先の日、私の宝物が増えた。
ひとつは、センパイとお揃いの耳飾り──ヒトである彼は手首に巻いた。
共に競い合える
いまなら走ることも少しは楽しめそうな気がする。
ウマ娘にも、私にも
互いに思いを乗せ合えば。思いを背にターフを駆けたら。
そこに不満は残っても苛立ちは無くなるだろう。
たとえそこで孤独であろうとも、私は彼と共に在る。──あの日、それを確信した。
この思いも体も
センパイが私に尽くしてくれたように、私もセンパイに尽くしたい。
ああ、私は……私を信じてくれている人へ勝利を届けたい。
そして、レースの余熱を共に分かち合えれば、これ以上の喜びはきっとない。
なるほど、初対面の時にセンパイが言っていたのはこういう事か。
いずれ来るメイクデビューの時が、私も待ち遠しく思う。
「──フッ」
「え……ぶ、ブライアンさんが笑ってる……!?」
「≪高揚≫に類似した不明なステータスを視認──データ収集のため観察モードへ移行」
「あっ、メカ娘が呼応した」
ふたつ目は、センパイのコート──もう着ないと言うのでこれも貰った。
男性用なので袖に手が隠れてしまっているが、そこは追々調節……機会があれば仕立て直したい。
コートと言っても夏用だ。生地は薄い。故に年中着ていられる。
──もちろん、今も着ている。
トレセン学園の制服は紫を基調とした実にシンプルなものだ。名門故か改造は許されていない。
遠目に見たら誰が誰だか、すぐには判別は付かないだろう。だから着た。
校則では帽子やアクセサリーの類いの着用は禁止されていない。
ルールに則ってさえいれば何を着ても許されるということだ。
これでセンパイも、私だと識別しやすくなる。見間違えは許されない。
この黒いコートはセンパイがくれた色だ。そして私の髪もまた黒い色をしている。
朱に交われば赤くなると云うが、黒は何者にも染められない私達だけの色だ。
センパイの色が、私の存在を色濃くする。
しかし、その心は白いとセンパイは云った。どんな
だったら私はセンパイの色で──アナタ色に塗りつぶされたい。
あの人の居ない日々はもう考えられない。考えたくもない。
当初から抱いていたこの思いは日増しに強くなっていく。
彼の匂いが染み込んだこの黒いコートが、私の白い肌を覆い隠す。
ずり落ちないように
私は私の意志で、この色
──センパイの匂いを取り込もうと、自然と
どこか倒錯的にも感じるこの行為に、無性に心が、胸の奥底からゾクゾクと震える。
「──はぁ」
「……?」
「というか、なんで袖ダボ裾ボロの服を着てるの……?」
「さあ? なんか妙な匂いは漂ってきてるけど……って、ブルボンさんのあの顔反則……ッ!」
みっつ目は──
ちらりと視線だけを向けると、焦点の合っていない目で
何を考えているのか、自分はサイボーグだという態度で居るウマ娘。
──ミホノブルボン。
少し前から坂路トレーニングで見かけるようになった。
……入学後のウマ娘の動きは、大まかに3つに別けられる。
1.≪教官≫と呼ばれる学園職員の下で、簡単な指導を受ける者。
2.チームに体験入部するか、トレーナーと契約を結ぶ者。
3.チームかトレーナーを得て早期デビューする者。
ミホノブルボンはこの1~3のどれにも当てはまらない。
誰かが坂路トレーニングを行っていると姿を見せては許可を得て併走を始める。
教官の下では重いトレーニングは出来ないから避けるのは分かる。
チームともトレーナーとも関係を持たないのは無用な
しかし設備は利用したい。なので一時的な監督を誰かに頼む。……なるほど、合理的ではある。
そこまでして何が奴を坂路に縛り付けるのか。
「オマエは、どうして坂路にこだわる?」
「最終目標の達成に必要な工程だからです」
……が、返事の方はまともに返ってこない。
「最終目標とは、なんだ?」
「クラシック三冠の達成です」
この調子で繰り返し問いていけば
逆を言えばそうまでしないと
そこまでして聞きたいとは思わない。興味もない。
期待とは、すればするほど失望も大きくなる。……ウマ娘は不確定要素の塊だ。
期待したところでデビュー時期が重ならなければ無意味だ。狩りは成立しない。
現にミホノブルボンは、私との共同トレーニングにもついて来れていない。
元々のスタミナが少ないのだろう。根性は見せるが、すぐにへばり落ちる。
クラシック三冠の最終戦、菊花賞では3000mを走り切るスタミナも要求される。
どんなウマ娘でも最後まで走れはするものの、切れる札を残せるかは……。
だが、諦めないで取り組む
……ウマ娘とは、つくづく因果なものだ。認めはしても期待はできない。
人間はウマ娘に期待を乗せられるが、ウマ娘同士では何も乗せられない。
分かってはいたが、ウマ娘とはなんて孤独なものなのだろうか。
「質問があります」
そんな事を思っていると、ミホノブルボンに問いを返された。
「ブライアンさんは、どのようにして
「は? パパ活? ……なんだ、それは?」
聞き耳を立てていたのか、この発言に騒がしかった教室中がシンと静まり返る。
周囲を見回せば、クラスメイトの顔は不安、興味、驚きなどで彩られている。
顔を見れば分かることもある。
「トレーナーとの専属契約です」
「ああ……それでどこから
教室中の視線がミホノブルボンに集中する。
「呼称名を≪パパ≫と変更したのは実父との区別のためです。トレーナー職に就いていた父は入学直前まで鍛えてくれました。──よって、トレーナーとは父である存在と云えます」
「女性トレーナー相手ならママ活か?」
「…………そうなります」
父のような立派なトレーナーを探す活動……略して、パパ活。
この釈明にある者は安堵し、またある者はつまらなそうに視線をそらした。
──ミホノブルボン
誰もがこの世の終わりかと思った話は、まだ続く。
「どうやって契約を取り結んだかだったな。直感と執念──……それだけだ」
「インプット失敗。情報の不足を指摘。具体的な詳細を要請します」
「ハァ……ねだるな、勝ち取れ。与えられて当然の権利だと思うな」
難しいことを言うつもりはない。1着もトレーナーも早い者勝ち。出遅れは致命的だ。
やると思ったならやれ。何事も為さねば成らない。ただそれだけの事。
考えるまでもない事に、ミホノブルボンは思案顔のままだ。
「まだ分からないか? ……そうだな、三冠の事なら生徒会長殿にでも相談してみるといい。私に助言を求めるよりは、すでにある成功例を参考にした方が合理的だ」
コイツがライバル成り得るかは不明だが、この程度の助言は塩にもならん。
むしろ……、
私の心を散々乱してくれた礼だ。ありがたく受け取れ。
話しかけられる理由を作ってやったぞ。喜べよ、ルドルフ。
マイナスとマイナスを掛けるとプラスになるように、面倒な者同士、
せいぜい、トレーニングに使える程度に仕立て上げてくれ。果報は寝て待つ。
「ミッションを更新。次目標、生徒会長との接触。──ありがとうございました」
さて、もう放課後だ。休息の時間は
このあとは待ちに待ったセンパイとの甘美な時間だ。胸が熱くなるな。
「失礼します。──私、ミホノブルボンはクラシック三冠の達成は可能でしょうか?」
「おお……、いきなりだな」
入室して早々に、コイツはセンパイへと同じ質問を投げかけていた。
──本当に礼を失する奴があるかっ!
そう、声を大にして言いたいところだが……センパイの手前、
入れ込みが過ぎると判断されては、トレーニングの予定を中止されかねない。
『ついてく……ついてく……ブライアンさんについてく──』
『──
『やあ、ブライアッ……、──ッ?! ……!?』
道中、ルドルフと出くわしたが、なぜかショボくれた顔をして遠ざかっていった。
その結果、ミホノブルボンは
どうしてこうなった? 私はどこで失敗をした?
……いや、コイツの考えは
なにも相談相手は三冠ウマ娘だけに留まらない。トレーナーもその中に含まれる。
三冠の機会を与えられるのは、どのウマ娘も一生に一度だけだが……トレーナーはその例外だ。
トレーナーは≪ウマ娘≫という
立場が違えば視点も違う。彼らは
繰り返し鍛えられた鑑定眼に間違えはないだろう。
そして、父親が元トレーナーならば、その役割の重要性を把握していると見て間違いない。
愚者は
自分で調べるより他人に
なるほど合理的だな、──ふざけろ。
「断言はしないが、とても難しいだろうな」
「それはなぜでしょうか?」
「……今日は座学だな。ふたりとも席につけ。適正距離について教える」
センパイに
机の上には筆記用具が据えられていて、向こう正面には説明用のホワイトボードが置いてある。
まさに至れり尽くせりだ。センパイの抜け目の無さが裏目に出たな……。
ここまでお膳立てされていては『カエレ!』とは言えなくなる。
──ボードの前にセンパイが立って講義が始まった。
今日は彼とふたりで過ごしたかったのに、な。