚する。このままでは勝てない。ただでさえあった実力差がさらに開いてしまった。

 このままでは勝てない。

 だから、

(……ふぅーっ、……ふぅー……っ…………)

 モモは覚悟を決めた。天堂はモモよりも強い。絶対的な差がある。それを(くつがえ)す為には、それを引っ繰り返す為には、モモも覚悟を決めなければならない。

 今は亡き雪がモモに教えてくれたこと。

 今は亡き師が弟子に受け継がせたモノ。

 それは技術的なモノだけではない。スパイとしての在り方。絶対的窮地(きゅうち)でとるべき行動。

 覚悟を決めろ、源モモ。

 天堂に勝つために、狂え。

 狂って狂って、常軌を(いっ)しろ。

 普通じゃなくなれ。異常になれ。

 覚悟を決めろ。

(師匠…………)

 思い出せ。

 想い出せ。

 思え。

 想え。

(師匠、力を、力を貸してください。弱い私に、この女に勝てるだけの、力を)

 月の光を反射して(にぶ)(きら)めくモモの刀。

 爛々(らんらん)と輝く黄金の瞳。

 身体の自由は利かなくなり、頬が血で染まる。

 絶対的不利。圧倒的劣勢。

「――――――――――――」

「――――――――――――」

 二人は直感した。

 おそらくは、これが最後の交錯。

 次の一撃で勝負がつく。

 終わりが近い。

 全ての終わり。

 『ツキカゲ』と『モウリョウ』の間にある、長きに渡る因縁。

 それが今日、終わる。

 










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