『贖罪するのだ、さもなければ汝のゆく道はない』
世界ではない、どこかでそう言葉がだれかに投げかけられた。
◇
───黒い。
気がつくと、視界が何もかもが黒かった。
これは一体なんだろうか。もしかして、地獄とかに落ちたのかな。
そりゃそうだ。あんだけたくさんの人を騙して攫っておきながら。
そうでもなきゃ、騙された人達が報われない。
勧善懲悪。まさしくシンプルな論だ。
「……あ」
────────違う、これは……ただ
睡眠から目を覚ます寸前のあの感覚と同じだ。
それに気づいた私はゆっくりと瞼を開く。
視界に映ったのは、悲しくも澄み渡る青空だった。
……綺麗だなぁ。
なんの事柄にも縛られず、あの青空を羽ばたく。
猫獣人である私には、到底叶えられなさそうな、そんな願望。
一瞬だけの安穏に浸っていると。
『死ね』
あのおぞましい、日本人の顔が頭を横切る。
「ッッ!!?」
ゾクリと来た、恐怖感に飛び跳ねるように猫耳をピーンと伸ばしながら体を起こす。
そうだ……私は、あの日本人に殺されたんだ。
人を定めて、引っ掛けられそうなら罠に引っ掛けては売り飛ばしての繰り返し。
いわゆる、人攫い。
そんな日々を送っていた私に、とてつもない人材を見かけた。
それが、黒髪の日本人。それもギフトなしと来る。
これは高く売れると踏み込んで、罠に引っ掛けようとした。
だけど、相手は何かよく分からない方法で、触れずに殺せる力を持っていたようで。
それに為す術もなく、私は殺された。
────じゃあ、今、私はどうなっている?
思わず、胸に手を当てると……
……なぜ?
先ほどまで感じていた、急に目の前が暗くなり、力が抜ける感覚。息も止まり、心臓が停止し身体が急激に冷たくなっていくあの感覚。
あれが、“死”というものだと。
最期に、そう悟って。私は死んだ。
だと言うのに、今、心臓の鼓動を感じている以上……私は生きている。
──分からない。何が何だか、分からない。
生きているという喜びよりも、疑問が先に来る。
頭がこんらがってどうにかなってしまいそうだ。
見上げると、私が逃げ込んだ先であっけなく心臓が止まって死んだと思われる屋根が目に入る。
恐らくは、あそこからここに落ちてきたというのだろう。
……ますます、分からなくなった。
何故なら、私の身体には傷一つもなかったのだから。
奇跡的に生きていたとしても……あの高さから落ちてきたらとても無傷ではいられない。
だと言うのに、身体に傷がない。本当にあそこから落ちてきたのかと疑うほどである。
試しに立ち上がってみるも、なんの問題もなく立ち上がれた。
……軽くジャンプしてみても、体のどこかが軋むといったものはない。
耳を済ませてみると、街道を往く人々の生活音や話し声が聞こえる。
……少なくとも、今分かっている範囲では、体の感覚にも異常はなさそうだ。
──夢?
死を前に直面して、最期に見ている夢なのか?
そんな可能性を思い浮かんではすぐに消す。
──私は、確かに足を地につけている感覚がハッキリとしている。
生きている証でもある、心臓の鼓動。
今、こうして手に伝わってきている、私の鼓動。
……夢にしても、鮮明すぎるのだ。何もかもが。
やはり、これは夢ではなく“現実”だ。
「……はぁ」
安堵したからなのか、それともげんなりしたからなのか、思わずため息を吐く。
生き延びた私は……これから何をすればいいのだろうか。
一度私を殺した、あの日本人に復讐する?
まさか。
“あんな奴らに関わるんじゃなかった”。
最期、私はそう思って死んだ。
だと言うのに、自分から関わりに行くなんてありえない。
復讐するどころか、また返り討ちにあって今度こそ死ぬだろう。
何よりも────怖い。
どういうわけか、恐怖感を抱いているといってもそこまで大きくは感じなかった。
だけど、それでも怖いものは、怖い。
死ね、とそう言い放つあの日本人の鋭い瞳。
あれは化け物だ。もう二度と、関わってたまるものか。
「あ、ははは……バカみたい、にゃ……」
あえて、猫かぶった言動をして自分を蔑む。
もはや、ミレイユの、あの日本人への恐怖感は本能的な部分にしっかり記録されてしまったのだった。
っ、とにかく……こうして生きている以上これからの事を考えなければならない。
……罪を償う?
自分に対して、真っ当に生きたいのであれば。
今すぐにでも、自分の行いに対する贖罪をしなければならない。
──いや。今、打算的に考えていなかったか?
それでは贖罪の意味がないのでは?
そもそも、自首したとして私は既に犯罪組織と関係を持ってしまっている。
犯罪組織というモノに、足を踏み入れてしまっている。
自首したとしても、それを嗅ぎつけた犯罪組織に消されるかもしれない。情報を漏れさせられてはたまらないからだ。
そう考えると、ゾクリと身震いした。
──ああ、そうか。
もう、 普通に……生きていくだけでも難しいんだ、私は。
こうして死にかけて初めて知った。
生きているだけで、ありがたくて……とても尊いものだったんだ、と。
気がつくと、頬を何かが流れていく感覚がした。
それが涙だと理解した瞬間。
「っ……ぅ、うう……」
涙が止まらなかった。
……哀れな。泣くぐらいなら犯罪組織などに関わらず最初から真っ当に生きればよかったのだ。
そもそもの話──私から、人攫いを取ったら何が残る?
ただの猫獣人? ただの犯罪者?
大して役に立たない、ただ食料を食い潰すために生きているだけの存在?
そもそも──……あれ?
これからの事を考えると、ある事が頭に引っかかった。
私、今まで……どうやって暮らしてきたんだろう?
今まで、大して気にも留めず当たり前に出来てきたことがひどくあやふやなそれになっていた。
やはり、あの死の感覚を身をもって経験したからこそ、今までの事がひどく小さいそれに感じてしまったからだろうか。
そんな風に考えていたら。
- 技能 -
詐術 (8) 話術 (5) 剣士 (3) 回避術 (2) 逃走 (7) 生還 (1) 恐怖耐性 (3)
「───え?」
なん、だこれ?
突如頭に思い浮かんだ、 何か。
それに、ますます混乱する。
……そんな、あまりにもの突然のことに、涙が止まっていたこと自体には気づかなかったミレイユだった。
技能? ギフトじゃなくて、技能?
これは一体どういうことなんだ。
まさか、死を直面して新たな力に目覚めたとかいうそんな上手い話があるわけがない。
でも、現にこうして勝手に思い浮かべているコレは一体?
──いや、落ち着け。
まずは情報を整理しなければならない。
まずは詐術。これは、確か嘘をつく技術……とも言い換えられる。
( )の中にある数字が何を指しているのかは分からないけど……詐術が一番数字が大きかった。
──そりゃそうだよね。
今まで何人もの人を騙してきた身だ、詐術なんていう技能がいつの間にか身につけててもおかしくはない話だ。
……いや、待って。呑気に整理している場合じゃないでしょ私。
思わず周囲をキョロキョロと見渡す。
──あの黒髪の日本人が、ここに来るのかもしれない。
ちゃんと殺せたかどうかを確認しに、という可能性は無視できない。
見つかりでもされたら、今度こそあの力で殺される。
──嫌だッ、嫌だッ! 死にたくない、私は生きたい、生きたいんだ!!
そんな言葉が頭中をぐるぐると回りながらも、私はこの場から離れることにしたのだった。