カラゴトストーリー   作:全智一皆

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おまたせ


一日目・家族荘(華族葬)

またの御来店、お待ちしております

 

 ピピピ、ピピピ、とスマートフォンという便利な最新型携帯電話から俺を起こしてくれる朝のアラームが鳴る。

 アラームの音が脳を叩き、俺は顔を一切歪ませる事なく、降ろされた幕のような、砂利だらけの駐車場によくある重たい石のように重たい瞼を、嫌嫌ながら持ち上げるようにして、

「起きます。」

 と、目を開いて意識を覚醒させた。

 スマートフォンの画面に写っているボタンをスライドして時計のアラームを止めて、俺はふかふかの暖かいベッドから体を起こした。

 目に写ったのは見覚えのない天井ではなく、またや見覚えしかない仲良しな友人でもない。なんの変哲もない、ただの白い色紙が貼られているだけの部屋の壁と、その隣で物静かに立っている木製の扉だ。

「…さてと。」

 体を預けていた二段ベッドの一番下に居る俺は、布団から抜けて布団を綺麗に畳んでから梯子を登り、上でぐっすりと眠っているお姫様の下へ向かった。

 絵も文字も描かれていない白紙のような白髪を下敷きにして、布団を被り小さな寝息を立てて眠っている儚げな少女。

 俺が、この山のホテル的施設に来る事となった理由。俺が付き添った人、俺という人間らしくない人間を付添人に選んだ唯一の少女―――俺の友人、空白白だ。

「白、起きてくれ。もう朝だよ。」

「んん…起きたくない…」

「俺が起きたら私も起こして、って頼んだのは白じゃないか。」

「ん…そっか…じゃあ、起きる…」

 俯せになって、床に手を立てて白が起き上がる。くしくし、と目をこすっている。

 でも、まだ瞼は降ろされたままだ。まぁ、そりゃそうか。普段の白からすれば、今の時間帯はお眠り時間だ。

 何とか起きようとする彼女のその様子は、まるで欠伸をする猫の如き可愛らしいものだった。

「くう、髪、梳かして。」

「はいはい。」

 髪を梳かしてくれと彼女から頼まれた俺は、ポケットから折り畳まれた櫛を取り出して開き、彼女の真っ白い髪を丁寧に梳かし始めた。

 本来、『梳かす』という言葉は櫛やブラシで髪の毛のもつれを整える事などであるのだけれど、彼女の髪は別にもつれている訳ではない。

 寧ろ、その真逆。その反対。向こう側で、とてもサラサラしていて艶のある美しいもので、別に俺が梳かす必要は無いのだ。

 俺自身、長年彼女の髪を梳かしているけれど未だ上手いとは思えない。

 のだが、俺はそれでも頼られる。全く以て有り難い。

「ん…ありがと、くう。」

「どういたしまして。」

 気持ち良さそうな顔をして、感謝を述べてくれた白。俺はそれに無表情で返した。

 俺は櫛を畳み、ズボンのポケットに入れ直してから白の髪を整える。

 素手で触るとまた更に…と、このままじゃ話しの終わりどころが分からなくなってしまう。取り敢えず、今は止めておこう。

 白の髪を整え終え、俺はドアを開いて、

「俺は食堂の方に向かうけど、白はどうする?」と、完全に意識を覚醒させてパソコンを開いてカタカタとタイピングをしている白に聞く。

「朝と昼は、大丈夫。夜になったら、行く。」

 こっちを見る事もなく、パソコンとにらめっこしながら白は答える。

 見慣れた光景だし、今更何か言う事も無し。俺は分かった、とだけ言って部屋から出て、しっかりと扉を閉めて食堂へ向かう為に歩き出す。

 「いー君」が向かった孤島の館のように、廊下全体にレッドカーペットが引かれているという訳でもなく、広がるのは木製の冷たい床だ。

 歩めば、ぎし、ぎしと軋む音が響く。古い屋敷という訳ではないけれど、しかし新しい屋敷という訳でもない。というか屋敷ではない。

 どちらかと言えば、施設。少年自然の家と言った方が正しいのかもしれない。今の子達が少年自然の家というものを知っているのかどうかは知らないけれど、まぁとにかく、そんな感じの施設だ。

 窓から入り込む日差しを受け、俺は今の季節が冬だと勘違いしてしまう。

 暖かい日差し。夏だとうっとおしく感じてしまう日差しも、春、秋、冬、の三季節であれば心地良いものだと思う。

 そうしていると、前から貴族の家に住む専属執事を連想させるような飛燕服を着こなす美青年が歩いてきた。

 執事のような美青年――このまぁ、執事のような、ではなくて実際に執事なのだけれども。

「おはようございます、ミチルさん。お早いですね。」

「おはようございます。そちらこそ、お早い起床ですね。よく眠られましたか?」

「はい。良い枕、良い布団、良い環境の三つに恵まれてぐっすりと眠れましたよ。白もいつもより心地良く眠ってました。」

「そうですか、それは良かった。カケルと一緒に整えた甲斐が有ったというものです。」

 執事冥利に尽きるというものですよ、と言って、ミチルさんはくすりと笑った。わぉ…なんて眩しい微笑みだ。

 俺のような、酷く濁った墨汁、もしくは電気が消された部屋の如き黒い眼では直視することは愚か、見ることも出来ないであろう天使の微笑みだ。実際に目にはしたのだけれども。とはいえ、眩しい。

「それで、こんな朝早くに何処へ行かれるんですか? 敷地外への外出であれば、御主人様からの許可が無ければ出来ませんが…」

「外出ではなく、散策ですよ。何分、俺はこういった場所に来るのは初めてなので。色々見て回ろうかな、と。」

 窓を眺めながら、俺は白に伝えた事とは全く別の事を伝えた。

 白には食堂へと行くと言ったけれど、まぁ別に問題は無いだろう。だって白、部屋から出ないだろうし。

「白様と御一緒ではないのですか?」

「白は仕事に夢中になっているので。あと、彼奴は一分も歩くことが出来ないので。」

 白は生まれついての虚弱だ。しかし全く動けないという訳ではないし、「友ちゃん」みたいに上下の行動が制限されているという訳でもない。けれど、虚弱だ。

 言ってしまえば、体力が極端に少ないのだ。

 極端も極端、もはや体力が少ない人間の究極と言っても過言ではない。歩いて一分程度で息が切れて、五分もすれば真夏のマラソンを走り切った選手のようになり、足も小鹿のようになる。

 歩くという行動は勿論、走るという行動や踊るという行動なんて以ての外、論外だ。そんな事をすれば一分もせずに倒れ伏せる。ある意味では友ちゃんの方が動けるとも言える。

 友ちゃんというのは、俺の友人であるいー君と共に赤神のお嬢様が暮らし、天才を集めているという絶海の孤島「鴉の濡れ羽島」に招待された玖渚機関のお嬢様である。

 機械やコンピューターといったことにおいては天才的な頭脳を持っている友ちゃんだけれど、その頭脳は『サヴァン症候群』によるものだ。

 サヴァン症候群―――それは、精神障害や知能障害を持ちながらごく特定の分野に突出した能力を発揮する人や症状を言う。

 友ちゃんの場合、一人では極端な上下運動が出来ない代わりに人類最強の構造ロムや一度覚えた事は絶対に忘れない記憶能力などを有している。

 では、白もそうなのかと聞かれれば、本人である白も白の事をよく知っている俺も違うと答える。

 白が虚弱なのは生まれ付きであり、しかしそれは病とは無関係で、且つ神懸かった万能肌なのも生まれ付きである。

 玖渚友が青色サヴァンと言われているのと同じく、空白白は“空白虚弱”と言われている。二人共、有名人なのだ。良い意味でも、悪い意味でも。

「そうなのですか…残念ですね。御二人が一緒に居る姿は見ていて、とても微笑ましいのですけど…」

「……微笑ましいですか? 白だけならまだ分かりますが、俺も?」

「はい、そうですが?」

 きょとんとした顔をするミチルさん。いや、貴方、自分がどれだけ可笑しい事を言っているのか理解しているのか?

 白は分かる。儚いを擬人化したような、綺麗な白髪と澄んだ空のような色の瞳を持った彼女であれば分かる。

 でも、俺も一緒なのは可笑しい。

 白のように綺麗という訳でもない白髪、泥のような黒い瞳、仏頂面を通り越して無感情と言われる無表情が貼り付けられた顔面の俺も白と含まれて微笑ましいと言う事が、どれだけ可笑しいことであるのか。

 友ちゃんであれば「そいつ凄いセンスだねー。言っちゃなんだけど、頭可笑しいんじゃない?」と笑いながら言うのが目に見える。

「失礼ながら、センスを疑いますよ。白だけならまだしも、俺みたいなのが白と一緒に居る姿なんて、微笑ましいなんてものじゃない。俺は白とは真逆で、正反対で、醜い、もしくは悍ましいものですよ。」

「そんな、自分を卑下にし過ぎですよ。私からすれば、御二人は似ていますよ。容姿が、という訳ではなく、根本が。そして、美しい。」

「…」

「出来るなら貴方が頷くまで語りたい所なのですが、残念ながら私も仕事がありますので…また、暇があれば。」

 それでは、散策を楽しんでくださいね―――ミチルさんは、優しく笑いながらそう言って、立ち止まっている俺を通り過ぎて行った。

 俺は、一分か、もしくは三分くらい其処に立ち止まって、思考を切り替えて食堂へと向かった。

「…美しい、か。」

 でも、まだ頭に残っている。ミチルさんが言った、俺には絶対に似合わない、絶対に与えられる筈がない綺麗な言葉が。

 白と共に居る俺は、美しい…いや、否だ。そんな事は、無い。絶対に、完全に、無い。

 俺は断言する。空っぽな心の中で、空っぽな言葉で断言する。

 俺は空虚だ。俺は暗澹だ。

 俺は無心だ。俺は無情だ。

 俺は愚鈍だ。俺は愚者だ。

 俺は異常だ。俺は狂人だ。

 俺は嘘吐きだ。俺は詐欺師だ。

 俺は、空っぽだ。だから、そんな言葉は似合わないし、与えられないし、受け取らないし、捨て去る。廃棄する。そうすべきだから、そうする。

 綺麗なんて似合わない。美しいなんて与えられない。だから、そんな良い言葉は受け取らない。貰ったとしても、俺は塵を捨てるように放り投げて、捨て去るだけだ。

 だって、俺は塵だから。俺は屑だから。吐く言葉の全てが、凡人のように重みも想いも無い空っぽなものばかり。そんな言葉しか吐く事が出来ない、そんな言葉を吐いて騙しても罪悪感を抱かない異常者だから。

 吐くのは空言、述べるのは空論。心は白紙のように空っぽ。それが、俺だ―――

「空嘘虚戯だ。」

 空しい嘘を吐いて、罪悪感も何も感じないまま虚ろに戯れるだけの人間らしくない人間―――それが、ボクだ。

 

 自虐という自己の再認識を終えて、俺は食堂へと向かったのだが、そこでこの『狼の隠れ山』に招待された、神懸った才能を持った天才の一人―――神の如き音楽の才能を持ちし女子中学生「双葉氷」ちゃんがヴァイオリンを引いている所を目撃してしまった。

 耳から入り込み、そして脳に響き渡る綺麗な音色に、俺は体を支配されたような錯覚に陥った。

 覚えのある感覚だ。自分の意思を完全に無視されて拘束される囚人のような感覚。動こうとしても体が動かない、意識はあるのに意思を縛られているような不自由。

 手錠、足枷で拘束されている囚人のような感覚に陥るこれは、音をトリガーとする身体支配に似ている。

 一つ違うのは、俺が今聴いているのは決してそんな、戦い使われるような凶器の如き技術よるものではなく、純粋に彼女の腕によって奏でられている音色であるという事だ。

 それに、あくまでも支配されたような感覚に陥ったというだけで、俺は実際に体を支配された訳ではない。

 似たようなものだろうけど、まぁ言う必要も無いだろう。

 俺は無い心を動かして、意思を取り戻して食堂の椅子を出来るだけ音を立てないように引いて動かし、腰を下ろして静かに彼女の演奏を聴く。

 …本当、綺麗な音だ。心ではそう思えない筈なのに、脳が「この音は綺麗な音なんだ」と認識して、俺が違うと否定しようとする度にそうではないと否定が止まない。

 奏でられる音が、転調する。

 澄んだ音が響く。低く重い音が脳を叩く。高く軽い音が脳を癒やす。

 音が変わり、変わり、変わり、脳を刺激する。凄いなと思うし、天才だなとも思うのだけど、同時にこうも思う。

(――あぁ、これじゃあ、まるで、)

 これではまるで、麻薬じゃないか、と。

 脳内麻薬のような演奏は、奏でる音によって脳を刺激して、中毒性をもたらし世界へと拡散する。

 聴く脳内麻薬―――謂わば、ミュージックドラッグ。音楽麻薬、麻薬の究極だ。

 時間は、十分程度のものだった。

 常人であれば、呆気なく支配されてしまって安楽死すらしてしまうであろう演奏は、ラストスパートを迎えて、そして終わった。

「ブラボー」

 俺は感情を込めて(ただの棒読みで)、パチパチと拍手を送りながら彼女を賞賛した。

「あ、ありがとうございます。…って、だ、大丈夫ですか!?」

 少し照れながら俺の賞賛に感謝してくれた彼女だったが、しかし次の瞬間には顔を真っ青にしてヴァイオリンを丁寧に箱に戻して俺に駆け寄った。

 恐らく、自分の演奏を生で聴いた俺を心配してくれたのだろう。なんて優しいんだ、こんな俺を心配してしまうなんて。惚れてしまいそうだ。

 でも、悲しきかな。俺は無事だ。なので、彼女から施しを受ける事はない。

「大丈夫だよ。それより、やっぱり凄い演奏だったね。実際に聴くと、改めて感動したよ。」

「そ、そうですか…? ありがとうございます。でも、本当に大丈夫ですか? 眼に光が無いですけど…」

「あ、これ元からだから。産まれた時からこんな眼だから気にしなくて良いよ。」

「あ、そうなんですか。」

 意外にも、双葉ちゃんは驚かなかった。あっさりと俺の眼を受け入れた。

 ミチルさんもそうだが、双葉ちゃんも心が広い。いや、この場合は心が広いのではなく、ただ単に分からない、だ。

 俺のような人間の特徴を受け入れる人間なんて、白を含めて数少ない筈だったのだが。

 世の中、分からないものだね。

「えっと、白ちゃんは居ないんですか?」

「白は部屋でお仕事に洒落込んでるよ。あれでも多忙だからね。」

 主に後処理で、だけれど。

 何の後処理なのかは、またいつか。今話すのはネタバレになってしまうだろうし。

「そうなんですか…残念です。朝食を一緒にしたかったのですが…」

「夜は食べますから、夜の時にお願いします。一緒に話してやってください。」

「分かりました。」

 これで、白にも新しい友達が出来れば良いのだけど。

 

 この時は、ただそんな事を願うだけで済んでいた。


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